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暁の姫騎士(前編)

復讐に燃え、剣を取り姫騎士となったヒロインが、仇である王に出会い彼とのかかわりを深めてゆく過程を、お楽しみください。


[続きます]

第一章



 ナルドゥスの花々が、もっとも美しく咲き乱れる季節だった。

 館の庭園はとりどりの色に染め上げられる。赤、青、紫。黄、橙、白、褐色。緑の葉は溢れるような瑞々しさで花を飾り、それらの放つ香気に誘われて、鮮やかな羽根を持った虫たちや、小さな鳥たちが集まってくる。それらを暖かく染める太陽の光。まっすぐに見ているには眩しすぎるくらいに惜しみなく注がれた眩しい光に、シアは目を細めた。

「……もう、夏だね」

「そうでございますね」

 彼女の声に応えたのは、白と緑のお仕着せを着た、黒の髪の少女だった。シアの腰掛ける、円い白い机に盆を置く。そこに置かれたグラスには、薄い緑に染められた、透明な液体が満たされていた。

「お父様も、もうすぐ帰っていらっしゃると言うことだったけれど」

「はい」

 シアは、おのれの乳兄弟でもある侍女のエンジュを振り返った。

「そうすれば、ご一緒にお庭をお楽しみになれますわ」

「花が散ってしまわないうちにお帰りになればいいのだけれどね」

 手を伸ばし、グラスを取った。中の液体を陽に透かし、覗き込んで小さく笑い声を立てる。

「見て、綺麗だよ」

 エンジュを手招きし、二人は緑の液体が染め上げた、庭の花々を見つめた。緑の膜を通してだと、葉の色はますます鮮やかに、そして花々の色は緑と混ざって、今まで見ていたのとはまた違う印象を与える。

「……お母様の植えたサランの花も、今年は綺麗に咲いている」

 正面に植えられた大きな木についた無数の花をさして、シアは呟くように言った。それは薄い桃色で、遠くから見ると、まるで桃色の霧が木を包み込んでいるかのようだ。エンジュは、ふと眉根を寄せた。

「……もう、どのくらいになりますかしら。奥方様が身罷られてから」

「……」

 ことん、と音をさせて、シアは机にグラスを置いた。

「……十二年、かな」

「まぁ、そんなになりますの」

 信じられない、と言ったような声を上げて、エンジュは首を振った。

「大きくなられるはずですわね、シア様が」

 冗談めかしてのそのような口調に、シアは顔をあげて膨れて見せた。

「エンジュとそう変わらないのに、子供みたいな言い方、しないでくれる」

「だって、シア様ったら」

 声を立てて、エンジュは笑った。

「十六にもおなりになるのに、ダンスにも歌にも楽器にもご興味をお示しにならないで、お好きなのは剣と馬。舞踏会に出る代わりに、お館様の近習を相手に剣の稽古ばかりなさっているんですもの」

「いいんだよ」

 膨れた顔をそのままに、シアは頬杖を突いた。

「私はお父様のだた一人の子だもの。ゆくゆくは、このカエキル家を継がなくちゃならないんだから。そのためにも、剣の腕を磨いて、立派に家を守れるようにならなくちゃ」

「……意味が、違うような気もするのですけれど」

 首を傾げるエンジュに、畳みかけるようにシアは言った。

「お父様がいない間は男手も少ないし、この家のものと言ったら私だけなのだから。私がしっかりしていなくちゃだめなんだって」

「それは、分かりますけれど」

 そのように自分の主張を通せば決して否定はしないエンジュであることをシアは知っている。そして、それは妻の忘れ形見の、ただ一人の娘を甘やかし気味である父とてそうであることを、シアは充分に分かっていた。

「それに、私は剣の方が好きなだけなんだよ」

 グラスの中身を一気に干すと、シアは立ち上がった。

「ダンスも歌も、私には向いてないってこと、よく分かってる。それに、宮廷に上がって王子様やお姫様のお相手をしなくちゃいけない上流貴族のお嬢様方とは違って、うちなんかは、一生王宮なんかには縁のない、田舎の下級貴族だからね。そういう身にもならないこと、一生懸命やっているよりは剣の一つでも身に付けて、野党だの盗賊だのに立ち向かえる力をつけているほうがよっぽど将来のためになるよ」

「……ご意見は、ごもっともですけれど」

 エンジュがため息をついた。

「だからと言って、家庭教師の先生方のお勉強をおさぼりになってもいいということにはなりませんわよ」

 もっとも痛い決定打を突きつけられて、シアはひるんだ。

「それに、確かに王都に上がることなどめったにないとは言っても、今回のお館様のように、そう言う機会がたまたまないとも限りませんのよ。隣国の宰相様をお迎えしての剣舞の宴にお呼びがかかるなんて」

 エンジュは、うっとりと声を緩めた。

「素晴らしいですわね、お館様の剣舞の腕が、王都にまで鳴り響いているなんて」

「そうだよ」

 話がそれたことにほっとして、シアは慌てて言った。

「普通、こんな地方の貴族なんかにそんな晴れやかなお役目が回ってくるなんてことないのにね。よっぽど、素晴らしいんだよ、父上は」

「そうですわ」

 おのれの父であり、おのれの主人であるマルティアスが、そのような栄誉を受けたことに対する二人の意見は一致していたので、話はシアが危惧したような展開になることもなく、再び弾み始めた。

「私などは、間近で見慣れておりますから、素晴らしい、と言う以上にはよく分からないものですけれど。見る方が見れば、その素晴らしさはきっとよく分かるのですわ」

「私も、父上のような剣の使い手になりたい」

 うっとりとシアは言った。

「そして、王都にいらっしゃる国王陛下に認めていただくんだ。それなら、ドレスを着たりダンスをしたりする必要もないんだし」

「結局、そう言うことですのね」

 シアの言葉が、エンジュを再び現実に引き戻した。

「それでは、まるで男の方ですわ。シア様だって、お化粧なさって、髪を結い上げられて、ドレスをお召しになれば決してそこいらの姫君方にも負けませんのに」

「……だから、もういいって」

 シアは肩をすくめた。

「ね、それより、お父様から便りはあった?いつお帰りになるか」

「私は存じません」

 話の腰を折られて、少々機嫌を損ねたエンジュが言った。

「お館様からのお便りは、先月シア様宛てにお寄越しなされたもの以外、私は知りませんわ」

「早く、お帰りになったらいいのにね」

 シアは微笑んだ。

「王都でのお話、聞かせていただけるかな」

 花は太陽の光にますますきらきらと輝き、飛び交う小鳥のさえずりや、虫の羽音で賑やかに満たされていた。それに目を細めながら、シアは幾月か前に王都に上がったままの父のことを思い浮かべて微笑んだ。



 シアの髪は、濃い藍だった。光の加減では黒にも、青みがかって見えることもある。長く伸ばしたそれは毎朝、侍女のエンジュの手で結い上げられる。結い上げる、とは言ってもただ頭の天辺で一つにまとめるだけだ。それをいつもエンジュはつまらながって、凝った形に整えたり、飾りをつけたりしたがる。しかし、シアにとってはそれは邪魔なだけだった。剣を振るうときに頭の上で触れ合う簪の音は煩わしいだけだったし、少し首を振っただけで崩れてくる、当世流行の髪形というのも馴染めなかった。そんなわけで、今日もエンジュが結い上げたシアの髪形というのも、長い髪をただ一つに結んだだけの、何の飾り気もないものだった。

「これで、よろしゅうございますか」

「うん、ありがとう」

 最後に髪を毛先まで梳きあげて、エンジュが言うのにシアは頷いた。

「たまには、もっと変わった形に結わせて下さいませ」

 エンジュが、してもせんない望みを口にする。

「張り合いがありませんわ、毎日毎日同じ髪形では」

「これが一番楽なんだよ」

 シアは断固として言った。

「編み込んだり、飾りをつけたり、そんなのごめんだからね。どうしても髪形を変えて欲しいというのなら、男の子みたいに短く切っちゃうから」

「それだけは、おやめ下さいませ!」

 シアが今にも本当にそうするかとでも言うように、エンジュは顔を引きつらせてシアの髪を握った。

「せっかくここまでお伸ばしになったもの、切ったりなさったら私はその場で失神してしまいますわ。切ってしまわれたら、いざ正装なさるとき、髪ばっかりはどうしようもないではありませんの」

「じゃ、言っても無駄なことは言わない」

 シアは立ち上がり、目の前の大きな鏡などまるでないかのように、覗き込みもしなかった。

「今日は、ティブリア先生のいらっしゃる日だね」

 声を弾ませて、シアは言った。

「あの先生は、私相手にも手加減しないから好きだよ」

「私などは、ティブリア先生のご講義の日には、シア様がどんな大きなお怪我をなさるかと、それが心配で仕方ありませんわ」

「そんな、大した怪我にはならないよ」

 シアは笑って手を振った。

「せいぜい、腕を切ったりするくらいだよ」

「それが恐ろしいのですわ」

 身を縮み込ませて、エンジュは言った。

「まだ輿入れもなさっていない、貴族のお姫様でいらっしゃいますのに。そんな方が、剣の傷なんて……」

 いつも聞かされるそんな話にいささかうんざりして、シアはこっそり部屋を抜け出そうと身を翻した。

「シア様、お怪我だけにはお気を付けて下さいませ。それに、練習はできるだけ日陰でお願いいたしますわ。この時期、日差しはすぐ肌を焼いてしまいますからね。日焼けはよくありませんのよ」

「分かった分かった」

 ひらひらと手を振って、シアはエンジュに微笑みかけ、傍らの剣を取り上げて扉に向かった。

 シアが扉を開けるのと、回廊の向こうから響いてきた大きな足音の主が姿を表すのとは、同時だった。

「……シア様……!」

「どうしたの、アナシオ」

 カエキル家の執事を長く務める、もう老人と言っていい年のアナシオは、息も絶え絶え、と言うようにシアの前に跪いた。

「……これを……!」

「どうしたの、一体」

 アナシオの、あまりに取り乱した姿に驚きと笑いを滲ませて、シアは言った。

「そんなに走ったりしたら、体に良くないよ、もう年なんだから」

「……そのような場合では……」

 いつも、アナシオをからかうときそのままに軽口を叩いて見せたシアに、アナシオはそれどころではないというように手に持った書簡を差し出した。エンジュが、何事かと背後から覗き込む。

「お館様が……!」

「お父様が?」

 もう戻ってきてもいいはずの父が、なかなか表れないことにいささか気を揉んでいたシアは、その言葉にほとんど引ったくるようにアナシオの差し出した書簡を手にとり、慌てて目を通した。

「お館様が、お館様が……」

 上手く言葉も継げないアナシオの前に、書簡が舞って落ちた。シアは、それが手から落ちたことにも気づかないで、ただそこに立ち尽くす。

「お父様が……?」

「シア様、どうなさったのですか」

 目の前の二人の奇態に、エンジュがおろおろと手を揉み絞った。

「お館様が、どうなされたのです?」

 言葉を継げないシアに、その書簡に書いてあることの異常さに思い当たったのか、エンジュはシアを揺さぶった。

「シア様!」

 言葉にするのは憚られた。しかし、シアのような貴族の娘でもないエンジュは文盲で、その書簡を読んでやらねばことの次第を説明することも出来ないと言うことを、ぼんやりと思いだし、シアはエンジュを振り返った。

「お父様が、亡くなられたと……」

「……え?」

 そして、エンジュもシアと同じ表情をした。

「お館様が……?」

「……うん」

 アナシオが、書簡を取り上げた。

「ナルドゥス圏治者、マルティアス・カエキル。過日花の月十五日、宮廷での抜刀、及び流血沙汰の責を問われて自刃。遺骸は火中に投じられた、と」

「火に、だって……?」

 シアが震える唇で言った。

「抜刀、流血……?葬ることも許されずに、火に入れられただって……?そんな、お父様がどんな重い罪を犯したというの……?」

 その場に立ち尽くす三人は、ただ呆然とシアの手元の書簡を見つめた。何度読み返しても、そこには同じことしか書いてはいない。青いインクで書かれた固い文字が並ぶそれを、まるで書いてあることが少しでも変わりはしないかと、シアはただただ凝視した。どう変わったとて、これ以上悪い知らせにはなりようもなかった。

「これだけ……?」

 アナシオにそう問うと、彼は力なく頷いた。

「今、王都から早馬が参りました。これを私に渡し、そのまま返事を待つこともなく去ってしまったのです」

「紋は?」

「……翼を持った、獅子でした」

「……」

 それは、現在このリストフォルス国を支配する、アンシーヌ家の紋章にほかならなかった。それを持った馬に乗った使者となれば、それは間違いなく王家からの使者で、つまり、この書簡が嘘のものではないということを示している。

「どうして……?」

 疑問ばかりが口を裂いた。

「お父様が、なぜ?何をなさったというの?これだけでは何がなんだか分からない。信じていいものか、何を信じていいのか。そもそも、その早馬だって王家からのものかどうか……」

 アナシオの見たものを疑っているわけではなかった。しかし、シアには信じられなかった、信じたくなかった。それが間違いであると思いたかった。父が、王宮にて何か不名誉なことを行なったということ、そして、自尽は許されたとはいえ遺体を火にくべられるという、もっとも不名誉な死に方をしたということ。

