あいにく花壇はありません
微ミステリーです。
最近、困ったことがあります。というのも、お花の種を売るセールスマンの方が度々お越しになられるのです。しかし、屋敷には花壇がありません。だからその度にしっかりとお断りをしています。
よくよく聞くと、どうやらそのお花は、願いを叶えるお花だそうです。もしそれが本当なら、ご主人様のためにぜひ育てたいのですが、あいにくこの屋敷には花壇がありません。
でも、ご主人様のためです。私は植木鉢で育てようかと考えました。しかしそのお花は広々とした土壌を好むらしく、植木鉢で育てるとなんと不幸が訪れてしまうとか。残念です。この屋敷には花壇がないのですから。
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いつものように部屋のお掃除を終えました。すると、私の持つドアベルがチリリと鳴りました。屋敷は広いですから、玄関から離れたところでもチャイムが聞こえるようにドアベルを持っているのです。
私は急いで玄関に向かい、そしてドアを開けました。そこにはいつものセールスマンの方がいました。
「こんにちは。今日はご主人はいますか?」
私が最初にセールスを断ってから、このお方は毎回、ご主人様がいるかどうか確認してきます。でもご主人様は多忙なお人。セールスのお話はきっと手間でしょう。
「申し訳ありません。ご主人様は外していて」
だから私は嘘をつきます。ご主人様のスケジュールを崩してはなりません。何より、この屋敷には花壇がありません。ですからご主人様とお話をしたところで、お花の種が売れることはないでしょう。だから私は嘘をつきます。
「そうですか、では仕方ありません。この花ですが……」
セールスマンの方は、お花のことをたくさん話します。もうこの話は四回目です。あれ、三回目でしたか。どちらにしても、買わないと言っているのに何度も来られるのは、その、ちょっぴり迷惑です。それがお仕事なのでしょうがないですが、顔くらいは覚えてほしいです。
ひとしきり話し終えると、いかがですか、とお花の種が入った袋を見せてきます。
「申し訳ありませんが、結構です」
「ですが、きっと気に入られると思いますよ。色も香りも素晴らしいですし、何より、この花を持っていると願いが叶うんです」
確かに魅力的なお花です。ご主人様は完璧なお人ですが、願い事くらいはあるでしょう。きっと私程度には思いつかない、素敵な願いがあるはずです。しかし私はペコリと頭を下げました。
「申し訳ありません。あいにく、この屋敷には花壇がないもので」
私がそう言うと、このお方はいつも困ったような表情になります。そして肩を落として帰っていきます。人が悲しんでいる姿を見るのは好きではありません。あの方だって、何も嫌がらせで度々屋敷に来るのではありません。それが仕事だから、そして仕事に一生懸命打ち込んでいるからこそ、度々やって来られるのです。それを無下にするのは心苦しいのです。けれど、あいにくこの屋敷には花壇がありません。
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鳩時計が二回鳴ると昼食のお時間です。私は二階の書斎へ向かい、ドアをノックします。
「ご主人様、昼食のお時間です」
中から、すぐ行く、とのお声がありましたので、私は食堂に戻ります。階段を降りる途中、何気なく窓の外をチラと見ました。お庭の方ですっかり大きくなったトマトが小さく目に入りました。
テーブルに食事の準備をしていると、ご主人様がやってきました。私はペコリと一礼します。
「今日の昼食はなにかな」
「今日はご主人様が以前に食べたいとおっしゃっていた、パエリアを作りました」
「おお、楽しみだ」
ご主人様が私の料理を楽しみにしています。とても嬉しいです。私は顔が少し赤くなっているのを見られないように、素早く準備を終えました。
ご主人様は一口食べると、
「美味しい! さすが花蓮ちゃん」
「お褒めにあずかり光栄です」
どうやらお口に合ったようです。何日も練習した甲斐がありました。
「あ、そういえば、十時くらいに誰か来てなかった?」
私は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。私が早く断っていないばかりに、ご主人様の集中力が途切れてしまったのです。後で始末書を書いておかなければなりません。ですが今は、ご主人様の質問に答えなければ。
「セールスマンの方が来ました」
「ああ、いつもの」
