第十一首 東風運ぶ 桜の便り 一片に 残せし君の 笑みをば思ふ
だいじゅういっしゅ
こちはこぶ さくらのたより ひとひらに のこせしきみの えみをばおもふ
わたしが通っていた大学にはたくさんの桜が植えられていて、春にはまさに爛漫と咲き誇っているのです。
四月も終わりを迎えて、新入生だったわたしも新しい生活リズムに慣れた頃の季節など、白に限りなく近く微かに紅を匂わせる花びらを、風が陽光の中に散らして、きらきらと舞う光景は、まぶたを瞑ればすぐに思い出せるほどに印象深く心に映ったものです。
そのように春に吹く東からの風が桜の花びらをどこまでも運んでいく様を見れば、次のようなことが思い浮かばれるのです。
東風運ぶ 桜の便り 一片に 残せし君の 笑みをば思ふ
平安時代、下位の貴族はそれぞれに地方を治める役目を授けられることがあり、これを受領というのですが、受領をするとその地方へと旅立って管理をしたというのです。
多くの場合、この受領の赴任には妻が伴われたということですが。時には妻に同行を断られたり、恋が成就する前に地方へ赴かなければならなかったりする時もあったでしょう。
私は、恋する君を京に残してあづまに来てしまった。
こうして春を迎えて、桜も咲いた。
その桜が東風に運ばれて、西へと向かっていく。
春の風よ。桜の花びらを西へと運ぶなら、その一片を私の手紙として京まで届けてはくれまいか。
返事はいらず。
その花びらを見て、笑顔を浮かべるのを、ありありと思い浮かべることができる。