「それほどまでに、父上がなにをなさったというの」

「……」

 それに答えられるものは、その場にはいなかった。アナシオも、エンジュも、ただただ困惑に表情を染めながら、シアを見ていた。

「……私は、王都に行く」

「シア様!」

 二人が、ほとんど同時に叫んだ。

「そんな、危険です!」

「お館様が何をなさったにしても、唯一の血縁者であるシア様が王都においでになれば、シア様とてお館様の罪に連なって死罪を賜りかねないのですよ」

「だからと言って、このまま黙っていられるわけもない」

 シアは、唇を噛んだ。

「お父様が何をなさったのか、なぜそんなことをなさったのか。必ず、理由があるはず。その理由をこの目で見、この耳で聞き、そうしなければ絶対納得なんかできない」

「……シア様」

「何が理由であったって、納得なんかできるとは思えないけれど」

 昔かたぎで、頑固なところがある父だった。しかし、シアを女だからというだけの理由でドレスの中に押し込んだり、無理矢理ダンスを舞わせたりするような父ではなかった。それどころか、アナシオやその他のシアの教育係の者たちを説き伏せて、シアの剣を習わせてくれたり、シアの剣への情熱を理解してくれたのは父にほかならなかった。そんな父が、宮殿で剣を抜くほどの何があったのか。あまつさえ、血を流したということだって、一体誰の血を流したというのか。それが、仮に国王のそれだったとしても、それにはそれ相応の理由があるはず。シアは、そのわけを知りたいあまりに気も狂わんばかりだった。

「私は、王都へ行く」

「シア様……」

 エンジュのその声が、シアを行かせたくないという思いで一杯だったのを、聞き取れないシアではなかった。しかし、それはシアの意志を止めるには足りなかった。訃報を伝えた書簡を握り締め、シアは体に力を入れて立った。歯をぎりりと鳴らし、噛みしめた唇が鋭い痛みを伴ったが、その痛みがなければその場に立っていられなかった。

「王都に行って、お父様の亡くなったわけを聞く。そうしなければ、私は生きている甲斐さえない」

「シア様……!」

 そんなシアに、エンジュがすがりついた。

「シア様、どうか、お約束して下さい。決して危ない真似はなさらないと。王都の方々は作法も物言いも、私たちとは違うと申します。その中に立ち入って、たとえ何を言われても、決して御身を危険に晒すような真似はなさらないと……」

「分かってるよ」

 シアは、エンジュに向かって微笑んだ。

「私だって、死にに行きたいわけじゃない。お父様の最期を知る人に、その時のことを聞きたい……そして」

 それ以上は言わなかった。言えば、エンジュもアナシオも必死でシアを止めるに違いなかった。しかし、シアは心密かに、ある決意を秘めていた。

「明日にも発つ。アナシオ、私の旅支度を。そして、王都に早馬を。シア・カエキル、父の最期を見届けに上がる、と」

 シアは、書簡を巻き直し、エンジュに渡した。それを慌てて受け取る彼女の青ざめた顔に、シアはそっと微笑んで見せた。流れ込む日の光も、窓の向こうで揺れる花々も、もうシアの目には映ってはいなかった。彼女の目に浮かぶのは、見たこともない王宮で、不名誉な罪をかぶらされ未練を残して死んでったのだろう、父の顔。それが、シアを押した。父が、自分を呼んでいるように思えた。

「……参ります、お父様」

 昨日までのシアの毎日は、その一通の書簡によって、永遠に失われてしまったのだ。


第二章



 馬に乗ることに慣れたシアが、それを精一杯飛ばしても王都までには三日がかかった。幾つもの国を越え、川や山を越えて、シアがたどり着いたころ、王都ではもう花は散り、濃い緑が木々に宿っているころだった。

 しかし、そこはシアの今まで知っていた場所とはあまりに違うところだった。道には石が敷き詰められ、土の見える場所などはほとんどない。行き交う人々の多さはシアの生まれ育ったナルドゥスの人口の比ではなく、また、その人々の髪の色、瞳の色、肌の色、多種多様なそれらの色、そして顔の作りの違いにシアは目を白黒させた。

 耳にする言葉はあまり違いがないようではあったが、それでもわずかにおのれのそれとは違う訛りを感じ、王都へのシアの第一歩は、驚きから始まった。

 王都は広い。この石畳の街が王都なのだと聞かされてはいても、果たしてどこに目指すべき王宮があるのか、シアにはあてさえなかった。馬をおり、手綱を引いて街を行く。すれ違う人に、何か聞けないかと耳を澄ました。

「……カエキルの……」

 身なりの整った二人の婦人が囁きかわす声に、シアは立ち止まった。確かに、そう聞こえた。

「恐ろしいこと。宮中で剣を抜くなどと……」

「……お怪我をされたと……」

 シアは振り返って彼女たちを追った。

「あの、そこの方!」

 そのあまりに大きな声に驚いたのか、婦人たちは立ち止まった。旅の末で衣装も汚れ、髪も乱れているシアを訝しんでか、彼女たちのきっちりと化粧された目元は不審に歪んだ。

「あの、今のお話……」

 近寄るシアを避けるように、長い裾を器用にたくしあげて、その婦人は一歩退いた。

「今のお話、詳しくお聞かせ下さいませんか」

「……あなたは……?」

 シアは胸に手を置き、心を落ち着かせることに専念した。

「……旅の、ものなのですが。道すがら、王宮で何か事件が起こったと耳にしまして、詳しいことをご存知のお方にお聞きしたいと思っていたのです」

「そう」

 その言葉を信じたのかどうか、彼女たちは肘をつつきあわせ、肩をすくめた。

「あなた、どちらから?」

「……サザンテゥス、です」

 とっさに出たのは、ナルドゥスの隣にある別の領地だった。彼女たちの視線を目の前に、ナルドゥスの名を出すことは憚られた。

「それでは、ご存じなはずね。お隣のナルドゥスのこと」

「……ええ」

 シアは、婦人たちの顔を食い入るように見た。

「何と言ったかしら、あそこの治者だった、カエキル家のご当主」

「マルティアス・カエキル、よ」

 もう一人の婦人が父の名を口にした。

「そうそう、その、マルティアス・カエキルが、この度隣国のロスクリード国の宰相様がお訪ねになられた折りの、剣舞の使い手として選ばれたの」

「剣舞の腕は素晴らしかったそうよ、剣舞の腕は」

 含みのある言い方をして、二人は意味あり気な笑みを浮かべた。

「ただ、その演舞のあと、ロスクリードの宰相様と、なにかあったとか」

「何があったのかまでは知りませんけれど、マルティアス・カエキルは、怒りのあまり剣を抜いて切りかかったのですって」

 さぞ恐ろしげに首を振り、婦人たちはちらりとシアを見た。

「宰相様は、腕に怪我をなさったということよ。お命には別状はないらしいけれど、何と言っても、相手は宰相様でしょう?おまけに宮中での抜刀はこの上ない禁忌。国王陛下がその場で厳罰に処置なさって……」

「自尽の上、火中に投じられたのですって」

「恐ろしい」

 二人はこの噂話を得意げに話した。シアがどういう心持ちで聞いているのか、気にすることもないようだった。

「火に入れるなんて恐ろしいこと、よほど重い罪に値するのでしょうね?」

「そうでなければ、陛下自らお指図にはならないでしょう」

「相手が悪かったとしか言い様がないわ」

「宰相様ではね。ロスクリードの王位継承者でもあるというじゃない?そんな方に切りつけたとあれば……」

「王宮は、どちらです」

 シアの声音が変わってしまっていることに、二人は気づいてはいないようだった。

「王宮ですって?」

「ええ」

 低い声で、シアは言った。

「どちらです」

「……あちらよ」

 白い手袋をはめた手が、北の方角を指さした。

「しばらく行けば、分かるわ。見間違えようもないもの」

「ありがとう」

「あら、あなた……」

 もう、最後の言葉を聞いてはいなかった。馬に飛び乗り、石畳を駆けた。すれ違う人々が驚いて彼女を見送ったが、それらは全て、視界の向こうに消えた。

 あんな温和だった父が剣を抜くほどのことだ、それはよほどのことであったに違いない。そうでなければ、御法度をあえて侵すようなことをするはずがない。慣れない石畳を走ることで、いささか足の遅い馬を叱咤するように鞭を鳴らし、シアは王宮を目指した。程なく眼前に現れた白亜の建物。その大きさ、門の広さ、警衛の多さ。それこそが、まさに王宮に違いなかった。

 門の前で馬を止めると、突然表れた馬上の少女に驚いたものか、槍を持った警衛が身構える。慌てて来た衝撃に息を整え、馬をなだめ、シアは白と青の鎧をまとった警衛に声をかけた。

「……陛下に、お目通りを願いたいのです」

「はぁ?」

 返ってきたのは、まるでシアの言葉がわからないとでも言ったような、気の抜けた返事だった。

「国王陛下にお目通り願いたく、やって参りました」

「どこの誰か知らないが」

 馬鹿にしきった声で、警衛は言った。

「いきなり表れて、陛下にお目通りもなにもあるか」

 他の警衛も集まってくる。

「陛下がお目通りを許すような方ならそのように馬一頭でやって来たりはしない。しかるべき馬車に、しかるべき従者を連れているはずだ」

「会いたいと言って会えるようなお方か。仮にも一国の王を、何と心得ているのだ」

 集まってきた警衛たちは、物珍しそうにシアを眺めながら、次々に言葉を投げ掛けた。

「どうせ、田舎から出てきた物知らずの鄙者だろう」

「従者もつけずに、若い娘が。ここまでたどり着いただけでも幸せと思うんだな」

「馬鹿なことは言わずに、帰ったほうがいいぞ」

 シアは、磨き抜かれた鎧をまとった警衛たちをきっと見上げた。

「では、このようにお取り次ぎいただきたい」

 握った手綱を力を込めて引き、口元を引き締めてシアは言った。

「ナルドゥス圏治者マルティアス・カエキルが娘、シア・カエキルが父の最期を見届けにやって来た、と」

「……!」

 ざわめきが走った。あのような、市井の女たちでも知っているのだ。王宮の警護に当たるこの男たちが知らないわけはない。

「カエキル、だと……?」

「あの、手討ちになった剣舞の使い手か」

「あの男の、娘だと……?」

「おい」

 表情の変わった警衛の一人が、先程とは違う声でシアに声をかけた。

「お前がマルティアス・カエキルの娘だという証しはあるか」

 シアは、黙って腰に付けた剣の把を指し示した。そこに彫り込まれた、二匹の狼が尾をからませた姿が彫り込まれた紋章に、警衛たちは眉をひそめた。

「本物か」

「これは、フェリク様に……」

 二人が駆け出した。残った警衛が、シアの腕を取る。

「陛下にお目にかかれるかどうかは分からんが、取りなしてはやる。それまでこちらにいろ」

 しかし、シアはその手を振り払った。

「結構です」

 その声に、警衛の男は驚いたようだった。腕を放し、しばらくシアを見つめていたが、やがて眉を顰めて小さく毒づいて、その場にシアを残したまま、持ち場に戻ってしまった。

 目の前に立ちはだかる白塗りの大門を前に、シアは体に力を入れたまま立ち尽くしていた。



 シアがその門の向こうに招き入れられたのは、それから一刻ほどもしてからだった。その間にも、噂が噂を呼んだらしく、門の向こうの庭園には心なしか人の数が増えた。皆、さりげない風を装ってはいるが、シアを見に来たことは明らかで、先ほどの警衛の誘いを断ったことをいささか後悔したほどだった。

 先ほど駆けて行った警衛が戻り、シアを手招きした。警衛たちが出入りする小さな門から中へ入ることが許され、そして、その向こうでは黒のローブをまとった小柄な男が立っていた。

「マルティアス・カエキル殿がご息女、シア・カエキル殿」

 いささか嫌みに過ぎるほどの丁寧さで、彼は言った。

「頭領魔道師、フェリク・チェチリア様がお待ちでいらっしゃいます」

「魔道師……?」

 シアは眉を顰めた。

「私がお目にかかりたいのは、国王陛下です」

 黒のローブの彼は少し目を見開いて、そしてシアを見て小さく微笑んだ。

「陛下には、そうおいそれとお目にかかれるものではありません」

 そして、門衛たちと同じことを言った。

「ひとまず、フェリク様にお目にかかられて、それからお取り次ぎをお申し出になるのが筋でございます。フェリク様は、陛下の第一の側近であられる方。本来ならばこうやってお目にかかることもそう簡単にはできない方なのですが、あなたに興味を持たれましてね」

 男はシアについてくるように手招きした。シアは、それに従うほかなく、寄ってきた従者に馬を預け、歩みを進めた。

「あのような無法者の娘になどお会いなさるな、と申し上げたのですが。いささか変わったお方でして」

 シアを振り返って、彼は笑ったともなんともつかない表情をした。

「……いつ、切りつけられるともしれないのに」

「……」

 その言葉の意味が分からないシアではなかった。ぎゅっと唇を噛んで、彼の視線と言葉をやり過ごす。彼は、シアのようにちゃんと地面を踏んで歩いているようには見えなかった。まるで、宙に浮いて、空気の上を滑っているかのような。おそらく、彼も魔道士なのだ。そして、その主が今から会うフェリクという頭領魔道師なのに違いない。

 白亜の宮殿の、西にそびえる塔に入った。長い回廊と、階段と、そしてまた回廊。魔道士と薄汚れた格好をした少女の取り合わせは、自然人目を引いた。すれ違う侍女や従者たちがひそひそと囁き交わす。恐らく、彼らがその好奇心を満たされるのもそう遠くではないのだろう。

 その塔の、ほとんど最上階と言ってもいい階の扉の前で、魔道士は立ち止まった。それは簡素な木の扉で、頭領魔道師、などという立派な肩書きを持ったものが住まうにはいささか不似合いではあった。

「フェリク様」

 魔道士が、そう呼びかけながら戸を叩く。内側から声が聞こえたが、シアにはそれが男の声だという以外なにも分からなかった。

「こちらへ」

 無愛想に魔道師は言った。扉が開かれ、目の前には、雑然とした部屋の様子が広がった。

「頭領魔道師、フェリク・チェチリア様でいらっしゃいます」

「そんな堅苦しい紹介はよせよ」

 軽い笑い声とともに、シアの目の前に座した男が笑った。

 薄い茶色の髪を短く刈り込んだ男だった。長椅子に腰掛けているので背のほどは分からないが、かなり高いのではないかと見て取れた。かなり着崩した様子で、青いローブを身にまとっていた。

 頭領魔道師、と言うからには、髭を生やした厳めしい老人を想像していた。しかし、そこにいるのはどう見ても三十を一つ二つ越えた程度の、若い男だった。父よりも若いことははっきりと見て取れる。髭もなく、厳めしい衣装もまとっていないことが、彼をより若く見せた。

