ぴちゃぴちゃ
「お父様! お父様!」
乱暴に扉を叩く。
キャンディが向かったのは北にあるアップルの書斎だった。ドアを開けたアップルはかつてない息子の焦りように戸惑いの顔を見せた。
「キャンディ? 昼間からどうしたんだい?」
自室に促しても尚落ち着かないキャンディをソファに座らせる。
「お父様は何故、僕にBlood ROSEに入れと、強く勧めたのですか?」
「それは、お爺様がお勧めになったんだよ。正義感のあるお前なら向いているとね」
キャンディは全力で走ってきたせいか息を切らしている。息を整えるとまっすぐに父を見据えた。
「僕がリリィ様に示されたお言葉は“魔を浄化する者”ですよね?」
「お前……別館の書庫に行ったのかい?」
アップルの表情は固まった。ごつごつした大きな手をキャンディの頭に置くと、キャンディの瞳からは涙がこぼれた。
「僕はロイを止めるために生まれたんですか? ロイは吸血鬼じゃないんですか?」
はらはらと落ちる涙からアップルは目を逸らし、キャンディを優しく抱きしめた。そして、小さい声でこういった。
私の知っているすべてを話そう、と。
「ロイ様はルヴィーダン家に三男として生を受けた。その三か月前、リリィ様のしるべの儀が行われる。ロイ様の母の腹に手を当てたリリィ様はこう言ったんだ。“この子は破滅を呼ぶ悪魔、生かしてはおけない”。ルヴィーダン家でもそれに逆らう者はいなかった。だからお爺様は取り上げられたその瞬間、首を絞めたんだ」
アップルは嘘など言っていなかった。
先程の本で見た内容とまるっきり同じだったからだ。そしてその暗殺は失敗する。ロイは何をやっても死なないのだ。
22年目の冬、遂にリリィ・マクファーソンはこれ以上の試みは無駄だと先代に伝えた。
そして自責の念からトリート・ハロウィーン・ミッドは自ら代替えを宣言したのだ。
「リリィ様からお達しのある少し前にキャンディ、お前が生まれたんだよ。お言葉は“魔を浄化する者”……リリィ様は言った。お前をロイの隣に置くならば貴族の地位を与え続ける、と」
「そう……ですか」
キャンディは項垂れたまま顔を上げない。
アップルは何かを言いた気にしたが、口をつぐみ自分の息子の言葉を待った。
しばらくの沈黙の後、キャンディはゆっくりと顔を上げる。
「お話、教えてくれてありがとうございました」
その顔は驚くほど穏やかで、その表情にアップルは唖然とした。
「キャンディ、勘違いしないでほしい。ロイ様は……」
「わかっています。僕、仮面のデザインが完成したんです。早く制作に取り掛かりますね。お父様のお時間をとらせてしまい申し訳ありませんでした」
怖い程に柔らかく微笑む息子にこれ以上言葉を駆けられなかった。
「……そうかい、あまり無理だけはするなよ」
ぎこちなく笑い返すとキャンディは足早に書斎から立ち去った。
静かに廊下を進むと前の方から声がかかる。
「キャンディ様、只今アップル様にブランチのトライフルをお持ちしたのですがご一緒にいかがでしょう?」
廊下で出くわしたのは、キャンディが幼い頃から雇っている使用人だった。
「ごめんね、僕は急ぐから。しばらく部屋に籠るから僕の食事は用意しなくていいから」
「かしこまりました」
頭を下げる使用人を背にキャンディは歩みを続ける。
その向かう先は自室でもなければ先程の書庫でもなかった。
* * *
「それで? なにかあったのかしら?」
いつの間にか温かい室温の中キャンディはタオルケットにくるまっていた。
アップルの書斎を出たのちにたどり着いたのはタエの研究室だった。
土砂降りの中走ってきたため髪も服もすべてびしょ濡れになってしまっている。
様々な薬品の匂いと、渋みのあるお茶の香りがキャンディを安心させた。
いきなりの訪問でもタエは笑顔で招き入れてくれた。
普段よりも乱雑に置かれている実験道具を見ながら、言ってくれれば片付けたのよ、と頬を膨らました。
「次の仕事が長引きそうだから、櫻薬をもらっておこうと思ったのさ」
「そう? それだけならわざわざ雨が土砂降りの中、傘も差さずに走ってくるかしら?」
キャンディが顔を上げるとタエの漆黒の瞳を見た。どの夜空よりも深く、濃い色はキャンディを吸い込むように捕える。
「タエは誤魔化せないね」
降参だ、と両腕を上げると、タエは満足そうに笑む。
「それで? なにかあったのでしょう?」
「タエは、今まで知らなかった事実がとても大きくて受け止めきれなかったことってあるかい?」
タエはキャンディの横に座り、少し考えた後に言う。
「あるわ。でもそれって受け止めているのよ」
「どうして?」
「受け止められないことなんてこの世にはないわ。その瞬間をこなしたってことはどんな形にせよ受け止めてるってことだもの。それが誰かの死でも、同じことよ」
タエは神妙な顔でこう付け足す。
「ただ、重すぎて足や腕が潰れちゃいそうになっているだけなのよ」
その顔はいつもの華やかさがあるタエではなかった。儚く、今にも朽ちそうな花のようだ。その後はふんわりと笑うと、机に向かい櫻薬を差し出す。
「雨季が近いから気持ちだって暗くなるわ。でもキャンディなら大丈夫なはずよ」
「あ、ありがとう」
ケースを握りしめると中を確認する。中には普段の倍量の薬が入っている。
「雨だって、時期に晴れるものね」
タエの桜の簪が髪と共に揺れる。
ラルムヴァーグの雨季は長い。雨季が晴れればすぐに吸血鬼感謝祭だ。
キャンディは雨音を聞きながらもう一度きつくケースを握りしめた。




