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第1話 再会

 つき始めたばかりの外灯がぼんやりと地味な住宅街を照らしていた。

 いつものように学校を出て、昨日と同じ電車に乗って、同じ道を辿り、家路を急ぐ。

 自動運転車にでも乗っているかのように、粛々と繰り返される生活。

 しかしこれこそ、僕に課せられた役割だ。


 そんなことを思いながら、僕は門扉を開けた。

 雨ざらしの汚い表札をちらりと横目で見、玄関へと進む。


 栄枝、と不格好な文字で書かれた表札は、記憶が正しければ小学生のときに工作で作ったものである。木板と銅販で作られたそれには、几帳面に名前まで彫られている。


 雅人まさとかえで、そして海人かいと


 字も下手くそなので新しいものに変えるべきだが、母さんはこれが気に入っているらしく変えようとしない。


 と、目の端に何か動いた気がして僕は顔を上げた。

 腰の高さの板塀の向こう、隣家の前に人がいた。

 僕と同じくらいの年頃の女子が、じっとこちらを見ている。

 夕方だからか白いワンピースが映えて、彼女だけが周りの景色からくっきりと浮き上がっていた。

 思わずまじまじと顔を見返してしまった。

 長い髪からのぞく黒目がちの瞳は、僕を見つめたまま瞬きもしない。


 後ろの道を車が通り過ぎた。そのエンジン音で、催眠術にかかったようになっていた僕の頭の歯車がようやく噛み合い、言葉が出た。


「もしかして、七星ななせ?」


 白崎七星しろさきななせは、平たく言えば幼なじみだ。小学校低学年までこの家に住んでいた。この女の子の憂うような目つきは、記憶にある小学生のころの七星とそっくりだった。


