第10話 奇怪なる機械
しばらくして目を開けたとき、またもや不思議な空間に僕はいた。
緑色の光線が壁に行き交い、まるで編み目のように僕を支えている。
僕のそばにはピンク色の髪をした七星が、ぺたんと座っていた。
今まで銃を持っていたとは思えないほどの情けなさそうな顔で、彼女は言った。
「海人を撃つつもりじゃなかったのに——海人にはなにもしないってサラは言っていたの。本当よ」
「ここはどこ?」
「イリス・ネットワーク内部。サラが私の体を使っているときは、よくここに来るの。
ネットワークの中から海人が見えて……」
僕はイリスネットワークの中だというこの場所を改めて見渡した。
緑色の網目模様は、複雑な軌道を描いてぐるぐるとまわっている。
どうして僕がイリスのネットワーク内部に入り込めたのかはわからなかった。
「いったい、僕はどうなったんだ?
ここからどうやって元の体に戻るんだ?」
七星はますます申し訳なさそうな顔をした。
「……自力では戻れないの。
サラが時たま呼んでくれるから、そのときに眩しい光と一緒に戻れるけれど……」
言葉を濁してはいたが、僕は理解した。
向こう側でゲートを開けてくれる人間がいない限り、僕らはこのまま、イリスネットワークの中で過ごすしかないのだ。
「ごめんね……。
私がフレンド申請なんかしなければ、海人に迷惑をかけることはなかったのに」
その言葉で決心がついた。
もうここから出られないのなら、ぜひとも言っておかねばならない。
「……僕だって、謝らなきゃならないことがある。
ごめん。僕は栄枝海人じゃないんだ」
七星はぎょっとした表情で僕を見つめた。それにも負けず、僕は続けた。
「本物の栄枝海人は二年前に死んでいる。
僕はその記憶と行動パターンを元に生み出された違法アンドロイドなんだ」
「……どうして? 海人、どうしてそんなことを言うの? 嘘でしょ?」
僕は首を横に振った。
「嘘じゃない。これまで、本物の海人になろうと散々努力してきた。
でも、結局僕は偽物なんだ。
チタンと人工筋肉、そしてAIチップで作られたただの物体。
人間になんかなれやしなかった。
それでも、僕の記憶の中には幼なじみの君がいて。
家族で夏祭りに行ったり、図書館で本を交換し合ったり、秘密基地を作ったりしている記憶があったんだ。
自分が本当にそんな小学生時代を過ごしたと錯覚するほど、ありありと思い出せるんだ」
「……私も覚えてる。
二人で捨てられたソファーを探してきて、力を合わせて『駅の向こう』の廃ビルに運んだんだよね」
彼女は遠くに眼差しを向け、静かに言った。
「……本物の海人はどうして死んでしまったの?」
「階段から落ちたらしい。僕にその記憶はインプットされていないけれど」
「どうしてかな。私、海人が死ぬなんて考えたことなかった。
幸せに暮らしていると勝手に思ってた。
私と違って親同士の仲もよかったし、私が病気になってベッドに縛り付けられているのに、気ままに学生生活を満喫しているんだって。
うらやましかった。そんなことになっているなんて、私は気付かなかったの」
「それは仕方ないよ。
ただ、僕も本物の海人も、君が消えてしまったら、きっと悲しむと思うんだ」
七星は涙を溜めた瞳を拭うと、顔を上げた。
「やっぱり、このまま私が消えてしまうなんて嫌。
体が動かなくたって、私は私でいたい。
……そうしたら、海人は褒めてくれるかな」
イリスネットワークの緑色の線が幾重にも合わさり、目の前に巨大なスクリーンが形成される。
誰かが——ライカがゲートを開けたのだ。
イリスを掲げているのであろう、ライカの顔が大写しになった。
手ぶれがひどい。緑色の光線が背後から彼女を襲うが、ライカは持ち前の跳躍力で避け続けている。
「海人、聞こえる?」
「ライカ! どうしてここが?」
「あなたのAIチップにはイリスネットワークの一部が使用されているらしいわ。位置情報が出てきた」
ライカは光線を器用に避けながら続けた。
「イリスネットワークのセキュリティを潰したわ。
早くそこから出てきなさい」
「どうやって?」
僕は半ばパニックになりながら叫んだ。
「今、額にかざすわ!」
ライカがそう言った瞬間、僕の体全体が発光し、ついで感電したような衝撃が襲ってきた。
