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修練の始まり

  グレースは、しっかり治ったら力の使い方を教えてあげる、だからそれまで大人していなさい、とサンクに告げた。

 退屈であったが、サンクもこれ以上恥を晒すつもりはなかったので、彼にしては素直に言う事を聞いた。

「暇なら、本でも読む?」と言われ何冊か本を渡されたが、サンクに分かるのは数字が精々で、文字を読む事は出来なかった。

 一応中身を開いて、挿絵だけ見てみた所、地図が何度も載っていた。初めは旅行記だろうかと思ったが、どうも違う。

 サンクは何とか読める単語を探し、繋ぎ合わせて、本の正体に気が付いた。それは先の大戦の記録書だった。

「ハッピーエンドで終わるのが、その本のいい所よ」

 そう言って、クックックとグレースは笑う。

「嘘つけ、決着は付かなかったって聞いたぞ」

「これから私と貴方でハッピーエンドにするのよ!」

「……俺も?」

「モチのロンよう! どこに出しても恥ずかしくない様に精神的にも肉体的にも徹底的に鍛えてあげる! その費用は体で払って貰うわ!」

 サンクは湿っぽい視線を感じたが、気のせいだ、と自分に言い聞かせた。

「……体でね」

 グレースはもう一度小さく言って、舌先でペロリと上唇を舐めた。



 文字と言えば、屋敷にはひっきりなしに手紙が届いていた。

 そして手紙を届けに来た配達夫に、こちらからも別の手紙を持たせてやって送り返すのだ。

 一度メアリに「なんであんなに手紙を出すんだ?」と尋ねると、「グレース様はお忙しいのだ。こうして王都を離れていても、それは変わらない」とだけ答えた。

 ただ、実際に手紙を書いていたのは殆どメアリだった。

 彼女の歳はグレースと同い年の20歳。若輩と呼ばれても当然の年齢だが、その仕事量は自らが「お忙しい」と言ったグレースを凌いでいた。

 送られてくる手紙を読み、返信内容の方針を考えるのはグレースだが、実際に筆を執るのはメアリ、という訳である。

 それだけでなくグレースの周りには常に、身の回りの世話をする者から密偵の繋ぎ役まで、役目も様々な10人ほどの従者がいたが、それらの総括者がメアリであった。

 このやや釣り目の若き側役は、自他ともに認めるグレースのパートナーであった。

 