 記憶の底をさらうと、いろんな光景が蘇ってくる。

 幼稚園のころ、僕ら家族と白崎一家とでお祭りに出かけた。

 駅前のスーパーが主催の小さな夏祭りだったが、僕らは大興奮で遊び回り、最後には水風船を破裂させ、七星は浴衣をぐしゃぐしゃに汚して泣いた。


 小学校も一緒だった。

 七星はあまり運動が得意ではなかったし、僕もそうだったので、専ら図書室でおすすめの本を紹介しあったりした。

 『宇宙の秘密』をどちらが先に借りるかで喧嘩したこともある。

 たしか、あのときは一時間で僕が折れた。


 そういったように二人でよく遊んでいたのだが、彼女はある日急に引っ越していったきり、なんの音沙汰もなくなった。

 随分後で親に教えてもらったが、白崎家は離婚したらしい。

 僕はまだ幼かったので事情が全く分からず、幼なじみが消えて寂しかったという記憶しか残っていない。


 ただ白崎のおじさんの噂は記憶に新しい。

 前から変人で有名だったが、離婚してからますますエンジンがかかった、とは父の談だ。

 うちの食卓でも、彼の奇行はたびたび話題に上がる。


「夜中に騒音をたてるのはやめてほしい」と母さんはよく言っている。


 そんなことを考えていると、七星が唐突に話しかけてきた。


「ハロー、もしもし」

「……え?」


 意味がわからない挨拶に僕は混乱し、七星の方へ寄っていった。

 と、隣の玄関の扉が乱暴に開かれた。白髪を振り乱した男がよれよれの白衣を着て、こちらを睨みつける。気圧されて僕は一歩後ずさった。

 白崎のおじさんだ。最後に顔を見かけたときから随分老けてしまっているが、間違いなくそうだ。

 こんにちは、と言おうと口を動かした瞬間、七星の華奢な腕を引っ張り、おじさんが彼女に命令した。


「中に入れ!」


 こちらを見て何か言いたげにしていた七星が屋内へ引き込まれ、そのまま扉がぴしゃりと閉まる。


 僕は呆気にとられたまま、暗い表にとり残された。

 それから、煮え立つような怒りの感情がこみ上げてきた。

 今のは確かに七星だ。

 いくら白崎のおじさんが変人だとはいえ、久しぶりにあった幼なじみに声をかける暇さえ与えないのは酷い。

 それどころか、まるでこちらが不審者のような扱いだった。

 僕は腹立ち紛れに、乱暴に玄関の扉を開けた。


 お帰りなさい、という母さんの声に生返事をすると、靴を脱ぎ捨てて階段を登り自室のベッドに転がった。そのときポケットから無機質な声が聞こえてきた。


「スクールモードが解除されました。放課後モードに移行します」


 タイムラグがひどい。

 しかしこれも仕方のないことだ。

 授業中に遊んだり、カンニングをしたりしないよう、学生版のイリスはわざと不便に作ってある。


 イリスは現代人に必須の携帯端末だ。

 この黒いカードは世界中に張り巡らされたイリス・ネットワークを通じ、ありとあらゆる情報にアクセスできる。

 友達とのたわいもない話から免許証、ショッピングまで全てこのカード一枚でまかなえる。


 しかし、それは建前だ。

 学生版は料金が安い分制限されている。

 それが露骨に分かるのは嫌なものだ。

 はやく本物を使いたい、と思いつつ僕は光沢のあるカードを取り出した。


 黒いカードの表面に今日のニュースや天気が映し出されている。

 病院から集団脱走、イリス新型端末の新型発表会、限界集落の生活情報。

 僕はつらつら目で追っていき、やがて目当ての記事を見つけた。

 今年の国際サッカー大会開催都市はルグアらしい。

 ルグアがどこにあるかはわからないが、とりあえず録画しておこう。


 カードパネルをタップする。

 すぐに柔らかく、しかし抑揚のない音声が応答してくる。


「ハロー、海人。イリスです」

「テレビ・国際サッカー二千三十八・録画する」

「了解しました。カテゴリ・テレビ、キーワード・国際サッカー二千三十八、を録画予約しました」


 これで試合だけでなく、バラエティやドラマやコマーシャルを含む国際サッカー二千三十八という名がつくものは全て録画し保存してくれる。イリスは自宅のテレビにも無線で接続されていて本当に便利だ。

