番外連歌 このいのち むねをあふれて ひびきあう
そも、この一人百首は、ふと数えてみたら。
わたしの詠んだ歌が百首を越えていたのに気づき。
前々から、百首を区切りとして、ひとつ、自分の歌をまとめようかと思っていまして。
百首という数には、昔ながらに馴染んだ百人一首が念頭にあったのは言うまでもありません。
当時に選ばれた名首百選と比べるべくもありませんが。
そこは、置きつつ。まずはやってみようと。
そんな経緯で始まったこの一人百首を、この最後の歌まで読んでいただいて、本当に感謝の念は尽きません。
ありがとうございます。
この一人百首が完成した平成二十六年三月二十四日までで、わたしが詠んだ歌は百五十首を越えました。
よくここまでと自分をほめたいところではありますが、紀貫之などは勅撰集に四百五十二首も選ばれたというのですから、生涯でどれだけ歌を詠んだのかと。
さすが、日常の挨拶として和歌を交わしていた時代の人は違いますね。まだまだ精進せねば。
歌に限らず、作品を理解するのには、作者の思考、詩想、経歴、宗教、生命観、独特のリズムなどなどを知ることが必要であり。
必要であるのを考えないとしても、それらを知ることは、作品の読み方を深めて、より面白さを見つけ出す手助けと。
ですが、どうにも、昨今は作者と作品を必要以上に分断するような読み方が進められているような気がしまして。
まして、名もない者のことなど、知る由もなく。
ではと、古来の歌に倣って、短歌に詞書を添えるような形で作品として仕立て上げたのです。
わたし自身、歌を見直して、詠んだその刹那を思い起こすのは、懐かしく、楽しいものでした。
これを読んでくださった方々には、歌を読み深める楽しみを感じていただきたいと思う次第でございます。
歌を詠むのも、読むのも、それは十秒もかからない瞬きの間でしょう。
その一瞬を、いかに永遠に引き延ばすのか。
いかにたったの三十一文字で、無限の想像を引き寄せるのか。
それこそが歌の楽しみ、真髄でありましょう。
そして、この三十一文字こそ、言葉を尽くす、ということだと思っております。
創作とは、常に送り手と受け手の対話です。
だから。
わたしは、この歌の数々より、アナタの歌を響かせたいと思いました。
もし、胸に湧き立つものがあったら。
この歌の続きを、わたしに贈ってくれませんか。
このいのち むねをあふれて ひびきあう
奈月遥 発
連
作




