資格
マイケル・カーターはカナートの町とその周辺にある農村を治める小領主である。
今、彼は差し出されたお茶を持てない程、ガタガタと震えていた。
生きた心地がしないとはまさにこの事、彼の立場は閻魔大王の裁きを受ける罪人に等しい。
小領主の閻魔――グレース・グランクラムは彼の前に座り、ニコニコと茶を啜っていた。
執事役の女従者が、書簡箋を手渡しながら、グレースに耳打ちをする。
小顔の閻魔は「うんうん」と頷きながら、書簡を読み終えると、ピンっと弾いてそれをテーブルの上に放った。
ふわりと舞う書簡に書かれていたのは、業秤を有罪に傾ける自己の罪か、それとも救いに傾ける善行か、彼には見当がつかなかった。
「カーター卿、面倒な事になりましたわねぇ」
微笑みながら閻魔が言う。
「は、はっ……この度殿下に危害を加えんとする、不埒な者どもの計画を事前に防げなかった事は、ひとえに私の責任」
「誤魔化さないで。問題はそこじゃないでしょう」
グレースはカーター卿の思惑を真っ向から叩き切った。卿の額からは冷や汗が噴き出す。
自分が所管する領地で、王族の暗殺事件が起った事は問題である。
しかし、グレースはその事について咎める気はなかった。彼女を始めとする多くの貴族にとって、そんな事は些細な事である。
ある程度の例外あれど、貴族が貴族たるのは強いから。王が王たるのはさらに強いから、というのがイムリア貴族たちの大前提。強ければ偉い、弱ければ貴族たる資格はない。
特に、病や毒殺と無縁な、強大な法術使い達は、暗殺などされる方が悪い、という考えに傾いていた。
よって暗殺未遂事件が起った事自体は、グレースもそこまで気にしないのだ。
だが、殺されたのならば話は別、大問題である。殺した方が、ではなく殺された方がだ。
「貴方の弟さんのハロルドは、モチロン法術使いの貴族よねぇ?」
「は、はい……」
「そうよねぇ。保安長だもんねぇ。統計局にも法術使いって登録されているわ」
「……はっ」
「弟さんを殺したサンクはただの平民なのよねぇ。まあ一応は法術使いであったみたいだけど」
「……」
貴族が平民に殺された。これこそ問題なのだ。先の前提が崩壊する。
もっとも、貴族から必ずしも法術使いが生まれるわけではない。法術を使えない『できそこない』も生まれる。これは貴族達から白い目で見られ、生涯冷や飯を食う立場だ。
そういう非法術使いの貴族なら、例え殺されても一門の者まで累が及ぶ事は少ない。また、まだ法術が未熟な幼子が殺された場合も、これの例外である。
だが、殺されたハロルドは法術使いだった。歳は今年33を数える。戦士として脂の乗った年齢だった。
「平民に殺される貴族って、全然貴くないのよねぇ。ましてや保安長がねぇ……もしかして、貴方の家、無くてもいいんじゃない?」
事実上のお家取り潰し宣告。いや、下手をすれば、「無くてもいい」とはカーター家の完全なる抹消を意味する可能性すらある。王家の者ならそれくらいしかねない。
カーター卿は意識よりも早く、本能的に叫んでいた。
もし自分が死んでも、息子や親類の命が助かるなら、いつか再興の目はある。己の命など安いもの!
「此度の不祥事、カーターの当主として慚愧の念に堪えませぬ! かくなる上はサンクなる者と果し合い、僅かなりとも恥を雪いだ後、我が首を殿下に……」
「貴方の首なんていらないわ」
カーター卿が言葉を言い終えないうちに、グレースはあっさりと突っぱねた。
これで終わった。何もかも……。
カーター卿の視界から光が消え、目の前が真っ暗になる。
だが、グレースはふふふと笑った。
「脅かし過ぎたみたいねえ! カーター卿、先の大戦で貴方が果敢に戦ったのは私も知っています」
そう言いながらグレースは先ほどに読んでいた書簡箋をカーター卿に差し出す。
カーター卿は震える手で受け取ると、恐る恐る二つ折りの紙を開き、そこに書かれていた内容を読んだ。
書かれていたのは、先の大戦の従軍記録だった。
参戦する為に自分がカナートを発ったその日付、本隊に合流した日付、行軍の記録、誰の指揮下で戦ったか、どこで戦ったか、そして討ち取った首級。
全てが詳しく記載されていた。
「……!」
「今更その力を疑ってはいませんし、貴方を咎めた所で何ら我が国に益する所はありません。このまま職務に励みなさい」
「は、ははーっ」
「所で……」
許されたと思った瞬間、グレースはさらに言葉を続けた。
カーター卿は頭がおかしくなりそうだった。下げられたり上げられたり、地獄の淵を行ったり来たりである。
王女と話していると、確実に寿命が縮む。
「今私が預かっているこのサンクという平民、蛮行に目を瞑れば、なかなかの見所があるわ。これを除く事も、また益する事なし。と思いますよねぇ? 貴方も?」
「……はい」
はい、としか言いようがなかった。意見を聞いているようで聞いてない。王女は黙って頷けと言っていた。
「よろしい。では、弟さんは剣の訓練中に誤って死亡したという事にして、事件は最初から無かった事にしましょう。サンクはこのまま私が預かり、これに手を出すことを禁じます」
「はい」
はい、としか言いようがなかった。
「間違っても、仇討ちなんて考えないで下さいね。今度こそ本当に面倒な事になりますから。それじゃあ下がっていいです」
さらに念を押されたカーター卿は、グレースに一礼すると、よろよろと立ち上がり、千鳥足の様なふらつきを見せて、退出していった。
それから数日が過ぎた頃。
サンクは目を開けたまま寝返りをうった。
