第9話 七星と『自然礼賛団』
ボートがなくては話にならないという僕の主張は、ライカが家から出て早々に消えた。
警察のイリスをハックしたというライカの段取りはすさまじく、『駅の向こう』の直ぐ近くに乗り捨てられた違法水上バイクがあることも調べ済みだったからだ。
暗闇の水没した道路を滑るようにバイクは進む。
イリスのライト機能を付けてみたものの、暗すぎてまるで役に立たない。
しかし、ハンドルを握るライカは迷ったり、壁にぶつけたりするようすもなかった。
「君は見えるの?」
「ええ。あなたの家にあった部品で、目を大分強化したわ。
赤外線と温度センサーをつけたから平気」
また彼女はなんでもないことのように言う。
僕は普通の男子高校生に付与されていないものは不必要とされ、そんなものは搭載されていないし自力で改造する知能もインプットされていない。
簡単にチップを組み込んでしまえるライカがうらやましかった。
街の明かりは遠くなり、建物の残骸も減ってきた。
そろそろ、昼にたどり着いた海域につくころだ。
暗闇に、イリスのライトの反射を受けて輝く巨大な鉄筋のそばに、すうっとバイクが止まった。
ライカが危なげもなく飛び降り、僕はびくびくしながらそれに従った。
と、彼女がこちらを向いて手を差し出した。
「落ちないでね」
僕は手をひかれながら、黒い海の上の黒い鉄骨を渡った。
彼女の足取りはしっかりしていて、中心部へ躊躇なく向かっていく。
中心部から少し離れた場所に、非常階段の残骸があった。
ライトで照らされたそれはさびだらけで登れるものか判別がつかなかったが、ライカは僕の手を離し、どんどん階段を上り始めた。
「すこし離れてついてきて。
彼らも、私たちが探していることはわかっているはず。
なにか対策をとっているかもしれないわ」
この鉄塔のさび付いた非常階段は、前の塔とは違って外側に付けられている。
上るごとに海風が強まり、僕らは手すりにしがみつきながら一歩一歩踏みしめた。
足もとの鉄板は年月のおかげでぎしぎしときしむ。
その音にまぎれ、上から微かに物音がした。
「あぶない!」
ライカが叫んだ瞬間、上から緑色の光が降ってきた。
僕は慌てて壁に張り付いた。ライカが柵の上へ躍り上がり、数メートル跳躍した。
上から短い悲鳴と、バチッという音とともに光線が閃く。
しばらくして、落ち着いたライカの声がした。
「大丈夫。数人待ち伏せていたけれど、全員倒したわ。上がってきて」
急いで駆け上がると、二人の男と一人の女が手に銃を持ったまま折り重なって倒れていた。
「警部に連絡した方がいいかな」
「いいえ。後にしましょう。
『自然礼賛団』のメンバーは十三人。残りは五人。
多分、敵も総力をあげて私を倒しに来るはず。きっとこの建物の中に全員いるわ。
彼らを倒してから連絡しても遅くない」
僕らはそろそろと慎重に進んだ。
後の五人は三人がやられたことに気付いているのだろうか。
しかし上階からは何の音もしない。
気の遠くなるような階段を登りきると、古ぼけた展望台についた。
誰もいない……ように思えるが、暗くて一部しか見えない。
彼らは暗闇に潜んでいるのだろうか。
窓はやはりなくなっていて、海風が吹き込んでくるのは新しい塔と同じだ。
床はタイルが剥がれ、コンクリがむき出しになっている。
「イリスの光を消して」
ライカが容赦なく言った。
「なにも見えなくなるよ」
「私には見えるもの」
そんな勝手な、と言いかけたがこの先光が見えると向こうからこちらの位置が気付かれると思い、僕は仕方なくイリスの光を消した。
と、右手を掴まれて僕は見えない目をぱちくりさせた。
僕の手を、ライカの左手が握っていてくれる。
その手はとても冷たかったが、不思議と体が温まるような気がした。
闇の中を慎重に進み続ける。
海風の音で小さな音はかき消されてしまうが、僕らはすり足で歩き続けた。
「反応があるわ」
しばらくしてライカが耳元で囁いた。
「扉の向こう。温度センサーに影が映っている」
「便利だね」
「気をつけて」
音を押さえながら、扉のノブを回すライカ。
扉を開け放ちざま、ライカの右手から光線銃が飛び出してプロメテウス波を照射する。
ドアの向こうからも緑の光が飛び出してきて、僕は慌ててのけぞった。
光をかいくぐり、ライカが暗闇に飛び込んでいく。
人のうめき声。ちくしょう、と罵る声。
僕にはどうなっているのか皆目わからない。
「動くな、ライカ」
女の人の声とともにぱっと明かりがついて、僕は目を細めた。
巨大なサーチライトに照らされた部屋に、ゆらりと影がうつる。
鉄骨とボロボロの木材で作られたバリケードの上に、女の子が一人立っていた。
床には男達が四人倒れている。
ライカが倒したのだろう。
女の子は、黒い銃を自分の頭に突きつけていた。
その銃は、彼らが持っていたようなおもちゃの光線銃のような見た目ではなく——黒く輝いた、鉄の塊だった。
彼女は憂うような眼差しでこちらを見て、ふふっと笑った。
「さもないと、この銃でこの女の子の頭を撃つ。
プロメテウス波じゃなく、生物を殺すために使われていた拳銃よ」
ピンクの長い髪が海風に揺れていた。
——七星だ。
僕は呆然と立ち尽くした。
語気鋭くライカが制する。
「サラ。絶滅危惧種を死亡させたら厳罰よ」
「そうね。でも、それはあんたもでしょ? 目の前で絶滅危惧種が死んだとなれば、責任問題になる」
「地球に残っている『自然礼賛団』は既にあなた一人だけ。
もう望みはないわ。大人しく投降しなさい」
ライカがそう諭したが、彼女は首を振った。
「拒否する。『自然礼賛団』は永遠に不滅よ」
その言葉を聞いた瞬間、僕は怒りのあまり思わず叫んでいた。
「勝手に他人の体を乗っ取っておいて、何が『自然礼賛団』なんだよ!
