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カレンは駅前の自分の店『喫茶ドロシー』の前で橘を待っていた。遅れてやってきた橘は頭を掻きながら申し訳なさそうに頭をペコペコと下げた。
「遅くなってすまない。あと、まだ妻とここへ来る予定を決めていないんだ」
「大丈夫。それより今日はプレゼントを買いに行くよ!」
「プレゼント? しかし妻の誕生日は先月に済んでしまったよ」
「なんでもない日のプレゼントって、女性は嬉しく感じるものなの」
橘を連れてカレンは電車に乗り込む。橘はそわそわしていて落ち着きがない。
「なあ魔女さんや」
「カレンでいいよ」
「カレンさん、プレゼントっていったい何を買えばいいだろうか。私はちょっとセンスとやらがないみたいで妻に買ったものを渡すといつも微妙な顔をされてしまうんだ」
「だから私がいるんでしょ? そこは任せて」
都心までやってきたカレンと橘はデパートに入る。傍から見れば娘と祖父のように見えているだろう。
「さて橘さん、何か隆子さんとの思い出の品みたいなのはないの?」
「思い出の品、かい? うぅん、なんだろうなぁ」
「今日はお店を回りながらそれを探しましょ」
雑貨売場や生活用品売場、婦人服などをぐるぐると連れ回していると、橘はへろへろになってしまっていた。
座れるところを見つけて橘を椅子に座らせて、カレンは自販機で買ったお茶を渡した。
「すまないね。慣れないところだからかね、今日は疲れやすいみたいだ」
「気にしないで。私も連れ回しすぎちゃった」
カレンは少し申し訳ない気持ちで隣には座らず橘の横に立った。
「来てからずっと考えているんだが、思い出の品というのは難しいな」
すると、二人の前を小さい子供の手を引く若い女性が通りかかった。子供は母親を見上げて嬉しそうな表情を向けている。
「ああ、思い出の品ではないが、思い出の場所ならあるかもしれない」
「思い出の場所?」
「ああ。まだ娘が小さかった頃、家族三人で出掛けたレストランなんだが、ちょうどクリスマスシーズンでお店の真ん中に大きなツリーがあって娘が嬉しそうにはしゃいでたのを覚えているよ。最後に出てきたケーキも見たことないケーキだったなぁ。多分チョコレートケーキなんだが、おもちゃの家みたいで食べるのが勿体なかったよ」
「おもちゃの家?」
「店内も落ち着いていて、それでいて装飾もしっかりしていて、星空の下で食事をしているみたいだった。妻も上機嫌だったよ」
カレンは橘の言葉からそのレストランをイメージしたが、もう少し具体性が欲しかった。
「橘さん、目をつぶってその時のお店をできるだけ詳しくイメージしてみて」
橘はなぜそんなことを頼まれるのか不思議そうに首をかしげたが、言われた通り目を閉じた。
カレンはそっと橘の頭に手を置いた。
「もういいよ」
「今のは何か意味があったのかい?」
「内緒。今日はもう帰ろうか」
「いや、まだなにも買っていないが……」
困惑している橘を立ち上がらせてカレンは歩き出す。
「隆子さんには物じゃない方がいいかなと思って」
「そうなのかい?」
電車に乗って最寄り駅まで戻ってきたカレンは、橘に来る日だけ決まったら連絡するようにと念を押して帰らせた。
橘を見送り自分の店に入ると、店の隅っこで窓から差し込む日差しに照らされている黒いものが見えた。
「来てたの、ノワール」
ノワールと呼ばれた黒猫はカレンに気づくと大きく伸びをして、体勢を変えてカレンを見た。絹のように艶のある美しい毛並みに、長く細い尻尾を持ったオッドアイの黒猫は、見る者を惹き付ける魅惑を漂わせていた。
「お前こそどこ行ってたんだよ」
「ちょっと野暮用よ」
「それより腹減った。なんかくれよ」
見た目にそぐわず口が悪いノワールは、カレンの古くからの知り合いで腐れ縁だ。
「なんでいつも偉そうなのよ」
「温かいミルクがいいなぁ」
「熱々にしてあげる」
「おいおい! 猫舌って言葉を知らねえのか!」
パタパタとカレンの足元にやってきたノワールはその滑らかな体を擦り付ける。
「なに甘えた振りしてんのよ」
「人間にこうすればだいたい可愛がってくれんだよ」
「そういうとこホント可愛くないわね」
なんだかんだ言いつつ、カレンはぬるめに温めたミルクを平たいお皿に注いでやる。
「サンキュー」
ペロペロとミルクを舐めるノワールを横目に、カレンは携帯でクリスマスケーキを調べる。橘が家族三人で食べたと言うケーキは食べたことはあるが、まだ自分で作ったことはなかった。
「んん? クリスマスはだいぶ先だろ?」
いつの間にか横に来ていたノワールはカレンの携帯を覗き込んでいる。
「ちょっとね。作ってあげたい人がいるの」
「そんなのわざわざ手作りしなくても材料さえあればすぐできるじゃん」
「こういうのは自分で作るからいいの」
「相変わらずだね。ま、だから俺ぐらいしか会いに来ないんだろうけどさ。そんじゃ俺は行くわ。ごちそうさん」
ノワールは器用に窓を開けると、ぴょんと外へ出ていった。
橘が妻の隆子と来るのはそう先の話ではない。何度も試作して記憶の中のケーキを食べさせてあげたい。
「よしっ、やりますか!」
カレンは早速ケーキ作りに取りかかった。