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塔への旅路

  ポルタニス国の南西部、ペルセスター。

 その切りたった険しい岬には、海の風に運ばれた波飛沫が舞う。

 他国の人間たちは、大陸から突き出したこの地方を、少々の侮蔑を込めて『イムリアのつま先』と呼ぶ。

 しかし、その悪意ある呼び名は、古都ペルセスターの価値を些かも減じない。

 最突端の岬から少し離れると、断崖を抉り取ったような湾になっていて、<外の海>に面したその港には、いつも無数のキャッラック船とガレオン船が停泊し、市場には遠く北方から運ばれてきた品々が並ぶ。

 都邑に城壁はないが、港からの入り口と内陸からの入り口には、古の先住民が作った白く美しいアーチ型の門が存在した。

 なるほど確かに、ペルセスターは地の果て、海に突き出したつま先である。しかし、この都市は女神イムリアのおみ足を彩る、美しい爪化粧だったのだ。


 だが、真にペルセスターの名を高めているのは、自然が作った壮大な湾でも、そこから運ばれる煌びやかな交易品でもなく、街の中心に建てられた塔であった。

 イムリアではある程度の大きさの都市には必ず塔が建設され、その高さと美しさを競っている。

 ペルセスターの塔の高さこそ上が存在するが、その美しさにおいてはポルタニス国で最高の呼び声も高かった。

 その外観は八角錐の尖塔で、大理石を用いた白亜の壁には、戦争をモチーフにしたレリーフがきめ細やかに刻まれている。

 戦いの様子は上部に行くほど激しさが増し、途中多くの兵が戦って倒れる姿が描写されるが、最上階ではついに戦いに決着がつく、という構図になっている。


「まぁ私も見た事はないんだけどねえ。夕日になると白い壁がピンク色に染まって、その色合いがまた戦いの迫力を増すそうよう。……楽しみだわ」

「ふーん」

 馬車の座席に座るグレースは、日傘くるくると回しながらペルセスターの美しさを力説したが、王女の馬車を牽くサンクは心底興味がなかった。

 彼にとって壁など木だろうが大理石だろうが大して違いはない。

「私は……久しぶりに塔で眠れるのが嬉しいですね」

「ええそうね、メアリ。全く、地べただと眠った気がしないわぁ。犬じゃないんだからねー」

「最低でも寝所は五階くらいにあるべきですよね」

 ハァ、と背後で交わされるグレースとメアリの会話に対して、サンクは溜息を吐いた。

 高い所にいないと嫌だ、という貴族たちの感覚も、サンクには理解不能である。

「そんなに高い所が好きなら山にでも住みゃいいだろうが……」

 一人ごちたサンクの声は、ガラガラという車輪の音に掻き消された。

「ん~なにか言った? サンク?」

「何でもねえよ」

「連れないわねぇ。もっと喜びなさいよ、ペルセスターは貴方の……」

 そこまで言ってグレースは言葉を切った。同時に、その先を言うべきか逡巡する。

「俺の、なんだよ?」

「……いや、ああ……知りたい?」

「そこまで言ったんなら言えよ!」

「ん~昔、貴方の一族はのペルセスターの辺りに住んでいたらしいわ。言うなれば貴方の故郷よ」

「けっ、そんな事かよ……初めて行く場所が故郷だなんて言われても、何の感慨もねえよ」

 サンクはフンと鼻を鳴らした。

 宥める様にグレースはこう言った。

「そうかもしれないけど……とても綺麗な都市らしいわよ」


 さて文字通り馬車馬のように働いているサンクだが、無論これも訓練の一環である。

 カナートからペルセスターまでの道のりの間、馬車をただ一人で引っ張るのだ。

 グレースとメアリの乗る馬車は二人乗りの小さなものだったが、それでも馬車は馬車。本来は馬が牽くものである。

 力は申し分ないが、サンクの体重では馬車を牽く為の重さが少し足りなった。平地ならばともかく坂道などは危ない。

 その為、サンクは鎖帷子を着こみ、鉄の具足を履き、胸当てを着け、その上にさらに背嚢を背負って馬車を牽く。負担はかかるが、こうすれば馬車の重さに負ける事はない。

