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こうたを連れて、カレンが一人で営む『喫茶ドロシー』へ帰ってきた。こうたはキョロキョロと辺りを見渡して、店の内装に興味津々だ。
「疲れた」
ソファ席に崩れ落ちたノワールに冷たいミルク、こうたにはうんと甘くした冷たいココアを持たせた。
「ノワール、今日は本当にありがとう」
「猫使いがあらいって」
こうたはストローを使い、ココアをちゅーちゅーと夢中になって飲んでいた。
「で、さっさと覗いて家まで帰そうぜ」
「そうね。その前にあなたを元の姿に戻すわ」
魔力が十分あるなら同時に魔法を使うこともできるが、今のカレンにはノワールの姿を変える魔法と、記憶を覗く魔法を同時には使えない。
ノワールを奥の部屋に連れていき、カレンはかけていた魔法を解いた。みるみる小さくなったノワールは光沢のある毛並みをもった黒猫の姿になった。
「やっぱこっちの方が落ち着くわ」
とことこと元の部屋に戻ったノワールのために、ミルクを平らなお皿に注ぎ直してやった。
「あ! 猫ちゃん!」
こうたは目を輝かせて無防備だったノワールを鷲掴みにした。
「ぐうぇっ」
ノワールは苦しそうな声をあげてバタバタと暴れた。
「こうたくん待って!」
慌ててこうたをノワールから引き離すと、ノワールは部屋の隅まで逃げてから体をペロペロと舐めた。
「逃げちゃった」
「こうたくん、ねこを触る時は優しく撫でてあげてね」
ノワールに近づくと、勘弁してくれと目で訴えかけてきた。
「私が付いてるから」
そう言ってノワールを抱きかかえ、カレンはこうたの膝の上にノワールを座らせた。
「優しくね」
こうたの手を取り、一緒に撫でてあげると、ノワールはしぶしぶといった様子で丸くなった。
「ふわふわ……!」
「かわいいね」
こうたはすっかり猫の姿のノワールを気に入り、柔らかな毛並みの感触を楽しんでいた。カレンはこうたの横に座り、優しく頭を撫でた。
「ちょっと覗かせてもらうね」
カレンはこうたの記憶に潜り込んだ。以前、カレンのもとを訪れた橘という老人の頭を覗いた時は、当時の光景をイメージをしてもらった。覗かれる人が頭に思い浮かべていることは見つけやすいが、今回のように何も言わない場合、大海原に住む一匹の魚を見つけるような作業になる。
しかし子供の場合、頭を支配する思考が大人ほど多くないため普通よりは容易になる。子供にとって、親の存在は記憶の中で大きな容量を占める。
こうたも母親のことが大好きな子供のため、母親についてはすぐに見つかるだろうと踏んでいた。
そんなカレンの期待を裏切るように、こうたの記憶はどこまでいっても真っ暗なままだった。一瞬、こうたには記憶がないのかと思いもしたが、それは現実的ではない。
カレンはこうたの頭から手を離した。|何かが魔法をはねのけている《・・・・・・・・・・・・・》。守られている、と言ってもいいかもしれない。
片目を開けてちらりとカレンを見るノワールに首を振った。
しばらくするとこうたがうとうとし始め、ソファ席に移動させると、間もなくして昼寝を始めた。
こうたの寝息を確認したノワールは、カレンの隣の椅子にぴょんと飛び乗った。
「見えなかったのか?」
「うん。何かに遮られて記憶を覗けなかった」
「何かって……魔除けがかかってんのか?」
「たぶん……」
こうたの記憶には魔法が干渉できないようになっていた。
「いよいよ怪しいな、あいつの母親」
「とにかく、こうたくんを今日中には家に帰さないと。おばあさんが心配するわ」
「あいつを連れて歩き回るしかないな」
カレンは物音を立てないように眠っているこうたの横に座り、さらさらとした髪を撫でる。ノワールはこうたの横腹にぴったりとくっついて丸くなる。
「やっぱり優しいわね」
「違う! これは、あれだ、子供はあったかいからな」
「素直じゃないわね」
その時こうたが寝返りをうち、寝言を言った。
「おと……しゃん……ピース」
ノワールも気になったようでカレンを見上げる。
「お父さん、って言ったのかしら」
「いや、これやっぱ何かの呪文じゃねーの? 母ちゃんが言ってるのを覚えてたとか」
「聞いたことないけど、どうかしら」
これまでのこうたの発言を整理する。
母親は自分を魔女だと言っている。
空を飛び、時折こうたに邪魔をしないように言いつけ、不思議な呪文を唱えている。
あまり家には居らず、魔女の集会と言って土産の品をこうたに与えている。
そして、こうたの寝言。
こうたくらいの子供が一人でショッピングモールに来れるということは、家はそこまで離れていないだろう。
またあそこに戻って、厄介な魔法使いに会うのは気が引けた。
「オウルの野郎にはもう会いたくねえな」
ノワールはぶつぶつ文句を言っていたが、その時カレンはピンときた。
「……そっか、オウルか」
「あいつがどうかしたんだよ」
「こうたくんを家に連れて帰る前に、オウルに会いましょう」
「はぁ!?」
カレンとノワールは偶然だったにしろ、あの時こうたと三人でオウルに会ったのだ。あのひねくれた、自分勝手で、楽しければ何でもいいと考えているような、かつての弟分に。
「大丈夫。オウルに会えれば、こうたくんをすぐ連れて帰れるわ。それに、彼のことだからまだあそこに居るはずよ」
「よくわからんが、わかったよ」
カレンはこうたが起きるまで、店の掃除をして待つことにした。