ねえ、『読者はわからん』と愚痴る作者諸君!
最近…いや、前からだけれど自分の評価・ブクマ・読み方ってちょっとおかしんではないのかと思っているんだが、きっと自分と同じような人間はいるとも思ってる。
エッセージャンルはこの頃ぼちぼちと評価についての流行り…いやいや、ローテーションで『評価くん』のとこに来たんだろうが、作者は読者に何をして欲しんだろ――ってつくづく思う。
作者だけどさ、読者でもあるでしょ?
どうせ自分だって、自分のルールで他作品を評価してんだろ?
うるせーよ…って思ったり思わなかったり。口が惡くてごめんなさい。
でもさ、その作者とは違う評価ルールが、作者が思っている以上に特殊――といいますか、想像もしていない評価方法なんだろうと思う。
例えば…
5・5入れているからって、ブクマはしない。とか
例えば…
高ポイント入れたけど、もう二度と読みに行かない。とか
私のことなんですがね。
ポイントを入れるって私にとっては「はい!それまで」の行為で、例え5・5入れたものでも、ホームで『評価した作品』を見に行くことは殆どない。
だけど、ブクマした場合――読み返しに行く。
きっと大事に思っていることが違うんだろうと思う。
私が一番大事だと思うことは、『忘れた頃にでもいいから自分の本棚から「コレ面白かったんだよね」と読み返してくれること』。
高得点じゃない。
高評価しても、趣味じゃない。
読者の本棚にどんどん新しいものが追加されても、残っていられること、また読みに来てくれる日があることが大事だと思う。それはもしたらポイントに繋がるのかもしれないけれど…
一度ね、ブクマして永久本棚に入れたもの達がどうして一回っぽっきりのもの達より点数が低いんだ? 失礼じゃないのか? と、自分のやっていることがおかしんじゃないかと思い、高得点入れた。
でも入れたんだけど、気持ち悪かった。
点数は今も入れっぱなしにしているけども、結局、評価点を付けてしまうってことは自分のなかでは終わりになった作品になってしまうことなのだ。それが完結していようと未完であろうと……
安易にブクマはしないようにしている。
読むのは、ムーンライトとなろうエッセー、詩、あとは活報で偶然見つけたもの。それらはいったん履歴という買い物かごに入れ、時間があるときに読み、「読み返さないけど…うん面白なったわ」→評価、「もう読まんでもいい」→ブラバ、「おお…こ、コレは!」→ブクマに仕分けられるのである。
最後に、タイトルの長すぎる作品、あらすじがずらっと長々の作品はそれだけでお腹が一杯であり、読者の“読む”楽しみを奪っているようにしか見えないので滅多なことがない限り開きもしなければ、新着にまた現れても今度はスルーの刑にしてしまう。
作者は何をもってそうしているか知らないが、読者の楽しみを奪っていることを自らアピールしている作品を何故にわざわざ読まねばならんのか……
謎があるから心躍るのである。
長いタイトル、長いあらすじ、あとは最終話だけあれば完結するんじゃないのかと思える作品を、わくわくしながら『お楽しみカゴ』に入れてもらえると思っている読者へ不満を吐く作者の図太い神経が不思議でならない。
だって――
読者の楽しみを初っ端からもいでいる作品に、どんな価値を見い出せばいいのさ?
作者で読者なのか、読者で作者なのか、“作者”になると忘れちゃう何かがあるのかな……
不快にさせてしまったら申し訳ありません。価値観の違いです。