 そのサンクの牽くグレースの馬車の前には、他の使用人やグレースの荷物一式が乗った幌馬車が行く。


「おい、サンク、遅れているぞ」とメアリが言うとサンクは舌を打った

「チッ。人間と馬の歩幅を一緒にするな。だいたい、こんなに目立っていいのかよ。襲った俺が言う事じゃねえが、一度姫様は狙われてるんだぞ」

「本当にお前が言う事じゃないな……」

 呆れたようにメアリが肩を竦めた横で、グレースは事もなげに言った。

「あ、コレわざとよ。探すのが面倒くさいから、わざと居場所をアピールしてるの。こうしてれば。その内向こうから来るでしょ」

「そんなに余裕ぶっこいてて大丈夫かよ?」

「あらあら、もしかして怖いのかな、狼さん?」

「そういう訳じゃねえよ……ただ万が一って事があるだろ。敵は多いかも知れねえ……」

「まぁ! サンク、貴方、私を心配してくれてるの? 嬉しいわぁ!」

 そう言ってグレースがくすくすと笑い出すと、サンクは片手で銀の髪を掻き毟った。ペースを握られているというか、なんだか子供扱いされている気がする。

 何ともやりづらい女だぜ、とサンクは思った。

「サンク!」

「なんだよ?」

「貴方の言う通りよ。私の敵は多いわ。とても、とても多いの」




「母上!」

 塔の広間で、あどけない顔の少年が問いただすように言った。

 まだ声変わりさえも始まっていないが、その言葉はあくまで力強い。

「先ほどグレース様の使いの者より、書簡が届きました!」

「……グレース……? まさか、そ、そんな」

 ペルセスター地方を治める侯爵夫人オリヴィアは、息子の報告を聞いて耳を疑った。

「み、見せなさい」

 体から血の気が引く感覚を覚えながら、オリヴィアは震える手で息子から手紙を受け取る。

 封蝋に刻まれている二枚貝を象った印は、まぎれもなくグレースの印章だった。

 封を破って羊皮紙を広げ、読み終えるまでの数分間、奇妙な沈黙が広間を支配する。


 その手紙を読み終わると、オリヴィアは力なく椅子に沈み込んだ。

 まるで魂が地獄に引きづり込まれるようだった。

 音が消え、皮膚の感覚が消え、最後に視界が歪み、どんどん暗くなっていく。

 オリヴィアの心はどこまでも落下していった。

「母上!」

 少年が再び叫ぶと、オリヴィアははっと我に返った。

「グレース様は何と?」

 脂汗を浮かべてオリヴィアは答えた。

「グレース殿下はここへいらっしゃるそうだ……まずい事になった……」

 お忍びとはいえ王女を出向かえるのは、名誉ある事。またペルセスターは富の集まる港であり、財政にも余裕がある。出迎える為の予算も十分だ。

 しかし、オリヴィアの表情は険しかった。


 グレースは人口調査長官。

 領民の人数、貴族の人数、そして法術使いの数を監査するのが役目である。内務省に届けた数と実数が違えば……当然咎めるだろう。特に最後については。

 オリヴィアの肌は恐怖で粟立った。

 彼女の前に立つ少年は、まごう事なく、腹を痛めて生んだ自分の息子である。そして栄誉ある法術使いである。

 だが、王都の内務省には届け出ていない。隠し子だった。

 王女にここに来られてはまずい。まさか、事が露見したのだろうか。

 考えた所で答えが出るはずもないが、オリヴィアは逡巡した。

 そして震えを抑えるかのように、息子の名を呼ぶ。

「おお……ド、ドラッド」

「はい」

「こちらへ……」

 そう言ってオリヴィアは息子を招きよせ、強く抱きしめた。

「すまない……」

 母の腕の中で、少年は訊ねた。

「何を謝る事があるのですか?」

「五日の後、グレース殿下が来る……ペルセスターで調査をするそうだ……お前は隠れていなさい」

「母上!」

 少年は母の腕を引き剥がし、食い下がった。

「それはいけない! いつまでもグレース様に僕の事を隠せるとは限らない! いい機会だ、僕がグレース様へ名乗り出ます。共に罰を受けましょう。それが貴士のあるべき姿です」