 胸に飾られた紋章は、六つの頂点を持った、星の形をしたもので、その色によって魔道士の位が表されるのだと、魔道に縁のないシアも知っていた。もっとも低いのは、緋の魔道士だ。低いとは言っても学問の分野では最難関である、魔道学院への入学を果たしたものにしか与えられない。厳しい学院での教育と研究を身に付け、卒業したものには藍の紋章が与えられる。その後、軍人魔道士か、研究魔道士かの道を選び、軍人魔道士は軍に、研究魔道士は王宮の研究院へ進むことになる。白、青、緑。位が上がるにつれ、与えられる紋章の色は変わってくる。そして、最高峰に位置するのは、紫だった。魔道の方面にはあまり明るくないながらも、シアはそのようなことを思いだしながら、改めてフェリクの胸に飾られた紋章を見た。

 印象的なのは、その金色の瞳だった。まるで野生の獣のように光った瞳をシアの方に向けて、自分を観察するようなその視線に、シアは思わず身をすくめた。

「シア・カエキル、だって?」

 部屋の中に招かれて、背後で扉の閉じる音を聞きながら、シアは頷いた。

「マルティアス・カエキルが娘、シア・カエキル。父の訃報を聞き、その最期を見届けんがため、参上つかまつりました」

「まぁ、そう固くなるなって」

 フェリクは笑った。

「陛下は、今はお忙しい。ゆえに俺が謁見にあたらせてもらったんだ。ご不満のほどは承知だが、まぁ、今は俺で我慢してくれや」

「……はぁ」

 あまりの砕けた物言いに、シアはいささか気をそがれてフェリクを見た。

「領地からそのまま駆けてきたんだろう?長旅、ご苦労さん」

 シアが毒気を抜かれる気軽さで、フェリクは言った。

「食事でもするか?それとも、湯を使って着替えでもするか」

「フェリク様!」

 たまり兼ねて、シアは言った。

「そのようなことはいいのです。私は、ただ父のことをお伺いしたいだけ。そのためだけに、領地から馬を飛ばしてやって参りました」

 シアは、フェリクの前に身を投げ出した。それにフェリクは驚いたようだったが、シアには彼の表情を見ている余裕はなかった。

「お願いいたします。私のもとに届けられたのは、王宮からの書簡一通のみ。父が、抜刀及び流血事態の責を問われて自尽、火中に葬られるという憂き目に遭ったと」

「……」

「街の噂では、ロスクリード国の宰相様と何かあったとか。それゆえに、父は抜刀して宰相様を切りつけたと。そんなこと、私には信じられません」

 シアは唇を噛んでうつむいた。

「父のことは、私が一番よく存じております。なにがあったからと言って、直ちに剣を抜いてしまうような短慮な父ではありません。もしそれが事実なら、なぜそのようなことに至ったのか。私が知りたいのは、真実だけです」

「……」

 フェリクは、シアをじっと見て何かを考えるふうだった。

「そのためにも、是非、陛下にお目通りを」

「……」

「死を命じられたのが陛下だというなら、是非、その旨をお聞きいたしたい」

「聞いてどうする」

 鋭くフェリクの声がとんだ。

「親父の死に様を聞いて、そして、どうするんだ」

「それは……」

 フェリクは長椅子に腰を落ち着け直し、シアを見た。

「お前の聞いた話は正しい。書簡もこちらから寄越したものだし、街の噂とやらも、おおむねは間違っていないさ。そこにはない真実だって、俺は話してやれる。しかし、それを知ってどうする?」

 シアは、言葉を飲んだ。

「知ったからと言って、お前に何か出来るのか?何かをするつもりなのか?マルティアス・カエキルは死んだ。宮廷御法度に触れてな。その動かしようのない事実を、今更どうしようって言うんだ?お前に出来ることは、父の菩提を弔って、そして跡取りとして領地を守ることじゃないのか?それを放棄して、こんなところまでやって来て、そして、一体何を探り出そうというんだ」

「……」

 言葉を失って、シアは唇を噛んだ。

「陛下は、カエキル家をお取り潰しまではなさるつもりはない」

 フェリクは、しばらくの沈黙ののち、言った。

「咎はマルティアス・カエキル一代のみ、その末にまでは咎めなしと仰せだ。これは、破格の扱いなんだぞ?本来ならこのような不祥事、一族郎党滅ぼされて王宮の広場に首を晒されても文句は言えないんだからな」

 その金の瞳が、最初見たときの、シアの訪問を面白がるような好奇心に満ちたものから、一転厳しいものに変わる。そのへだたりが、シアの体をますます固くした。

「国に、帰るんだな」

 フェリクは、そんなシアをなだめるように言った。

「ここまで来たあんたの気概は褒めてやるよ。しかし、来るべきじゃなかった。命を縮めに来たようなものだ」

「しかし……!」

 シアは食い下がった。

「私が知りたいのは、真実だけなのです。それさえ知れば、あとは、陛下のご温情にすがってもとのように領地に戻り、大人しく、父の魂を弔って過ごすことにも、やぶさかではありません。ただ、私は、何が起こったのか。それだけが知りたい」

 自分を見つめるフェリクの瞳に負けないように、シアはおのれの琥珀の視線に力を入れた。それを試すように、フェリクがシアをじっと見る。それが、魔道士のものだからだろうか。見つめているだけで、どこか不安定な心持ちがする。まるで、術にかけられて意識が遠のくような。ともすれば、フェリクがおのれにかけた術なのかもしれない。魔法には、見つめただけで相手を失神させるものもあると聞いた。どういう理屈で成り立っているものなのかは分からないまでも、もしそれがそうであるならば、彼の術にはまってはいけない。ここまで来た目的を達せずに、国に返されるようなことがあれば、国元で彼女を待つ近習たちも、そして、彼女自身、納得のいかないままになろう。

「……」

 金と琥珀の瞳が絡み合ってのち、フェリクがため息をついた。呆れた、とでも言うように、唇の端を少し持ち上げての吐息だった。

「分かったよ、お嬢ちゃん」

 肩をすくめてフェリクは言った。

「それほどまでに意志が固いなら、気の済むようにすればいいさ」

「ありがとうございます!」

 シアはぱっと顔を輝かせた。

「ただし、今日は無理だ。今日は陛下はことのほかお忙しくていらっしゃるからな。あんたのことはお耳に入れておく。いつになるか分からん。それでも、あんたは、マルティアス・カエキルに直接刑をお下しになった陛下ご自身から事実を聞きたいんだろう?」

 シアは頷いた。

「……ふぅん」

 顎に手をやって、フェリクはシアを眺め回すように見た。

「あんた、幾つだ」

「……十六にございます」

 シアはいささか身を固くしてその視線から逃げようとした。

「十六か。そんな服に身を固めて、もったいないな、ドレスを着て髪を結い上げでもしたら、大した美人になるだろうに」

「やめてください」

 いささか憤慨して、シアは言った。

「私は、そう言うのは嫌いです」

「ふぅん?」

 フェリクは、なおも面白そうにシアを眺め回した。

「今から、お前さんの着るものを用意してやろうと思ったんだが。じゃ、ドレスよりもそんな男みたいな服の方がいいってわけか」

「そんな、見知らぬ方のお世話になるわけには……!」

 驚いてシアが振り向くと、フェリクは肩を反らせた。

「俺だって、別に世話したいわけじゃないけど、でもそんななりで陛下の前には出られないだろう?しかも、陛下のお目通りが叶うまでには何日かかるか分からない」

「その間は、街でお待ちしております」

 シアが懐をまさぐった。

「あまり長い間は無理ですが……多少の蓄えは」

「どれ?」

 フェリクは立ち上がった。長いローブの裾を引きずるようにシアの側により、彼女の懐の小さな袋を覗き込んだ。

「……大人しく、ここにいるこったな」

「なぜです」

 顔を真っ赤にしてシアは言った。

「これでは……足りないと?」

「あんたの田舎ではどうだか知らないが、この王都じゃ、その程度の路銀はすぐになくなっちまうよ。悪いことは言わないから、俺の世話になりな。俺も、いったんあんたを預かった身としては、あんまり見苦しいなりで陛下の御前にも出せないからな」

「……!」

 言葉も出ないほどに真っ赤になったシアの肩を、フェリクは叩いた。

「まぁ、この先何があるか分からないんだ。お宝はしっかりしまっておきな」

 そして、大きく手を打って声を上げた。

「誰かいるか」

 表れた二人の侍女にてきぱきと指図をする。シアは、彼女たちに連れられてフェリクの前を退出することになった。

「出番が来たら、教えてやるよ」

 にやりと笑ってフェリクは言った。

「それまでは、せいぜい英気でも養っておくんだな」

 どこをどう行けばどこに続くのか、想像もつかないような広い王宮の中を侍女たちに連れ回されて、シアはその日から、王宮の客人となった。



 シアが希望を叶えられるまでには、数日を要した。その間、彼女を引き取った頭領魔道師、フェリク・チェチリアも忙しく、彼女の相手をしていると言うわけにはいかなかった。シアは、許されるかぎり、王宮の中を歩き回り、ここにいる目的に関する情報を集めようとした。

 シアの存在は、まだ宮中ではそう知られてはいないようだった。シアが歩いていても、新入りの従者の一人とでも思われるのか、気に留められることもなかった。

 貴婦人たちが集まり、話に花を咲かせる場では、必ずと言っていいほどマルティアスの話が出た。しかし、その事件を恐ろしい、と言う以上の話を聞くことは出来なかった。まるで、そうすることが止められているかのように。皆の言葉には含みがあった。中には、それすらも知らず、ただただこの血なまぐさい事件を恐ろしがるだけのものもいたが、幾人かは、シアの知りたい真実を知っていて、なお口に出さない、と言う様子のものもいたのだ。

 彼女たちを問い詰めて、それを聞いて回りたいような気もした。しかし、口さがないおしゃべりすずめたちの口に父のことを穢されるのもいやだった。そして、それはやはり父にそのような罰を下した国王自身に聞くべきなのだと、フェリクの言葉を信じてシアには待つしか出来なかった。

 そして、その時は、幾度目かに、シアが与えられた王宮の中の一室で目を覚ましたときに訪れたのだ。

「待たせたな」

 シアが身繕いをするのも待たず、フェリクは遠慮もなく彼女の部屋に入って来て、そう言った。

「今日、陛下がお前さんにお会いになるそうだ」

「……」

 シアは、やっと訪れた機会に、驚いてフェリクを見た。

「そう、疑わしそうな顔で見るなよ。まぁ、これだけ待たされちゃ無理もないが」

 腕を組んで、首を傾げて、相変わらず頭領魔道師などという大層な地位にいる者とは思えない態度で、フェリクは言った。

「謁見は、今日の昼過ぎだ。身なりを整えておけ。持ってきたもん、身に付けとくの忘れるなよ。どう転んだって、ここにはもう戻ってこないからな」

「……はい」

 どう転ぶ、と言うのがどういう意味なのか、シアは少し考えたが、それは今日の日への感慨にすぐに消し飛んでしまった。

 嬉しい、と言うわけにはいくまい。何を聞かされるか分からない、ともすれば、父の、自分の知らなかった不名誉な話を聞かされるともしれないのだ。しかし、そのためだけにここにやって来たシアにとっては、今更何を聞かされても驚くつもりはなかった。家紋の入った剣を腰に下げ、衣服をきちんと調え。一つに結い上げた髪に、ふと故郷に残してきた乳兄弟のことを思いだした。



 そこは、白い大理石で出来た広間だった。長い廊下を通って、やはり石で出来た重い扉を開ければ細長い部屋があった。壁にそっての両脇は立ち並ぶ柱で支えられており、その柱には全て同じ、金で飾られた模様が彫り込まれていた。それらは全て翼を持つ獅子の姿をデフォルメしており、それは、現在この国を支配するアンシーヌ家の紋章であった。

 謁見そのものは非公式のものとは言え、このような場に連れてこられてシアはいささか気後れした。広間に通され、玉座の置かれた壇上の前に立つように促された。そこにある二つの大きな椅子はまだ空いていたが、その傍らに重臣とおぼしき幾人かの男たちが立っていた。そこにはフェリクもいて、シアを見ると目配せを寄越してきた。頭領魔道師たる彼がいるのだから、その回りの者たちも彼に次ぐほどの地位にあるものなのだろうとシアは推測したのだ。

 程なく、先触れの声があった。国王の入室を促すそれに、その場にあるものは全て跪いた。シアも慌ててそれに倣う。

「国王陛下、及び、妃殿下のおなり」

 衣擦れの音がした。シアの前を通ってゆっくりと進むそれに、顔もあげられず、シアはただ身を固くした。白い裾を引いた、二つの影が目の前を通っていった。

「顔を……」

 シアが初めて聞いた王の声は、それだった。低すぎず、とはいっても高くもなく、決して耳障りなこともなく響く声だった。王者たるものに相応しい、落ち着いた声だと思った。

「顔をあげよ」

 回りのさざめきにつられて、シアも跪いたまま、頭を上げる。先ほど視界をかすめた白い裾が見える。そして、視線をあげ、そこで初めて王の顔を見たのだ。

 目の前には、二人の男女が腰を下ろしていた。それが明らかに男と女だ、と言うことが衣装や装飾から見て取れなければ、その相似に驚いたかもしれない。二人とも細く、整った顔をしていた。眉の形も、唇の形も、驚くほどによく似ていた。そして、その美貌そのものもそっくりと言っていいほどだった。

 王、サキラス・アンシーヌは、驚くほどに若かった。先王が身罷り、彼が即位したのがほんの数年前であったのをシアは覚えていた。その時の即位の儀の騒ぎは、シアの住む国にまで響いてきていたのだ。先王が急に身罷ったせいで、若いままの王は国政を全て担うことになったのだと聞いていた。

