23、初依頼
既読が付いてから、一分ほど経った。
返信は来ない。
俺はスマートフォンを机の端に置き、途中だった弁当に箸を戻した。
聞かれた金額は三千円。俺が想定していた小遣い稼ぎとしては悪くない。ただ、何を頼まれるのか分からない状態で引き受けるほど、俺も考えなしではないつもりだった。
人を殴ってほしい。
誰かを脅してほしい。
昨日、咲優が言っていたような依頼だったら断る。
それ以外でも、俺にできないことなら断る。
それだけだ。
唐揚げを一つ食べたところで、スマートフォンが震えた。
『人と会うので、一緒に来てほしいです』
「……人?」
想像していたものとは少し違った。
『誰ですか』
送ると、今度はすぐに返信が来た。
『知り合いの男の人です』
『二人で会うのが怖くて』
俺は箸を止めた。
知らない女が、知らない男に会う。
そこに俺が同行する。
文章にすると単純だが、事情が何も分からない。
『警察に相談するようなことではないんですか』
『そこまでじゃないです』
『暴力を振るわれたり、脅されたりしていますか』
少し間が空いた。
『そういうのじゃないです』
『ただ、一人で会いたくないんです』
なら、俺の仕事は単なる付き添いになる。
待ち合わせ場所まで行って、相手と話している間そばにいる。それだけなら、三千円でも十分だった。
『分かりました。場所と時間を教えてください』
返信を待つ。
『今日の22時でも大丈夫ですか』
『大丈夫です』
『新宿でお願いします』
新宿。
俺にとっては都合がいい。
今日は夜の仕事が21時過ぎに終わる。そのまま向かえば間に合う。
続けて待ち合わせ場所が送られてきた。
歌舞伎町だった。
「…………」
まあ、そうなるか。
新宿で夜の二十二時に人と会うのだから、不自然ではない。
『分かりました』
そこまで打って、指が止まった。
そういえば、依頼人は俺が仮面を被って来ることを理解しているのだろうか。
アカウントの画像を見れば分かりそうなものだが、念のため確認しておく。
『一つ確認なんですが、プロフィール画像の格好で行きます』
既読。
『大丈夫です』
即答だった。
むしろ俺の方が不安になった。
21時12分。
夜の仕事を終えた俺は、店を出るとそのまま自宅へ向かった。
シャワーを浴びる時間はない。
部屋に入って上着を脱ぎ、用意していたスーツに着替える。
手袋とブーツ、その他色々。
最後に仮面を手に取った。
紅い複眼に、自分の顔がぼんやり映っている。
「……三千円か」
これを被って外に出る理由としては随分安い気もする。
だが、自分で始めたことだ。
俺は仮面を被った。
視界が少し狭くなる。
鏡を見る。
そこにいたのは、昨日まで部屋の隅に置かれていた姿だった。
見た目だけなら強そうだ。
中身は俺だけど。
上から丈の長いコートを羽織る。さすがにこの姿のまま電車に乗る勇気はない。仮面も一度外してバッグへ押し入れた。
待ち合わせ場所の近くで着ければいい。
俺は部屋の照明を消した。
21時57分。
歌舞伎町は、平日の夜でも明るかった。
新宿東宝ビルの巨大なスクリーンから流れる光が人混みの上を照らし、客引きの声と笑い声や店から漏れる音楽が混ざっている。
俺は人通りの少ない場所で仮面を着け、コートの前を開いた。
何人かに見られた。
まあ、当然だ。
待ち合わせ場所は、大通りから少し入ったところにあるコンビニの前だった。
スマートフォンを見る。
『着きました』
送信する。
数十秒後。
『私もいます』
「……?」
顔を上げる。
人は何人もいる。
若い男女。スーツ姿の男。コンビニから出てくる会社員。スマートフォンを見ながら立っている女。
どれだ。
すると、一人の女がこちらを見た。
年齢は俺とそう変わらないように見える。肩より少し長い髪に、薄い色のコート。小さなバッグを両手で持っている。
目が合う。
女は一度スマートフォンを確認してから、恐る恐る近づいてきた。
「あの……」
「はい」
「便利屋の人、ですか?」
「……多分」
「多分?」
「い、いえ、今日始めたばかりなので…」
女が少しだけ目を丸くした。
失敗した。
依頼人を不安にさせてどうする。
「あ、でも、依頼は受けます」
「……ありがとうございます」
女はペコリと小さく頭を下げた。
「名前、聞いてもいいですか…?」
「私ですか?」
「呼び方がないと困るので。あ、本名じゃなくても大丈夫なので…」
「あ……じゃあ、ユイで」
「分かりました」
ユイさん。
ぶっちゃけ本名かどうかは分からない。
俺も聞くつもりはなかった。
「それで、会う人は?」
「まだ来てないです」
「ここで待ち合わせですか」
「いえ」
ユイが首を横に振る。
「向こうの店です…」
「店?」
「はい」
ユイは歌舞伎町の奥へ目を向けた。
さっきまでより、明らかに表情が硬くなっている。
「少し歩きますが…」
「分かりました」
二人で歩き出す。
俺はユイの少し後ろを歩いた。
周囲から俺への視線を強く感じる。この見た目なら周りから視線を感じるのも無理は無い。
夜の歌舞伎町なら多少変わった格好の人間がいても珍しくないが、さすがにこの姿は目立つ。
「……すみません」
前を歩いていたユイが言った。
「何がですか?」
「こんなこと頼んで」
「仕事なので…」
「三千円なのに?」
「最初にそれでいいと言ったので…」
ユイは少し黙った。
歩きながら、何度もスマートフォンを確認している。
「相手は、どういう人なんですか?」
俺が聞くと、ユイの足が少しだけ遅くなった。
「知り合いなんです…」
「それは聞きました」
「……ですよね」
言いたくないなら、無理に聞く必要はない。
ただ、相手が危険な人間なら話は別だ。
「もし相手が暴力を振るう可能性があるなら、先に言ってください。俺は強くないので…」
「え?」
「見た目ほど強くないです…」
ユイが初めて少し笑った。
「自分で言うんですね」
「事実なので…」
笑ったのは一瞬だった。
すぐにユイの表情が戻る。
「暴力とか、そういう人じゃないです」
「ならいいです…」
「ただ……、」
ユイが止まった。
同時に俺も止まる。
目の前には、派手な看板が並ぶ一角があった。
黒い外壁。
照明。
整えられた男たちの写真が、建物の前に大きく掲げられている。
ユイはその中の一人を見ていた。
「この人です」
俺も写真を見る。
細身の若い男だった。
綺麗に整えられた髪。白い肌。こちらへ笑いかけるような写真。
「……この人と会うんですか」
「はい」
「知り合いって」
ユイはバッグの持ち手を強く握った。
「私の担当です」
「担当?」
聞き慣れない言い方だった。
いや、何となく意味は知っている。
ただ、自分が実際にその言葉を向けられることがなかっただけだ。
俺はもう一度、建物を見る。
入口の横にある看板。
そこに書かれた文字で、ようやく理解した。
ホストクラブだ。
「……ホスト?」
「はい」
ユイは小さく答えた。
そしてバッグからスマートフォンを取り出すと、画面を俺に向けた。
「今日、この人と話をしないといけないんです」
メッセージが何件も並んでいる。
視線が俺から外れ、今度は店の看板へ向く。
その看板の写真の中では、担当だという男が変わらず笑っていた。
「……お金の話です」