 サンクの怪我が完治したとグレースが認めた日。

 すなわちサンクが待ちに待った、法術の使い方を教えて貰う最初の日。

 グレースはサンクを屋敷の庭に呼び出して、最初にこう言った。

「始めに言っておくわ。もし、今この場でまた誰かが私の命を狙って来たとしても、私は貴方を守らないわ。貴方よりもメアリを守る。

 何しろメアリは法術使いじゃないし、私は彼女がいないと仕事にならないからねえ。

 対して私は貴方に期待しているのは、その戦力よだから最低限、自分の身は自分で守れる位にはなって貰わないと困るわ」

 その言葉を聞いて、サンクの内から羞恥の感情が僅かに湧いた。

「……それは当然の事だろうよ」

 守られるあの日の屈辱、何と消し去りたい過去か。

 自然と顔も厳しい表情になっていたのだろう、グレースは宥めるように続けた。

「まぁそんな怖い顔しないで。別に貴方を切り捨てるとか、そんなつもりはないわ。弱ければこれから鍛えればいいだけ。それに貴方ならすぐに伸びるわよ。大丈夫、大丈夫」

「俺もそのつもりだ」


「OK、じゃ始めましょうかね。まず最初は、剣!」

 グレースはするりと腰に帯びた剣を抜いた。

 あの日見た時と同じく、刀身は熱を発し青く輝いている。

 引き込まれそうな死の輝き。

 緊張で、サンクは口中が渇くのを感じた。

「は、使わないわ!」

 グレースはさっと剣を鞘に収めた。思わず体中の力が抜ける。

「私は加減が下手だからねえ。訓練中にバッサリやっちゃう可能性があるから、暫くは素手で行くわよ」

「お、おう。そ、それでいいぜ」

「うん。さて前も言った通り、法術は目に見えない筋肉のような物よ、とにかく体を動かさなければ話にならないわ。

 貴方の限界も見たいし、取りあえず一回でも私に攻撃を当てるまで、攻めなさい。勿論、全力でね」

「一回でもって事は、蹴りでもいいのか?」

「何でもいいわ」

「分かった」

 サンクはいつもの賭け試合の時の様に両腕を上げて構えた。

 同時に精神の手を伸ばし、軽法と呼ばれる力の源に触れる。途端に熱を感じた。体中にその熱が巡り、神経が昂ぶって、血管が燃えたぎる。

 軽法とは即ち、動かす力、攻める力、熱、衝動、破壊。

 動け、走れ、襲え……殺せ!

 サンクの攻撃衝動が何倍にも膨れ上がり、体中を駆け巡る。

 それは、サンクが力の源に命じているのではなく、まるで力の源がサンクに命じているようだった。

「……いくぞ」

「ええ。おいで」

 殺せとは穏やかではない。穏やかではないが、相手は遥か格上。遠慮する事はない。

 サンクは力の命じるまま、グレースに向かっていった。


 グレースに言わせれば「今借りている屋敷は私ん家の塔楼(グランクラム家のお城)に比べたら犬小屋」らしい。

 ならばその屋敷付きの庭など、まさに猫の額ほどでしかない広さだろう。

 しかし、サンクにとっては何と広く感じる事か。

 目の前にいるグレースとの距離は、無限にも感じられた。

 最初から分かっていた事だが、全く触れる事が出来ない。

 拳も蹴りも、空を切るばかり。霞を相手にしているようだ。

 それでもサンクは体の動く限りは何時間でもやるつもりだった。

 実際少なくとも四時間はぶっ続けでグレースに向かって行っていたが、太陽が西に傾きかけた頃、ふとサンクは気が付いた。

 グレースは「私に攻撃を当てるまで、攻めなさい」と言った。

 当てるまで……もしかして、当てるまで終わらない……のか?

「動きが遅くなって来たわよ。ホラどうしたの? もうバテたの?」

「いや、まだ……まだ出来る!」

 そう一吼えして、サンクはもう何千回もやったように拳を突き出した。

 グレースの姿が煙のように消える。

「クソっ!」

 片足を上げ回し蹴り。

 だがその瞬間足を払われた。無様に尻もちをついたサンクにグレースは微笑を浮かべながら言う。

「ほうら、ここからはこっちからも行くわよ。早く立ち上がって、サンク」

「ぬ……」

 如何に法術使いの体力がずば抜けているとはいえ、何時間も全力で動けば消耗もする。

 体が思うように動かない。そして、ここにきて振るわれるグレースの拳。

 もはや攻撃を当てるどころではなかった。

 一発、二発と、逃げる様に大砲の様な拳を躱していたが、到底逃げ切れるものではない。

 グレース左手が翻った。もう避けられないと覚悟した瞬間、体中に力を込め、その攻撃を何とか防ぐ。

「く、くそ」

 じんじんと受けた右腕が痺れる。

 次の瞬間、グレースの右拳が肝臓を叩いた。太鼓を打ったような衝撃が全身に広がる。

 サンクは堪らず倒れた。歯を食いしばって立ち上がろうとするが、体が言う事を聞かない。

 軽法の力をさらに引き出そうとしても、涸れた井戸のように、もう何の力も残っていなかった。


「ん、まぁこんなところねえ。私も大体貴方の力が分かったし、今日はもう止めときましょうか」

「……ま、まだだ。まだ俺は出来る。それに当ててねえ……」

「明日もやるから無茶しちゃダメよ。それに、休む事も訓練の内。私に叩かれた二か所、もしかしたら骨にヒビ入っているかもしれないけど、明日までに治しなさい次の日に残しちゃダメよ」

