暗殺
ギヨを叩き伏せた日の晩、サンクと、その後ろ盾であるヤクザ者たちは、安酒場の一角を占領し大いに騒いでいた。
ほろ酔い加減のサンクも、脇に座る酌婦にもたれかかりながら、ゲラゲラと品のない冗句を繰り返す。
サンクは、強さこそ、全ての問題を解消する万能薬だと信じていた。
今まで自分の腕っぷしで手に入らなかった物などなく、解決できない問題もなかった。
恐らく最後の瞬間までこうして快楽に耽る自分を想像して、サンクは大口を開けて笑っていた。
とてもいい気分だ。
我が人生に憂いなし……。
「ところでよぉ、サンク……」
赤ら顔のゴロツキが酒杯を傾けながら訊ねた。
サンクの見た事の無い顔だったが、バカ騒ぎする時に見知らぬ者が混じってるのはいつもの事だ。
「今日戦ったあの野郎をなんでぶん殴らなかったんだ?」
「あん? 殴っただろ」
「ありゃ張り手だ。殴ったって言わねえよ」
「そんな事言ったってな。俺が本気でぶん殴ったら、アイツ死んじまうぜ」
「なんだ、随分お行儀がいいな。銀狼サンクって言やぁ、ブチギレたら手の付けられねぇ狂犬だって聞いたぜ」
「あんな雑魚相手に本気になるかよ。俺だってキレる相手くらい選ぶぜ」
そう言ってサンクはグイッと酒杯を傾けた。
「殺しはしたことはないのか?」
「バッカおめえ、俺が今まで何人殺ったと思ってんだ。一々数えてねェが、両手に余る事は確かだ。
ただよぉ、試合じゃ殺しはナシって約束だからな。俺は嘘が大嫌いなんだ、吐くのも、吐かれるのもだ。俺がぶっ殺した野郎ってのは、みんな俺に嘘吐いた野郎さ。
おっと酒がねえや、姉ちゃん注いでくれ……」
「……サンク」
先ほどまで下卑た笑みを浮かべていた赤ら顔の男は、もう一度サンクの名前を呼んだ時、もう笑ってはいなかった。
「なんだよ?」
「後で話がある。俺の名はアドー。次は静かな所で会おう」
そう言って男は席を立つと、夜の闇の中に消えていった。
翌日、サンクはアドーの使いだと言う者に呼び出され、昨晩飲んだ店とは別の酒場に案内された。
その酒屋は二階が宿となっていて、サンクが通されたのは、その宿になっている部屋の一室だった。
部屋に入ると、あの赤ら顔のアドーが椅子に腰掛けていた。アドーはここまでサンクを案内した使いに顎をしゃくると、使いは一礼して部屋から退出する。
「来てくれてありがとよ、サンク。まあ座れ」
アドーに促されるまま、サンクも部屋に置かれていたイスに座り二人はテーブルを挟んで向かい合う。
「ん、気にするな。どうせヒマだしな。で、俺に話ってなんだい?」
「……まずは5リウ、黙って受け取ってくれ」
そう言ってアドーは5枚の金貨を差し出した。決して安い額ではない。一般的な一家が二月は楽に暮らせる金額である。
「受け取れねえよ。話が先だ」
「……」
「心配しなくても他言はしねえよ。ホレ言ってみろ。あ、俺ァ学がねえから分かりやすく言えよ」
「ふう……いいだろう。銀狼のサンクを信じて単刀直入に言おうか……殺して欲しい奴がいる」
「まぁそんな事だろうと思ったぜ」
「前金で50リウ。事が済んだらもう50リウ。この仕事、受けるか?」
「殺す相手を聞いてねえぞ。それを聞にゃあ、受けるも何もねえよ」
サンクが腕を組んでプイと首を背けると、アドーは一度は引っ込めた5リウを再度テーブルの上に置いた。
「だから、そりゃ受け取れねえって」
「勘違いするな。昨日はお前さんの金で飲んだからな。こいつはその代金だ」
「へえ、そうかい。そう言う事なら、遠慮なく」
サンクが金を懐に入れると、アドーはゆっくり口を開いた。
「お前に殺して欲しいのは、この国の第三王女、グレース・グランクラムだ」
「……?」
サンクは、しばらくアドーが何を言っているのか理解できなかった。
頭を傾けて数秒間固まった後、やっとの事で言葉の意味を理解した脳が、適切な反応を体に送る
「王女って……お、お姫様か!? 本物の!?」
「流石のお前でも、ぶったまげたようだなようだな」
「……なんで殺したい? 理由は?」
「そいつはお前さんにはどうでもいい事だ。さて、どうする、銀狼。受けるか? いや、出来るか?」
サンクは目を閉じると、顎に手を当ててじっと考えた。
大方殺しの依頼だろうとは思っていたが、まさかこんな大物の名前が出てくるとは……。
さて、どうする?
