第8話 僕らの秘密
その夜、母さんは晩ご飯も食べず、疲れたと言い置いて寝てしまった。
僕は一人、台所にある充電器のコードを差しながら、イリスを眺めていた。
父さんが勤めている会社では、イリスをはじめ、あらゆる先端機械工学を研究し、その商品を販売している。僕が小さいころ持っていたという電子ペットも、父さんの会社で作られたものだった。
ふと、僕は気になったことをイリスに尋ねてみる気になった。
「イリス・ニュース・ライカ」
イリスのロゴがぱっと浮かび上がった。検索に時間がかかっている証拠だ。
「ライカには複数の意味があります……「カメラ」カテゴリを参照……」
僕はイリスが読み上げる項目をじっと聞いていたが、とたんにがりがりとイリスから異音がした。
それまで流暢に項目を読み上げていたイリスが、単語で話し始める。
「ライカ は 私たちの 敵 ライカ は 自然 を 拒否 して いる……」
僕はイリスを握りしめて尋ねた。
「七星? 七星なのか?」
「われわれ に 干渉 するな」
そう言い置いて、声は消えた。
タップしても再起動の声をかけても、僕のイリスは何の反応もしなくなった。
メイン画面さえ消されてしまったようで、電源もつかない。
僕は肩を落とした。
父さんに、そして刑事たちにどう説明すればいいのだろう。
刑事たちはライカの言葉さえ信用していないというのに。
けれど、僕はすぐに顔を上げた。
僕のイリスが壊されたとしても、たとえ父さんに反対されたとしても、刑事たちに非協力的だと文句を言われたとしても。
七星を見つけ出さなければ。
ライカのことだって心配だ。
そのために、僕は戦おう。
胸に湧き上がってきた答えに、自分ながら驚いた。
僕に課せられた使命は、それとは真逆のはずだった。
平和な学生生活を送り、いつも門限の八時までには家に帰る。
友達もそこそこいるけれど、家に呼ぶような関係の友達はいない。
そんな平凡な人生が、僕に望まれていたはずのものだった。
でも、一生懸命考えたところで今更僕にできることはなかった。
全ては振り出しに戻っている。
ライカは警察に捕まった。イリスも壊れ、七星にも連絡をとるすべがない。
と、ブラックアウトしたイリスの画面から、突然声が聞こえた。
「ハロー、もしもし」
この不可思議な挨拶には聞き覚えがあった。
「ライカ?」
「ええ、そう」
相変わらず、イリスの向こうでも淡々と話している。
多分警察で監視を受けているというのに、どうやって連絡できたのだろう。
僕がその疑問を口にする前に、彼女は言った。
「警部のイリスを盗んで逆ハックしたの。ついでに海人のID履歴も消しておいたわ」
「それはありがたいけれど……今、どこにいるの?」
「イリスネットワークの中」
漠然としたその答えに、僕は首を傾げた。
精神生命体というものは、イリスネットワークを自在に飛び回れるものなのだろうか。
声は続いた。
「お願いがあるの。私の体を取り戻して。実体がないと、プロメテウス波が打てない」
「その体ってどこにあるのさ?」
「警察。今頃電源の消えたロボットを抱えて、藤堂刑事が途方に暮れているところよ」
あの無口な刑事がしょぼくれながら肩を落としている光景を想像し、僕はどことなく愉快な気持ちになった。しかし僕には過ぎた命令だ。
「警察にあるんじゃ無理だ。
いくら僕が警察へ行ったって、どうせ追い払われるよ」
「違法アンドロイドは一体じゃないわ。プロトタイプがあるはず」
「でも、白崎博士の家には家宅捜索が入ったって言っていたじゃないか。きっと探し尽くされているよ」
「わかっているはずよ。
探すのは白崎家じゃないわ。貴方が作られた場所よ」
イリスからの声がきっぱりと言い、僕は知らず知らずのうちに背筋を伸ばした。
彼女は気付いていたのだ。
「白崎博士は随分前に退職していた。
でもアンドロイドは最新式の人工筋肉で作られている。一体誰が素体を流したんだと思う?」
僕は目を閉じ、深呼吸をした。核心に迫られたときは、こうすべきなのだ。
「……僕の家を探すってことだね」
「そういうこと。見つけたら、このイリスをかざしてちょうだい」
見つけるも何も、僕はその場所を知っていた。
のろのろと立ち上がり、廊下を進んだ先。
玄関脇に、直接ガレージに出る扉がある。
そこには電子ロックがかかっているが、その組み合わせを僕は覚えていた。
かちり、と電子ロックが開き、僕は一歩その中に足を踏み入れた。
