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女子高生、坂東蛍子

坂東蛍子、魔法の杖を振る

作者: 神西亜樹

 世界には呪文と呼ばれる不思議な文言がある。翻訳の都合で「呪」という字が当てられているが、これは「まじない」を表し、「のろい」のようにネガティブなものではない。そもそも呪術や魔術は薬学や天文学から派生した真っ当な学術分野である。歴史を重ね、進歩を経て、いつしか言霊と結びついたそれらは、特に西欧で発達し、開国期には日本にも幾つか齎された。たとえば、和製外来語なるもの、あれは基本的には呪文の類である。「カステラ」は元は狩猟に使う炎を生み出す呪文の一種だったし、その名がつけられたあの黄金色の菓子は聖餅の類だ。正しくは鹿に投げて使うものである。

「リリカル・ラジカル・ライジングサニー・・・!」

 ちなみに今蛍子(ほたるこ)がぼそぼそ口にした呪文には何の意味もない。

「魔法少女ラジカル・ラリカ・・・ででーん」

「何やってんの、蛍子」

 生徒会室から顔を出し、流律子(ながれりつこ)が危険物を見るような目を蛍子に向けた。少女は少し顔を赤くした。手には小さなステッキが握られている。

「だ、誰も居なかったし、リツは私を呼び出しておいてまだ生徒会の会議中だし、暇だったんだもん」

「暇だからって人は魔法少女にはならないわ」

 当たり前だが、坂東蛍子は魔法少女ではない。少女ではあるが魔法とは無縁な普通の女子高生である。

「で、さっきから振り回してるそのステッキは何?食玩?」

「ラリカちゃんのやつだよ」

 ラリカちゃんとは、日曜の早朝にやっている魔法少女アニメの主人公である。蛍子が手にしているのは、その主人公の変身アイテムの食玩だ。食玩であるが、サイズは成人男性の掌より大きく、不自然な大きさと言える。流律子はそのオーバーサイズが気になって蛍子に質問した。

「ああ、これはね、三つで一つなんだ。合体させてるの。パッケージに書いてないシークレット・アイテムらしいよ。よく買うチョコのオマケで、別に集める気なかったんだけどいつの間にか全部揃っちゃった」

 そんなものを何故学校に持ち込んだのか、という質問を律子はしないことにした。「自慢したかったから」と蛍子の顔に書いてあったからだ。

「オマケが揃うって、貴方どれだけお菓子買ってるのよ・・・とにかく、会議も終わったから資料持ってくるわね。もうちょっと待ってて」

 再び部屋に引っ込む律子の背を、ステッキを振って見送る。時折、窓の外から雨垂れの音が響いた。六月にしては少し寒いな、と少女は思った。なんだか、強敵が現れる前触れみたいな肌寒さだ。

「ああ、坂東さん、良いところに」

 廊下の角からやって来たのは教師の財部花梨(たからべかりん)だった。科学教師であり、坂東蛍子のクラス担任でもある女性だ。蛍子はステッキをさっと後ろ手に隠し、教師ににこやかな笑顔を向けた。突然の教師の来訪にもスイッチを切り替えてきちんと対応する。眉目秀麗、才気煥発、坂東蛍子は猫を被る早さでは誰にも負けない。

「今、後ろ手に何か隠さなかった?」

「へ!?」

 坂東蛍子はボロが出る早さでも誰にも負けない。いつでも何でも一番なのだ。素っ頓狂な声を上げる蛍子に、花梨が少し距離を詰めた。

「何を持っているのか、見せてもらいたいな」

 まずい、と蛍子は思った。財部花梨は品行方正で知られる教師であり、この学校の風紀を任されている人物でもある。清く正しく振る舞い、汚点が見当たらぬ点で、坂東蛍子のポジションに近い教師だ。彼女の評価は、即ち内申評価に直結する。常に一番を志し、事実校内一番であり続けている蛍子は、財部の心象を悪くすることは絶対に避けたかった。子供の玩具を学校に持ち込んだ挙句、それを片手に変身呪文を叫ぶような姿は絶対に見られたくないのである。

 不運なことに花梨は頭の切れる人物でもあった。以前ロレーヌを誤って鞄に入れてきてしまった時も、誤魔化すのに苦労したことを蛍子は思い出した。ここは廊下だ。隠し場所もない。誤魔化しきれる気がしない。少女は再び張り付かせた余所行きの笑顔の下で、焦りに焦っていた。

「・・・たぶん、先生の見間違いでしょう。私は生徒会の資料運びの手伝いで来ていますから、何かを持ってきても邪魔になるだけですよ」

 蛍子が片手を口許に持っていき、上品な笑みを浮かべた。もう片方の手は背に回され、ピンク色のステッキを握りしめている。

「あら、そうだったの。じゃあ私のお願いは他の人に頼みましょう」

 財部は残念そうに言ったが、用が済んだにもかかわらずその場を去ろうとしない。蛍子は疑いが全く晴れていないことを察し、戦いに備えてつばを飲んだ。こんな時に透明になれる魔法があれば、とアニメのワンシーンを思い出す。