その疑問を自分に投げかけた瞬間、サンクの信じる、最も強固な考えが答えた。
『強さは全てを解決する』
……できる。
俺なら殺せる。例え十重二重の衛兵に囲まれたグレース王女であっても、殺す事は不可能ではない。自信はある。
すぐに他国へ行けば逃げ切る事も出来る。
そして100リウあれば……多少両替で目減りするだろうが、逃げた先で当分遊んで暮らせるだろう。
サンクが瞼を開けた時、その瞳に野心の光が灯っていた。。
「……お姫様の命が100リウじゃ安すぎるな。3倍なら受けてやる」
「出そう。前金で150リウ。万事上手くいけばもう150リウ」
アドーは即答した。
「決まりだな。受けよう」
カナートの町の大通りを、一台の馬車が進んでいた。
もしも、それなりに物の値打ちが分かる人間が、馬車の中を覗き込んだのならば、そこに座っている女の着ている赤いチュニックが、良質の絹で織られた物だと気付いただろう。
さらに目の利く者ならば、肩の辺りに刺繍されたシャコ貝の意匠が、恐ろしく精巧な代物だと気が付いただろう。
お忍びでカナートの町にやって来た彼女の名は、グレース・グランクラム――ポルタニス王国第三王女“ニコニコ・グレース”である。
ただし今の彼女は、そのあだ名とは裏腹にむすっとした顔を浮かべ、不機嫌さを隠そうともしなかった。
カナートの町で何を見ても、彼女はポニーテールにした髪を弄りながら、わざと周囲に聞こえる様にこう言うのだ。
「イライラするわねぇ」
馬車の中には、カナートの保安長であるハロルドが付き添っていたが、グレースが愚痴をこぼす度に彼の胃はキリキリと痛んだ。
グレースは歳若く、ともすれば少女に見える瞬間さえあったが、雛壇に並ぶ無害なお姫様などではない。
彼女は王女である他に、内務省統計局の人口調査長官の肩書を持っていた。
『人口調査』とは一見なんとも穏やかな字面だが、人口数は税の取り立てと密接に関係し、また異能を持つ者の数が即ち兵力となるこの世界において、人口の把握は極めて強い諜報色を帯びる。
どの貴族が誰と結婚したか、子供は何人か、特に隠し子はいないかなどを調べる際、時に表沙汰にはできない方法も使う。
ザックリいうと、彼女は秘密警察に類する組織の親玉だった。
木端役人の首など彼女の一声で吹っ飛ぶ。それも物理的にだ。なのに終始グレースは不満げである。
ブーたれるグレースの横で、ハロルドは思った。
王女は、一体こんな田舎に何をしに来たんだ?
はっきりいって、ここには王女を楽しませるような娯楽はない。
そもそも、グレースは三日前に突然、ごく少数の従者とともにやって来て、町を視察したいと言って来たのだ。
当然こちらは出迎える準備すらできていない。
今日はそれでも何とか劇場を貸し切って、王女の為に公演をしたが、まるで王女は興味を示さない。
観終った後にもお決まりの台詞「イライラするわねぇ」だ。
一体どうしたらいいんだ?
もちろん自分達は、人口調査官に睨まれるような事などしていない!
