その6
「赤い……これ食べて大丈夫なんですか?」
赤身のマグロを見て、不安そうに言うリコッタさんは周りを気にしてかテーブルの向こうから遠慮がちに声をかけてくる。
「こういうもんだから平気だよ。食べてごらん」
寿司が好きな人でマグロが嫌いというのは、あまり聞いたことがない。
学校給食のカレーライスやミートソーススパゲティのような、人気メニューと言えるだろう。
「いただきます」
いちいち言わなくてもいいんだけど、彼女にとっては未知の領域らしい。
「お、美味しい……。魚なのに、噛まなくても舌で簡単に切れちゃいましたし、なんだか癖になるような食感です」
「今のは赤身だけど、中トロとか大トロもあるんだよ。そっちは脂が強いから、好き嫌いがわかれるけど……そうだな。アル、ねぎとろを頼んでくれ」
「がってんしょうち!」
お前まで板前みたいにならなくていいんだけど。
今の時間は空いているため、注文もすぐに通るし、常に動き続けているレーンを見ている間にすぐに注文したものが目の前までやってくる。
「回転寿司って見ているだけでも楽しいんですね」
そして目の前にやってきた、ねぎとろ。
「これは……海苔が横に巻いてありますけど……」
「軍艦巻きだよ」
「軍艦……軍の幹部の人が食べていたんでしょうか?」
「そっちの世界にはないのかな。軍艦って、戦争の時に使われていた船だよ。それに見た目が似ているところから、軍艦巻きっていう名前になったらしいよ」
「へえ……軍艦。見てみたいです」
「海苔は固いかもしれないから気を付けてね」
真っ赤なマグロを克服したせいか、見た目に抵抗がありそうなねぎとろを恐れず口に運んだ。
「んんん~~~~~っ。なんですか、これすごく美味しいです。サトーさんも是非食べてください」
今回は一皿しか注文しなかったので、一皿二貫のっているのが通常だ。
「俺はいいよ」
「いえ、あの……色々な種類を楽しみたいので、その……いっぱい食べると」
普通と言っちゃなんだが、アルがあんなに食べるからってリコッタさんまで大食いというわけではないようだ。
「そういうことなら、もらうね。他にも食べてみたいのがあったらアルに注文してもらいな」
そう言ってる傍から、アルが注文しているのは大量のサーモンだ。
「うめぇ。これならいくらでも食える。そうだ、いくらも注文しよう」
鮭を食いながら、いくらって……天然の恐ろしいところだ。
「お兄ちゃん、その緑のはなんですか?」
「ん? わさびだよ。ここは全部サビ抜きだからな」
小袋のわさびがテーブルに置かれているので、使いたい人は使ってください、というやつだ。
「サトーさん、美味しいんですか?」
「俺は使わないな」
寿司に最初から入っているのなら構わないが、刺身のようにあとからわさびをつけて食べるのは、寿司には合わないと考えている。
「好みだけど、わさびは辛いからね。アルのを少し食べさせてもらってみれば?」
「そうしてみます。お兄ちゃん、これもらうね」
テーブルの上にたくさん並べているサーモンを一皿もらい、使い途中のわさびをほんのちょっとだけ、オレンジ色のサーモンの上にのせる。
「気を付けてね」
一応忠告してみたが、初めての寿司で色々な初めてを克服したリコッタさんの警戒心は緩んでいたのかもしれない。
「ううううう、辛いですぅ」
まるで梅干しでも口の中に入れたかのように、顔をくしゃっとして苦しそうな顔をしている。
「それっぽっちでよかったよ。大量に食べたら大変なことになってた」
「こんなの、日本の人は普通に食べられるんですか?」
「好き嫌いだよ。でも、わさびだけを好き好んで食べる人はいないかな」
あくまでも調味料、味のアクセントだ。
苦手でも困りはしない。
「そうですか……。今日はサーモンやめておきます。辛いです」
残り一貫をアルの方に返す。
「お兄ちゃんは、わさび平気ってすごいなぁ」
なんとなく妹が兄を尊敬する微笑ましい光景を見ることができて、こちらまで微笑ましくなってくる。
「お、いくらが来た。おい、それは俺のだ」
レーンに流れてきた何皿ものいくらの皿を姫川さんと取り合いをしている。
「私も好きなんだから、一皿ぐらいいいじゃないですか」
「食べたきゃ自分で注文しろよ」
「まったくお兄ちゃんは……」
そんなことを言いながら、リコッタさんは残っていた小袋の中のわさびを残ったサーモンの一貫に振り絞る。
「ん?」
そしてその皿をアルの手元に返すと、アルは姫川さんにいくらを取られないように警戒しながら、手元を見ずにバクバク手掴みで寿司を口へと放り込んでいく。
「んんふっぶっ!」
黙って見ていた俺も共犯かもしれないが、鼻から米粒を飛ばすなアル。
「お兄ちゃん汚い」
わさびがたっぷりのサーモンは、視界の端ではいくらときゅうりに見えたのかもしれない。
それを勢いよく口の中に放り込むものだから、口の中が爆発した。
「アルがリコッタさんを苦手な理由、すごくわかった気がする」