その子は七星だ! 七星を返せ!」
「ああ、あんたがあの子の友達の海人君ね」
彼女は余裕めいた表情でこちらに笑みを返した。
「警告はしてあげたでしょうに」
「そんなものが通用するか! はやく七星から離れろ!」
しかし、僕の叫びもどこ吹く風だった。彼女はしれっとこう言った。
「これは合意の上よ。七星も、私とともに来ることを選んだの。
だから私は彼女にイリス・ネットワークへの入り込み方を教えた」
「信じない。あんたが騙したんだ」
「じゃあ本人と話してごらんなさい。彼女は完全にこちらの味方という証拠を見せてあげる」
バチッと七星の周りから電気が放出されるような音がして、フラッシュのような眩しい光が目を灼いた。
僕が目をつぶってもう一度開けたときには、銃口がこちらを向いていた。
「帰って」
さっきよりも幾分高い声で、彼女は言った。
「もしかして、七星?」
「そうよ。皆、やられてしまったのね」
ピンクの髪の少女は、四人が倒れ伏している部屋を見回して言った。僕は説明しようと口を開いた。
「七星……」
「放っておいて! そこの私の双子みたいな女も連れて帰って!」
「七星、君はどうするんだよ」
僕は眉を潜めて聞いた。
どうして七星がこちらに銃口を向けているのかわからない。
「ねえ、私は放っておいてと言うことすらできなかったのよ。
今なら気兼ねなく言えるわ。サラは私の体を乗っ取ったけれど、代わりに自由をくれた。
歩けるように、話せるように、手が使えるようにしてくれたの」
「それは自由なんかじゃない。他人に自分の体を売り渡しただけじゃないか」
僕がそう言った瞬間、七星が絶叫した。
「どうして私たちを邪魔するの?
私のつらさなんて何もわからないくせに!」
一筋の涙が七星の頬に伝っていた。
「中学に入ったばかりのとき、ボールが目に当たって右眼の視力が落ちたの。
だから視力矯正チップを入れたわ。それがこんなことになるなんて思いもしなかった。
突然、ある朝、体中が動かなくなったの。
叫ぶこともできないし、できるのは瞬きくらい。呼吸だって怪しいわ。
あんまりよ。私が何をしたっていうの?」
彼女は怒りのあまり身震いしていた。
「体が動かなくなって二週間したころ、クラスの皆が折り鶴と寄せ書きを持ってきた。
そのとき、初めてぞっとしたの。友達だった子も嫌いだった子も、書いていたことは同じ。
頑張って。病気がなおるといいねって。
でも、皆私に話しかけなかった。私に哀れむような眼差しを向けただけだった!
もしあのとき口がきけたなら、私に病弱で可哀想な女の子なんてレッテルを貼らないでって言いたかった。
品行方正で天使のような患者になって、病院で一生暮らせって言うの?
そんなの無理に決まってる!
だから私はサラの言うことを聞いたの。
サラも、ある程度は私の希望を聞いてくれた。
髪をピンクに染めたの。スーパーを襲撃して、皆でご飯を食べた。
それに、海人とも話したかった。
だからイリスで探したの。
海人なら私が病気になったことも知らないし、中学の子よりも話しやすかったから。
全部、全部全部私が本当にやりたかったこと!」
「あなたたちは共存できない。一つの体に二つの思念体は入らない。
いずれ脳がオーバーヒートを起こし、あなたの意識は完全に乗っ取られるわ」
ライカが冷静にそう諭したが、その瞬間また強い光が瞬き、彼女は再び彼女のものではない笑みを浮かべてバリケードに立っていた。
「さあ、わかったでしょう。邪魔者は消えなさい!」
サラはライカに向かって引き金を引いた。
本物の銃と思われたその筒先から、緑色の光が放たれる。
この銃はフェイクだった。
鉛玉が入っているように見せかけて、光線銃に改造してあったのだ。
光の先にはライカがいる。
僕は、ライカをかばうように飛び出した。
緑色の光線が肩に当たった瞬間、体中に電撃が走った。
電撃は瞬く間に頭に遡り、痛覚はないはずなのに、僕は自分が叫び声を上げているのをぼんやりと理解した。
意識がどんどん離れていく。
僕自身がいなくなる。
いや、よく考えると、僕は元々いなかった。
『栄枝海人』の記憶と行動パターンを組み込まれた、ただのアンドロイド。
名前もなく、他人の真似をすることだけを強いられてきた僕に、果たして意識などあるのだろうか。
黒い水中にいるような感覚だった。
水面は見えないが、水の中で、様々な色の光が蠢いている。
——左端に、緑色の光がきらりと光った。
『緑色の光を追ったら、イリスネットワークにたどり着ける』
七星が以前、言っていた言葉だ。
僕はその光に向かって、手を伸ばした。足をばたつかせて、その光に向かって泳ぐ。
と、緑色の光から小さな影がのびていた。
光の中から出てきた人影は、温かい手で僕の手をとった。
そして僕らは緑色の光に吸い込まれた。
眩しくて、僕は目をつぶった。




