蒼き薔薇の姫君
「はい。ご注文のチキンソース春巻になります」
日が沈み掛ける夕暮れの中。神聖都市ルヴェールの街の中にある小さな屋台の店員から春巻きで巻いた一口サイズのチキンの上に赤いトマトソースが掛かった春巻を受け取り、ピスラ(お金)を店員へとライクは渡した。
「有り難うございました!」と掛けられる声を背にその場から彼は歩き出す。
「しかし……驚いちゃいましたよ。まさか本当にドラゴンをぜーんぶやっつけちゃうなんって」
ライクの隣で飛んでいるエインセールは、しみじみと感心するかのように、そう口にした。
数時間前、彼は森に出現した三体のドラゴンを全て倒した。試験とは異なる数と高レベルのドラゴンが出現したとアズヴァルトに報告したライク達に対して、アズヴァルトは眉を潜めた。
普通ならばそんなレベルの魔物が出現するのはあり得ない。
出現してもレベルが低い魔物と出くわす可能があるだけだ。元々そのレベルが低い、あるいは騎士志願者の人間が倒せるレベルの魔物が出現する為、それがこの試験で採用されていた。
アズヴァルトは内心どこか引っ掛かりを覚えながらも、ライク達へと、
「報告有り難うございます。私の方でも少し調べてみます」
と述べた。
何がともあれライクはドラゴンを倒した事に変わりはなく、晴れて騎士試験に合格した。
「だから言ったろ。問題ないって……ほら」
ライクは平然とそう言いながら、春巻を少しだけ、千切りそれをエインセールへと渡す。エインセールはそれを受け取り、美味しそうに頬張った。
それを見てライクは春巻きを一口かぶりつく。口の中には絶妙に味付けされたチキンとトマトソースが広がる。
「これ上手いな!」
感嘆の声をライクは上げる。
「ところでライクさん、自分が仕える姫様は決められたのですか?」
春巻をペロリと食べ終わったエインセールがライクへと訊ねた。この世界では、騎士となった者は六人の中の一人の姫君を自分で選び仕える事が可能となっていた。騎士自らが仕える姫を選べるという事は自分の命を徹しても己が仕える姫を護る為、嫌々生半可な気持ちで仕えたとしてもすぐに辞めてしまうケースが多く、それを防ぐ為でもあった。また、その理由とは別に各国の国でも今現在、大変な騎士不足に見舞われていた。
「う~ん……実はまだなんだよな。ちなみにその六人の姫様達はどんな人達なんだ?」
「シンデレラ姫、白雪姫、アンネローゼ姫、ラプンツェル姫、ルーツィア姫六人の姫様方々は大変美しく、聡明な方々です。中でもこの国の神聖都市ルヴェールを納めるシンデレラ様は大変剣の腕がお強いですね」
「強いお姫様って訳か」
呟くように言うライクにエインセールはクスリと笑みを溢した。
「だけど意外とドジな部分とかもあって綺麗だと普段は言われていますが、実は可愛らしい方でもあるのですよ」
「何でエインセールがそんな事を知っているんだ?」
「それはですね。私がシンデレラ姫様の知り合いだからですよ」
不思議そうに訊ねるライクへとエインセールはにっこりと答える。
その時、前方から騒ぎ声が聞こえた。思わず立ち止まり見てみると二人組の男達が十歳ぐらいの少年を大通りの道の真ん中で殴り飛ばしていた。
周囲にはざわめき声が聞こえ、遠巻きに人だかりが出来ていた。ライク達は近寄り、人だかりを掻き分けて数メートル先からそれを眺める。一人のガタイの良い男がまるでゴミでも見るかのようにその少年を見下ろし、怒りを露にしながら台詞を吐き捨てるかのように叫んだ。
「あァ、お前何しやがったんだ! 俺の酒をこんなにしゃがってぇ!!」
「すっ………すみません……急いでいたのでそっそれで……本当にすみません……弁償しますので……」
少年は男の迫力に気圧されながら、恐怖に怯えた表情でうわづった声で途切れ途切れに言った。少年のすぐ側には粉々に砕けた茶色の割れた瓶とその硝子の破片が地面に散らばっており、地面が濡れていた。
おおかた急いでいた少年が男達へとぶつかり酒瓶を割ってしまったと言う訳なんだろう……。
