華、嗤う
締め切られた室内に吹く強い風。タカナシは咄嗟にドアノブへ伸ばした手を止めた。
「退出するのはまだ早いのではないでしょうか?」
柔らに響く美しい声に、二人はびくりと肩を震わせる。
振り向くとそこには白い男が細い窓枠に立っていた。
白い男と言うと化け物のような印象だが、その喩は間違っていることはない。
その男は髪も、睫も、そして肌も驚くほどに真っ白だった。青い血管の浮き出る細い指で髪を掻き上げると、真っ青な目がこちらを這いずるように捕える。
それはタエもタカナシも名前だけは知る人物だ。
「あら、もう一人お客様がいらっしゃっていたのですね」
タエはさほど驚く様子もなく微笑みを作り、正面に出た。
「ええ、花の香りに誘われたら迷い込んでしまったようです」
「吸血鬼って本当に嗅覚がいいのですね。それでロイ・ルヴィーダンさんはいつからここに?」
白い男、ロイ・ルヴィーダンは軽やかに窓枠から飛び降りる。音もなく着地すると足音もたてず前進した。
「ああ、もう私の名前を知っているのですね。それじゃあ自己紹介をしなくて楽です。そこの助手の方が出て行った時ですよ。きちんとドアを閉めてからでないと虫に入られてしまいますよ」
気を付けてくださいね、とロイは柔らかく言った。
タエは少し眉を顰めると襟元を正し、また余裕そうに口を釣り上げる。
「キャンディの最期を見ていらっしゃっていたのね。何故静観を決め込んだのかしら?」
「そうですね……私にとって彼は優秀で信頼のおける相棒でした。でも人間に媚びた時点で私にとってはどうでもよくなってしまったんです。それよりもあなたが如何に犯行をうまくやるか……の方がはるかに興味深い」
その顔は穏やかで、しかし声色は刺さるように強く冷たかった。
ロイはキャンディの元に行くと首のベルトを爪で切り、一言
「嗚呼、まだ死んでないんですね」
と何もないような顔で言ってのける。
キャンディの首には青痣がくっきりと浮き出ていた。それは犬の首輪のようだ。
その姿に恐怖を覚えたタカナシは扉から部屋の奥へ一歩遠ざかった。それはロイが一歩一歩扉に歩み寄ってくるからだ。
だがタエは怖気付くことなく前方を見つめる。
「ひとつ、聞いてもいいでしょうか? えっと……」
「タエ、富岡タエですわ」
「どうも……タエさん。あなたがここまで執拗に吸血鬼を狙った犯行をした訳を教えてほしいんです」
ロイは右手を椅子に添わせタエを座るように促した。すぐ襲われるのではないかと案じたタエだったが、ロイを見てその様子がないと判断し静かに自分の椅子に座る。
「私が吸血鬼を襲った理由はいくつかありますが、あなたに話して何か得することがありますの?」
「そうですね。では答えた数と同じ分こちらも質問に答えましょう」
裏のない笑みにタエは気丈に話し始めた。
「私の家は裕福でした――」
富岡タエは東国永京の東、裕福な家に生まれた。役人の祖父、着物屋を営む父と母そして三人姉妹の末娘、タエは愛情を掛けられ何不自由なく育った。
5つの時に最愛の祖父が亡くなる。仕事中の不運な事故だった。
名誉ある殉職でも誇り高き祖父を失った父はひどく落ち込み酒と女に溺れていった。
14の頃酒で暴れている父から逃げるために隠れた蔵でタエはある絵と書を見つける。それが珍しい西国人として数年前に書かれたキャンディ・ハロウィーン・ミッドの絵画と吸血鬼についての文献だった。
「そこで知ったんです。祖父は吸血鬼に殺された、と」
ロイは数年前にキャンディを東国に使いに出したことを思い出した。それはルーザからの命令で、東国にいる団員に伝令を頼んだのだった。
そして吸血鬼によって数人の死者が出たことも事実だった。
「仇討ですか?」
「そんなのは理由の一つでしかありませんわ」
ロイは扉近くの机の上にある櫻薬を手に取り間近で見つめた。
「これがサクラ……」
「ええ、私が開発した薬ですわ。これを使って吸血鬼を奇跡の血にするんですの。まあ今のところすべてが失敗作、ですけれど」
「これを舞踏会を通じてブローカーをしていたんですね。主にブローカーをしていたのはそちらの彼、のようですが」
タカナシは怯えた目でロイを見た。
「彼は語学が堪能なようだ」
「ロイさんには分かるのですね。キャンディは気づかなかったのに」
タエはおかしいようでクツクツと喉を鳴らした。
「ええ、ひどい臭いのする宿に入って北国の言葉を話していましたからね。多分あの宿の主人は北国の出身だ」
ロイは200m先の宿に入ったタカナシの声を聞いていた。彼から出る言葉は流暢なロイの自国の言葉だった。
「東国人は目立ちますから彼と交互に舞踏会へ行っていましたの。それでも手ごたえがないからキャンディの家……あなたの家でもありますけどね。そこに行ったらキャンディと知り合いになれて幸運でしたわ」
「あなたが欲しいものは不老不死、ですね。仇討だと格好つけても吸血鬼を殺害した動機は不老不死がほしかったからでしょう?」
タエは顔を上げた。タエの顔を見るなりやはり、と呟くと意味もなく部屋内をうろうろと歩き回る。
その靴音は時計の秒針のように決まったリズムで何度も何度も床を鳴らし続ける。
「え、ええ……そうですわ。私たち人間の寿命じゃ研究成果なんてあげられませんから。私は永遠の美しさ、そして命を手に入れて医療の功績も手に入れるんです」
その目は少しの怯みと大きな自信を含んでいた。薄暗い部屋の明かりの中でその目がキラキラと輝いている。
「まあ、だいたいの人間は不老不死を求めて我々に近づきますからね」
「そのためなら、親だって捨ててきましたから」
意地悪そうに笑うタエを見て、ロイは規則正しい音を止めた。