 予約を終えて安心したとたん、イリスがまた話しだした。


「一件、フレンド申請があります」


 僕は多少うんざりした。

 誕生日にイリスを買ってもらって二ヶ月が経つ。

 フレンド申請の度にうきうきしていた僕を打ちのめすには十分な期間だった。


 少ない友人とは買って数日で繋がっている。

 それから申請してくるのは大抵業者だ。

 が、イリスは律儀に報告してくれるのでいちいち断るのは面倒だった。

 しかし、今回は違った。


「フレンド名・七星。承認しますか?」


 僕はベッドから勢いよく身を起こした。


「承認します」


 そう答えると『七星』という文字と共にシルエットのピクトグラムが映し出された。

 自分の写真を入力していないらしい。

 デフォルトの女性の合成音声が文字と共に響く。


「久しぶり、私のこと覚えてる? 小学生のとき隣りに住んでた七星だよ」

「さっき会ったじゃないか!」

「そうだっけ?」


 僕は拍子抜けしてしまった。

 名乗りはしなかったが、熱心に見つめていたのでてっきり分かっていると思っていた。

 が、どうも忘れられていたらしい。

 とはいえ最後に会ったのは小学校低学年で、あれから八年は経っている。

 顔を忘れるのも当然かもしれない。


「いつ隣に帰ってきたの? ろくに話せなかったけど、今は大丈夫?」

「……うん、大丈夫」


 沈黙の後に、小さく声が聞こえた。

 おじさんが近くにいるんだろうか、と僕はうかつな発言をしたことを悔いた。

 あの過保護な様子だと、僕と話していたらイリスさえ取り上げられかねない。

 そんなことにならなければいいが。


「私、嬉しいんだ。海人とまた話せて」

「そう?」


 こちらも嬉しくなる。

 向こうは黙っていたが嫌われてはいなかったらしい。


「本当だよ。イリスがあってよかった。こっちから探せるもの」

「僕は二ヶ月くらい前に買ってもらったんだ。まだ使いこなせてなくて」

「私は昨日から使ってるの。言われたとおり、斜め四十五度の緑の点を追ったら見つけられた」


 僕は首を傾げた。

 カードを斜めにしてみたが、緑の点など見つからない。


「ごめん、意味がよくわからない」

「いいの、こっちの話。そうだ、大ニュース! 私、今日髪の毛をピンクにした!』


 さっき会ったときはまだ黒髪だった。

 たった今染めたのだろうか。

 しかし七星ってこんな子だったっけ、という思いが胸をよぎった。

 記憶の中の七星は、どちらかというと大人しい部類の女の子だった。

 どういう経緯で髪をピンクにしたのだろう。


「思いきったな。明日学校で注意されない?」

「学校……最近行ってないんだ」


 明らかに落ち込んだ声が聞こえ、僕はさっきの言葉を取り消したい衝動に駆られた。

 彼女は訳あって不登校になっているのかもしれない。

 だから、あの家に帰ってきていて、今の学校の友人でなく僕に連絡してきたということも考えられる。


「ごめん」


 謝ると、七星はまたはきはきした口調に戻った。


「ううん。それより教えてよ。おばさんは元気?

 どこの高校に行ってるの?

 猫のミミは? 駅前のスーパーがリニューアルされたって本当?」


 次々とくる質問にくらくらしながら、僕は記憶を辿りながら順番に話していった。

 母さんは元気なこと、しかし猫は数年前に寿命で死んでしまったこと、高校は少し遠いけれども私立の男子校に通っていること、中学と違って制服がなく毎日の服に困ること、駅前のスーパーは一度潰れたけれど、今度は大手スーパーに生まれ変わっていることなど。

 七星は興味深そうに相づちを打ち、僕や街の状況にいちいち驚いていた。

 三十分ぐらいたったとき、唐突に彼女が言った。


「……ああ、もうそろそろまずいかも。あまり長く話していられないの」


 じゃあね、と軽く言われて通話が切れた。

 僕の顔が映し出された黒いカードを手に、またごろっとベッドに転がる。

 夢から覚めたような気持ちだった。

 切れてから気付いたが、僕はたくさん話したものの、七星はほとんど何も話さなかった。


 こちらもいろいろ聞いておけばよかった。

 しかし、イリスでフレンドになったのだ。これからもその機会はあるだろう。

 ご飯よ、という声が階下から聞こえたので、僕はイリスをポケットに入れ、反動をつけて起き上がると、キッチンへ降りていった。


 キッチンの壁にかけられたテレビで、ニュースキャスターが深刻そうに言う。


「……病院の患者が脱走しました。警察では集団脱走とみて調査中です……」

「イリス・テレビ・表示・視聴リスト」


 興味がなかったので、すぐイリスをテレビに同期させて視聴リストに変えた。

 検索された国際サッカー大会関連の番組がずらっと並んでいる。

 もちろんまだ本物の試合は始まっていないので、表示されているものは過去のドキュメンタリーかバラエティーだ。

 カレーが入った皿をテーブルに置いた母さんがチャンネルを変えたことを非難するように言う。


「ニュースでずっと流れてる病院って、この近くなのよ。

 病人が逃げ出すって、どんなひどいところだったのかしら」

「ふーん、そうなんだ」


 僕は適当に相づちをうった。

 イリスを脇に置き、充電ケーブルを繋ぐ。

 テレビはさっそくお目当ての番組を流し始めた。

 いくら近所でも、そんなニュースなんて関係ないと思っていたのだ。

 そのときはまだ。

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