ご主人様には、お花のセールスだと言うことを伝えておりません。特に聞かれていないことを喋るのは良くないと考えたからです。しかし、もはやすっかりと馴染みのセールスマンになってしまいました。買わないと言っていますのに。
「こんな可愛い子が毎回応対してくれるんだ、何度も来る気持ちは分かるよ」
すごく恥ずかしいです。セールスマンの方も、そんなことはちっとも考えていないでしょう。仕事ですから。そう、仕事なら何度も来るのは納得できます。きっとそれ以外の目的はないはずです。
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ご主人様は昼食を食べ終えると、軽い運動をすると言ってお庭に出られました。いつもはご主人様に付いていくことはしません。ご主人様のお世話をするのがメイドの仕事ですが、四六時中一緒だとご主人様も不快に思われるでしょう。しかし、その日はなんとなくご主人様に付いていきました。
お庭には大きなトマトがたくさん植えてあります。ご主人様はトマトが大好きで一日三個は食べています。
「さて、やるか」
ご主人様はストレッチを始めました。ずっと見ているのも失礼なので、お庭の手入れをすることにしました。と言っても手入れは普段からしていますから、いつも通りのことをするだけです。
水やりもそこそこに声がかかりました。ご主人様です。
「花蓮ちゃん、いつもの頼むよ」
私は小走りでご主人様のもとに向かいました。ストレッチや筋トレのサポートでしょう。私はご主人様の背中をぐっと伸ばしたり、足を固定して腕立ての補助などをしました。
何回も繰り返していると、さすがのご主人様でも疲れます。でも、私はそういう時のご主人様が好きです。疲れるということは、手助けが必要ということです。私はご主人様の役に立っていると、実感できます。
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何事もない日常が続きましたが、昨日、不思議なことがありました。お庭に薔薇が一輪、ぽつりと落ちていたのです。誰かがお庭に入らなければ薔薇が落とされることはありません。しかし、昨日は屋敷に誰も来ませんでした。お庭にもともと生えていた薔薇だ、そうおっしゃる方もいるかもしれません。ですがあいにく、この屋敷には花壇がありません。
このことはご主人様にご報告はしませんでした。私が言いたいのは、誰か知らない人が無断で庭を通り抜け、その際に薔薇を一輪落とした、ということです。いくらご主人様といえど、そんなことは信じてくれないでしょう。
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大変なことになりました。ドアベルが鳴ったので、玄関に向かったのです。ですがご主人様が玄関近くにいらしたらしく、先に出てしまいました。ああ、あのセールスマンの方だったらどうしましょう。
お話が終わったらしくご主人様が戻ってきました。手には袋が握られています。やはり、お花の種を買ってしまったようです。
「ああ、花蓮ちゃん。ちょっと給湯室に来てたから、代わりに出といたよ」
給湯室は玄関ホールのすぐ隣にあります。なぜご主人様はそんな場所に行かれたのでしょう。お紅茶の準備なら、私に言ってくださればいいのに。
いえ、そんなことはいいのです。それよりもっと大変な事態になってしまいました。
「ご主人様、それは……」
聞いてはいけないと分かっていても、口が勝手に動いていました。あの袋は何度も見たから分かります。願いが叶うお花の種です。
「あ、これ? なんか願いが叶う花の種なんだって。花蓮ちゃん、こういうの好きだと思ったからさ」
ああ、どうしましょう。
「これ、庭の花壇に埋めておいてくれる?」
「え、で、でも……」
「あ、もしかしてまだ部屋の掃除終わってなかった? じゃあ俺が代わりに埋めておくよ」
待ってください、という声は出てきませんでした。どうしましょう、ご主人様がおかしくなってしまいました。この屋敷には、花壇がないというのに。
私は急いで使用人室に向かいました。ロッカーを開けて、スコップとジョウロを手にします。早くお庭に行かないと。
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「か、花蓮ちゃん、これ……」
お庭にはご主人様がいました。シャベルを持って、種を植えようとしています。でもそこはお花が生えない土なのです。だから花壇ではありません。
