手駒
サンクは自分が横になっている事に気が付いた。
今自分がいるのはシーツの敷かれた、柔らかなベットの上だ。
頭が割れそうなほど頭痛がする。だが、こんな事を考えていると言う事は、自分はまだ生きていると言う事だ。
ゆっくりと目を開けると、そこは見覚えのない部屋だった。だが机の上に置かれた花瓶や壁に掛けられた絵画、敷かれたカーペットから察するに、どうやら自分がいる所は結構な屋敷らしい。
「アラよかったわぁ。目が覚めなかったらどうしようかと思ってた所よ」
サンクが目を開けると同時に聞き覚えのある声がした。
声のした方に顔を向けると、そこにはグレースが座っていた。その一歩後ろには従者と思わしき女性が無言で佇んでいる。
「いい……わけあるか」
サンクは何とか声を絞り出し、かすれた声で言った。呼吸する度、言葉を話す度に内臓がズキズキと痛む。
舌と瞼以外は痛みで指一本動かせない。無数の骨折箇所が熱を持ち、まるで生きながら体を焼き焦がされているかのようだった。
生きているのが、そして目覚めたのが自分でも不思議なくらいだ。
しかし、恐らくこれは蝋燭の火が燃え尽きる前に輝くのと同じだろうとサンクは思った。次に目を閉じた時、その瞼が二度と開く事はないだろう。
「どうせ、このまま死ぬだけだ」
「何言ってるの、目覚めたらもう大丈夫でしょ。貴方なら……そうね、一週間もあれば全快するわ」
治るわけないだろ、どこをどうすればそうなるのだ、とサンクは文句の一つも言いたくなったが、そこまでは口が回らなかったので代わりにこう言った。
「意味が解らん」
グレースは頭を斜めに傾げて疑問符を浮かべると、大人が子供に話すように訊ねた。
「……貴方もしかして本気で言ってる? 法術の使い方を知らないのかな?」
「知るか」
グレースは合点がいったと言うように何度も深く頷いた。
「あーあーうーんそうかー。本当に平民育ちなのねぇ貴方。それじゃあ今からザックリ説明するわ。そのままでいいから聞いて」
グレースは椅子の背もたれに深くもたれながら、幼少の頃に師や教師から習った記憶を呼び起こした。
「えーっと、あ……アレ見てアレ」
そう言ってグレースは壁に掛かっている絵画を指す。
その絵は、黒と白のオタマジャクシのような物が、螺旋を描いて絡み合っている不思議な絵だった。
「この絵は法術を表しているのよ。絵の通り法術って言うのは二つの要素から成り立つわ、一つは軽法っていうの。簡単に言うと、軽法は外向きの力、物を動かす力ねぇ。
これは力が強くなって、まるで体が軽くなったみたいに、ピョンピョン飛び跳ねたり出来るからこう呼ばれたらしいわ。本当に軽くなるわけじゃないけどね。
もう一方は重法よ。重法は内向きの力、留める力。この力で私達の体は鉄よりも頑丈になる。病気や毒で死ななくなる。それと今の貴方みたいに、怪我した時は回復を早めてくれるわ。
気を付けて欲しいのは、例えば軽法だけ鍛えても、体がその速さについて行けずにすぐに壊れるって事。反対に、重法だけ鍛えても、動きが遅ければ戦いで使い物にならないわ。
良い法術使いになるには、軽法と重法を両方バランスよく鍛えなきゃダメよ。でも今は重法に集中しなさい。貴方なら体の中に二つの力がある事が分かるでしょ。
その内の片方だけから力を引き出すの」
サンクはグレースが滔々と語る法術についての知識を、黙り込んで聞いている自分に気が付いた。
教師などいなかったサンクは、全くと言っていいほど自分の力についての知識を持っておらず、またその力がどういう物か共感してくれる人間もいなかった。
術の扱い方は稚拙な我流、自分や貴族の力が法術という名前という事すら今知った程だ。
そんなサンクにとって、グレースの話は興味深いものだった。
確かに体内に力の源がある事を感じる。いつも戦う時は、ここから力を引きだすのだ
しかしさらに集中した時、ぼんやりとだがその力の源が二つの異なる流れによって構成されている事に気が付いた。
ほぼ全身が複雑骨折。動かせる関節は皆無であるが、精神を動かすことはできた。サンクは心の手で力の源に触れ、そこから力を吸い上げる。
すると体から急速に痛みが引いていくのが分かった。
「そうそう、その調子その調子」
サンクが重法を使ったのが分かると、グレースはにっこりと笑う。
「法術は目に見えない筋肉よ。使わないと錆びつく。使えば研ぎ澄まされていく。貴方、なかなか見所があるわ、鍛えれば今よりずっと強くなれる」
「……アンタよりも?」
サンクがそう言うと、グレースの後ろで控えていた女性が、ズイッと身を乗り出した。
