その3
異世界人ではない、この世界・日本の人間が経営するファミレス『スカイウォーク』から自宅のアパートへ戻る道すがら、尾行してくる人間がいる。
電信柱や塀の陰に隠れているのだが、振り返る度にその姿が丸見えになる。
異世界人の癖に気配を消すセンスは皆無だ。
「なにか用か?」
アパートが見える場所まで来て、足を止めて振り返って声をかければそいつは慌てふためく姿を隠そうとしない。
「よく、俺の尾行に気が付いたな。さすがと言わせてもらおう」
電信柱の数だけ気づいていたけど、面倒臭くて相手にしなかっただけだ。
「さっき立て替えてやった金は、今度でいいから付きまとわないでくれ」
変なやつに絡まれるのは困りものだが、そんな変なやつを無視できなかったのも俺だ。
眼鏡の女性も、太った男も、この赤髪の青年のために一円も出さなかったので、なぜか俺が立て替えることになった。
名前も、どこに住んでいるのかも知らない、たまにこの界隈で食い逃げをしているような奴に。
「そうはいかない。他人に借りを作るのは男として情けない」
「なら、食い逃げなんかするなよ。そっちの方が情けないぞ」
「食い逃げは正義だ」
おまわりさん、こいつです。
「俺がするのは魔王が経営する店だけだ。俺はあいつをぶっ殺したい」
「物騒過ぎる」
「あいつはな、俺たちのいた世界に君臨した魔王だぞ。それがなぜ、こちらの世界に来て金儲けをしているんだ」
「俺が知るか。俺が生まれる前からいるんだから」
魔王の寿命が長いのかわからないが、五十年前からずっとトップの座にいる。
しかし、誰もその顔も正体も知らないのだから、どこかで替え玉や世代交代が起こっていても気づけないのではないだろうか。
「俺が思うに、あちらの世界を征服したから、今度はこっちというわけだ」
「ああ、そう……」
十代の頃なら、そういう漫画やアニメも楽しめたかもしれないが、ブラック企業の社畜だった俺には、そんなファンタジーの魔王よりも、ブラック企業の経営者の方が魔王だったからな。
「というか、世界征服されたのかよ」
「情けないことにな」
「魔王ってんだから、勇者とかもいるんじゃないのか? なにをやってたんだよ」
ゲームとかだとお約束だろう。
魔王と勇者。
姫を攫う亀と赤い服のヒゲの人。
「勇者は弱すぎて、魔王軍にまったく歯が立たないまま世界を征服されたのだ!」
朝方の住宅街で、なにを叫んでいるんだ、この異世界人は。
「まあ、その勇者ってのが俺だけどな!」
立てた親指を格好つけて、自分の顔へと向ける。
どこに格好良い要素があるんだ?
「とはいえ、勇者ってのは何人もいるんだ。こっちの世界の芸能人みたいなもんだ」
溢れるほどいるイメージで、全然希少な感じがしないな勇者。
「強すぎる魔王軍に恐れをなした世界に退屈したのか、五十年ほど前に魔王はこちらの世界にやってきた。俺の生まれる前の話だから、聞いた話でしかないが」
「五十年も前ならそうだよな。俺も学校で、歴史的外交により魔王がこの世界で飲食店を経営しているってのを教えられた」
当然、日常生活をしていれば魔王がいることも、日本中にチェーン展開している外食店のいくつかの経営者が魔王であることは誰もが知っている。
「そして魔王は、勇者が攻めてこないで退屈していたせいか、その間に身に着けた料理スキルを用いて、こちらの世界を侵略しているのだ!」
どこぞの会社の社長が、自分は仕事がないからって社員のためにカレーなんかの料理を毎月のように振る舞う迷惑イベントをやっていると聞いたことがある。
カメラが回っていれば社員は「美味い」しか言えないが、休みの日にバーベキューとかで呼び出されて、本音では社長をぶっ殺したいと思ってるんじゃないだろうか。
「魔王が作ったといえば昨日食べた『小冬』での生姜焼きは最高だったな」
「味は美味いんだ、味は。だが、魔王だ」
不良とみるや全員敵と認識している多感なお年頃の不良見習いだろうか。
「魔王はこっちの世界でなにも悪いことはしてないだろ」
「飲食店をいくつも経営して、人間の胃袋を掴んでいるではないか……!」
一番掴まれているのはお前じゃないのか?
昨日、あんなに腹いっぱい食べるから食い逃げも失敗したんだろうし。
「でも、こっち側の人間から言わせてもらうと、魔王が来たおかげで日本の経済は活性化しているんだ」
「なんだと?」
「俺も西暦二千年代前半の、昔話として聞いていただけなんだが、飲食店で働く人間が減って人員が不足して、今ではどこも当たり前の深夜の営業ができない店が増えたそうだ」
「なぜだ?」
「飲食店って美味いものを客に出す代わりに、裏は汚いし、面倒だし、働くには大変な環境らしい。そして給料も安くて、良いことなんてなにもないから求人を出しても人が集まらず、営業時間を短縮するしかなくなった」
「ほう。それで魔王がなにを助けた」
この自称勇者の赤髪のアホは本当になにも知らないんだな。
「五十年前にこのサイタマ県に開いたゲートから、お前のような人間を含めて、たくさんの人間がやってきた」
人口減少していた時代にやってきた大量の働き手と消費者。
「その中で魔王は飲食店をオープンし、異世界人たちに仕事を与えて、この世界の通貨を稼がせるだけでなく、世界への順応を促した」
それは異世界人だけでなく、俺たち日本人もだろう。
文化や風習の違う、言葉が通じるだけに不気味な異世界からの住人を受け入れられたのは、高い順応性だけでなく、彼らの提供する食事の美味さがあった。
女が男を落とすのに胃袋を掴めと言うが、まさしく掴まれた日本人。
「人が増え、若者が避ける飲食店を率先してオープンさせるものだから、日本の飲食店もやる気になって対抗しているんだ」
それでも魔王の経営する店は多岐に渡り、日本人は太刀打ちできないでいる。
そんな中でも、必死に抗っているのが今しがた足を運んだ『スカイウォーク』などの、外食チェーン店。
「つまり、こいうことか」
黙って聞いていた自称勇者は、なにか答えにたどり着いたのか真剣な顔で言う。
「魔王は悪だ」
「……馬鹿の方が悪だな」
アパ―トの前の道端で、アホな勇者には難しすぎる説明だったようだ。