「ご主人様、あとはお任せください。私が全て片付けておきますから」
私が近づくと、日頃の疲れでしょうか、ご主人様は尻もちをついてしまいました。私はそっと手を差し伸べます。
「大丈夫ですか? すぐにお休みになってください」
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ご主人様が実家にお帰りになってから、屋敷は静かになってしまいました。いえ、前から静かでしたね。とはいえ、いつご主人様が帰ってきてもいいように屋敷のお掃除は毎日行っています。さて、お庭の手入れもしなければ。
この頃はすっかり肌寒くなりました。そろそろトマトもよく育たなくなるのではないでしょうか。せっかくトマトが一番美味しい時期に、ご主人様が帰ってしまうなんて残念です。
水やりを終え、屋敷に戻ろうとした時、ふとあの土を見ました。ご主人様が以前、買ってきたお花の種をそこに植えようとしていました。でもあそこは花壇じゃないんです。いえ、もしかしたら花壇だったのかもしれません。でも、きっと今は花壇ではありません。
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ドアベルが鳴りました。そうそう、あのセールスマンの方は、ご主人様がお花の種を買われてから来なくなりました。でも、花壇がないのに種を買うなんていけないことでしょう? だから私には断ることしかできなかったのです。
ノブを捻ると、そこには見慣れない服装の方がいました。このお服はなんと言ったのでしょうか。コートの亜種、と言ったところですか。そのお方は私に身分証を見せると、それからとんでもないことを教えてくれました。
「ご主人様が、行方不明……?」
「ええ。彼が実家に帰ると両親に伝えてから、もう一ヶ月ほど経ったようです。彼の両親によると……」
コートの方は色々教えてくださいました。一通り話終わると、私の目をまっすぐと見てきました。
「それで、最後に彼に会ったのが、あなたということですが」
「はい、最後に会ったのは私です。おそらく」
「その時に何か変わったことは?」
「なかったと思います。いつものように優しい声で、行ってきますと」
ご主人様は言ってくださいました。少しのあいだ実家に行くけどすぐに帰ってくるから、と。ご主人様はきっといつもの優しい笑顔で戻ってきてくれます。
コートの方はポケットから携帯を取り出し、操作を始めました。今日のやるべきことは済んでいますから、私はじっと待ちます。ご主人様の行方を探し出すお力になれればと考えたのです。やがて、一つの画面を見せてくれました。
「君以外で、彼を最後に見た人物だ。見覚えは?」
画面に映し出された顔は、私の知る顔ではありませんでした。
「いえ、ありません」
「この男は、花のセールスをしていたそうだ。この男でなくとも、そういった類の人が今まで来たことはあるかな?」
ないと言えば嘘ですが、物を売るのが仕事で、それを買わなかった場合は、来ていないのとほぼ同じだと思います。
「おそらく、ありません」
「おそらくというと?」
「基本的には来客の際は私が応対することになっていますが、たまにご主人様自身が出られることもあります。もしかしたらその時に会ったのかもしれません」
なるほどね、と言うと、コートの方はメモを取りました。
「で、その時、君のご主人は花を買ったのかな?」
まずお花は買っていませんし、お花の種を買ったといっても、花壇がなければ意味がないのです。ですから、この質問の答えはおそらくノーで問題ありません。
「分かりませんが、買ってないのではないでしょうか」
コートの方はピクリと肩を震わせました。メガネの奥にある瞳は、私のことを見定めているようで、嫌な気持ちになります。
「それはおかしい。この男によると、彼は花の種を買ったそうですよ」
「申し訳ありません。私が把握していませんでした」
こういうことになるなら、正直に答えておくべきでした。でもご主人様にも多少の非があります。だって、花壇がないのに種を買うなんて変ですもの。
それでもコートの方は追求してきます。
「それもおかしい。もし彼が種を買ったなら、当然、花壇に植えるはず。それを使用人である君が世話をしていないというのはどういうことかな」
「そんなこと言われても、困ります。だって……」
「だって?」
「あいにく、花壇はありません」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。