その4
「お前の名前はサトーなのか」
アパートの部屋の表札を見て赤髪の男が言う。
道端での会話を無視という形で切り上げて、放置して帰ってきたはずが懐いた野良猫のようについてきた。
「サトウな」
今の時代、異世界人が多いため、表札や郵便物は漢字とカタカナの両方で記載されることが多く、俺の場合はありふれた苗字なので、カタカナだけだ。
「俺も自己紹介してなかったな。俺はアルフレッド。覚えておけ」
負け惜しみ以外で「覚えておけ」を初めて聞いた。
「あいつらからはアホと呼ばれているが、決してアホではないぞ」
アホフレッドか。
「ふむ、ここがサトーの家か。なにもないな」
鍵を開けたら家の中まで勝手に踏み込んでいく。
「招いた覚えはないんだが」
「なに、茶はいらん」
奥の和室で、当たり前のように胡坐を掻いて座っているアルフレッド。
「名前長いな……。アルでいいか」
「アルコールは飲まないぞ。走れなくなるからな」
「食い逃げ前提の考えはやめろ。お前の名前の話だ。アルでいいだろ、アルで」
工場勤務など、他人とのコミュニケーションはとらないし、学生時代の学校に異世界人はいなかった。
またしても立ちはだかる文化の違いなどもあり、こちらの世界に異世界人が移住できても、学校までは同じというわけにはいかない。
異世界人には、外国人専門学校のように少子化で廃校となった小学校なんかが再利用されて、そちらで学ばされていた。
「そういうことか。いいな、友達みたいで」
別に親しみを込めて愛称をつけたわけじゃない。長くて面倒だからだ。
「テレビ点けるぞ。もうそろそろ時間だからな」
「なんのだ?」
アルが勝手にテレビを点けるが、異世界人はこちらの世界のテレビのなにを楽しみにしているのだろうか。
リモコンでチャンネルを回しているが、異世界人向けのチャンネルではなく、テレ東だった。
平日朝のアニメの時間はとっくに終わっているから、次に始まるのは海外ドラマか株式市場の経済番組じゃないだろうか。
そんなことを考えていると、コマーシャルが明ける。
「経済番組か」
食い逃げ常習犯が、なにを真剣に見るものがあるのかと興味を持って見ていると、白いスーツの女子アナと白髪の目立つ経済アナリストが揃って頭を下げて挨拶をした。
「おはようございます。早速ですが本日は、特別ゲストに来てもらっています」
画面の下の方では株の昨日の終値が表示されている。
「昨年、満を持して異証マザーズに上場した外食チェーン最大手の『魔王』を経営されておりますCEOの魔王さんに来てもらっています。本日はよろしくお願いします」
異証マザーズとは、異世界人が経営する会社が株式上場をした際に割り当てられる場所だ。
東証マザーズは新興企業が主な上場会社だが、異世界人の経営する会社とわかりやすくするために新たに創設された。
日本の中の外国というイメージだ。
「でも、あの姿を見せない魔王がテレビで見れるのか」
そう思った直後、映し出されたのは、かつて犯罪者だった人間がカメラの前でインタビューなんかに応える時に使われる擦りガラス。
その向こうの影が答える。
「よろしくお願いします」
明らかにボイスチェンジャーで変換された機械的な声だった。
「男か女かもわからないな」
「ご存じの方もおられるかと思いますが、サイタマ県に開いた異世界へと通じるゲートから五十年前にやってきた魔王さんです。本日は会社経営のことだけでなく、色々と聞いてみたいと思います」
「普通の話は他の番組で聞いていますからね」
経済アナリストの不必要な補足。
「では、早速ですがホームページに寄せられた質問にいくつか答えていただきたいと思います。『なぜ、魔王さんは表に顔を出さないのですか?』」
それは俺も気になるし、アルもテレビの前で正座して齧りついてみている。
「私はCEOという立場でありながら、毎日どこかの店舗に赴き、厨房に入らせてもらっています。そこで料理を作り、お客様に提供させてもらっています」
「へえ、噂は本当なんですね」
女子アナが演技っぽく言えば、
「それはパフォーマンスかなんかじゃないんですか?」
経済アナリストがこれまた余計なことを言う。
「いえ。私は現場が好きなのです。料理を作り、誰かに召し上がっていただく。これほど嬉しいことはありません。……相手にされないのは寂しいですからね」
長年、魔王の元までたどり着けなかった勇者たちへの苦情のようにも聞こえる魔王の小言。
「顔を出さない理由を暗殺だなんだと書いている記事がありますが違います。精度の高い料理は作り手の顔が見えるものだと言いますが、私が経営しているのはチェーン店です。私という個人が強く出過ぎてしまうと、すべてのメニュー開発に私が携わっているとはいえ、作っているのは、それぞれの店舗で働いてくれている社員やアルバイトの方たちですので、彼らの働きが無になってしまいます」
カメラがアップになっても擦りガラスに映る影でしかない。
「私は主張しすぎることはせず、味だけで勝負がしたいのです。そのために経営努力として、誰が作っても同じ味になるように研究と開発を日々繰り返しています」
なんだろう。
すごく立派な社長だ。
俺の働いていた工場とは大違いの、尊敬できる立派な大人だ。
テレビを見てここまで感動したのは、劣悪な環境で苦しみながら働いていたせいかもしれない。
涙がでそうだ。
「実際、それで多くの支持と評価、応援をいただき、ようやく去年になって株式上場をしてみようと思ったのです。私がここにいられるのは、応援してくださる皆さまのおかげです」
気づけば俺は拍手をしていた。
「素晴らしい社長だ」
「殺してやる……!」
感動する俺とは対照的に、殺意を強くするアル。
どっちが悪人なのか、火を見るよりも明らかな光景がこのオンボロアパートにはある。