第3話 駅の向こう
どこか、と言ったところで行くあてなどなかった。
僕らは空中跳躍をしばらく続けたなげく、人気のない道路に降り立った。
そこから細い路地をたどり、僕らは駅前のスーパーに併設されているフードコートへと吸い寄せられるように足を向けた。
ここは一切注文しなくても座って話せる場所である。
お小遣いという名目でイリスに振り込まれる課金の少ない学生にはうってつけの場所だった。
僕はスクールバッグを席に放り投げて自分も放り出されるように座った。
目の前には、瞬き一つしないライカが、やはり何も注文せずに座っている。
「何か飲まないの?」
「ええ。飲む必要がないもの」
「さっきのことだけど、説明してくれない?」
「随分落ち着いてるのね」
「そう見えてるだけだよ」
僕はじっとライカの顔をうかがった。
「君はなんなの、ライカ」
「そうね」
一拍おいて、彼女は瞬きもせずに言う。
「体は機械、というところかしら」
「やっぱりロボットなの?」
僕は興味津々で尋ねた。
人型ロボットの構想は昔からあり、その進化と流行はある程度続いた。
しかし今はほとんど流行っていない。
皆気付いてしまったのだ。
人の形をしたロボットを開発するより、もっと効率的なそれぞれの形があることに。
それに、倫理面の観点からあまりに人型に近いアンドロイドを違法で作ると処罰される法案もでき、今や人型ロボットへの熱はすっかり下火になってしまった。
今、こんな完璧に近い人型のアンドロイドは製造も販売もされていないはずだ。
「そう、中身はチタンと人工筋肉」
ライカは背筋を屈め、ひそひそと話した。
確かに、そうでなければ腕からレーザーガンなど出てこないだろう。
僕は、ライカを信じることにした。
しかしライカの言葉から、当然の疑問が湧いてくる。
「……白崎のおじさんは、どうして君を七星と呼ぶんだろう」
「どうも自分の娘に近い素体から作ったみたい。
家にあったアルバムによく似た女の子が映っていたから」
彼女は頬杖をついて言った。
僕は、ほんの少し白崎のおじさんに同情した。
誰もが認める変人だが、離婚しても、自分の娘は手放したくなかったのだろう。
だから娘に似たロボットを作って寂しさを紛らわそうとしたに違いない。
古今東西、人型ロボットに他人を投影する人達はたくさんいた。
そして邪な考えを持った人達も負けず劣らずたくさんいた。
故人の生き写しロボットを使った本人確認詐欺や年金詐欺が横行した結果、規正法案が成立し、製造が中止され、そして人型ロボットの流行は僕が生まれるか生まれないかといった時代に終焉を迎えたのだ。
「で、さっきの人達は誰?」
「知り合い。私は彼らを探しに来たの。撃ってきたのは、私が怖いからよ」
真面目な、というより無表情のままライカは言う。
「あの人達は、無断で他人の体を乗っ取っていたの。
私の役目は、あの人達を見つけ出し、さっきの緑の光……プロメテウス波を当てること。
それで体をとり返せるの」
体を乗っ取ったり、返したりなんてアンドロイドにできるのだろうか、と僕は疑問に思った。
しかしアンドロイドだからこそできるのだろうとすぐ思い直した。
脳内チップと外観は互換性さえあれば取り替えできる、という知識くらいは僕でも持っている。
しかし僕の知らないところで、アンドロイド間の闘争が行われているらしいという事実に、不謹慎だが不思議とわくわくしてしまった。
「でも、ずっとここにいるわけにも行かないよね。
僕は別の道を通って家に戻ろうと思うけれど、君はどうするの?