「弁償? ハッ、お前のようなガキが払えるような金額じゃぁねーんだよ。この酒はな、そんじょそこらの酒じゃぁない。なかなか手に入らない貴重なもんなんだよ!」
「そっ……そしたら僕はどうしたら……」
「そうだな……」
体をガクガクと震えさせながら訊ねる少年へと男は顎に手を充て、そしてニィと唇の端を吊り上げて下卑たる笑いを浮かべた。
それはまるで面白い事を思いついたと言わんばかりの顔をして。
「実はな、さっき新しい刀を手に入れたばかりなんだよ。別に命までは取りやしねぇーよ。変わりにお前で試し斬りさせろよ。それでチャラにしてやるよ」
「それって絶対に死んで……」
少年の言葉を遮り、男は持っていた刀を鞘から抜きながら言葉を続けた。
「死なねぇよ。俺は昔騎士をやっていたんだ。間違っても殺さねぇし安心しろって」
男はそう言いながら、少年へと刀を振り下ろそうと腕を動かそうとした瞬間。
突然背後から声がした。
「あのさ、お取り込み中悪いんだけどそう言うの止めてくれるかな? 騎士の名が汚れるんだけど」
ライクはにっこりとした笑みを男へと一瞬だけ向け、そして馬鹿にするような目つきで男達を見、言葉を放った。
「しかもお前、そのガキがぶつかったのを口実に斬りてぇだけなんだろーがよッ! 本当に呆れるぐらいのグズっぷりだよな」
ライクは短く息を吐きながら面倒臭そうに言う。そのライクの言葉に男は憤りを感じ、ライクへと刀を向けた。
「んだとぉ~この糞野郎が、なんならお前から叩き斬ってやんよ」
「え? 俺と殺るのかよ? 良いぜ負けても文句言うなよ。自称騎士様」
「抜かせッ! このグズ野郎がッ!」
ライクの挑発に男はまんまと乗り、刀を携えてライクへと向かって一気に駆け出す。それに対してライクは口の端にニヤリとした笑みを浮かべた。
一歩も動かず、そのまま立っている彼に男は彼が怖じ気づいたと感じ、距離を詰め、刀で凪ぎ払うようにライクへと斬りつける。
だが、それはライクの頬へと微かに一筋の傷を残した程度にしか過ぎなかった。彼は迫り来る刃に対して身を低め、剣を抜き、男の腹部を狙って一瞬の速さで、斬り込んだのだ。
「うっ……」
鋭い痛みと共に男は小さく呻き、体をよろめかせライクとの距離を取る。
男は手からカランと地面に刀を落とし、切りつけられた腹部へと思わず視線をやる。激痛を感じる腹部から不思議と血は一滴も流れてはいなかった。
「一応手加減してやったんだけど。まだ殺る? 自称騎士様」
からかうように、そして何処か面白がるようにニヤニヤとした意地の悪い笑みをライクは浮かべる。
その顔を見、男はゾッとした。
この目の前の男の実力はおそらく自分より明らかに強い……いや、それ以上だ。
このまま続けるとすると確実に自分の方が負けてしまう。そう感じ、男は悔しそうに歯噛みする。
「クソッ! 行くぞ!」
男は近くにいたもう一人の男に短くそう告げるとライク達へと背を向け、その場から急いで駆け出す。行き通う人々の中を走り抜ける男達の耳へと涼やかな声が聞こえた。
「逃げるのか?」
それは女の声だった。
すれ違い様で耳にする声に対して男は眉をピクリとさせる。普段の彼ならば必ず突っ掛かっていたであろうが、今の彼にそんな余裕は無い。
「うるせぇ!!」
負け犬のような台詞を女へと浴びせ、この場から逃げ出すのが今の彼には精一杯だった。
「そうか……」
静かな声と共に一瞬の一閃が彼らを襲った。何が起こったのか分からず男達二人はいつの間にか地面に倒れていた。
……一体何が起きたんだ……
そんな疑問を抱くと同時に男は思わず目を見張った。
ウェーブの掛かる長く美しい金髪に整った美しい容姿、青色のドレスを身に纏った女性がそこに立っていた。
男達はその女性を知っていた。
その女性はこの神聖都市ルヴェール納める唯一の人物……シンデレラ姫だった。
そして理解した。
自分達はシンデレラに瞬時に斬られた事に。
コツと銀色のブーツの踵を鳴らし、下げずんだような視線で男達を見下ろしながら彼女は口を開く。
「自分達が斬られそうになると、簡単に尻尾を巻いて逃げるとは随分と情けない奴らだな」