「貴様、恐れ多くもグレース様に向ってその口の利き方は何だ!?」
「まぁ今はいいわ、メアリ」と従者を抑えると、グレースはうーんと顎に手を当てて考えた。
「その可能性もなくはないわ。ただ言っておくけど、私の知る限りで私より強い人は、この国じゃ5人くらいしかいない。その私よりも強くなれるかは、貴方次第ねえ」
「……」
サンクは目の前にいる女が一騎当千の戦士である事に驚くべきか、これ以上の化け物がもう5人もいる事に驚くべきか頭を捻ったが、何よりも惹かれたのは最初の言葉だった。
自分はその怪物たちと並べる……かも知れない。
サンクの高鳴りを察したかのように、さらにグレースは続けた。
「どこまでできるか、何者になれるか……自分の力を試してみたくはない? 銀狼のサンク」
「なんで俺の名前を知ってる?」
「自分が何日寝ていたか、分かってなさそうね。その間に調べさせて貰ったわ。とにかく、私は貴方みたいな人を遊ばせておくのは、凄く勿体無いと思っている」
「だからアンタの部下になれって? そいつは無理だ。俺にも都合って物がある。殺したきゃ殺せ」
「貴方が嘘を嫌いな事も調べた。きっと暗殺を請け負ったからには、筋を通そうとしているんでしょうね。でも少し考えてみて。私は貴方をあえて助けたのよ?
大きな大きな借りだと思わない? 一つくらいお願いを聞いてくれたっていいじゃない」
そう言うとグレースは立ち上がり、横になったサンクの前まで来ると、背筋をピンと伸ばして直立した。
「銀狼のサンク殿、どうか貴殿の力添えを、よろしくお願い申し上げます」
「なっ……!?」
グレースは瀕死の暗殺者に向かい、一礼した。
その背後では、従者のメアリが絶句していたが、サンクもまた同じくらい衝撃を受けた。
これほど簡単に貴族が、それも王女が頭を下げるなど、到底信じられなかった。
グレースが頭を下げていたのは、ほんの一秒ほどだっただろうが、まるでその瞬間に時間が止まったかのようだった。
顔を上げたグレースは、またいつもの調子に戻ってニコっと微笑む。
「返事は今じゃなくていいわ。どうせ動けないでしょう? ゆっくり休んでゆっくり考えなさい」
「……教えてくれ、なんでここまでする? たかがチンピラ一人に」
「ふふ……そうねえ。私から見れば、軟弱化した貴族よりも貴方の方がずっとマシに見えるのよ。それに……」
「それに?」
「綺麗な髪ねえ。気にいったわ」
グレースはサンクの髪を一房掴むと、手の中でころころと転がした。
単なる白髪ではない。サンクの髪は光を浴びると、本当に銀色に輝くのだ。
「この銀髪はイマリ族の特徴ねぇ。ずっと昔滅んだと思ったけど、まだ生き残りがいたなんてびっくりしたわ。殺すなんて勿体ない」
「俺は珍しい動物じゃねえぞ」
「私も貴方を檻に入れて飼う気はないわ。じゃ、私はこれから用事あるから、またね」
そう言ってグレースと従者は揃って退出したが、後に残されたサンクの混乱のあまり目を回しそうになっていた。
ドアの向こうで二人の足音が遠ざかっていくと、サンクはボソリと呟く。
「……こりゃ、妙な事になったな……」
「グレース様、先ほどの礼はやりすぎです。もう少し……」
メアリは羽ペンにインクを付け、王都にある内務省へ送る報告書を優雅な筆記体で印しながら、主に苦言を申し立てた。
しかし当のグレースはどこ吹く風。ニコニコと笑いながらメアリの背後に立つと、その両頬を軽くをつねりながらこう言った。
「私の部下なら、そのしかめ面は止めなさいな。スマイル、スマイル」
「ですが、不届き者にあのような態度なさっては、下々の者に示しがつきません」
「いいっていいって、どうせ私達しかいなかったでしょう。それに、彼にはそれだけの価値はあるわ」
「奴はグレース様の命を狙ったんですよ? 拷問にでもかけて黒幕を吐かせた後、さっさと殺すべきです」
「手厳しいわねえ。でも結構調べたけど、サンクからは何にも出てこないわ。それに今日のあの様子じゃ本当に何にも知らないでしょ」
「しかし!」
「あのねえ、メアリ、さっきも言ったけど、サンクはそこら辺の貴族よりずっとマシよ。彼が死刑なら、この町の貴族は全員極刑だわ。イライラするもの」
「……そう言えばこの所は随分その言葉を仰っていますね、何かあったんですか?」
「何かあったかですって? 大有りよ!」
グレースはカッと目を見開くと、腕を振るって熱弁した。
「皆たるんでるわ……今のままじゃ……戦争に勝てないのよォー! ただでさえ7年前の大戦で法術使いの数が減ってるのに! こんな時だからこそ、私達は備えなきゃならないのに!