あの家に帰るつもり?」
「白崎博士の家へ? まさか。私は自由でいたいのよ」
ライカの発言に、僕は驚嘆の眼差しで彼女の黒い瞳を見つめた。
ロボットから『自由』という言葉がでたことで僕は明らかに動揺していた。
脳裏に深夜隠れてこっそり見たロボット映画の反乱シーンが蘇る。
彼らは『自由』を得るためにロボット三原則を破り、人間を支配していた。
ロボットか人間のどちらかが絶滅するまで戦うことになるのだ。
あの映画はとてもではないが最後まで見ていられなかった。
僕のそんな表情にも気付かないようで、ライカが落ち着いた様子で椅子を引いて立ち上がった。
「さて、私はもう行くわ」
「どこへ?」
「そうね。白崎博士に見つからない、静かで落ち着く場所がいいわ。
誰にも邪魔されないところ。どこか知らない?」
彼女が聞いてきたので、僕は外を指さした。
「駅の向こう、かな」
駅の反対側では、静かな黒い水面がひたひたと満ち引きを繰り返していた。
僕らはイリスを電灯モードにし、靴を脱いで、冠水した道路を歩いた。
街の灯がないせいで、満天の星がよく見える。
丁度潮がみちてきたようで、いつもよりも早く足が心地よい水に浸される。
イリスの放つ鈍い光で、今では見かけない古い看板がもはや電気を運ぶ役目も果たさない電柱にぶら下がっているのが見えた。
昔、この辺りは駅前よりも栄えていたらしい。
だが陥没と液状化を繰り返したのちに人は減り、直す資金も供出できずにただ海に浸食されていく都市となった。もちろん、危険なため立ち入り禁止となっている。
しかしこの界隈の子供の例に漏れず、僕はこの沈みゆく廃墟群を遊び場として使っていた。
僕は記憶を頼りに歩き、そのビルを見つけた。
壁面に赤ペンキで意味不明な落書きが書かれているビルだ。
「昔、ここに秘密基地を作ったんだ。僕と、幼なじみの七星とで。
段ボールや毛布や古本を持ち込んでさ。おまけにソファーも。
途中で七星はいなくなってしまったけれど、僕は中学生時代にも、ちょいちょいここへ来たんだよ」
親と喧嘩したとか、悲しいことがあったとか、家に帰りづらいときにはこの場所でただ一人ぼうっとしていた。この殺風景な廃墟が好きだった。
波の音を聞きながら、誰もいない廃墟を彷徨っていると、まるで自分と世界を隔てている僕自身の体がなくなったような感覚に陥る。
今にもそこの角から小学生の僕と七星が飛び出してきそうだ。
あの日はじりじりと肌が焼け付くような天気だったが、僕らはピクニックと称して外に遊びに出かけた。
すこし後ろを歩いていた七星が、見て、と叫んだので僕は振り向いた。
ゴミ捨て場の横に、二人がけの赤いソファがどんと置かれていた。
スプリングが壊れ、布も薄汚れていたが、彼女は秘密基地に持っていくと言ってきかなかった。
ソファは小学低学年の僕らにはひどく重く、途中で何度も降ろしてはそのソファに座って休憩した。
最後に設置したとき、僕らはハイタッチをして赤いソファに座り、秘密基地に密かに持ち込んだぬるいコーラで乾杯した。
七星が転校したのは、それからすぐのことだった。
汚い廊下の角を曲がると、元は倉庫だったのだろう小部屋にたどりつく。
扉はまだ動くが、下部分は赤いさびに覆われている。
窓は全て台風に割られてしまっているけれども、今の季節なら凍えることもないだろう。
僕は部屋に入り、古びた毛布——母さんはもう捨ててしまったと思っているだろう——をはねのけた。
記憶どおり、その下からスプリングの壊れたソファが現れる。
僕はやれやれと腰を下ろし、はたと別の問題に気付いた。
「そうだ、ライカ。充電はどうなっているの? ここに電気はないよ」
アンドロイドならば、充電は必要なはずだ。だが、ライカは首を振った。
「充電はいらないの」
「いいバッテリーだね」
僕は自分でも妙なところで感心した。
一日一回の充電もいらないアンドロイドは、軍用以外では珍しい。
それほどでもないわ、と彼女は初めて唇を上げて笑った。
「さて、この辺りには隠れ場所が多いようだから、私の探し人も見つかるかもね」
「浸水都市は、実際僕らの住む街よりも大きいからね」
僕は肩をすくめた。
「私が追っている人たちは、きっとこの辺りにいるに違いないわ。自分から出てきてくれる連中だけとは限らない。ネットワークをハックして、早く居場所を突き止めないと」
そう言いながら、ライカは首を回した。
それから起きた出来事は、まったく僕の想像からかけ離れていて、僕にはとても現実として受け入れられなかった。
ライカの首が百八十度以上回転したかと思うと、首の隙間から銀色の細いワイヤーが幾つも現れ出た。
ライカはそれを器用につなぎ替え、一つのワイヤーを指で摘まんでアンテナのように長く伸ばした。
白目にはびっしりと数字の羅列が浮かぶ。僕は彼女が壊れてしまうんじゃないかとはらはらした。
「ハックにはしばらくかかりそう」
その状態のまま、ライカは静かに言った。