 王は、長い銀色の髪を一つに束ねていた。それは幼いころから伸ばし続けたシアのそれよりもずっと長く、腰を下ろしたその位置からは、床に届きそうなほどだった。広間の明かりを受けてきらきらと光り、見るものの目を打った。

 衣装は、白だった。肩からかけた長いローブは青で縁取りがしてあり、王家たるアンシーヌ家の聖なる色は白と青だったことを思いだす。艶のある厚い布を重ね、どっしりとしたその印象は王たる威厳に相応しかった。襟元には青と銀を混ぜた糸で細かい縫い取りがしてあった。そこにあるのは翼を持った獅子で、紋章の縫い取りのあるそのローブは、限りなく正装に近いものだということを示している。

 いくら事件の渦中の人物が目通りを願ったとて、たかだか田舎貴族の一人、しかも当主でもないただの少女のためにこのような衣装をまとって表れるのは、いかなシアでもいささか不思議に思わないでもなかった。

 馬に剣に、武闘は一通りよく行なうとの噂の若い王ではあったが、そのわりにはローブから見える手は、一目見るかぎりではおのれのそれよりも白いそれに、シアはいささか気後れを感じたほどだった。

 白皙の美貌の中に埋め込まれた瞳は、紫だった。紫、と言うよりは菫色とでも言ったほうがいい、濃く鋭い色だった。その瞳が、ともすれば女のように見えてしまいかねないその容姿をきりりと引き締めている。その瞳を見れば、いかに肌が白かろうと、いかに華奢に見えようと、彼を女と間違うものはあるまい。その菫の瞳が、シアをじっと見下ろしていた。

 慌てて視線をそらした先には、もう一つの玉座に座る女の姿が目に入った。王は、若くして王位についたこともあって、未だ王妃を娶ってはいなかった。そのような場合、王の母や姉が王妃の代わりとして王の傍らにつくことになっているのだが、王の母である先王の王妃はとうの昔に身罷り、姉もいなかった。そのようなわけで、今の王妃名代は王の妹が務めているということだった。

 現王、サキラス・アンシーヌの妹、ティルリア・アンシーヌは金褐色の緩やかに巻いた髪を膝まで垂らし、髪と同じような金色がかった栗色の瞳が印象的な少女だった。白の、幾重にも重ねた生地で作られた衣装、それに絡まるように飾られた生きた薄い紅色の薔薇。それは、一体どういう仕掛けであるのか、花は一つも水を求めてしおれることすらなく、まるで今し方摘み取られたばかりだとでもいうように、瑞々しく輝いている。きちんと膝の上でそろえられた両手の首には金色にとりどりの色の宝石の埋め込まれた腕輪が光り、それは彼女の白い抜けるような肌を引き立たせている。

 その瞳は、まっすぐに正面を向けられていた。その色は明るい栗色をしており、兄と容貌のよく似た妹ではあったが、髪の色と、瞳の色は明らかに違っていた。そんな、いかにもたおやかな、儚い美少女ぶりからは驚くほどに、彼女の瞳は強く激しく光っている。その、強すぎるまでにしっかりとした視線は、彼女の兄のそれにも負けぬ誇りと自尊に彩られ、そうあるべくしてなった、王族の威厳にあふれていた。

 現在の支配者たる二人の視線に射貫かれて、シアは身を固くした。静まり返った広間の中で、自分の心臓の音だけが耳障りに響く。

「……シア・カエキル」

 低く、王、サキラス・アンシーヌの声が響いた。

「遠方より、ご苦労だった」

 抑揚のないその声は、シアをぞっとさせた。見たかぎりでは二十歳を幾つも超えていないように見えるのに、そんな、妙に老人めいた物静かな声は、初めて見る王という存在をより恐ろしく感じさせた。

「わざわざここまで来てもらったというのに、大したもてなしも出来ずに悪かったね」

「……とんでも、ございません」

 視線をまっすぐに保っていることが出来なくて、顔はそのまま、瞳だけを床に据えた。

「何でも、私に会いに来てくれたのだとか」

 その言い方に、小さく笑ったものがいた。顔をあげればそれはフェリクで、ことの成り行きを見逃すまいとでも言うような、好奇心に満ちた表情でサキラスとシアを見つめている。

「……私に、話があるのではないのか?」

「……」

 シアは息を飲んだ。そして、伏せていた瞳をあげ、サキラスを見た。先ほどは反らした視線を、今度は自分から反らせるまいと、床についた拳に力を入れた。

「我が父、ナルドゥス圏治者マルティアス・カエキルのことについて、伺いたい儀がございまして、御前に侍らせていただきました」

「よい」

 わずかに笑いを含んだ声で、サキラスが言った。

「そのように固くならずともよい。それよりも……」

 回りのものが、一様にざわついた。

「私に聞きたいこと、とは?」

 知らないわけがあるまい。想像がつかないはずもないのに、そのように言われてシアは唇を噛んだ。

「……過日、ナルドゥス圏の領地にて、書簡を頂戴いたしました。我が父、宮中での抜刀、及び流血沙汰により死を賜り、あまつさえ火中に投じられたと。その書簡のみでは、なぜそのようなことが起こったのか、なぜ父は死を賜ったのか、私には納得できません。それゆえ、それを知りたくて不躾ながらも参上つかまつりました」

「……それは、次期カエキル家当主としてか?」

 サキラスが低く聞いた。

「次期当主として、前当主の汚名を少しでも雪いでおきたいとの心積もりからか?」

「いいえ、違います」

 思わぬ言葉に、シアは肩を引いた。

「違います。私は、ただマルティアス・カエキルの娘として、真実が知りたいと思っております。それだけです……!」

 シアの声が高くなった。それに驚いたように回りのものが顔を見合わせた。しかし、目の前のサキラス、そしてティルリアは顔色一つ変えることなく、シアを見つめていた。

「……隣国、ロスクリードの宰相殿がおいでであったことは知っているか」

「それは、話に聞き知りました」

 許されるものならば、目の前の王につかみ掛かって真実を揺さぶりだしたい、そんな衝動に耐えて、シアは口早に言った。

「何か、宰相様との間にあったとか」

 サキラスがため息をついた。

「お前の父は、宰相殿の侮辱に堪えかねて、剣を抜いたのだ。こともあろうに、この宮中でな。宰相殿は腕を切られた。傷は深く、醜い傷跡が残った。この先、一生癒えることのないであろうほどに深い傷でな」

「……その責を負って、父は死を賜ったということでございますか」

「そう言うことだ」

 玉座に腰を下ろしたまま、サキラスはため息をついた。

「王宮を血で穢した罪は重い。それに、傷つけた相手は仮にも客人だ。このリストフォルスは客人を剣でもてなす風習があるのかと、言い立てられるようなことは本意ではないのだからな」

「……!」

 シアは、跪いて屈めた背を途端にまっすぐ伸ばした。

「……それでは……」

 声が荒くならないように、シアは低く言った。

「宰相様が、父を侮辱なされたというのは、一体どういう事柄においてなのですか。剣を手にかける理由もないほどにささいなことであったとおっしゃいますか」

「そのようなこと、私の知るところではない」

 冷たく、サキラスは言った。

「宰相殿が何を申されたかは私のあずかり知らぬところだ。当のマルティアス・カエキルはそのまま剣を抜いたのだし、申し開きもせずに死んでいった。知っているとすれば、当の宰相ご本人だが、とうにお国に帰っておられる。ただ、ここには事実があるだけだ。マルティアス・カエキルは死んだ。しかし、何も無法な理由により死んだのではない。略式とは言え、裁判にもかけられた。その上で言い渡された死だ。何も後ろ暗いところはない」

「……」

 自分の拳が床に突きつけられ、震えていることにシアは気づかなかった。

「それでは、この無念は……」

 あまりに冷たいサキラスの声がそうさせたのかもしれない。シアは、彼の言葉に納得するどころか、胸を突いて沸き上がってくる衝動に耐えきれず、小さく歯ぎしりをしながら言った。

「そうとなれば、国境を渡り、ロスクリードに参るもやぶさかではありません。その宰相様にお目にかかり、一言なりとも父を貶めたそのお言葉の真実を伺えれば……!」

「それは、あまり褒められた行動ではないな」

 サキラスは、玉座の背にもたれ掛かり、尊大な様子でそう言った。

「ロスクリードは、我が国にとっては最大の輸入国だ」

 紫の瞳に見据えられ、その圧迫感にシアは唇を噛む。

「そんな国との国交を、たかだか一人の田舎貴族の挙動によって壊されるようなことがあっては困るのだ。お前がロスクリードに乗り込もうと、何をしようと勝手だが、国そのものまでをも道連れにされるようなことでは迷惑だ」

「……陛下」

 シアはごくりと息を飲んだ。

「父に死をお申し付けになったのは、陛下ですか」

「ああ」

 無感動な様子で、サキラスは短く言った。

「一時の怒りに駆られて剣を抜くようなものは武人の風上にも置けん。それが、国に対してどういう影響を与えるのかも分からないような輩には、厳罰以外与えるものはない」

「……それでは」

 シアが何を言うかと、回りのものが見つめている。それを振り払うように、シアは声を荒らげた。

「それでは、陛下は父をお見捨てになったということですか。剣を抜いたのが、隣国の宰相様だったから」

「見捨てた、とは聞き捨てならんな」

「そうではありませんか。仮にも陛下にお仕えする貴族のうちの一人。そんな父を、おかばい下さることもなさらずに、死を賜るなど……。父とて、この国の民の一人。その民をお守り下されてこそあれ、まるで捨て駒のように、そんな簡単に……」

 父は忠臣だった。たとえその身は地方にあっても、常に王に対する忠誠を忘れず、それをシアにも説いてきた。そうであったからこそ、父の抜刀の理由が信じられなかった。たとえどう侮辱されたからと言って、王に不利益になるようなことをするはずはなかった。だからこそ潔く命を絶ったのだと言えないこともなかったが、それよりも、そんな父に対しての王の態度があまりにも冷徹に思えて、シアは沸き上がる怒りから逃れることが出来なかった。

「そのようなものなのですか。陛下にとって、私たちはその程度のものでしかないのですか?」

「そうとは言っていない」

 サキラスは、ゆっくりと言った。

「私とて、マルティアス・カエキルの忠義には打たれるものがあったよ。しかし、私は王だ。時には厳しい決断を下さねばならん。そして、あの者はそれに値するだけのことをしたのだ。言わば……」

 声は、低くなって、シアはそれに耳をそばだてた。

「自業自得だ、と言うだけのことだ」

「……!」

 その言葉は、シアを燃え上がらせるのに充分だった。父は、国家の大義のために見殺しにされたのだ。その宰相とやらの機嫌を取るために、死をもって贖わせるしかなかったに違いない。それでは、まるで父は国家の体面のために死んだとでも言うようではないか。しかも、サキラスは父の死に心を動かすことすらしていない。ここで、父に対する同情を一つでも聞けたのなら、シアとてこのような行為には及ばなかったのかもしれない。しかし、臣下のものを駒の一つとしてしか思っていないようなサキラスの態度が、シアを後押しした。父を死に至らしめたのは、この男だ。そして、おのれが招いたこととは言え、国のために死んだ父を、まるでそれが当然であったかのように、涼しい顔を崩しさえしない。

「……父の……」

 そんなふうに自分を押した力を、シアはもうとめることはできなかった。シアの手が、腰に伸びた。シアを止められる位置にあったものは誰もなく、広間に差し込む太陽の光が、銀色の刃に反射して弾けた。

「……父の、仇!」

 声が交錯した。男のそれと、女のそれ。絡まってシアを止めたが、シアの足は止まらなかった。厚い絨毯の引かれた床を蹴って、剣をサキラスに向かって突き立てた。

「陛下っ!」

 剣の煌めきが、シアに力を与える。それを翻し、サキラスの咽喉を狙った。飛びかかってくる近習を体をひねって交わし、玉座にまっすぐに剣の切っ先を叩き込んだ。

 次の刹那、そこにあったのは、体を押さえつけられて玉座の前に倒れ伏すシアと、その手から転がり落ちる、彼女の引き抜いた剣。それを足下に、玉座から立ち上がってそれを見下ろすサキラス。彼をかばおうと椅子を蹴ったティルリア、そして、彼らを囲んでいた重臣たち。

「陛下、お怪我は?」

「サキラス陛下、ご無事で」

 剣は、腰に差した時そのままに、一つの曇りをも浴びないままに、そこに転がっていた。そして、それからも引き離されて、シアは飛び出した何者かに押さえつけられて、絨毯に身を埋めるという、ぶざまな姿を晒していた。

「馬鹿っ、なんてことを!」

 それがフェリクであったことは、囁きかけられた声で気がついた。見上げると目の前にはサキラスがいて、剣を突きつけられたことなど何でもなかったような顔をして、シアを見下ろしていた。

「犬死にする気か?」

「離して、下さいっ!」

 シアは喚いた。

「このような王に誓った忠誠など、空しいだけです。それを思いながら、死んでいった父のどれほど無念であったことか……!」

「謀反だ!」

 誰かが叫んだ。

「王に剣を向けるなど、万死に値する」

「反逆罪だ!」

 男たちの声が群れ飛んだ。

「シア・カエキル」

 その中に一つ、落ち着いた声があった。衣擦れの音が響くのを、回りのものがはっと声を潜める。シアを押さえつけたフェリクも、その声に力を緩めた。

「そなたの今の所行、どういう意味をなすか、分かっているのだろうな」

 ティルリア・アンシーヌだった。年若い彼女は並み居る群臣を押しのけて、動揺も見せずにシアの前に立った。いや、落ち着いていると見えたその表情は、間近で見ると、怒りに燃え上がり、冷たく澄んでいるのがよく分かった。

