最終章 第22話 アヤカ、オリビア、コルセイ
人間はトップスピードをどれほど維持できるのであろうか? 五秒? 十秒? もちろん根性で持続時間を引き伸ばせるものではない。
後方から聞こえる魔獣の声。否、戦友のランドルフの声に疲れは見られない。声の響きから一瞬でも足を止めれば、ランドルの豪腕がアヤカを肉塊にするのは明白であろう。
(あ、足が!)
出口まで残り数百メートルで足に限界がくる。アヤカは覚悟を決めると、地下に続く横穴からスピードを緩めることなくダイブする。
螺旋階段を登った先にある横穴の高さは数百メートル。
重力に引っ張られ地上へと落ちてゆく。空気抵抗が重力と同じ強さになったときの威力は想像するまでもなく死あるのみである。
身体の落下スピードが限界に達するその時――
身体が重力に逆らい大きく上昇する。太ももをすくうようにアヤカを支えているのは二本の太い毛むくじゃらの腕。その先にはよく見知ったマズルがある。
「落ちたら死ぬぞ?」
当たり前のことを澄ました表情で言い放つガイブ。ガイブはそのまま壁面を二度三度と蹴り、適当な横穴へと着地する。
「あ、ありが――」
アヤカが地面に足を付けようとしたとき、同時に野太い声が耳に入ってくる。
「ぉぉぉぉおおお!」
顔を上げ自分が落ちてきたであろう上方を見上げると、一つの大きな影がアヤカとガイブのすぐ横を落ちてゆく。巨体は重力に逆らうことなく地下へと一直線に落ちてゆく。アヤカは地面に足を付け、落ちてゆく巨体に目を向ける。その姿は先ほどまで魔獣の如く奇声を上げ、アヤカを追いかけてきたランドルフの姿であった。
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鎖を外されたオリビアがゆっくりと立ち上がる。フラフラと立ち上がり足元のおぼつかないオリビアにオルタナは手を貸そうかと迷ったが、こちらに近づく気配に気づき腰の剣に手をかけた。
「ミドガーも脇が甘いですね。脱出を許すとは。いや、コルセイが考えている以上に手強いという事でしょうか?」
暗闇に現れたぼんやりとした光。近づくにつれ、その光がランタンの灯りだと気づく。
声の主は人の好さそうな顔の造りをしている。しかし、滲み出る悪意にオルタナがこの人物が自分たちにとって好意的ではない人間だと判断する。
「スタンピートを意図的に引き起こす人物ですよ? 本物かどうかは知りませんが、伝説の賢者様とはいえ簡単に殺せる相手ではありません」
「伝説の賢者とは懐かしい。サーラサーハさんは一体誰の事を言っているのでしょうか?」
ランタンを持つもう一人の人物。金髪を一つに結び、サイドに流した長身の女性である。切れ長の目に黄色い瞳、薄い唇。冷たい印象与える女性は一緒にいる男に対してあまり良くは思っていないようである。
「私達も全てを知っているわけではありません。しかし、反異端審問官の筆頭貴族とその仲間を私達が調べないわけありません」
「はははっ。私とミドガーが仲間ですか。それはそれは。それにしてもよくスタンピートを抜け出しこちらに来ることができましたね。貴方は貴重な戦力だ、こちらに来て問題はなかったのですか?」
仲間という言葉を聞き、肩を震わせて笑うワルク―レ。その様子を見てサーラサーハは切れ長の目をさらに細める。
「へルナールはただの脳筋ではありません。被害を最小に抑え、今頃は神殿騎士団に魔物の群れをバトンタッチしているころです。それに、今の貴方たちは怪しすぎる。神聖ヒエルナ皇国に害を及ばぬよう異端審問官の代表として監視させて頂きます」
「いいでしょう。それでは特別に私が何を考えているか教えてあげようではありませんか。オリビア、オルタ……ナ? さんでしたか。私達に付いてきてください」
オルタナが魔力の通った目で現れた男女を覗き込む。男に戦闘能力はなさそうであるが、女の身体には絶え間なく青い魔力が流れている。はっきりとした戦闘能力は把握できないが、疲弊したオリビアと情報収集に特化したオルタナの二人では勝ち目はないだろう。
オルタナがオリビアに目配せするとオリビアも同じ結論に達したようである。ワルク―レを先頭に三人は闇の中へと姿を消していった。
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紫電の龍はますます輝きを増し、残るリュケスを徹底的に追い詰めていた。
巨大な腕が一薙ぎすると紫電の龍を幾つか巻き込む。しかし、消滅させることのできない紫電の龍は僅かな間を置いて復活すると、周囲の龍を引き連れ再び襲い掛かってくる。
骸で壁を作り出し、二振りの刀でいくら退けようとしても、その猛攻は止むことはない。やがてリュケスの太い鎖骨に一筋の斬り込みが入る。
圧倒的な力の前にコルセイが両手のショートソードを握り加勢に向かおうとするが、顔のすぐ目の前に巨大なランスが繰り出されていた。
「くっ!」
目の前には怒りの感情をあらわにした鬼が、桃色の髪を振り乱しながら鋭い視線を向けていた。