青白い蛍光灯が瞬き、自動でついた。ガレージに車はない。
壁一面に備え付けられた巨大な棚に整然と並ぶ様々な部品。
電極が張り巡らされ、これでもかというくらいレバーがついている装置。
部活の更衣室にあるような、灰色の何の変哲もないロッカー。
中央には、車の代わりに白いシーツがかけられたベッドがおいてある。
僕はぐるりと見回して、ロッカーを開け、早速目指すものを見つけた。
違法アンドロイドのボディーは白い簡素な服を身に纏い、ロッカーを棺代わりにして静かに収まっていた。
女性用のボディーを持ち上げて中央のベッドに下ろし、僕はため息をついた。
棚には、素体を動かすのに必要なチップが細かく分類分けされて詰まっている。
問題は、この電極やAIチップの山をどう接続すればいいのか、僕にはまったく見当がつかないことだ。
「ライカ。見つけ出したけれど、これからどうすればいい?」
僕は途方にくれてイリスの真っ黒な画面に尋ねる。
「イリスを額にかざして。私が入り込む」
意味がわからないなりに、僕はイリスをアンドロイドの額に近づける。
その瞬間、イリスからばちっと音がして稲妻のような光が走った。
同時に反動がきて、僕は尻餅をついた。
見る間に、ゆっくりと素体のまぶたが持ち上がる。
アンドロイドのボディーは、チップなしでは動かない。
その常識を覆すかのように、人工筋肉でできた素体はいとも簡単に起き上がった。
彼女は髪の毛のついていない頭をふり、周りを見渡して言った。
「基本的な部品はあるみたいね。それじゃあ、一旦外で待っていてくれる?
外に出られるように、もう少し人型に似せるわ。
腕もプロメテウス波を出せるように改造しなおさないと」
興味があったので、改造を見せてもらえないかと尋ねたが、彼女は首を振った。
「女子の改造を見るものじゃないわ」
「そういうものなの? アンドロイドなら関係なくない?」
にべもなく断られた僕は、納得できずにそう言った。
ライカは素体のまま、唇の端を持ち上げた。
「人間に対する学習が足りないわ。そういうものよ」
僕が台所で充電しながら待っていると、やがて廊下に足音がして、彼女がやってきた。
髪の毛が無いときはぴんとこなかったが、この素体は七星にそっくりだ。
いや、僕は実際の七星を見てはいないので、白崎博士が作ったアンドロイドに似ているというべきか。
「白崎家より設備が充実してるわね。いろいろ借りたわ」
彼女はそう言って僕の正面に腰掛けた。
「僕が違法アンドロイドだって、いつわかったの?」
僕は机に肘をついて尋ねた。
「一緒に飛んだとき。
見た目より重かったから、中身はカーボンだと思ったの」
「今まで見破られたことなんてなかった。
充電は家でしかできないし、このケーブルだって一度しまえば髪の毛に隠れてわからないから」
僕は頭頂部から伸びている黒いワイヤを引っ張った。
それは台所の端にある戸棚に隠された充電器に繋がっている。
ライカが黒髪をかき上げ、一つにくくった。
「本物の海人はどこにいるの?」
「彼は灰の塊になって、僕の深部にしまってあるよ」
「あなたはいつ生まれたの?」
「2年と11月18日、6分前」
もう嘘をつく必要はないので、僕は素直に話した。
本物の海人は二年前の夏、階段から落ちて頭を打つという実に不幸な事故で死んだ。
そのとき既に、海人は父さんの研究に協力し、記憶のバックアップ機能とやらで僕のAIチップに記憶や思考パターン等をインプットしていたようだ。
守秘義務もない子供のデータは学会でも扱いやすいから、と父さんは説明していた。
しかし、僕は疑っている。
父さんは、死者を蘇らせる手始めに、息子の記憶を実験台にしたのかもしれない。
ともかく、僕はそのAIチップを元にして、父さんに作成された。
そして『海人』を演じ続けた。
両親も、彼は死んだのではなく、ただ僕と融合したのだと信じ込みたいようで、死亡届も出さなかった。
中学校は卒業まで病欠で乗り切った結果、僕は無事『海人』となって誰も知り合いのいない高校へ入ることになった。
「不思議なものね」
話を聞き終えた彼女は瞬きもせずに言った。
「あなたは、機械の体で機械の頭脳。
私は機械の体に生命体の頭脳。
そして、もう一人の七星は生身の体に二つの頭脳。
見た目は全然変わらないのに」
「一つ聞きたいんだけれど」
僕は前から疑問に思っていたことを尋ねた。
「君が追っている『自然礼賛団』はどうして生身の体にこだわるんだろう?
