だいじゅうごしゅ きみがため あきののにいでて のばなつむ わがころもでは かぜにゆれつつ
第十五首
君がため 秋の野に出でて 野花摘む 我が衣手は 風に揺れつつ
小倉百人一首第十五番に納められた光考天皇の歌は、誰しも耳にしたことがあるでしょう。
「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」
雪が降る中、まだ親王様でいらっしゃった光考天皇が、ある人のために手ずから春の七草を摘み、ご長寿を祈る。
なんと物腰柔らかで、清らかなお心の持ち主でいらっしゃったことでしょう。
光考天皇に若菜を摘んで頂けた方がどなたかは、残念ながら伝えられておられないそうです。
けれど、名も残されないような人にも寄り添う光考天皇のお振る舞いは、被災者と膝を寄せてお話をなさった今上天皇に通じるものがあるかと思います。
日本は、このように優しく素晴らしい方々を代表とできる国なのです。
その一方で悲しく残念なことは、ここまで身を尽くし、お休みになられる間もない天皇ご一家を、御継承者問題や国際問題で振り回す人がいることや、そのご苦労を理解してくれない人がいることです。
ともあれ、本題と致しましては、わたしは光考天皇のお歌が琴線に触れて、いやしくも本歌取りなどしてしまったことです。
きみがため あきののにいでて のばなつむ わがころもでは かぜにゆれつつ
七草を手ずから摘むというお心をそのまま受け、本歌に織り込まれた柔らかな表現を、どうにか柔らかな音を取り入れれて損なわないようにしました。
雪降る春の切なさ思われるところは、風に揺れる袖で楽しげな雰囲気に変えることができたのではないかと。
本歌がご長寿を祈るような年かさの方に贈られたのに対し、わたしは子どもの喜ぶ顔を思い浮かべて詠みました。
いつか、我が子に美しさが賞賛された秋の七草を手ずから摘んで贈り、共に中秋の名月を眺めたいものです。