そんな考えが通じたのか、グレースは馬車の中から通りをぼんやりと眺めながら、ハロルドに問いかけた。
「ねぇ貴方、私がなんで機嫌悪いか分かる?」
「……」
それはそれは、恐ろしい質問だった。
分かると言えば、グレースは、ではなぜ直さないと怒るだろう。
分からないと言えば、それはそれで怒るだろう。
つまり、どう答えても詰んでいる。
悩んだ挙句、ハロルドは意を決した。どちらにせよ死ぬなら、せめて正直に答えよう。
「わ、分かりません。私どもに不備があるのなら、何卒仰っていただければ……」
ハロルドにとっては死すら覚悟した言葉だったが、グルースは興味なさげに、ハアと一つ溜息を吐いた。
「そう……やっぱり分からないでしょうね」
鬼が出るか蛇が出るか。ハロルドの全身は極度の緊張によって硬直し、次の瞬間の衝撃に備えた。
しかし、グレースは静かにぼやいただけだった。
「イライラするわねぇ」
馬車は町の郊外にある湖に向かっていた。
劇が終わると、グレース自身が人のいない静かな所へ行きたいと言いだしたのだ。
そこへ向かう途中、グレースの口からさらに二回ほど「イライラするわねぇ」が飛び出したが、湖に着くと、ほんの少しだけグレースの表情が和らいだ。
グレースは田舎娘の様に湖畔に腰を下ろすと、そよ風に揺れる湖面を眺めて大きく溜め息をつく。
この時、長閑な午後の、穏やかな陽気の裏で、王女に忍び寄る影が一つあった。
目深に被った頭巾で素顔を隠し、体を覆うマントで音を消し、その影は慎重に王女との距離を縮めていく。
そして十分な間合いに達した所で、風下の林の中から一気に飛び出した。
突如として日の下に現れた影は、王女へ向かって猛然と駆け抜ける。
影が風を切る音で、ハロルドはその存在に気が付いたが、もう手遅れだった。
「貴様っ!」
ハロルドが叫んで腰の剣に手をかけた瞬間、襲撃者の拳がハロルドの心臓にのめり込む。
貴族――より正確には法術使いの頑強さは、そうでない人間とは比較にならない。
それでも襲撃者の一撃は、ハロルドの体を文字通り貫いた。
そしてさらにその勢いのまま、襲撃者はぐるりと体を捻り、もう一人いた王女の護衛に回し蹴りを放つと、大鎌のような蹴りは、護衛の頭部を卵の様に粉砕した。
襲撃者――銀狼のサンクは、造作もなく貴族を殺した事で、いつもの様に自説の正しさを証明した。
『強さは全てを解決する。強さこそ、全ての問題を片付ける妙薬』
世界の支配者である貴族達ですら、自分は片づけられるのだと。
「……弱っちぃわねぇ」
サンクが自己の力を自賛し、内心ほくそ笑む一方、襲撃を受けた当人であるグレースは、二度と起き上る事の無い二人の護衛に対して、辛辣な言葉を投げかけた。
逆にサンクに対してはニコニコと微笑を浮かべ、その力を称賛した。
「それに比べると……貴方なかなかやるわねえ! こいつらの代わりに私の部下にならない?」
「部下にならない、だと? 流石お姫様は命乞いも一味違うな」
「命乞いなんかじゃないわ。私と一緒に来れば、とても楽しいわよ」
「悪いな、お姫様。俺はもう金を受け取ってるんだ。仕官はこの次って事で頼む」
その言葉と共に、サンクは手刀を振り下ろした。
振り下ろされた手刀の速さと鋭さによって、空気が裂け、真空の割れ目を作る。
サンクが全力で放つその一撃は、相手が貴族でなければ、苦も無く人体を真っ二つに両断する程の切れ味がある。
例え鋼鉄の大盾であっても、この攻撃を防ぐ事は不可能だ。
しかし、グレース王女の細腕は、サンクの全力をあっさりと掴み取り、完全に止めた。
それだけではない。
サンクが腕を振り払おうとしても、万力の様に締め付ける王女の腕は、ビクともしない。
逆に腕を通して伝わる相手の力に、サンクはゾッとした。
この世には筋力や体格、体重差すら無意味にしてしまう力がある。
サンクはその事を知っていたが、今この瞬間に至るまで、その本当の理解してはいなかった。つまり、自分が下になる時もあるのだ。
王女が軽く腕を上げると、サンクの体が風船のように持ち上がる。
次の瞬間、先の手刀の数倍の速さで、サンクの体は地面に向かって一直線に叩きつけられた。
その際の音は、物が落下する音と言うよりも、バーンという火薬の爆ぜる音に近い。
サンクの全身は完全に地面にめり込み、叩きつけた時に巻き上がった砂埃は、10mを超える高さまで舞い上がった。
既にサンクの意識は朦朧としていたが、ドロドロに溶けかけた意識の中でサンクは一つ教訓を得た。
『この世に力で解決できない問題が一つだけある。より大きな力だ』
グレースは野菜を引き抜くようにサンクを引き抜くと、もう二回ほど同じようにしてサンクを地面に叩きつけた。
古より続く戦いの歴史の中で、法術という特異な力を発現させた者達がいた。
法術の使い手達は、多くの人間を従えて豪族や貴族となり、その中でも突出した者の中から、王と呼ばれる存在が生まれた。
グレース・グランクラムの体の内には、そんな王族の血が確と流れていた。