思念だけで生きていけるなら、それで充分じゃないのかな」
大体の思念体はそう思っているわ、とライカは肩をすくめた。
「昔々、私たち思念体には体があった。
それが進化の過程でなくなった。
彼らはそれが気に入らないのよ。昔に戻りたいと思っているの」
ライカはこちらを黒い瞳でまっすぐに見つめた。
「そうね、あなたはどう思う? 本物の人間になりたいとは思わない?」
僕は首を傾げて考えた。
「そうだね。本物の海人になれたらなあ、といつだって思ってるよ。
どんなに精巧にできていても、記憶を引き継いでいても、やっぱり僕は偽物なんだ。
僕の家は、夕食時に家族皆でご飯を食べるんだ。僕は味覚もプログラミングもされている。
塩が一定量より多ければ、「辛い」って言うし、砂糖が多ければ「甘い」って判断もできる。
でも僕の食べたものは内側で焼却処分されて灰になる。
実際は頭のワイヤを接続して充電すればいいだけなんだ」
「仲がいいのね。食べたふりかどうかなんて、きっと関係ないわ。
あなたも、両親のことが好きだからそうしているんでしょう?」
「両親のことは好きだよ。僕のことを実の息子みたいに扱ってくれる。
ただ、この感情が自発プログラム経由か制御プログラム経由かはわからないけれど」
でも。この先を言いたかったが、それは僕自身を否定することになってしまう。
僕はぐっとこらえた。
海人が死ななければ僕は生まれていない。それは確かだ。
彼の死こそ、僕の生を決定づけた代物なのだ。
だから、父さんや母さん……雅人さんや楓さんだっていつも思っているに違いない。
ここにいるのがロボットではなく、本当の海人だったらと。
僕は頬杖をついて独り言のように呟いた。
「……人間の本当の感情なんて、ロボットには絶対わからないのかもしれない」
「そうね」
思わず漏らした本音に、ライカが静かに答えた。
「人間の本当の感情なんて、他人にわからないのは人間も同じよ」
彼女はそろそろ行かなくちゃ、と言うと立ち上がった。
「隙を見て藤堂刑事のイリスを取って、ネットワークをハックしたの。
制限なしのイリスはいいわね、ゲートが甘くて。
中枢まで入り込んで中を調べたら、サラ達がプログラムを書き換えた痕跡があったわ。
後はそれを辿るだけだった」
何を言っているのかよくわからないが、ライカは彼女が逃げた先を既に見つけているらしい。
「次はどこにいくの?」
「ここよ」
彼女が僕のイリスを取り上げて、ピシリと画面を叩いた。
指からさっと黒いワイヤが飛び出し、画面の中に消える。
そのまま待つと、しばらくしてワイヤがまた指の中へ戻っていった。
そしてブツッと音がして、僕のイリスが再び起動した。
画面には、航空写真が映し出されていた。
海の上に、二つの建物が浮かんでいる。
一つは僕らが今日まんまと嵌められてしまった電波塔の廃墟。
そして、もう一つは先がぽっきりと折れてしまった、古い方の電波塔だ。
「今日行った場所じゃないか」
「違うわ。彼らは新しい電波塔を経由しただけだった。
本拠地はもう一つの電波塔。つまり、今未使用で廃墟になっている、この場所」
「今から行くの? もう夜だよ」
「ええ。放っておくと、脱走した人達が危ないわ。精神が欠落し始める前に、『自然礼賛団』を体から引きはがさないと」
彼女はそう語ると、一緒に行くの? と僕に聞いた。
もちろん、と僕は答えて、ケーブルを引き抜き、髪の中へ収納してから席を立った。