「ド、ドラッド……それはできない」


「その通りだ」

 広間の一角からオリヴィアを肯定する厳かな声が発せられた。

 その声を発した男は40がらみの人間の姿をしていたが、暗闇を切り取って人型に押し込んだかのように、底知れない虚無に満ちていた。

 男がゆっくりと歩み出すと、紫を基調としたローブが揺れる。

 その所作はペルセスターの統治者であるオリヴィアやその息子のドラッドよりも、遥かにこの地の支配者の威厳を湛えていた。

「貴士のあるべき姿か……覚えておけ、未来のペルセスター侯。王家を盲信すれば破滅する。奴らは信じるに価せん」

 男が公然と言い放つ主君への侮辱に、小さな貴士はいきり立った。

「それはどう言う事だ、クルトー! 貴様、グレース様を侮辱する気か?」

 クルトーと呼ばれた男は少年の言葉など意に関さないというように、低く笑った。

「くくく。主への嘲笑は許せないか? 自分はその主に認められてすらいないというのに、見上げた心がけだな、小さな貴士よ」

「僕が認められているかどうかの問題じゃない! この国に住む者として当然だ!」

「ほう、一人前に吼えおるわ。だが、お前の母はそう思っていないようだぞ」

「……えっ?」

「なぜ傭兵の我らが、戦場でなくここに居ると思っていると思う? 全ては……グレースを殺す為だ」

「なっ」

 クルトーの言葉は、伽で語られる、高潔な貴士に憧れる少年の天地をひっくり返した。

「そんな、う、嘘だ……母上……嘘ですよね?」

 伏せ目がちになりながら、オリヴィアが答える。

「ドラッド……もうそうするしか、ない」

「な、なんという事をする気ですか! 父上や兄上が聞いたらさぞ悲しむはずだ!」

「ドラッド、その二人は死んだわ。バカバカしい争いのせいで。死人は何も思わない」

「では、母上は王家に剣を向けるのですか……本当に?」

 オリヴィアは無言で頷いた。

 それを見てクルトーの口元が吊り上る。

「安心しろ、オリヴィア。子息の事をまだグレースは知らん。お前に疑いはかかっていないはずだ。もしも知っているならば、わざわざ事前に手紙など寄越さん」

「ではなぜ、王女はここに来る?」

「私が聞いた話ではカナートでグレースの暗殺騒ぎがあったらしい。その背後にペルセスター所縁の者がいたのだ。グレースはそれを追っている」

「……よりによって、ここの人間が……」

 オリヴィアは額に手を当てて深く沈み込んだが、クルトーは対照的に大きく笑った。

「はっ! 何をそう沈み込む必要がある? これは千載一遇の好機だぞ。無防備を晒してここに泊まるのだ。如何様にも殺しようがあるではないか」

「早すぎる。こちらの準備も何も出来ていない。今から呼びかけた所で、果たして何人の貴族が呼応するか……」

「今から? オリヴィアよ、勘違いするな。力なき者に誰が手を貸すと言うのだ。諸侯を動かすには力を示す必要がある。まずグレースを殺さねば話にならん」

「お前の兵と私の兵だけでか? 五十人にも満たんぞ!」

「暗殺するには十分な数だ。だが、決して孤独な戦いではないぞ。諸侯の中にもお前と同じ考えを持つものは多い。以前の戦は犠牲が多すぎた。

 グレースの首を掲げれば、我らは大いなるうねりとなって、ポルタニスを飲み込むだろう。だが次の機会を待つとなると……いつになるか……」

「……」

「母上……」

 ドラッドが心配そうに見つめる中、オリヴィアは結論を下した

「やるぞ。グレース殿下を殺す」



「くくく」

 紫衣のクルトーは、愉悦を抑え切れない様子で、塔の廊下を歩いていた。

 その傍らには、かつてカナートでグレースと戦ったシュルツの姿もある。

「やりましたな、やりましたな、クルトー様。ついについにあの女、腹をくくりました!」

「ああ。くくく。全ては私の計画通りに動いている……」

 クルトーにとってまさに完璧な状況だった。

『暗殺事件の黒幕はペルセスターにいる』

 この情報自体がクルトーがあえて流したものだった。

 そしてその情報に釣られ、グレースはまんまとやって来た。それを見て腰の重い侯爵夫人もついに腹をくくった。

「くく愚かな者どもよ、殺しあうがいい……自らの血で溺れるがいい!」

「……ですが、ですが、クルトー様、オリヴィアの兵だけでグレースを殺すのは、難しいのでは」

「難しいだと? はっ、そんな事は不可能だ」

「え……」

「不意を突けば、大勢でかかれば……そんな事で王女を殺せるものかよ……全ては私の計画通りだ」

 その時、クルトーは大理石の塔が夕日に当てられて朱に染まっている事に気が付いた。

 塔の白壁が、鮮やかなピンクに変貌している。

「見よ、シュルツ。ペルセスターの塔が、血で染まっておるわ!」


 何も知らないグレース達は自ら死地へと向かっていた。


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