Prolog
今日は人気グループ「SPIRIT」の単独ライブステージだ。日本一の広さを誇るこの会場にいるのは何も、SPIRITのファンだけじゃない。
「さて! では続いては、本日のスペシャルゲストの登場です!」
今日このステージのスペシャルゲスト目当てで来てる人も少なからずいる。
「今日は皆さん、彼女が目当てで来てくださった方も多いんじゃないでしょうか? では早速、登場してもらいましょう!」
「「「きゃぁぁぁぁあ!」」」
彼女が登場した瞬間、いや。「スペシャルゲスト」の番が来た時から。会場は今日一番の熱狂に包まれた。
「どうも〜! みんな、わたしのこと知ってるかなぁ?」
「「「きゃぁぁぁぁあ!」」」
観客の声は鳴り止まない。
スタッフはマイクの音量を上げる。
熱狂に負けない澄んだ声が響く。
「結城太陽でーす!」
太陽と名乗る少女が、ニッコリと営業スマイルを浮かべた瞬間、それまで太陽のファンの熱狂を静観していたSPIRITのファンまでもが歓声を上げた。
「「「きゃぁぁぁぁあ!」」」
その人気ぶりに、SPIRITのメンバーは内心引いてしまっていたが、彼らもアイドル。すぐに営業スマイルを浮かべた。
「続いては、人気アイドル『結城太陽』のステージです!」
「「「きゃぁぁぁぁあ!」」」
SPIRITのリーダーはそう宣言すると、メンバーと共に急いで舞台から去った。
ステージが太陽一人になっても、すぐには音楽がかからなかった。
今日は友達の付き添いで『SPIRIT』のステージを見に来ていた芹那には、それが不思議でならなかった。
だが、周りはどうやら違うらしい。
芹那は、慣れない熱さの中そう思った。
『太陽』と名乗ったそのアイドルは、あまりテレビを見ない芹那でも知っている。
芹那より一歳年上なだけなのに、日本のトップアイドルの座を奪った少女。
『太陽』という漢字から想像する通り、金色の髪に橙色の瞳をした美少女は、大勢の人を前にしても一切緊張している素振りは見えなかった。
気落ちしていた所為だろうか。
芹那にはそんな彼女の姿が、ひどく眩しく見えた。
太陽は片手を上げ、上を指さした。
顔は観客に向け、伸びた人差し指が汗とライトでキラリと光る。
芹那は知らず知らずの内に惹き込まれていた。
太陽のいる場所からは決して近くはない。むしろ、真ん中より少し後ろなくらいだ。だがそれでも、芹那には今、太陽の姿しか映っていなかった。
光り輝く太陽。
「わたしは太陽。全てのファンの太陽!」
再び熱狂が会場に響く。
「さぁ、心の準備は出来た? ……ミュージック、スタート!」
最後に指を観客の方へ向け、片目を閉じてニコッと笑う。
あざといと思った。
けど、そんな太陽から目を離せない自分がいることは、認めるしかない事実だった。
太陽の定番曲が鳴り始めた。
(この曲……知ってる……)
昔、聞いたことがある。
(そうだ……真里ちゃんがよく真似してた……)
(そっかあれ……この人の真似してたんだ……)
芹那の記憶にある通りに太陽のステップは踏まれていく。
歓声は鳴り止まない。
地響きさえする。
だが、そんなものは芹那の耳には入っていなかった。
(歌……上手……)
澄んだ声が心地いい。
太陽。
真夏の空、強い日差し、風に揺れるひまわり。
そんな情景が思い浮かぶ。
難しいダンスを踊りながら、太陽の声は一ミリのブレも感じさせない。
ダンスにもキレがあって、かっこいい。
芹那は『結城太陽』というアイドルに自分が惹き込まれていっていることに気づいた。
「「「きゃぁぁぁぁあ!」」」
太陽の曲が終わると、ファンの熱狂が聞こえた。
「ほぉ……」
芹那は、自分でも無意識の内に、感嘆の溜息を吐いていた。
それを隣で見ていた奈々は小首を傾げる。
「なーに、見惚れてるの? 芹那」
その声は芹那の耳にも届いていたが、芹那はまだステージ上の太陽から目が離せない。
キラキラとした瞳を太陽に向ける芹那に、奈々はわざとらしく溜息を吐く。
芹那はまだ夢幻の中にいるような気持ちだった。
そして、自分と変わらない年頃の太陽がこんな大きなステージにいることを羨ましいと思った。
ほんわりとした景色の中にいながら、その瞳はどこまでも輝いている。だから、これは心からの言葉だった。
「奈々ちゃんわたし……志望校変える」
「えっ!?」
受験を半年後に控えた今から新しい学校にするなんて無茶だ。奈々は驚きに声を上げた。
だが幸い、周囲は太陽に夢中で気にしていないようだ。
奈々はほっと胸を撫で下ろすと、
「なら、何処行くつもりよ?」
と訊いた。
「わたし……アイドルになる……」
「……は?」
「わたし……あの人みたいになりたい……」
「はぁ……あんたね、志望校変えるとかそんな簡単じゃないんだよ? というか、アイドルになるったって志望校変える必要は……」
そこまで言いかけて、奈々は言葉に詰まった。
「うっ……」
あまりにも無垢な瞳で太陽を見詰める芹那に、これ以上何か水を差すようなことを言う気にはなれなかったのだ。奈々はわざとらしく「こほんっ」も咳払いをすると、ニコリと口角を上げた。
「なら、良いとこがあるよ。あそこにいる太陽ちゃんもいるとこ」
「どこ……その天国……?」
『太陽がいる学校』と聞いて『天国』と比喩した芹那に、奈々は少し呆れる。
たったひとつのステージが一人の人間を変えようとしている。
その事実が、奈々には少し恐ろしく思えた。
だが、それと同時に興味も沸いた。
「一緒に行く?」
「でも……」
独りは不安だが、付き合わせるのも悪い。
そんな芹那の心情を読み取った奈々は、「仕方ないなぁ」といった雰囲気を出した。
「いいよ、別に。友達に付き合うくらい」
「……ありがとう」
奈々はまだ志望校を決めていなかったはずだ。
ならここは奈々の言葉に甘えよう。
芹那はそう思って感謝を口にした。奈々はそれに答えず、
「ほら次はSPIRITだよ!」
といって話を逸らした。
もしかしたら、素直に褒められるのが恥ずかしかったのかもしれない。
奈々の為人を知る芹那はひっそりとそう思った。
この日から、芹那の人生は変わった。
そして、運命の日から約半年後。
――――一月。
私立ヴェルヴェーヌ学園アイドル科入学試験日。
この学校は国内最高峰の芸能学校。
あの『結城太陽』や『戸田えりか』といった実力派アイドルが数多く在校している。『国内最高峰』はその所以だ。
一学年の定員は480人。12クラスの内、アイドル科は4クラスある。一クラス30人で、その内の半数が中学から進級してきた生徒になる。つまり、新たに入学できるアイドル科の生徒は50人。
希望者300人の中の上位50人だけが入学できる。
正に狭き門。
だが、この学校に入れば成功は確実といわれている。
あの日、芹那は太陽と出会った。
輝く太陽の姿に憧れた。
自分もそうなるために。
芹那は大きく深呼吸し、ゆっくりと一歩、その門に踏み入った。