 自分自身の怒りすら忘れ、シアはその凍るような憤怒を前に身を強張らせた。

「仮にも一国の王をその手にかけようとした罪は重い。しかも、王を仇呼ばわりするなどとは、何たる不遜」

「……姫!」

 小さな声で、彼女を制するような声がかかったが、それは彼女には聞こえてはいないようだった。

「お兄様をその汚い手にかけようとするなどと。それ相応の覚悟は出来ているのだろうな」

 ティルリアのたもとから表れたのは、銀の鞘に幾つもの赤、青、そして紫の石のはめ込まれた宝剣だった。把の部分は黒いビロードで包まれており、一見してただの飾りとしか思えないような短剣ではあった。しかし、しゅ、と鋭い音がして、剣が鞘から引き抜かれると、それが単なる飾りでないことが一目で分かった。名人の腕で研がれたのであろうその刀身は、顔が映るほどに磨き抜かれており、その切れ味は、光るその輝きからも容易に見て取れた。

 白い手がそれを握り、構えた。

「お兄様がお手をお下しになるまでもない。そなたのような小娘、この場でそれ相応の罰を与えてくれる」

 なんの訓練も受けていないような、たおやかな姫君の手から繰りだされる剣が、騎士を目指して腕を磨いてきたシアによけられないはずはなかった。フェリクの腕も緩んでいる。それを押しのけて、ティルリアの剣から逃れることなど、シアには容易であるはずだったのに。

 体が、動かなかった。ティルリアの燃えるような目から、視線が外せなかった。その手が振り下ろす剣の軌跡もはっきりと見えたのに、それから逃げられなかった。まるで、ティルリアが何か魔道を使ってシアをその場に釘付けにしているかのように。

「きゃっ!」

 上がった悲鳴は、シアのものではなかった。彼女の手を押さえ、それから短剣を取り上げたのは、ほかならぬサキラスだった。

「何をなさいますの!」

 ティルリアが叫んだ。

「この者は、お兄様に危害を加えようとしたのですわ。お止め下さいますな!」

 しかし、サキラスはなにも言わずにティルリアの剣を取り上げた。

「お兄様!」

「シア・カエキル」

 そして、ティルリアの剣から逃れられずに、そこに座り込んだシアの方を向いた。

「いい腕だな。ティルリアから逃げられなかったのは減点だが……先ほど私に向けた剣はなかなかだった」

「陛下?」

 ティルリアをはじめ、群臣が皆サキラスの方を向いた。

「フェリク、しっかりと押さえておけ。その山猫が悪戯を思いつかないうちにな」

「御意」

 フェリクはシアを、先ほどのように押さえつけはしなかった。その場に跪かせ、顔をあげさせた。その体勢のまま身動きが取れなくなったのは、フェリクが小さく唱えた呪文のせいだったのか。

 サキラスが、シアとの距離を縮めた。ティルリアの手から奪った短剣の、鋭い切っ先を向けられてシアがびくりと震える。その反応を楽しむかのように、サキラスは剣の刃先でシアの顎を持ち上げた。

「……殺すがいい!」

 シアが呻いた。

「それが、あなたのやりかたなのでしょう?邪魔になったものは、その手にかける。それが忠義の士であろうと何であろうと、関係ない。そうやって、父をも死に追いやったのです。父の心もお知りにならないで……!」

「シア・カエキル!」

 傍らに立つ男の、甲高い声が響いた。

「何という不遜。そのような讒言、良くも恥ずかしげもなく……!」

「けれど、私は殺されたって、どのような方法をとったって、父の無念を晴らさずにはおきません。父上の仇、取らずにおくものか」

 シアの咽喉に、わずかに剣の切っ先が突き刺さった。声がかすれる。息を飲むと、咽喉を流れる鮮血の暖かさと傷の痛みとがシアをくらりとさせた。

「……殺せ」

「私が、お前の言う通りの冷酷無慈悲な統治者なのだとしたら」

 それは、囁くような声ではあった。しかし、彼が口を開けば広間はまるで水を打ったように静まり返り、サキラスの声はまるで叫んででもいるかのように大きく響きわった。

「殺せ、と言っているものを殺すのは、本意ではないな。このように死を覚悟したものを手にかけても、何も愉快なことはない」

 サキラスは、剣を引いた。軽くそれを振ると、先に付いたシアの血が跳ね飛んだ。

「殺さん、お前は」

「お兄様!」

 鋭く飛んできたのは、ティルリアの声だった。鈴を転がすようなそれは、驚きに隠せない動揺を滲ませている。

「殺すのは、いつでも出来よう?それよりも、死すべき宿命から逃れられた人間が、どのようにこの先生きていくのか見届けるのも面白かろう」

「お兄様、それは謀反人ですのよ!」

 さらり、と衣擦れの音がして、ティルリアが立ち上がるのが見えた。

「この者は、お兄様を手にかけようとしたのですわ。そのような者を生かしておくなど……必ず後悔なさいます」

「黙れ」

 高いティルリアの声とは裏腹に、沈んだような、低いサキラスの声。しかし、それはティルリアのそれよりも、はっきりと響き渡った。

「私が、決めた。この者は殺さん」

「お兄様っ!」

 ティルリアが、長い衣装の裾を優雅にさばいてサキラスに駆け寄る。

「お気は確かですの?このような者、生かしておけば、いつ何時お兄様の寝首を掻くやしれませんのよ。お兄様のお命を狙う不逞の輩、このような者におかけになる情など……」

「ティルリア」

 しっかりとした、サキラスの声がした。

「お前には関わりない。控えておれ」

「お兄様!」

 ティルリアの悲鳴は、サキラスの腕の一振りでとどめられた。妹の方を向いた体を、再び足下に跪かされたシアの方にやる。

「殺してみろ、殺せるものならな」

 サキラスは、不敵に笑う。

「仇を取ってみろ、お前の父の。見事、この私を打ち負かしてみろ」

「情けは受けません」

 シアが、かみ殺した声で言った。琥珀の瞳を、せめてぎらりと光らせる。

「父上を見捨て、殺した者の情けなど」

「情けではない」

 サキラスが、手に持った剣を翻した。それをティルリアに手渡した。それをどうすべきか、迷ったように彼女はそれを受け取った。

「お前が、その達者な口ほどに気概のあるものかどうか、見てみたいだけなのだ。口ばかりの食わせ者と分かれば、その時こそ、お前の望む死を与えてやろう」

「……」

 サキラスの紫に光る瞳が、シアを映す。

「私は、お前のようなまっすぐな気性とは縁がなくてな。殺せ、と言われれば殺したくなくなる。死ね、と言われれば死にたくなくなる」

 高い笑い声が、広間を包んだ。辺りに広がるざわめきは、この王の気まぐれを訝しむものばかり。

「お前には、私の従者になってもらおう。私の警護を司る、近衛兵だ」

 広がる騒めきが、一際大きくなった。

「お前は女だが……」

 サキラスは、いったんシアに向けた背を翻す。

「つまらない兵士などよりはよほど腕が立つようだな。その腕で、私を守ってもらおうか」

 彼のあまりの気まぐれに、あきれ果てたと言った様子のティルリアが腰を下ろしたその横の玉座に、サキラスが座った。

「いつでも狙いに来るがいい。そのような張り合いもないようでは、毎日退屈で仕方ないからな」

 サキラスが、シアの背後に立つフェリクに何事かを合図した。フェリクは肩をすくめ、そして、また小さく呪文を唱える。

 シアがはっとする間もなく、シアの体を戒めていた術がほどかれた。

「走って逃げるも、これを取って私を狙うも自由だぞ」

 サキラスは、ティルリアの持つ宝剣を顎で指し示す。

「さぁ、どうする?」

 シアは立ち上がった。立ち上がり、サキラスをじっと見据える。ティルリアが、その美しい双眸には似合わないほどの激しい炎をもってシアを睨みつけていた。

「私は、いつ何時でもあなたを狙います」

 シアが、低い声で言った。

「その気まぐれを、後悔する日がいつか参りますよ」

「楽しみにしておこう」

 サキラスは、玉座に腰を据え、肘を突いて手の甲に顎を乗せながら微笑んだ。シアを、どこまでも苛立たせる、どこまでも皮肉めいた笑みだった。

 広間のざわめきは、収まることはなかった。サキラスの命を受けた近衛兵の一人がシアの傍らに立った。シアを見ることもなく、まっすぐに正面を見据えている。

「今日から、お前は私付の衛兵だ。同僚にいろいろと教えてもらうといい」

 そして、顎でシアの傍らに立った近衛兵を指し示す。

「もっとも古参の衛兵だ。ラウレン」

「は」

 彼が、低い声で返事をする。

「連れていけ。詳しいことは、追って沙汰する」

「御意」

 深々と、ラウレンと呼ばれた近衛兵はサキラスに頭を下げた。広間のざわめきを背に、シアは彼に連れられてそこを出た。父の最期を問うべくここに入ったはずのシアが、謀反人にその姿を変え、一転、近衛兵として出ていく姿を見送る群臣たちの目が優しいものであるはずもなく、その刺すような視線に、シアは唇を噛みしめてぐっと耐えた。


第三章



 近衛兵のお仕着せは、白い革の胴衣と、黒の下衣だった。薄く作られたそれを、銀の腰布で止め、やはり銀の留め金で止める。

 やはり白の革で出来た靴は、腰布を止めるのと同じ形の小さな留め金がいくつもついて、見た目にはしっかりしているのに、思いのほか軽かった。

 腰に剣を挿し、黒の長いマントを肩に止めると、それが近衛兵の平時の正装だった。式典などの折には、純白のコートに白の長い帽子をかぶる。いずれも、飾りは銀で統一されており、白と黒のみに彩られた衣装はいささか不吉な印象を与えないでもなかったのだが、シアに与えられた近衛兵の宿舎の一室に備えられた大きな鏡を覗き込むかぎり、それは清廉な印象を与えこそすれ、決してまがまがしい色ではなかった。

 それをあつらえたのが、あの国王であるということが、シアに不吉な印象を与えたのかもしれなかった。黒と、白と、そして銀の取り合わせはサキラスの気に入りであるということだった。そして、近衛兵とは常に彼に付き従い、彼の身を守り、一生を彼に捧げるべき存在であった。そんな仕事をおのれに任されたということは、シアを少なからず混乱させていた。

 おのれの大義を果たすまでは、この屈辱にも甘んじて見せる。それが、シアの誓いだった。

「シア殿」

 扉が叩かれ、返事をすると声がした。

「お支度は」

「済みました」

「では、こちらへ」

 扉を開けると、そこにいたのはラウレンだった。背の高い男だ。重く暗い色の髪を短く刈り、長い前髪に隠れた瞳は、深い沼のような緑だった。その口は、必要以上の言葉を漏らすことは決してなかった。サキラスの言った通り、もっとも古参の近衛騎士であるという彼は、新参者のシアの世話を引き受けることになっていた。

「陛下が、お待ちです」

 出された名に、不快に唇を歪ませながらもシアは従った。広い廊下に、二人の足音が響く以外の物音は全くなかった。

 通されたのは、国王の執務室だった。広いそこには綾織りの深い赤の絨毯が引かれ、一番奥には、大きな机が置いてある。足の曲がったランプが二つ机の隅に置かれ、たくさんの書簡が詰まれたその奥に、サキラスの顔があった。

 部屋の両脇には何人か、シアと同じ近衛兵のお仕着せを着た男たちがいて、ラウレンとシアの入室を知るや、まるで値踏みするようにこちらを見た。

「参りました」

 ラウレンが、慇懃に言った。

「御苦労」

 革の張られた椅子に腰を下ろしたサキラスが、両手を組んで二人を見た。そこに浮かぶ笑みは、いつものそれだった。あの、人を小馬鹿にしたような、薄い笑み。

「皆に紹介しておこう」

 サキラスが、回りの近衛兵たちを見回して言った。

「新しく、私の衛兵となった、シア・カエキルだ」

 幾つもの目が、じろりとシアを見た。知らぬはずはない、ここにシアがこうしていることを、この王宮の中で知らないものがいるとすれば、まだ目も開かぬ赤ん坊だけであったことだろう。

「いろいろ教えてやってくれ。これから、近衛兵宿舎に住まうことになる」

「御意」

 心の奥ではどう思っていようとも、礼儀をわきまえた国王直属の近衛兵たちだ。慇懃にそう返事し、そして、再びシアに視線を向けた。

「お前も知っているだろうが」

 椅子の上で足を組み治し、サキラスは言った。開けた窓から流れ込む風が、彼の長い、銀色の髪をなびかせた。

「王族の一人ひとりには、専属の近衛兵がついている」

 ラウレンが、シアの隣で頷いた。

「それらは、まぁ、言ってみれば、護衛を兼ねた私兵だな。私たちに許された、唯一の自由な権利だということだ」

「陛下」

 ラウレンの重い声に、サキラスは声を立てて笑った。

「そうではないか?毎日毎日執務に追われ、表に出れば視察という名目がつき、何一つ、おのれの自由にできるものなどない私たちではないか。せめて、近衛兵の扱いくらいには自由があってもいいと思うのだがな」

「お前さんは、自分で自分を忙しくしているだけだろうて」

 突然の声に、皆は扉の方を振り返った。しかし、シア以外のものの視線は、すぐに納得した態ですぐにもとの位置に戻った。そのまま、驚いて扉を凝視していたのは、シアだけだった。

「フェリク」

 サキラスの、呆れたような声が上がった。

「部屋に入るときは、せめて扉を叩けと言っているだろう」

「ああ、そうだったか?」

 そこにいたのは、フェリクだった。サキラスのそのような言葉を気にも留めていない、と言った様子で部屋の中ほどにまで歩いてきた。

 シアと目が合ったとき、フェリクは初めて会ったときと同じ、一見すれば軽いとも思われるような笑みを向けてきた。そして、困ったやつだ、とでも言わんかのように、肩をすくめて見せた。

「面白いことがあるって聞いたもんでね」

「そういう理由がなければ、顔を出さんのか」

 フェリクは気さくに、近衛兵一人ひとりに声を掛ける。そうされることに慣れているのか、近衛兵たちも驚いた様子もなく、彼の挨拶を受けている。シアは彼のそんな気安い態度に、部屋の空気がぬるむのを感じてほっとした。

