その8
夕方の六時半に駅前で待ち合わせ。
暇な俺は待ち合わせ時間よりも早く到着していた。
「この辺は変わらないなぁ」
駅前の風景は俺が知る限りは変わらないのだが、これもやっぱり色々と昔とは違うらしい。
バスロータリーにタクシーのたまり場、トウキョウへと乗り換えなしの一本で行ける路線も作り替えられたため、そこそこの賑わいを見せており、駅前はファストフード、ドーナツ屋などの定番をはじめ、コンビニや居酒屋、そして学習塾やオフィスビルもある。
夜でも人が多く、眠らない街とまではいかないものの、そこそこの賑わいを見せている。
「お待たせしました」
ワンピースのような装いの私服に身を包んだ姫川桜さんがやってきた。
「いや、待ってないよ」
「待たせやがって!」
せっかくの人生で初めての女の子との外食――そのはずが赤髪のおまけまでいる。
「行きましょう、ここら辺で一番美味しいラーメン屋さんに」
「案内頼むよ」
アルのことを無視してすぐさま歩き出す姫川さん。
昼のコンビニでの二人の揉めごとから意識を逸らすためにラーメンに誘ってみたものの、なぜか揉めごとの元凶までついてきた。
「なにラーメンなのかな?」
「味噌バターですよ。コーンともやしが山盛りで、すごく美味しいんです」
姫川さんはまだこのあとアルバイトがあるということで、本当にラーメンを食べるためだけに一緒にやってきた。
女の子一人だとラーメン屋は入りにくいそうで、カップ麺を見ていた故の咄嗟のひらめきからの発言が、このような事態を招いている。
女の子と外食なんてのは生まれて初めてだし、喜ぶべきことなんだろうけど……。
「おい、味噌バターってまさか、あそこじゃないだろうな」
駅から真っ直ぐ歩いて県道にぶつかる十字路まで出てきて、左へ曲がる。
大きなリサイクルショップやガソリンスタンド、しゃぶしゃぶの店やファミレスを通り過ぎ、少し歩いた先に駐車スペースが六台分しかない小さなラーメン屋。
「土日とかは混んでて並ぶんですけど、平日だとこの時間でもまだ入りやすいんですよ」
「へえ」
「コンビニ女は入ったことないんじゃないのか?」
「……入ったことはないけど、空いてる時間はリサーチ済みです」
それでも中には入る勇気はなかった。
ラーメン屋『北海』
木目調の和風テイストの外観と内装のラーメン屋。
「いらっしゃいやせー!」
店の暖簾をかきわけて、潜った先では日本語として成立していた言葉がすべての店員から飛んでくる。
「食券おねがいしやーす」
食券スタイルはあとからの会計の面倒もないし、注文でもたついて待たせる心配もないのでラーメン屋初心者には安心の設計だったが。
「な、なんだと……しょ、食券だと……魔王の癖に……」
ここは魔王が経営するラーメン屋の一つだ。
昨夜の定食屋『小冬』のように、魔王が経営・出資者として頂点に立っていても、店長や従業員はこちらの人間だ。
魔王系列の店で働いていていれば異世界人でなくても起業をしたければ、それまでの働きなどに応じていくらでも魔王が起業の手助けをさせてくれる。
そして独立すれば魔王の元から離れた日本人の店となるのだ。
このラーメン屋もそれと同じ可能性が高い。
魔王が起業しているのは全国チェーンのファミレスのような、日本中どこにあっても当たり前、地域の特色を活かすことはあれど基本は同じ味を楽しめる、安心できる店だ。
定食屋やラーメン屋などはそれとは別口の、この町のここにしかない。
だからこそ異世界人ではなく日本人が切り盛りしている店になっていく。
「私は味噌バターのトッピング全部乗せ特盛です」
それ千五百円ぐらいするんだけど、ラーメンってやっぱり高いよな。
「アルはどうするんだ? 俺は普通のにするけど」
食が細いわけではないが、姫川さんのような大食いでもないし、今日の午後は働いたり、動いたりしていないから特別空腹でもない。
「俺……金ないんだが」
こいつ金ないのにラーメン屋に来たぞ。
魔王の系列店ということで食い逃げする気満々だったってことだ。
「これも貸してやるよ。なにがいい?」
「それは助かる。俺は醤油ラーメンとチャーハンと餃子のセットだ!」
金を入れていない券売機のボタンを連打している。
味噌ラーメンが売りと言っても、味噌以外もちゃんとある。
「俺の七百五十円でアルの千三百円か」
その金額を投入して無事に食券をゲットし、空いているカウンター席へと座る。
厨房は客席よりも広く、奥の方まであるようだが、客席からも見える目の前で派手な湯切りのパフォーマンス、大きなチャーシューを切り分けたり、体よりも大きな寸胴鍋で麺を茹でる様、一種の芸術、あるいはサーカスのようなエンターテインメント性を感じる。
最近の外食はファミレスでもほとんど待ち時間がないが、牛丼屋の次ぐらいにラーメンもできるのが早い。
「お待ちどうさっ、でしたー」
ラーメン屋さんは日本語が不自由になるのかと疑いたくなるが、深夜のコンビニのアルバイトの「いらっしゃいませ」も相当日本語が怪しい。
つまり、疲れている人間のいる店の店員は総じて言葉がおかしくなる呪いがある。
蓮華が添えられた大きな丼。
通常サイズの俺のでもすりこぎのような迫力があるのに、大盛りともなればラグビーボールに限界まで空気を入れたかのような形状になっている。
一人醤油を選んだアルだが、チャーハンは半円のドーム状で、餃子は今にも空にはばたかんばかりの羽がついている。
昼を抜くか軽くしておけば、俺もそれぐらい食べれそうだ。むしろ、腹を空かせて食べたい、と思えるような見た目としての満足感は百点満点だ。
他人のばかりに目が行くが、俺のも相当だ。
ふんだんに使われているコーンやもやしにほうれん草。
単品で見れば素朴な野菜も、味噌スープの上にいれば濃厚な味噌の味を吸った極上の野菜へと昇華することであろう。
そしてなによりスープはクリスタルのような乱反射する煌めきを放ち、脂っこさを感じさせるものの、それ以上に旨味が待ち構えているのが見た目からわかってしまう。
「じゃあ、いただこうか」
箸たてから割り箸を抜く。
右手に剣ならぬ箸。
左手に盾ならぬ蓮華。
今ならゲームの中の魔王すら簡単に倒せるぐらいのこれ以上ない装備。
シンプルであるがこそ最強。
「いただきます」
いざ、勝負!