16
春。
少し暖かくなった夜。
新宿ライブハウス街。
「うおおおおおおおお!!!!!!」
ロブスターの亡霊ワンマンライブは、今日も地獄みたいな熱気だった。
『♡甲殻類パラダイス〜♡』
爆音。
レーザー。
赤い照明。
跳ねる観客。
海老ジャンプ。
そして。
「のだぁあああああ!!!!!!」
伊藤レイ。
完全覚醒。
今日もロブスターTシャツ。
今日もペンライト二刀流。
今日も異様に元気。
「ぴぴるぅぅぅぅぅ!!!!!!」
周囲の若いオタクたちが笑っている。
「古参ロブおじ今日もいるwww」
「甲殻類の王なのだぁ!!!!!!」
「何それwww」
レイはもう完全にライブ名物だった。
最初は浮いていた。
五十歳。
腹出てる。
声デカい。
でも。
毎回来る。
全力。
コール完璧。
マナーも妙に良い。
さらに最近は。
ライブ初心者を助けたり、塩飴を配ったりしている。
結果。
なぜか一部若手オタクに好かれていた。
「おっさん今日最前いけそう?」
「うむ!」
「腰大丈夫?」
「昨日ストレッチしたのだぁ!」
妙に馴染んでいる。
一方。
少し後ろ。
高橋美咲はその光景を見ながら苦笑していた。
「……」
数ヶ月前。
ロブスターの亡霊なんて意味不明だった。
今もまあ意味不明である。
でも。
もう普通にライブへ来ている自分がいる。
しかも。
今日は自然に赤系の服を選んでしまった。
完全に影響されている。
「のだぁあああ!!!!!!」
レイが跳ぶ。
周囲も跳ぶ。
床が揺れる。
「ぴぴるぅぅぅぅ!!!!!!」
美咲は少し笑った。
本当に。
レイはここだと幸せそうだった。
会社で空回りしてる時とも。
見栄を張ってる時とも違う。
ただ好きなものに夢中な顔。
高校時代。
レイは“目立ちたい人”だった。
今は。
少し違う。
“好きだから騒いでる”。
その違いは大きかった。
『次の曲いくよぉぉぉ!!』
歓声。
『♡ボイル!ボイル!恋心♡』
「うおおおおおお!!!!!!」
会場爆発。
「のだぁあああああ!!!!!!」
レイ、限界突破。
ペンライト高速回転。
「甲殻類に栄光あれぇぇぇぇ!!!!!!」
周囲爆笑。
だが。
美咲も少し笑いながら手拍子していた。
数ヶ月前なら考えられない。
人生、本当にわからない。
ライブ終了後。
夜風。
熱気の残る会場前。
「はぁ……」
レイは満足そうだった。
「今日のぴぴるちゃんは神を超えてたのだぁ……」
「毎回言ってない?」
「今日は特別なのだぁ!」
「はいはい」
人波が駅へ流れていく。
ライブ帰りのオタクたち。
赤いペンライト。
笑い声。
春の夜。
「のだぁ〜♡」
レイはまだ上機嫌だった。
「新曲のクラブミックス最高だったのだぁ!」
「甲殻類でクラブミックスって何」
「深海EDMなのだぁ!」
「余計わからない」
歩きながら。
ふと。
レイが少し速度を落とした。
「……のだ」
「ん?」
「足大丈夫なのだぁ?」
「大丈夫よ」
「押されてたのだぁ」
「慣れてきたから平気」
「うむ!」
レイは安心したように頷いた。
そして。
次の瞬間。
妙に自然に。
手を差し出した。
「……」
「……のだぁ?」
昔のレイなら。
もっと変に格好つけただろう。
妙に下心全開だっただろう。
でも今は。
本当に自然だった。
「迷子防止なのだぁ」
「もう迷子にならないでしょ」
「吾輩がなるのだぁ」
「そうだった」
美咲は笑った。
そして。
そのまま手を繋いだ。
「のだっ♡」
レイがちょっと嬉しそうになる。
でも。
昔みたいに騒がなかった。
ただ。
少し照れていた。
駅までの道。
二人で歩く。
周囲には若いカップルもいる。
大学生くらいの恋人たち。
肩を寄せ合って笑っている。
昔なら。
レイはそういう連中に妙な対抗心を燃やしていただろう。
だが今日は違った。
「……のだぁ」
手の温かさ。
夜風。
ライブ帰りの疲労感。
全部が妙に心地いい。
「疲れたのだぁ?」
「ちょっと」
「吾輩もなのだぁ」
「さっきまで暴れてたじゃない」
「全力甲殻類した代償なのだぁ」
「何それ」
美咲は笑う。
レイも笑う。
派手じゃない。
若い頃みたいな激しさもない。
でも。
変に安心する時間だった。
「……のだ」
「ん?」
「高校の時ぃ」
「うん」
「吾輩、美咲にめちゃくちゃ嫌われてたのだぁ?」
「かなり」
「のだぁ!」
レイはショックを受けた。
「怖かったのよ」
「吾輩、純情少年だったのだぁ!」
「急に机の上立って変なギャグやる人は怖いの」
「若気の至りなのだぁ……」
「あと距離感おかしかった」
「のだぁ……」
レイはしょんぼりした。
しかし。
美咲は少しだけ目を細める。
「でも」
「のだ?」
「今はそこまで嫌いじゃないわよ」
「……」
「……」
「のだぁ?」
レイが止まった。
「……今なんて?」
「聞こえてるでしょ」
「のだぁぁぁぁ……」
レイは急に顔を覆った。
「吾輩ぁ……今日死ぬのだぁ……?」
「大げさ」
「ロブスターの亡霊ライブ後にこんなイベントあるのだぁ……?」
「知らないわよ」
レイは照れまくっていた。
五十歳なのに。
本当に。
五十歳とは思えないくらいわかりやすい。
美咲はそんなレイを見て少し笑う。
そして。
繋いだ手を、少しだけ握り直した。
「のだっ」
レイがまた固まる。
夜の新宿。
ネオン。
人混み。
ライブ帰りのざわめき。
その中を。
二人はゆっくり歩いていく。
昔思い描いていた人生とは、たぶん全然違う。
キラキラした成功でもない。
完璧な恋愛でもない。
ロブスターの亡霊だし。
甲殻類だし。
意味はよくわからない。
でも。
まあ。
これはこれで。
悪くないのかもしれなかった。
遠くで。
誰かのスマホから聞き慣れた曲が流れてくる。
『♡ボイル!ボイル!恋心〜♡』
レイは鼻歌交じりに歩く。
「のだだだ〜ん♪」
美咲は呆れながら笑った。
そのまま。
二人の手は、駅までずっと離れなかった。