「・・・あぁ、折りたたみ傘をしまい忘れていたわ。さっきまで校庭にいて」

 そう言って花梨が傘を示す。雨滴はついていないように見えるけど、と蛍子は目を細めた。

「私しまうのが下手で、一人でやると皺になっちゃうの。悪いけど柄の方を持っててもらえる?」

 そう言って花梨が蛍子に傘の柄を差し出す。まずい、と蛍子は思った。教師の要求に応えるなら片手を固定されることになる。しかし教師の要求を断るなど蛍子には出来ない。ある意味で、それは強力に蛍子の片手を吸着する魔法のステッキであった。

「・・・分かりました」

 仕方なく蛍子は柄を掴んだ。高級な傘なのか、柄は金属製で重い。花梨は礼を言い、折りたたみの関節部分を収納しようと傘側の柄を掴みいじり始める。

「坂東さん、手が綺麗ね」

 発言の意図はわからなかったが、蛍子は財部の視線が手元にあるこの好機を逃さなかった。後ろ手にシャツの裾を引っ張りだし、背中とスカートの合間にステッキを挟み込む。これでもう外からステッキは見えない。花梨にも気づかれなかったようだ。少女は内心でガッツポーズをした。

「坂東さん、柄が温かくなってきたわ」

 熱伝導したんだろうな、と蛍子は思った。財部の顔を盗み見ると、特別な感情を持って手を見られていることが窺えた。なんというか、何かを見極めようと集中しているような目だな、と蛍子は思った。

「貴方の属性は」と財部が言う。「燃える炎のようね」

 普段とは違う、絡みつくような調子の言葉に蛍子は「はあ」と曖昧な返事を返す。この時になってようやく蛍子は財部に違和感を持ち始めた。

(先生の行動だけ見ると持ち物検査をしたいだけのようにも思えるけど、言動を含めると印象が変わってくる。なんというか・・・私の持ち物というより、私そのものに興味を持っているような・・・)

「坂東さん、もう単刀直入に訊いてしまうけれど」

「は、はいっ」

 蛍子は飛び跳ねそうになるのを爪先でこらえた。財部が傘をしまい終わる。

「貴方、背中に何か、学校には持ってきてはいけないものを隠しているわよね」

「いいえ、まさか」

 蛍子は笑顔で両手を上げ、振ってみせる。

「別に手に持っているとは言ってないでしょう」と花梨が見透かしたように笑みを返す。魔女のようだ、と蛍子は思った。悪い魔女が悪いことを言う前の笑みだ。

「たとえば、私と話している最中にスカートに挟み込むようにして隠したのかもしれない」

「ふふ、そんな厄介な状況は御免だからこそ、私は持ち物検査で引っかかるようなものを今まで持ってこなかったんです」

「今までは」

「ええ」

 二人の澄ました笑顔は続く。どちらも表面上は至って余裕の調子である。

 突然、花梨に双肩を捕まれ、蛍子は思わず表情が崩れそうになる。

「では、調べてみてもいいかしら。私がこの手で」

 花梨は伸ばした手を、少女の肩から二の腕の方へなぞるように下げていく。教師の言葉はまるで呪文のように少女の体にまとわりつき、彼女を萎縮させる。

「構いません」

 蛍子はきっぱり言った。

「しかし調べるということは私の言葉を信じて下さらなかったということにもなります。私としては、財部先生にはそのような汚名を被ってほしくないです。財部先生のように生徒を真っ向から信じて下さる教師は、ただでさえ限られているのですから」

「違うわ坂東さん。私は坂東さんを信じているから、坂東さんの身の潔白を証明しようとしているの。疑いをかけたままこの場を切り上げては、貴方はこの先ずっとその疑いを保留にしたまま周囲の評価を受けることになるじゃない」

 花梨の腕は蛍子の肘のあたりまで来ると降下をやめ、今度は蛍子の腰側へと向かい始める。蛍子はもうどうしたらいいか分からなかった。坂東蛍子は完全に危機を自覚していた。ステッキをとられるという危機ではない。財部花梨が抱える性癖に関しての危機だ。

 手を褒め、体を触り、属性が燃えるなんて言っているこの教師は、もしかしたらそういう人なのかもしれない。つまりそういう、同性に対して、玄妙な感情を抱くタイプの人なのかも。蛍子はそのような考えに至っていた。普段鈍感な彼女らしからぬ鋭い考察である。

「・・・それでも」

 蛍子は心臓をバクバクさせながらも、理性的な判断を続けた。たとえ財部先生がどんなことを私にしようと、私は内申点を守り通す。ついでに自分の身も守り通すわ。

「それでも、構いません」

 蛍子は少し腰を落とした。いざとなれば、目にも留まらぬ速さでステッキを粉々に踏み潰すぐらいはするつもりだった。魔法少女として公開処刑されるぐらいなら、私は魔法少女なんて諦める。別に魔法少女じゃなくても最高にかわいいし。