吐き捨てるかのように言うと彼女は後ろへとチラリと視線をやり、彼女の近くで控えていた一人の兵士へと、
「こいつらを捕まえて牢へと入れておけ。頭を十分に冷やして反省してもらわないといけないからな」
告げた。
その言葉に兵士は短く応じ、男達を縄で縛るとその場から男達を連れ立って行った。それを彼女は見送る中、
「シンデレラ様ー!」
と、背後から声を掛けられ彼女は振り向く。そこには自分の方へと飛んで来る一人の妖精の少女と二人の少年達が、こちらに向かって歩いて来ていた。
「エインセールか……」
「また、護衛も無しに街の中に来ていたのですか?」
呆れ顔で、腰に手を充てながら言うエインセールにシンデレラは困ったような顔をしながら答える。
「大丈夫だよ。この街の事は良く知っているし、何より私の実力は知れ渡っているから誰も私に襲い掛かって来ないよ」
「それに兵士ならば……」
「知っています。さっき見ました。それにしても相変わらず姫様はお強いですね」
シンデレラの言葉を遮り、エインセールは苦笑した。
「あの……エインセールその人はまさか……」
エインセール達が言葉を交わす中、ライクはエインセールへと訊ねる。少女は彼へと向き直り、ふわりとした笑みを浮かべた。
「そうです。この方が神聖都市ルヴェールの姫様……シンデレラ様です」
エインセールから紹介されたシンデレラは柔らかく微笑み、薔薇のような美しい唇を静かに動かした。
「始めまして、私の名はシンデレラ。この街を納める者だ」
その凛とした声音を聞き、ライクは数秒間の間思わず思考が停止してしまっていた。
シンデレラのあまりの美しさに見惚れてしまっていた。
簡単に述べると彼は一目惚れをしてしまっていたのだ。
「ライクさん……?」
エインセールの声にハッとし、ライクは慌ててシンデレラへと答える。
「俺の名前はライク=ヴィラントと言います」
「ほぅ……そなたが」
ライクの名を聞き、シンデレラは小さな含み笑いと共に言葉を漏らした。そして彼女は彼の前へと一歩歩みより彼の腕にそっと触れる。ライクはその行動にドキマギとしつつ、思わず彼女の顔を見る。美しく整った可憐な容姿。それが至近距離にあり、……え、え? 何なんだ? この状況!……と内心激しく戸惑うライクの気持ちを他所に彼女は唇を動かした。
「そなた、仕える姫は既に決まっているのか?」
彼女の唐突の言葉にライクは思わず間の抜けた言葉を思わず発した。
「へ?」
「もしまだならば私の騎士にならないか?先程のそなたの戦いを見させてもらった。そなた……ライクならば彼女を目覚めさせる事が出来るかもしれない」
「姫様……あのぅ、かなり近いですよ……」
ジト目で言うエインセールにシンデレラは慌てて「悪い……」と言いながら顔を赤らめさせ、視線を少しだけ逸らしながらライクの腕から手を放した。
「その、……つい先程の戦いを見て彼ならばと思って……。それに他の姫達に取られてしまうと思うと惜しく感じでしまってな」
エインセールへとそう告げるシンデレラの言葉をライクは耳にした瞬間、彼女の前へとザッと跪く。
「シンデレラ姫」
ライクの言葉にシンデレラ達はライクへと視線を向けた。そして彼は顔を上げキリッとした表情で言葉を紡ぐ。
「私、ライク=ヴィラントはシンデレラ姫の騎士へと志願をさせて頂きたく思います!!」
「そうか。ならばそなたを今から私の騎士へと正式に任命をする」
「はっ! 有り難き幸せ」
微笑をするシンデレラへとかしずくライクの姿を目に、エインセールはそっと短く息を吐いた。
「駄目ですね……あれは完璧に姫に落ちたパターンですね……」
少女の呆れ混じりの呟き声は誰の耳にも届いてはいなかった。
小さな路地に緑色のフードを被った一人の少女がいた。
薄暗い路地から、少女は壁に手をつき街の方へとそっと顔を覗かせる。
少女の視線の先には一人の少年が映し出されていた。その少年の周囲には小さな妖精と、この国の姫君、小さな少年がいた。それを見て少女は思わず壁についた手に力を込め、小さな呟きを発した。
「ライク……アイツまた……」
その呟きは何処か怒りを微かに含ませていた。