既に体はベッドから起き上がる事が出来るほど回復していたが、考える事が多すぎて、起きる気になれなかった。
自分でも頭を使うのが不得意だという事は分かってた。だから今までは、ゴチャゴチャ考えるよりまず行動していた。
この数日の様に、全く身動きのできない状況で、ゆっくり考え事をするなど、今までなかった事だ。
気になる事は多い。
まず自分の出自。イマリ族だ、とグレースは言った。
自分が周りと違う事はなんとなく知っていたが、具体的な民族の名前までは知らなかった。
今更それを知ってどうするという気もする。
信心深い方でもない。それどころか、正直に言って全く信仰心などない。貴族達の様に、先祖を拝むなんてマネをするつもりはない。そもそも拝み方も知らん。
だがそれでも、興味深い話だ。自分が何者か、知りたくない者なんていない。
次に法術の使い方。
グレースの言葉通り、死ぬと思った傷もあっという間に治りつつある。
元々傷ついた経験自体が少なかったのが原因とはいえ、この力はこう扱う物だったのかと目から鱗だ。
いつか軽法とやらも試してみたい。
いつか。
それこそ問題だった。今度、自分はどうするか。
グレースの提案は魅力的だった。
このままあの女の下に留まれば、法術の使い方も、イマリ族のもっと詳しい情報も手に入るだろう。
命の借りもある。礼も尽くしてくれた。
普通であれば、仕官も悪くないと考えただろう。
だが、自分はグレースを殺す事と約束して、もう金を受け取っている。
グレースの提示した事が魅力的だからと言って……いやむしろ魅力的だからこそ、突っぱねるべきだ。ここでコロッと寝返る奴は男じゃない。そんな奴は大嫌いだ。
請け負った事は最後までやるべき。成功の可能性は限りなく低い。それでも約束したんなら、やるべきだ。
だが、グレースには借りがある。命を狙うこと自体、間違っている気がする……。
思考が何度もループして、サンクはまた寝返りうった。
この数日はずっとこうして横になっていたので、夜になっても眠れなかった。
眠れない長い夜の間、サンクは考えに考え、ついに決断した。
草木も眠る丑三つ時、サンクはそっと起き上がる。扉に手を掛けると、すんなり開いてくれた。鍵はかかっていなかった。
尤も鍵があった所で蹴破って外に出ていけるが、今は静かに出ていきたかった。
外は暗いが月が出ていたのが幸いした。息を殺して廊下を渡り、迷いながらも屋敷の外に出る。
一旦外に出てしまえば、あとはもうこちらの物。 サンクは屋敷が町のどこか確認すると、自らの塒へと足を向けた。
そこは大通りの裏手で、如何わしい店が立ち並ぶ一角だった。
裏通り、というよりも貧民窟、と呼んだ方が正確かもしれない。
ただし、貧民窟だとしても、上等な貧民窟だった。少なくとも、そこに住む住人達はその言い回しを好んだ。
「ここはクソ溜めだぜ! まぁ上等なクソ溜めだがな!」という風に。
無論、サンクの寝床も上等な所だった。古い木造の小屋に似た建物で、屋根は少し傾いていたが、基礎はまだしっかりしていて、床は傾いていない。つまり上等な傾きという訳だ。
グレースの言葉によれば、自分は何日か意識を失っていたらしいが、仕切りを潜り、家に入ると、自分の部屋はグレースを殺しに出掛けたあの時のままだった。
適当に脱ぎ捨てられた衣服。犬か猫が使った後の様な毛布。賭けで巻き上げた、裸婦の絵。
壁からその絵を引っぺがし、壁に空いた穴に手をツッコむ。指先に、かちゃりと金属が触れる感触があった。
それを鷲掴みにして、掌の感触で金貨の枚数を確認する。間違いなく150リウあった。
サンクは金を頭陀袋に入れて懐に仕舞い込み、今度は真っ直ぐアドーが使っている宿へと向かった。
夜はもう白みかけていた。
「ん、あ……」
体を揺すられて、グレースは目覚めた。
暗闇の中でメアリが告げる。
「グレース様、サンクが動きました。自宅へ向かっています」
「あ……あい、了解」
寝覚めのぼんやりとした頭で、とりあえず頷く。
その間に、何とか頭を回転させた。意識が急速に浮かび上がってくる。
一週間で全快と言った日から、まだ四日しか経ってない。動き出すのが予想より早い。だが起き上がる事はできても、まだ体はボロボロの筈だ。
それくらい痛めつけた。正直に言うと手加減に失敗していた。サンクが昏睡状態で横たわっていた時、こりゃダメかも知れないと思って、本気で後悔したものだ。
「手負いでも法術使いです。危ないから間者にあまりサンクに近づくなと伝えなさい。私がすぐに行くわ」
目を擦りながら髪を掻き揚げて頭の高い位置で一まとめにする。
もう寝ぼけてはいなかった。
このままサンクを張っていれば、私を殺そうとした人間に辿り着けるだろう。
向こうからサンクを消しに来るか、それともサンクが直接会いに行くかもしれない。
サンクの性格なら後者も十分あり得る。
黒幕が誰か楽しみだ。グリンフォーク国の連中だろうか? それともボーラハーン国か? 粋がった貴族が王家を追い落とそうとしたか?
或いはそのどれでもないかも知れない。
サンクは才能はあるが素人同然だ。私を討つにはもっとまともな兵が要る。先に上げた三者はそれが判らない連中ではない。
ふふん、本当にどこの誰だか楽しみだわ、とグレースは思った。
仮にも私を殺そうとする奴だ、少なくともやる気はあるだろう。加えて、もし法術の才もあるようだったら、その黒幕も口説いてみたい。
グレースの顔は、いつもの様にフフフと笑っていた。