 そんな彼が、シアの方を振り向いた。

「えらい出世だな、田舎貴族の娘が、近衛兵か」

「フェリク」

 呆れた声で、サキラスが言った。

「会議中だ、邪魔をするな」

「そう、そりゃ失礼」

 あっさりと引き下がりはしたものの、フェリクはにやにや笑った顔を収めはしない。そして、彼の言葉が口にしてはいけないタブーを破ったことで、近衛兵たちがひそひそと囁きを交わし始めた。

「で、お忙しい国王陛下?お話をお続け下さい」

 フェリクは、おどけた口調でサキラスに言った。

「俺は、せいぜいこの面白い光景を観察させていただくよ」

 近衛兵たちのぴんと張りつめた態度、その中でも特に、寡黙に輪をかけたラウレン。サキラスの、刺すような冷たさと美貌。その中にあって、フェリクの存在はシアをほっと和ませるものがあった。

「女の子を近衛兵に入れるなんて、お前さんも酷だね」

 フェリクが言った。

「いくら、内勤めの多い職務だとは言っても、こんな荒くれ男たちとともに仕事をするなんてさ。せっかくのかわいさが台なしじゃないか」

「案ずることはない」

 サキラスの瞳が、きらりと光った。

「恐らくこのシアは、ここにいる近衛兵たちに負けず劣らす、腕が立つだろうよ」

 フェリクが、返事の代わりに口笛を吹いた。

「なんといっても、この私に傷をつけようと向かってくるような勇敢さを持ち合わせた武将など、私は今までには知らないからね」

 はっきりとそう言われたことで、近衛兵たちの好奇の目が遠慮なくシアに突き刺さる。それに負けないように、シアは肩に力を入れ、まっすぐに正面を向いて立っていた。

「何なら、手合わせをしてみるがいい。女だと舐めてかかれば、ひどい目に遭うぞ」

 さぞ面白いことを言ったとばかりに、サキラスが声を立てて笑う。それに、フェリクは肩をすくめた。

「女の子相手に振るう剣なんぞ、持ってやしないさ」

「……フェリク様」

 シアが、たまらず声を上げた。

「女、女と、侮らないでいただけますか。わたくしは、確かに女の身ではありますが、それゆえに貶められる所以はありません」

「ほぉ」

 フェリクが体を乗り出した。

「言うねぇ」

「お信じいただけないようでしたら、今すぐにでもお見せいたします」

 シアが、腰の剣に手を伸ばした。

「とんでもない」

 肩をすくめ、両手のひらを体の前に差し出して、フェリクは大袈裟に震えて見せた。

「こんなところで剣を抜かせようなんて思っちゃいないさ。親父の二の舞いを踏みたいのか?」

 容赦なく言って、フェリクは笑った。把に伸ばしたシアの手が震える。

「それに、女の子にそんな危険な目に合わせるのも俺の趣味じゃない」

「シアは、いつでもその用意は出来ているさ」

 サキラスが笑った。

「なにしろ、重大な任務を帯びているからね」

 意味あり気に笑うその瞳の色は、シアにはあまりにも禍々しく見えた。唇を引き結んで、その視線に負けないように肩に力を入れる。そんなシアに気づいたのか、フェリクは試すように彼女を見た。

 フェリクの胸にある紋章は、紫だった。六芒星の紫の紋章、それは、国にただ一つしかない。そして、それを拝領できるのは国王自らが認めた、もっとも勝れた魔道師にほかならないのだ。紫の紋章を受けた魔道師は頭領魔道師と呼ばれ、国中の魔道師の総括に当たる。言わば、もっとも権力を持った魔道師なのだ。

 シアは、自分の顔に失望の色が浮かんではいないかと密かに懸念した。頭領魔道師がこのようにまだまだ年若く、このように威厳や尊厳というものに縁のない人物であったとは。少なくとも、胸の紋章がなければ紫の魔道師だと、見抜いて見せるものなどいないに違いない。

「皆、下がるがよい」

 サキラスは指先で合図した。

「新しい近衛兵の紹介をしたかったのでな。当番以外のものは下がっているがいい」

「御意」

 兵たちは一斉に頭を下げた。それに、シアも倣って、その後に従った。



 「シア・カエキル」

 声をかけられて振り返ると、そこには同じ近衛騎士のお仕着せをまとった男が二人、立っていた。

「どうやって、陛下に取り入ったんだ」

 敵意丸出しのその物言いに、シアはさっと身構えた。

「その顔でか?その、体でか?」

「ふざけるな」

 シアは瞳を光らせた。一人は金の、一人は黒の髪をした男だ。体の大きな二人に囲まれて、シアにはその向こうは見えなくなった。

「謀反人のくせに、近衛兵とは笑わせる」

「この職務に就くのがどんな名誉なのか、分かっているのか?」

「国王陛下の、ひいては未来の国王陛下にお仕えする役目だ。騎士の中でも相当に腕をあげたものでないとなることは出来ん。言ってみれば騎士にとってはもっとも名誉ある地位なんだぞ。それを、お前が?」

「それも、女だ。女が近衛兵に採用されるなんざ、聞いたこともない」

「せいぜい、その体で陛下を誘惑して得た命と地位なんじゃないか?」

「本当なら、御前で剣を抜いたなど、お前もお前の父親と一緒に焼かれているはずだったんだ。それを、陛下のお慈悲で許されて、あまつさえ近衛兵か」

「本当なら、辞退すべきなんだぞ。それをのうのうと、恥知らずめ」

 二人の男は、たまっていた鬱憤を晴らさんとでも言うように、矢継ぎ早にシアに言葉を投げつけた。

「何とか言ってみろ」

 金の髪の男の方が、シアの胸倉を掴み上げた。頭一つ身長の違うその男に掴み上げられて、シアはせき込んだ。

「何も言えないか。本当のことだからか?」

 シアは唇を噛んだ。そして、ぎろりと二人を睨みつける。

「何だ、その目は」

「謀反人のくせに」

「離せ」

 低く、シアは言った。

「なに?」

「離せ、と言っているんです」

 顎を反らし、そう繰り返すと男はシアの胸を離した。乱れた衣装を片手で直しながら、シアは二人をきっと見上げた。

「私がご不満なら、いつでも相手になりましょう。それとも、私が女であることをあげつらったり、父を貶めてしか、私と対等に話もできないということなんですか」

「何を……!」

 黒髪の男が、激した声を上げた。

「言わせておけばいい気になって」

「お前がそう言う態度なら、こちらとて、容赦はしないぞ」

 二人の手が、腰にかかった。きらりと刀身が輝くのに、シアも遅れじと己の腰に手を伸ばす。

「覚悟!」

 太い声が上がって、黒髪の男の刀身が引き抜かれた。それが振り上げられるのに、シアはとっさに身を捩って、剣の降ってくる位置から体をずらす。

「あ!」

 しかし、剣は降ってはこなかった。男が、低く呻く声がする。

「ラウレン様!」

 剣を抜きかけた、金の髪の男が悲鳴のような声を上げる。シアが目をやると、そこにはラウレンがいて、黒髪の男の振り上げた剣を、その手首ごと掴み上げていた。

「クリスト・ワァレン」

 ラウレンが重い声で言った。

「宮中で剣を抜くことがどういう意味なのか、分かっているのだろうな」

 低い、気味の悪いくらいに落ち着いた声がそう言った。

「新参者に対抗意識を燃やすのも、向上心の現れとして認めてやらんでもないが、その表し方は間違っているとは思わんか」

「は……」

 先ほどまでの居丈高な態度はどこへやら、たちまちにして借りてきた猫のように身を縮めた男は、大人しく剣を下ろした。

「ドルシン・エヴァ。お前も、忘れたとは言わせん」

 ぎろり、とラウレンが、金の髪の男を睨みつけた。

「陛下のお膝元である宮中での抜刀は、王族への反逆と捕らえられかねん。お前もよく知っているだろうが」

「俺は、そんなつもりでは……」

「では、どういうつもりだったのだ」

 ラウレンの一睨みで、ドルシンの抜きかけた剣は、慌てて鞘に収められた。シアも、ほとんど抜きかけていた剣をもとに戻す。

「シア・カエキルに、宮中の御法度を進言してやっていた、そういうことか?」

「そ、そうです!」

 クリストが、ほとんど飛び上がらんばかりにそう言った。

「そうです、新しくここに入ったものには、なにかと分からないことも多かろうと、こうやって指導を……」

「二度と、間違いを繰り返すようなことがあってはなりませんから」

 二人は、ラウレンの深い緑の目に睨みつけられて、硬直した。

「そうと言うならば、大目に見てやらんでもない」

 口調とは裏腹に、厳しい目つきのまま、ラウレンは言う。

「しかし、二度はないと思え。迂闊さは、命取りになるぞ」

「御意!」

 二人は背を正し、額に手を当てて最敬礼を示して見せ、そして足早にそこを立ち去ってしまった。

 残されたシアは、驚きにいささか呆然としながらその後ろ姿を、そしてラウレンを見る。

「シア・カエキル」

 ラウレンが、低い声で彼女の名を呼んだ。

「下らん挑発に乗るな」

「は……」

 シアは、ラウレンを見上げて頷いた。

「どこにでも、ああいう輩はいる。特に、お前のように陛下のお声がかりでいきなり近衛兵などに取り上げられたものには、風当たりはきつい」

「……はい」

 ラウレンは、シアをちらりと見やり、その深い瞳をシアに置くともなんとも、掴みがたい視線をやった。

「お前には、大義があるのだろう」

 それは、低い声だったので、シアはとっさに彼が何と言ったのか分からずに、聞き返した。

「このような下らんことで、その大義を手放すようなことはするな。挑発に乗って剣を抜いて、そんなことで結果的に命を失うというようなことがあれば、何のためにここまでやって来たのか分からないではないか」

「ラウレン様……?」

 その口調に不審を抱いて、シアは眉を顰めた。

「迂闊な行動はとるな」

 ラウレンは、もうシアを見てはいなかった。くるりと彼女に背を向けて、来た道を戻り始めた。

「目的を果たすまで。お前にとって、それが一番重要なことなのだろう」

「……ラウレン様っ……」

 シアの呼びかけに、ラウレンはもう答えなかった。シアをその場に置いたまま、足早にその場を去ってしまった。


第四章


 真夜中の鍛冶場に響く音があった。

 刀を研ぎ、鍛え、それを水に洗う音。それはこのような時間、人目を忍んで響くには異様な音だった。それは長くは続かなかった。やがて、刀身から水を振り払う音がして、鍛冶場の扉が開いた。

 出てきたのは、体に吸い付くような黒い衣装に身を包んだシアだった。腰には、磨き抜かれた剣。長い髪は束ねられ、乱れないようにその端までを編んである。そして、薄い月がかかるその中で、彼女の琥珀の瞳はきらりと光って空を見据えた。

 陰謀は、夜行われる。そして、シアもその原則を違えはしなかった。音を立てない、布の靴をはいた足が地面を蹴って、夜陰の王宮の中、奥まったところにあるその部屋に急ぐ。

 国王の部屋の前からは、警備の衛兵が途切れることはない。常に見張られたそこに忍び入るのは至難の業と言えた。しかし、衛兵の交代の時間。それを、シアは調べて知っていた。真夜中の鐘とともに衛兵が交代する。その折、ほんの手すきになる隙を狙って忍び込む算段だった。

 その機会は、シアの計算通りだった。シアがその部屋に至る廊下の影に身を隠し、息を潜めて待つことしばらく経ってのち、真夜中の鐘が鳴った。十鳴った鐘はその余韻を残してその音を潜め、そして、足音がして代わりの衛兵がやってきた。

「ご苦労」

 新しい衛兵が、仕事を終えた衛兵にねぎらいの言葉をかける。それを受けて、今までの報告をするために、二人はしばし肩を寄せ合って話し込む。

 シアの靴が、床を蹴った。二人の視線が離れている隙に、扉を開ける。そして、音を立てずにそこに滑り込んだのだ。

 そこには、大きな寝台があった。眠るためだけに作られたこの部屋には、壁に釣られた大きな鏡、寝台の枕元に置かれた化粧台。それ以外には何もなかった。寝台には天蓋がついており、そこから垂れる薄い布は、寝台に横たわる影を隠していた。その柱に彫り込まれた模様も、壁に掛かる鏡の意匠も、シアが踏む絨毯も、全て、決して派手とは言えなかった。こういう身分にあるものが使うには、あまりにも質素だった。それは、あの国王には似付かわしいような気も、それでいて、意外な趣味だとも言えた。

 しかし、シアの目にそれらは入ってはいなかった。彼女の視線は、一点に、サキラスが眠っているはずの、寝台に向けられていた。

 腰の剣の把に手を置いて、ゆっくりと寝台に回り込む。そっと、薄布に手をかける。覗き込むと、そこには果たしてサキラスがいた。目を閉じて、胸から下は白い上掛けに覆われて、眠るサキラスの姿は窓から差し込む薄い月の光に照らされて、息を飲むほどの風情だった。

 彼の、銀の髪は寝台の枕元にまとめてある。それが、眠りについてからかなりの時間が経ったであろうこの時間においても、乱れた様子がないのは妙に不自然ではあった。それは、月のぼんやりした光を浴びて光っている。その艶は、まるで丹念に打った絹のようで、輝きは、布に埋め込まれた宝石だった。

 髪と同じように白く輝く肌は、男性のものとは思えなかった。シアの方が、よほど陽に焼けて浅黒い色をしている。サキラスは、乗馬もこなせば剣もよく操る、決して宮殿の壁に守られるだけのか弱い存在ではなかったはずだが、それでもその深窓の姫君のような艶めかしさは、生身のそれを通り越した美しさを保っていた。

 シアは、しばしそれに見とれ、そしてあわてて首を振った。確かに、それは美しかった。しかし、それはシアには嫌悪をもたらすものでしかない。それが美しければ美しいほど、整っていれば整っているほど、それの引き起こした悪行がシアを嘖む。そして、憎しみの炎がますます燃え上がるのみなのだ。