「む、無茶苦茶言うな」

「それくらいできて当然よ。重法は留める力って前に言ったわね。その熟練者ともなれば、一度斬り落された腕を、一晩で繋げる事も出来る」

「……そこまで言うって事は、やった奴がいるって事だな?」

「ええ、そうよ」

「……接ぎ木だな、まるで」

 法術使いって奴はどいつもこいつも化け物だ。

 どんな体をしてやがる、気に入らねえ、とサンクは歯を軋ませた。

 話を聞いていると、自分の不甲斐なさに腹が立つ。


「という訳で、今日はここまでね~」

「待て!」

 サンクは屋敷に入ろうとしたグレースを呼び止めた。

 その顔には、軽法の力を燃やしていた時と同じ、真剣さが浮かんでいる。

「俺は、どうだった?」

「ん?」

「お前から見て俺は、どうだった? ただの雑魚か? それとも、少しは上等な雑魚か?」

「んん~そうねえ。厳しい事言うと、今の貴方の動きは遅い、反応は鈍い、持続性がない。私が求めている基準からすればダメダメね」

「……」

「けど、伸びる感触があるわ。消耗した上で私の攻撃を一発は受けたのはなかなか感心よう」

「……そうか」

 思わずサンクはチッと舌を打った。

「お前の求めている基準ってのは多分、目茶苦茶高いんだろうな」

「……言われてみれば、目標は分かりやすい方がいいわねえ。今から目指す目標を見せてあげる」

 グレースがパンパンと手を叩いて「誰か」と呼ぶと、屋敷の中からすぐさま従者の一人が飛んできた。

 その従者はグレースの言伝を聞くと、来た時と同じく脱兎のように屋敷へと戻っていく。


 しばらくして屋敷から現れたのは、メアリだった。

 メアリは盆を持っており、その盆の上には水差しと、陶器の酒杯が乗っていた。

「ようく見ているのよ。これが出来る位になれば、法術使いの半分を素手で仕留める事が出来るわ。例え相手が剣を持っていてもね」

 グレースはそう言って、陶器の酒杯を手に取ると、それを空中に放り投げた。

 刹那、グレースの腕が風を斬って唸りを上げる。

 辛うじてサンクに分かったのは、それが手刀であった事。

 まさに、一閃だった。

 仮にも法術使いであるサンクが、軽法によって避ける事も、重法によって防ぐ事も不可能な恐るべき速さ。

 その結果、砕かれたのではなく、割れたのでもなく、陶器の器は真っ二つに切断されたのである。


「……なるほど、よく分かった」

 切り裂かれた酒杯を見て、サンクが頷く。

 ほんの少しだけ自信が戻った気がした。

 自分にはグレースほどの速さはないかもしれない。しかし、酒杯を素手で斬る位なら調子が良ければ出来ると思ったのだ。

 しかし、そんな甘い考えを打ち砕くように、グレースは「まだよ」と言って二つになった酒杯を拾い上げると、それをくっつけてメアリの持つ盆の上に置いた。

 そして水差しを手に取ると、割れているはずの酒杯に水を注いでいく。

「そう来たか……くそったれめ……!」

 自分の浅はかさに、思わずサンクはそう吐き捨てた。

 グレースの求める基準が、自分にすぐに出来るものであるはずがない、と分かっていただろうに、またしても甘く見ていた。


 酒杯にはなみなみと水が注がれたが、あるはずの裂け目からは一滴の水も零れない。

「水を満タンに入れられたら完成。これ『陶斬』っていうの。これ自体は、何の意味もないただの大道芸。でも、水が漏れないようしっかりと陶器を切断するには、結構な速さと強さが必要なの。

 むかーしはこれができたら、戦場で先頭を走る栄誉が与えられたそうよ。だから取りあえず、これが出来るようになるのが目標ね!」

 そう言いながら、グレースはひょいと酒杯を倒してわざと水を零すと、二つに割れた酒杯をサンクに手渡した。

 その切断面の鋭利さは、まるで初めからこう焼かれたとしか思えない。

 サンクはしばし、愕然としてその酒杯を眺めていた。


 