「・・・良い信念です。今日のところは諦めましょう」

 ところが財部は前触れもなしに手を離し、蛍子をあっさり解放した。そして意味深に頷いた後、元来た道を引き返していってしまう。

「坂東さん、私は貴方という人のことが少し分かった気がします」と教師は去り際に言葉を残す。

「どうしたの、蛍子」

 入れ違いで律子が戻ってきた。

「私はむしろ先生のことが分からなくなりましたよ」

「? 何の話?」

「財部先生は油断ならないなって話」

「それは、確かにね。ああいうリアリストに、魔法がかからないのは間違いないわ」

 





 財部花梨は魔法少女である。正確には少女ではないのだが、ともかく魔法少女である。幼少期に見たアニメから魔法の存在を確信した彼女は、成長過程で周囲がファンタジーから遠ざかった後も、一人その確信を抱き続けた。大人になった今でも彼女は魔法と、魔法少女の存在を疑わない。何故なら魔法とは「ある日突然目覚めるもの」だし、魔法少女は「ひょんなことから巻き込まれる女の子」だからだ。その二つの条件を満たしてさえいれば、シュレディンガーの箱はいつまでも閉じたままになる。

 とはいえ最近肌の調子に変化が出始め、箱の蓋が半開きになっているのを感じる花梨は、御年二十九歳なのであった。二十九にもなると立場というものが生まれてくる。花梨の現在の立場といえば教師だったが、烈しい魔法少女性を抱える彼女は、その個性を秘匿すべく努めて振る舞い、結果、周囲からは「品行方正」の代名詞として語られるに至った。

 確かに間違ってはいないけどね、と財部花梨は肯定する。私が品行方正であることは確かだ。自室にどれだけ魔法少女のグッズが積まれていようと、それは品行方正とは何の関係もないことだ。

(あ、いたいた、坂東さん)

 花梨は生徒会室前で流律子と話し込む坂東蛍子の姿を見つけ、立ち止まった。手伝いを頼みたいことがあったのだ。彼女は実に優秀な生徒で、天賦の才気をもって何だってこなしてくれる。体育館を砂糖細工に変えろと言えば、日暮れ頃には仕事が終わった報告をして帰っていくことだろう。そういう生徒がいるというのは、財部としては実に有り難いことだった。その分空いた時間で理科室にこもり、魔術の研究が出来るからだ。

 財部花梨は彼女に呼びかけようとして、しかし発声するのを止めた。蛍子の手に握られている、あるものに気がついたからだ。

(あれは、魔法(マジカル)ステッキ!)

 それは紛れも無くマジカルステッキだった。マジカルステッキとは、魔法少女のみ持つことが許されたステッキのことである。蛍子が持っているのは「ラジカル・ラリカ」と呼ばれるコードネームで近年存在が明らかになった魔法少女のステッキの、模造品だ。いや、果たして模造品だろうか、と花梨は目を細くした。あのタイプなら私も幾つか持っている。よくあるお菓子のおまけだ。深夜のコンビニで顔を隠し、コツコツ買って揃えた。でも、坂東さんの持っているそれは自分の持っている食玩ステッキのどれとも違う。塗装やサイズに見覚えがない。お菓子のおまけにしては大きすぎるようにも見えた。こうなるとステッキ自体がレプリカであるかどうかも怪しくなってくるのではないか。

(・・・もしかして、ラリカの正体は・・・)

 花梨は蛍子の正体を確かめたかった。それ以上に食玩の正体を確かめたかった。それが何処で売っている何という商品なのか教えてもらって、あわよくば魔法少女トークに花を咲かせたかった。

(確かめよう)

 財部花梨の中で、魔法少女の条件は三つある。一つ目は、手が綺麗なことである。魔法少女は変身シーンや必殺技の口上の際、手がカメラにアップで映ることが多い。そのため手が綺麗でカメラ映えすることは必須の条件だ。魔法少女は正義の味方である前に、一人の役者でもあるのだ。

 二つ目は、属性魔法が使えることだ。魔法には様々な種類と無限の可能性があるが、そのどれもに通じる基礎的な魔術というものが存在する。それが火・水・風・地の四種の属性魔法だ。これが一つでも使えて、初めて魔法少女の入り口に立てるのである。

 そして三つ目。これが何よりも大事なことだ。それは、魔法少女であるという秘密を隠し通す信念だ。これは自己犠牲の精神が試される、とても重要な事柄なのだ。

 果たして坂東蛍子はこの三つを兼ね備えているのか。そしてあの食玩はどこで売っているのか。財部花梨は真実を見極めるため一歩を踏み出す――。

【財部花梨前回登場回】

あっと驚く―http://ncode.syosetu.com/n8725ce/

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