 剣を引き抜いた。それは、すらりと鋭い音を立てる。シアは、それを眠るサキラスにまっすぐ突き立てたのだ。

「!」

 シアの剣は、寝台を突いた。狙いを誤ったつもりはなかった。こんな間近にある、動かぬ標的を逃すシアではなかった。シアの剣は寝台を貫き、そこから敷布に詰められた鳥の羽がはみ出した。

「寝込みを襲うとは、卑怯ではないか?」

 静かな声がして、シアは息を飲む。今、そこにいたはずのサキラスが、シアの背後に立って薄笑いを漏らしているのだ。

「広間で、何臆することなく私に切りつけてきた者と、同じものがとった手段とは思えない。姑息な手だな」

「う、るさいっ!」

 振り返りざま、シアは剣を振った。剣の先に付いた鳥の羽が空を舞った。しかし、そこにはもうサキラスの姿はない。

「形振りは構っていられないというわけか?」

「卑怯は、どっちですか!」

 空しく空を切った剣を構え直し、驚きに上がる息を抑えてシアは言った。

「あのように、国とおのれの体面のために、平気で臣下に死を言い渡せるようなあなたに、そんなことを言われる筋合いはないっ!」

 サキラスの姿は、寝台の上にあった。腰を下ろし、シアを、まるで面白いものでも見るように、見上げている。

「お覚悟をっ!」

 今度こそ狙いは外すまい、とシアはそれに剣を向けた。そして剣を振り下ろす。

「……!」

 サキラスの手が伸びた、と思った刹那、シアの剣はその手に止められた。サキラスの手のひらに剣が収まり、まるでそれが刃のつぶれた練習用の剣であるかのように、易々とサキラスの手のひらに止められたのだ。

「寝込みを襲うなら、もっと相手のことを調べてからにする方がいいぞ。この国の王は、一流の魔道士でなければ務まらん。そして、このサキラス・アンシーヌは、頭領魔道師に継ぐ腕の持ち主だということをもな」

 その唇は微笑んで、そして、一転固く引き結ばれた。

「……お前には、分からない」

 低い声が言った。

「私の意図も、真実あそこで何が起こったのかも。お前には分からない。分かる必要もない」

「……」

 剣を引き抜こうと力を込める。しかし、それはまるで焼き付けられたかのようにぴくりとも動くことがない。サキラスの、華奢に見えるその腕の、どこにこんな力が隠れているのか。

「お前を生かしておいたのは、戯れに過ぎん。お前の息の根など、簡単に止められることを肝に銘じておけ」

「……戯れで生かされて、その上情けまでかけられる謂れはありません」

 それでも、シアは声だけは気丈にそう言い放った。

「それならば、殺して下さい。どうせ、あの間で処刑されるはずだった身。気まぐれで永らえる命など、惜しくはないものを」

「自惚れるな」

 サキラスの鋭い声がとんだ。

「父の後を追うことなど、許さん。お前は生きて、復讐の鬼となり、その大義を果たすために、その身を永らえるのだ」

 月明かりの中に浮かぶ唇が歪んだ。

「お前は、私のために生かされたのだ」

 それは、シアを嘲るだけではない、彼自身に与えられた嘲笑のようにもとれた。

「お前は、私のために、ここにある」

「……!」

 シアに、言葉はなかった。そんなふうに思ったことは、ついぞなかった。自分がここにいるのは、父の仇討ち。それ以外には何もなく、目の前の男は仇以外のなにものでもなかったのに。その彼のために生きているとは、何たる詭弁。

「私は、あなたのためになど生きてはいません。私は、私の目的のみに生きている」

 睨みつけると、サキラスは笑った。

「それこそが、私のために生きている、という証しだ」

 サキラスが、手を伸ばした。その指でシアの顎をつまみ上げ、月の光を浴びた、妖艶な笑みを漏らした。

「悔しいだろう?お前は、仇の手に生かされているのだ。その屈辱を糧に、生き永らえるがいい」

 サキラスは、微笑んだ。その瞳は、見慣れた菫の色であったはずなのに。シアははっとそれを見上げた。初めて彼を見たときの、あの厳しいまでに冷たい色はそこにはなかった。まるで、シアを慈しみ、優しく包もうとしているような、そんな色だった。

 シアは体を強張らせる。それを知ってか、サキラスが更なる笑みをこぼした。

「大人しくしておけ。機は、じき来る。お前が待ち望む、この私をその手にかけられる時だ」

「……陛下?」

 シアの声が、震えた。サキラスはその手のひらに捕らえた剣を放す。急に剣の重みを全て腕に乗せられて、シアはよろめいた。剣を放したサキラスの手のひらには、傷一つない。魔道というものがどのようなものか、シアには詳しいことは分からなかったが、このように鋭い刃の切れ味さえなくしてしまえるものなのだろうか。

「お前の剣は、確かに見るところはあるが、まだまだ粗削りだ」

 サキラスは寝台に乗った足を組み替えながら言った。

「所詮、あのような田舎では洗練された剣の腕も磨けまい。しかし、ここは王都だ。王宮の騎士の中には剣技の師を務めるものも多々あるし、その者の教えを請うことも出来る。お前は、まず、このような姑息な手を使う前にそれらに習い、騎士としての腕を磨く必要があるな」

 サキラスの言葉はいちいちシアの勘に障ったが、しかし、それらはあまりにももっともな言い分でもあった。

「私とて、この程度の鄙びた剣の使い手の前に倒れたとあっては浮かばれん。せめて、もっと洗練された剣を扱えるようになってから、暗殺なり何なりと、企てて欲しいものだな」

 シアは、きっと一つ歯を鳴らすと、剣をたもとの鞘に収めた。

「何なりと、反論があるならお受けするが?」

 からかうようにサキラスは言った。シアは、唇を噛んでサキラスをじっと睨み上げた。

「……お言葉、ごもっとも」

「さもあらん」

 サキラスは、先ほど見たそれと変わらない笑みを浮かべ、シアの言葉に頷いた。

「しかし、そのように私を導いて、後悔なさいますよ。あなたのやっていることは、ご自分の首に当てられた刃を研ごうとしているようなものです」

「分かっているよ」

 彼の表情は変わらない。

「どうせ死ぬなら、より華麗に死にたいと思うのだがね」

「……私には、分かりかねます」

 剣の把にはなおも手をかけながら、シアは呟くように言った。

「なぜ、そんなお考え方をなさるのか。なぜ、私の唯一の目的がお分かりでいながら、私を見逃されるのか」

 サキラスの笑い声が寝室に響いた。

「……分からなくていいのだよ」

 彼の笑いは高く響いた。その楽しげな声は、シアをぎょっとさせたほどだった。

「お前は、お前のままでいろ。敵討ちを胸に、日々鍛練を欠かすな。お前を知らぬものはこの宮廷にはいない。常に人の視線に晒されて、決して心地のいい思いはしないだろう。しかし、それはお前の選んだ道なのだからな。逃げることは許さん」

 シアは困惑した。この男は、何者なのか。そう、父を屈辱のまま死に追いやった、憎い仇であるはずだった。父は死に、跡取りであったシアも反逆罪に問われることになった。彼女自身は生き永らえても、もうカエキルの家は存在しない。彼女に仕えた従者たちも、散り散りに他の奉公先を求めて出ていったという。あの、父の訃報を受け取ってから生まれ育った家を出て、それからはそこに帰ることをも許されないまま帰る場所を失った。今や、シアは天涯孤独の身であった。

 そして、今の己はどうだ。仇に生かされ、その剣を嘲られ。人々の嘲笑の中、生き永らえる哀れな存在に過ぎない。

 それを味方するのが、この男なのだ。シアに剣の磨き方を教えた。命を絶つことを許さず、彼を討つその日まで生き続けるようにと励ます、シアの敵討ちを後押しする唯一の加担者。その矛盾に、シアは困惑した。

「お前は、私のために生かされている」

 それがとても楽しいことである、とでも言ったようにサキラスはシアを見つめる。おのれに降ってきた剣を交わした直後とは思えないほどに、柔和な笑顔だった。

 サキラスの言葉が、磨かれた月の光のようにシアに突き刺さった。


第五章



 剣の音が高く響き、抜けるような青空を切ってそれが弾けた。

「脇を閉じるようにと、言っただろう!」

 剣の音に混ざって、叫ぶような声がした。

「まだだ、そのような剣さばきで、相手が交わせるか!」

 一時間も続いた剣の音と、響く唸りは、ようやく終わりを告げた。しゃん、と剣を鞘に収める音がし、先ほど飛び交っていた声とは裏腹に、低く講義の終わりを告げる声がした。

「腕をあげたな」

「そうですか?」

 振り返って笑顔を見せると、それに微笑む顔があった。

「そう言っていただけて、光栄です」

 シアは笑顔のまま、頭を勢いよく下げた。

「鍛練してきた甲斐があったな」

「はいっ!」

 背筋を伸ばして、敬礼せんばかりにそこに立つ姿に、わずかな笑みを返された。

「ラウレン様のおかげです」

「……」

 そんなシアの言葉に、ラウレンがそのほのかな笑みのまま、肩をすくめた。

「お前が、私に剣を教えろと言ってきたときは驚いたが」

 騎士団の宿舎に戻る足を共にしながら、ラウレンが言った。

「私が教えられることが、お前の糧に少しでもなるなら、喜ばしいことだ」

「とんでもありません」

 シアは、勢いよく首を振った。

「私こそ、王都にやって来て、ラウレン様に教えていただくまで、自分がこのように未熟者だとは思いもしませんでした」

 額に流れた汗を、たもとに挟み込んだ手巾でふき取る。

「今まで、自分はそれなりの剣士だと思い込んでいたのですが……お恥ずかしい話です。まだまだ、とんだ素人でした」

「仕方あるまい」

 ラウレンは、いつもの口調を崩さずに小さく言った。

「お前のいた地方と、この王都ではやはり規模が違う。国中の腕自慢は王都に上ってくるし、自然、この地での水準は高くなる。剣だけではない、魔道とて同じだ」

「はい」

 シアは素直に頷いた。

「このままでは駄目だと……この地で、よい師についてもっと腕を磨くことが大切だと……。ラウレン様がお忙しいのは重々承知でしたが、ラウレン様こそが一番の剣の使い手とお見受けして、お願いさせていただきました」

「ずいぶんと、見込まれたものだ」

 ラウレンは、薄い笑みを浮かべた。

「私とて、まだまだ若輩者。私などより、もっと腕の立つ剣士がいるだろうに」

「それは、そうかもしれませんが……」

 言葉に詰まって、シアはラウレンを見上げた。

「それでも、私はラウレン様に師事したいと思ったのです。ラウレン様に習いたいと思っているものは多いでしょうに、私のお願いをお聞き届け下さり、ありがとうございました」

 立ち止まって頭を下げると、ラウレンは顔をあげるようにシアに命じた。

「礼を言われるようなことではない。それに、これはサキラス陛下からも内々に頼まれてあったことだ」

「……陛下に?」

 シアの頬が引きつった。

「あのままの剣技では、陛下のお命を狙うには心もとない、と言ってな」

 ラウレンが、何かとても面白いものを見たとでも言うように唇を歪めた。

「……自らのお命を縮めるために、そのようなことをおっしゃるなど、陛下も酔狂な方ですね」

 唇をとがらせてそう言うと、ラウレンは小さく笑った。

「あの方は、万事に付けてそう言う気質をお持ちだから」

 宿舎に入る手前で駆け寄ってきたラウレン付の騎士見習いが、彼の剣を受け取る。彼を尊敬の眼差しで見上げる騎士見習いの視線に、シアもが誇らしく、微笑んだ。

「私には分からない、何かお考えがあるのだろう」

「そんな私に稽古を付けて下さる、ラウレン様も酔狂なお方です」

 シアは、彼を見上げて言った。

「主君を狙う者に、その技をお教え下さるとは、どういうことなのですか?」

 ラウレンは、目をすがめてシアを見た。

「……私程度の腕で、陛下を狙うなど、無謀なことと思っておいでだからですか?」

「そうではない」

 それだけは、はっきりとラウレンは言った。

「剣の道は、誰にでも開かれるべきだと考えている」

 考え込むようにしながら、ラウレンはゆっくりと言った。

「その目的が何であろうとな。そして、剣の道を究めたいと思うものに、私が少しでも役に立てることがあれば、それは喜ばしいことだ」

 二人がそれぞれの部屋に向かう分かれ道で、ラウレンは会釈するシアに向かって言った。

「……焦っても、始まらん」

 シアが、首をかしげて顔をあげた。

「今のお前では、まだ未熟すぎる。今は、学ぶことだ。謙虚な気持ちが、やがては腕の向上につながる」

「はい」

 そう返事したシアに、ラウレンは薄く微笑みかける。

「……ではな」

 ラウレンの背中を見送りながら、シアは彼の言葉を反芻する。ラウレンの表情と、そして、彼の説く剣の道への誓いを新たにしながら。



 「よぅ」

 声がかかって、シアは振り返った。

「フェリク様」

 振り返る前から、分かっていた。そんな気さくな口の聞き方をするのも、その引きずるような独特の足音も、彼以外のものではなかった。

「ご機嫌麗しゅう」

「おかげさまで」

 慇懃に頭を垂れたシアに、フェリクは肩をすくめてそう言った。

「どうだ、稽古の方は」

「おかげさまを持ちまして、順調でございます」

「それはそれは」

 フェリクは、変わらずシアを楽しげに見ていた。この、常に人を食ったような接し方をする男は、シアにとっては苦手以外何ものでもなくなっていた。

「それは、ようございました。姫騎士殿にも、お変わりなく」

「……」

 フェリクを見上げて、シアは少々唇をとがらせた。

「フェリク様、何かご用ですか」

 そう言うと、フェリクはにやりと笑って見せた。

「鋭いね」

「ご用がないのに、あなたから私にお話ししてくれることなどあるとは思えませんから」

「用がないのに、話しちゃいけないのか?」

「サキラス陛下からのご伝言、というのなら、伺いますが」

「ふぅん」

 フェリクは肩をすくめた。

「つまんないな。仕事一筋の、あの、ラウレン・アンシエみたいだ」

 両腕を組み、こちらをじっと見るその視線に、思わずシアは立ち止まった。

「……フェリク様」

「ん?」

 胸にある疑問を晴らすべきときではないか、という気持ちが、シアに浮かんだ。

「……ラウレン様のことですけれど」

「あ?」

 フェリクは首を傾げてシアを見た。

「ラウレン様のこと、何がご存知なのですか?」

「何かって?」

 シアは言葉に詰まった。

「あの……あの方は、近衛兵ですよね?」

「筋金入りのな」

 フェリクは頷いた。

「十五だか十六で騎士になって以来、ずっと近衛兵として王家に仕えているって話だよ」

 もちろん、俺はその頃は知らないけどな、とフェリクは付け加えた。

「先代の王が、即位したころから近衛隊にいる、古株だ。近衛兵としてだけでなく、王宮に使える者たちの中でも一番古いものの中に属するんじゃないか」

「そんな方でしたら、やはり王族の方々に対する忠誠心も、特に厚くていらっしゃいますよね」

「……まぁ、そうだろうな」

 首を傾げてフェリクは言った。

「人生のほとんどを王族の警護に捧げてきたんだからな。そりゃ忠誠心も湧くだろう」

 フェリクは言葉を切って、シアを見た。

「なぜ、そんなことを聞く?」

「……」

 そのようなことを口に出してもいいものか、シアは迷った。しかし、疑問を解く、今が好機であるといえばそうであったし、このような機会に再び恵まれるとも限らない。シアは、口を開いた。