なのに、なのに、なんでこんなに弱っちぃ奴らがのさばってるか意味わかんないわ! 明日にでも戦争が再開されるかも知れないのに、これじゃマズイのよ!」
「戦争……ですか。しかし相手も7年前に戦力の大半を失っていると聞いています。立ち直るにはまだ時間が掛かるのでは?」
「甘い、甘いわぁ、メアリ。グリンフォークの国王は父上と同じ51歳よ。『貴き者の限界』まで、あと9年……それまでにもう一戦できる。死ぬ前に、大戦で失った物を取り戻しに来るわ。必ず!」
「なるほど……では貴族の心得を今一度肝に銘じ、戦に備えるようにと界隈に通達――」
「ああ~無駄無駄。無駄よう。彼らには時間はたっぷりあったわ。それでもやらなかったって事は、もうこれはやる気がないとしか言えないわ。今更私が尻を叩いた所で変わるもんですか。
それよりも新規開拓よ。サンクのように在野の強い法術使いがまだまだいると見たわ。そういう人間を集めて鍛えた方がよっぽど生産的ってものよ」
「……もしやそれで、急に王都を飛び出したのですか?」
「そうよ。この仕事やってから、国の状況を見てゾッとしたわ。最盛期は総兵力8000貴を謳っていた我が国の戦力は、今や5000……いや4500人って所ね。
実際動かせるのはもっと少ないかも。早急に戦力の穴を埋まる必要があるわ。あと戦争になったら、私も自分の手駒が欲しいし」
「しかし、野良犬風情で戦力の補充になりますか?」
「なるわ。サンクが私の憂いを断ってくれた。だからできるなら彼に味方になって欲しいな……」
そう言いながら、グレースはゲーム盤を引っ張り出して、盤上に駒を並べていく。自分の陣地の駒を並べ終えると、今度は相手の陣地にも駒を並べた。
彼女がやろうとしているのはパクスというゲームで、盤を戦場に見立てたボードゲームである。
最弱の駒は『男爵』といい、そこから移動力を増すごとに『子爵』『伯爵』『侯爵』『公爵』『王』となり、さらに『王』以上の移動力を持つ『鬼殻』と『神虫』の二種の駒が存在する。
これら移動力の異なる駒を交互に動かして相手の王を詰むか、領土を削りきるかして、盤上に“平和”をもたらすのがゲームの目的だ。
グレースはパクスの駒を並べ終えると、すりすりと手を合せた。
「さぁ今日こそ勝つわよ! 2Aの『男爵』を前進!」
グレースはそう言って一つ駒を動かし、メアリは書き物をしたまま、盤面に目もくれず答える。
「4Cの『男爵』を前進。グレース様、駒を集めるのも結構ですが、ご自分の命が狙われている事もお忘れなく」
「ああ、それも一応は気になっているんだけどね」
グレースはメアリの駒を動かしながら言った。
「一体サンクの件の黒幕は誰かしらね? 心当たりが多すぎてわからないわ。3A『男爵』を前進!」