 その日の晩、メアリは明日の朝に送る手紙の誤字、脱字をチェックしていた。

 この地方の貴族の人口監査の報告書、治安状況など、統計局に送る公的な書類。

 グレースが家族――つまり国王や王妃や年上の王子、王女に宛てた、世間話や旅の様子などを書いたやや私的な手紙。

 どれも実際に書いたのはメアリである。

 内容を今一度確認し、書簡を封筒に収めてから、封筒に封蝋を垂らして素早くグレースから預かった印璽を押して封印する。

 こうする事で手紙の偽造を防げるのだ。


 その作業をしているとトントン、と誰かがドアを叩いた。メアリが誰何する間もなく、ドアは開く。ノックの意味なし。

「メアリー! これも明日出しておいて!」

 入ってきたのはグレースであった。「出しておいて」とメアリに渡されたのは、グレース直筆の手紙である。

「はい。承知いたしました……申し付けて下されば、それも書きましたのに」

「いやいや、メアリ、これは私が直接書かなきゃダメなのよ」

 女主人のその言い方に、メアリは何となく引っかかるものを感じた。

「……内容を確認してもよろしいですか?」

「ええ」

 メアリはその手紙を受け取り、最初の一行目どころか、封筒に書かれた宛名を見た瞬間に、思わず「これは……」と言った。

 そして手紙を開き、内容を読み終えると、グレースを見て、首を振る。

「止めた方がいいですよ」

「メアリ、貴方が何を言いたいかは分かるけど、こうするのが一番なの。今日少しやって分かったわ」

「何がです?」

「私が、人に物を教えるの下手っぴって事よ」

「は、はぁ」

「その点、先生は間違いないじゃない! なんたって私の先生なんだからね!」

「それは、そうですが……来てくれるかどうかは分かりませんよ」

「そこは心配ないわ。ディー先生は絶っ対、来てくれるから!」



 メアリの心配をよそに、手紙を出して一週間と経たず、一人の男がグレースの借り宿の門を叩いた。

 その男が来た事を知ると、グレースはメアリとサンクを伴い、大急ぎで男を出迎えに客間へと走り出した。

 グレースは乱暴に客間の扉を開け、男の姿を認めた瞬間に大股で駆けより、男の手を取って感謝の意を表す。

「お久しぶりです先生。よくぞ、よくぞ来てくれましたわ!」

「はっ。ディー・ホークアイ、ちゃ、ちゃ、着任しました」

「無理を言ってすみませんね、先生」

 グレースは軽く頭を下げたが、後ろに控えているメアリは、サンクに頭を下げた時のように、咎めはしなかった。

 男もそれほど気にしていないらしい。

「と、と、とんでもございませぬ。姫様に、こ、こ、この老骨が役に立つなら。これに優る栄誉はあ、あ、ありませぬ」

「流石ですわ。さて、先生こちらがサンクです」

 そう言って、グレースはサンクを前に引っ張り出した。

「サンク、こちらは私の法術の先生、ディー・ホークアイ名誉伯よ。まさに貴士道とはこの人の事だわ。今日から貴方もディー先生から教えて貰いなさい」

「ふーん」

 サンクがディーを見た時の第一印象は『枯れ木』だった。

 手紙を受け取り、着の身着のままでやって来たと見え、地味な茶色のフードに、サンダル、背に背負った一本の剣。持ち物はただそれだけ。

 背はそれほど高くないが、苦み走った厳めしい顔の老人で、髪は所々薄く、白髪が混じり、またその左目は眼帯に隠されていた。

 さらに、ディーの口から出る言葉が吃りがちであり、この爺さんは大丈夫か、とサンクは正直不安を覚えた。

「グレースの師匠ねえ。まぁ」よろしく頼まぁと、サンクは言うつもりだったが、その言葉を最後まで言う事はできなかった。


 突如、サンクの目の前で火花が飛んだ。

 チカチカと視界が眩み、立っているのも困難となる。

 そして一瞬遅れてやってきた強烈な頭の痛みで、サンクは自分が殴られた事に気が付いた。

 誰に殴られた?

 聞くまでもない。


「主君を呼び捨てにするとは何事かァァァァァァァ!」

 ディーが吼えていた。

 そしてこの日から、本当の訓練が始まった。

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