「ラウレン様は、私のようなものにも剣を教えて下さるんです」

 シアの歩に合わせながら、フェリクは聞き耳を立てるそぶりを見せた。

「私の剣が何を狙っているのかご存知でいらっしゃるはずなのに。剣の道を究めたいものにはそれを教えることこそが喜びなんだとおっしゃって。それは、そうなのかも知れませんけれど……何か、そのお言葉には含みがあるように思われて」

 自分の言葉に、シアはとっさに口をつぐんだ。

「いえ、あの、そう言う意味じゃないんですけど」

「含み、ねぇ」

「いえ、だから。その……ご自分がお守りすべき方を狙う私などに教えて下さるなんて、なんというか、その……」

 言葉を濁してしまい、シアは上目遣いにフェリクを見た。

「……上手く言えませんけれど」

「つまり、陛下を討ちたいと思っているあんたにその手ほどきをするなんて、近衛兵としては間違っていると言いたいんだな」

「いえ、そんな……」

 フェリクのあまりにもはっきりした物言いに、シアは慌てた。

「間違っているとか、そう言うわけではないのですが」

「要するに、そう言うことなんだろうが」

 そう言われてしまうと、頷くしかなかった。自分の言葉があらぬ誤解を招いていないか、それだけが気掛かりだった。

「そりゃ、あのお人の気性ってもんだよ」

 こともなげにフェリクは言った。

「とにかく、真面目だからな。あんたが一生懸命やっているのが、ただ騎士同士として頼もしいから、ってな理由からだと思うよ?」

「……そうですよね」

 妙な勘繰りをしたことを恥じて、シアの声は小さくなった。

「それ以外の理由なんて、ありませんよね」

「何?何か心当たりがあるのか?」

 フェリクが好奇心丸出しの表情で近寄ってきた。

「あのおじさんが、あんたに気があるとか?」

「違いますっ!」

 思わず大きな声でそう叫び、シアは肩をすくめた。

「そんなんじゃありませんっ!」

「分かってるって」

 あくまでも朗らかに、フェリクは言った。

「今更、あんたみたいな子に興味持つような人じゃないよ、あのお方は」

 その言葉はどういう意味なのか、問いただしてみたいような気もしたが、あえて黙って、シアは続きに耳を傾けた。

「……まぁ、そう言う意味では、あんたに昔の自分を重ねているのかも知れないけど」

「どういう意味ですか?」

 フェリクを見上げると、意味あり気に笑いを含んだ顔がそこにあった。

「あのお方は、昔、王と女を争ったことがあるんだよ」

「……」

 いきなり飛び出した意外な話に、シアは目を丸くした。

「それは、前王の王妃。つまり、サキラス陛下の母君。……まぁ、ラウレン殿が負けたってことなんだけどな。もっとも、負けるも何も、もともと叶うような恋じゃなかった。それは誰の目にも明らかだったようなことなんだが。何たって王妃と年が離れすぎていたし。すでに、王の婚約者としてみんなに認められていた人だったしな」

 なんでもない世間話でもしているかのように話すフェリクに、シアはただただ驚いて見入った。

「若い騎士が、王の花嫁を連れて逃げようとしたって話は有名だよ。彼はとらえられ、牢につながれると思いきや、近衛兵の任を授かった。それに反対するもの、賛成するもの、相当悶着があったらしいが、王は意に介さなかった。相手は、まだ少年なんだしな。王にとっては、おのれに刃向かおうとする命知らずの勇敢さを気に入って、側近く取り立てたというようなことだろうが、本人にとっちゃ屈辱以外何ものでもなかったんだろうな」

 フェリクは微笑んだ。にっこりと、その顔をシアに向けた。

「逆らえないはずの、圧倒的権力を敵に回して憚らないあんたの姿が、頼もしいのかも知れないな。自分にはできなかったことをしてくれる、とでも言うように映っているんじゃないのか?それに、あの人は根っからの武人だからな。剣の向上を目指すものがかわいいのは当然だ。それに、あんたは直属の部下だし。まぁ、そうでなくてもあんたの立場は微妙だし。いろいろと、興味を持たれる存在ではある。特に、ああ言った過去に因縁のあるお方には」

「……」

 その話を詳しく聞いてみたいような気がした。しかし、ラウレン本人を前には口が裂けても言えなかったし、目の前のフェリクとて噂話以上の詳しいことは知らないと首を振った。

「俺が、あの人より幾つ年下だと思っているんだ」

 冗談交じりに怒ったような、半ば呆れたような口調でフェリクは言った。

「その頃の俺は、生まれているかいないか、ってとこだよ。実際に知っているわけがなかろうが」

「……でも」

 シアは、ただ思ったことをそのまま口にした。

「フェリク様がお小さいころなんて、想像できませんね」

「……どういう意味だ」

 フェリクは眉をぴくりと持ち上げた。

「俺だって、赤ん坊のころも、あんたくらいの頃もあったさ」

「想像できません」

 顔を引きつらせるフェリクから笑いながら逃げていくシアの耳には、騎士団寮近くの訓練場から響いてくる、威勢のいい掛け声が聞こえて来た。


第六章


 夕暮れどき、夕方の鐘が鳴って、人々が一日の労働から解放されるころだ。執務室にいたはずの国王の姿が見えないと、彼の近衛兵たるシアは、彼の側近から彼を探してくるように命ぜられた。

 探す、とは言っても、この広い王宮だ。シアは我知らず毒づいていた。どこを探せばいいのか。執務室も、私室にも姿のない国王がどこにいるかなど、シアの許容範囲ではなかった。

 夕影の差す中庭。木々の濃い影の落ちている庭園。宮廷中に顔を知らぬもののないサキラスが、侍女や従者の目を盗んでどこに行けるわけもない。まるで、迷子を探す母親の気分で、シアはあちこちを走り回った。

「……?」

 まさか、そのようなところに。そこは、王宮の中でももっとも大きなバルコニーだった。大々的な謁見や、公式の行事の折りは、そこが使われる。そのようなところで人目を盗むのは、大胆といえば大胆な行為には違いなかったが、それは人々の思惑の裏をかいた、盲点ともいえた。このような時間、その場所を訪れるものはない。宮殿に住まう貴族たちはそれぞれの自室に戻って一息ついているような時間。彼らに仕える従者たちは、晩餐の準備に追われる時だったからだ。

 シアが見たのは、サキラスだけの影ではなかった。もう一つ、彼より一回り小さい人影がそこにあった。

「……」

 二人の話し声は、耳を澄まさねば聞き取れない。覗き見の罪悪感と、このような場所で人目を忍ぶ二人の姿への好奇心がシアの中で戦ったが、後者は、あっけなく前者の魅力に負けてしまった。バルコニーの手すりに腰掛ける二人に気づかれないように、シアは出来るだけその近くに身を隠した。

「……さま」

 囁く声が、わずかに高くなってシアは驚いた。それは、その声の大きさのみならず、その主に思い当たってだった。

 二人の背後から夕日が当たり、その顔を分からなくさせている。しかし、その声と、そして豊かに揺れる金に光る髪が、それがティルリアであることを示していた。

「お兄様」

 それは、いつもの穏やかな声ではなかった。何かにせっつかれでもしているかのように、落ち着きを失った声だった。

「いい加減にして下さいませ、わたくしは、もう我慢できませんわ」

「ティルリア」

 そんな彼女を慰めるように、サキラスは言った。

「何も、お前の勘ぐっているようなことではない」

「勘ぐりたくもなりますわ」

 まるで聞き分けのない駄々っ子のように、ティルリアは髪を振り乱した。

「あのような、反逆者の娘などを側近くにお使いになって」

 シアは、胸を一つ高鳴らせた。

「このところのお兄様のお考え、わたくしには分かりかねます」

 彼女の肩に手を置いてなだめるサキラスを振りきるように、ティルリアは言った。

「あんなに戦をお厭いでいらっしゃったのに、急にその計画を前にお進めになったり。それもこれも、あの娘がお兄様のお近くに姿を表すようになってからですわ」

「……お前は」

 呆れたように、サキラスが笑う。

「そのように、シアを嫌わずともよいだろうに」

「違いますわ」

 ティルリアは、つんと顎を反らせる。

「わたくしがおかしいのではありませんわ、おかしいのは、お兄様ですわ」

「私が?」

「お忘れではありませんの、あの娘は、お兄様のお命を狙う輩ですのよ」

 口早に、ティルリアは続ける。

「そのような娘、あの裁きの間で死をお与えになるが尋常、それどころかお兄様はお側近くにお引き立てなどなさって。貴族たちと同じ扱いをしてやっても、まだご満足にならないのですわ」

「シアは、貴族の娘じゃないか」

 彼女の言葉を跳ね返すようにそう言ったサキラスを、ティルリアは再び睨みつける。

「あのような下級貴族、そうと名乗るもおこがましいのですわ」

 激高するティルリアを、サキラスは扱いかねているようだった。彼の、困ったような薄笑みを浮かべた顔が、夕日に照らされて赤く染まる。

「お兄様、お目を、お覚ましになって」

 彼にすり寄るように、ティルリアが身を寄せた。

「どうしてお兄様が、あのような娘をお気に入られるのか、わたくしにはどうしても分かりかねますの」

「気に、入っているわけではない」

「では、なぜなんですの?」

 その目が、ゆらりと揺れたように思えた。

「……なぜ?」

 ティルリアが、そんなサキラスの顔を覗き込む。

「……お前には、分からなくともいいんだ」

 彼の目が、別の色を帯びた。いつもは彼を彩っている、冷たくも厳しい色。それがベールを脱いだように消えうせ、はらりと目の前に現れたのは、あの色だった。シアがあの夜に垣間見た、あの温和な色。

「……あの娘は、私の背を押してくれた」

 サキラスは、歌うように言った。

「迷っていたのだよ。このような状況から脱すべきか否か。それは、困難な道のりではあろうが、それでも、やってみなければ何も始まりはしないのだからな」

「お兄様……?」

 独り言のようなサキラスの言葉に、困惑してティルリアは彼を見上げた。

「……それに、思い至らせてくれたというだけでも、あの娘は私の側にいてもらう価値があるのだよ」

 ティルリアに優しい、驚くほどに優しい笑みを投げ掛け、サキラスは彼女の体を抱く手をゆるめた。

「でも、それだけなのでしょう?」

 畳みかけるように、ティルリアは尋ねた。

「それ以上の感情など、あの小娘にお持ちなのではないですわね?」

「小娘、とは言っても」

 サキラスは笑った。

「お前とそう年は変わらないよ」

「あのように不作法で、鄙びた娘などと一緒にされるなどとはは心外ですわ」

「ティルリア」

 呆れたように、サキラスはため息をついた。

「……わたくしの気持ちは、ご存知ですわよね」

 サキラスの手を取って、訴えかけるようにティルリアは、その大きな褐色の瞳で彼を見上げた。

「わたくしを、お見捨てにならないで下さいませ」

「……愛しているよ、ティルリア」

 サキラスが、低い声で言った。シアは驚いて壁に身をすくませた。しかし、次なる言葉に思わずほっと安堵する。

「妹としてね」

「妹などと……!」

 ティルリアが声を上げて抗議した。

「わたくしは、そのようなことは望んでおりませんわ」

 そして、サキラスの腕をほどき、彼の方に顔を近づけ、そして、その唇におのれのそれを重ねたのだ。

「……!」

 靴が床を滑る音が、聞こえたはずはなかった。塔の高い位置にあるこの場所は、常に風が舞ってそれが耳を刺す。シアは、見てはいけないものを見た思いで、一杯だった。

 許されるはずもない恋に、ティルリアが身をやつしているのは疑うべくもなかった。そして、サキラスも、それを決して厭うてはいないのだ。身分高いものとは、このような不義の恋すらもやすやすと受け入れてしまえるものなのだろうか。目の前に繰り広げられる不倫の様に、シアは急いでその場から立ち去った。

 謁見の広間で、サキラスに刃を向けたシアに、短剣を突きつけたときのティルリアの激情を思い起こせば、さもあらん、と納得はできた。しかし、頭では納得できても、このような光景を目の当たりにしてしまった今では、その異様さに自然と眉が顰められた。

 それにも増して、シアには、ティルリアの情熱が恐ろしくもあった。そのたおやかな容姿の中、一際鮮やかに輝く燃える瞳は、シアを心なしかぞっとさせた。


(続く)

暁の姫騎士(前編)に続きます。

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