目覚めたとき、僕は廃墟の汚い床に転がっていた。
額の上に、イリスが置かれている。
そろそろと取って顔を上げると、ピンクの髪をなびかせた女の子の後ろ姿が目に映った。
「当たれ当たれ当たれ!」
サラが叫びながら改造した拳銃でプロメテウス波を撃ちまくっている。
それをかわしながら、ライカも緑の光線を左腕から撃って応戦している。
どうやら、この戦闘の最中にイリスをハックし、僕をネットワーク内部から救い出してくれたらしい。
僕はサラがこちらに気付かないよう、ゆっくりと起き上がる。
ポケットにイリスを入れながら、僕は彼女に背後から近付く。
サラはまだ気付かない。
獲物を狩るライオンのように、僕は背後から忍び寄り——彼女を後ろから羽交い締めにした。
「……なっ!」
ピンク髪の少女は慌てて僕を振りほどこうとする。
ライカの腕から放たれた緑色の光が、少女の頭に当たった。
悲鳴を上げて彼女は倒れ、反動で僕も後ろに飛ばされた。
僕のチップが正常かどうか心配しながら起き上がったとき、ライカは既に腕に銃を収納していた。
彼女はぽつりと言った。
「これでほぼ仕事は終わったわ」
僕はこの数日間の目まぐるしい出来事を思い出し、なんだか感慨深い気分に陥った。
ライカを七星と勘違いしたところから始まり、不思議な体験を経てやっと戻ってきたような感覚。
しかし、ほぼ、とはどういうことだろう。
「ほぼ? あと何があるの?」
「一つ、大事な仕事が残っているの」
そう言いながら、彼女は今までサラが使っていた銃を拾った。
そして、それをおもむろにこめかみに当てる。
「ありがとう、海人。協力に感謝するわ。
仕事がすんだから、私も宇宙へ帰らなくちゃ」
「待ってよ!」
僕は慌てて彼女を止めようとした。
「ライカ、僕がアンドロイドでも、君がいなくなるのは寂しいよ」
ふふ、とライカが笑った。
「あなたは、まだ気付いていないみたいね。
あなた、イリスネットワークに入り込めたでしょう?」
「……そうだけど」
「普通の、意志を持たないアンドロイドなら、そんなことはできないわ」
彼女は首を振り、晴れやかな笑顔でこう言った。
「あなたは、この地球で生まれた人工精神生命体の第一号に進化したのよ。
長らくこの星を保護惑星として観察していたかいがあったわ」
驚いて、僕は自分の首筋にあるパネルを後ろ手で引き開けた。
この体はチタンと人工筋肉でできている。
人間の脳にあたる場所はAIチップ。
今までそう信じて生きてきた。
僕が人工精神生命体だとするならば、僕のチップはどうなっているのだろう。
チップがあるはずの場所を恐る恐る触ると、ぱらぱらと乾いた音と共に黒い破片が散らばった。
僕のAIチップの残骸が、焼け焦げて炭になっていた。
炭になったチップが風にあおられてもっとばらばらになっていくのを、僕は呆然として見ていた。
そんな僕を尻目に、ライカは黒髪をなびかせて平然としていた。
「そうそう、帰る前に一つだけ、いいことを教えてあげる。
イリスのセキュリティホールは開けっ放しよ。私が去ったら、額にイリスをかざしなさい」
さようなら。
言うなり、僕の目の前で彼女は引き金を引いた。
ぱたり、と倒れた彼女の体を、僕は慌てて受け止めた。
彼女は揺すっても起きなかった。
僕はコンクリートの天井を見上げた。
彼女は行ってしまったのだ。
彼女が倒した精神生命体と同じように、宇宙の彼方へ飛び去ってしまったに違いない。
僕は、おもむろにポケットからイリスを取り出した。藤堂刑事はこれがなくて難儀しているに違いない。全て終わったら、返さなくてはならない。
そう思いながら、僕はライカが去った後の冷たい額に、イリスを近づけた。
雷光のような衝撃。白い光が部屋中を包み——彼女は、静かに目を開けた。
「どうなったの?」
反射的に身を起こし、彼女はあたりをきょろきょろと見回す。
「あれは、私?」
今まで自分が入っていたピンク色の髪の遺体がすぐそばで横たわっているのを見て、びくりと震えた。
「大丈夫。七星、君は生きているよ」
僕は力強く言った。
七星は目をしばたたかせ、手をまじまじと見つめたあと、小指から順番に動かした。
滑らかによどみなく、ピアノでも弾いているかのように。
「……手が動くわ」
泣きそうな声で七星が言い、こちらを向いて微笑んだ。




