13
土曜日。
午後五時前。
新宿。
ライブハウス街へ向かう駅前は、人で溢れていた。
観光客。
若者。
カップル。
呼び込み。
外国語。
ネオンと雑踏が入り混じる、いつもの東京の夜。
「……」
高橋美咲は人混みの中で少し困っていた。
「No no!Just one drink!Very cheap!」
外国人の客引きだった。
細身の男二人組。
陽気だが、かなりしつこい。
「Beautiful lady!You like Japanese bar!?」
「いえ、大丈夫です」
美咲は苦笑いで断る。
だが。
男たちは離れない。
「Only little time!」
「Special service!」
「No problem!」
(困ったな……)
美咲は少し眉を下げた。
確かに今日は少し綺麗めだった。
落ち着いた黒のコート。
細いアクセサリー。
上品なバッグ。
年齢のわりに姿勢も綺麗で、雰囲気も柔らかい。
だからだろう。
観光客か、金のある女性に見えたらしい。
「Friend waiting!」
「No no!Five minute!」
美咲は困ったように周囲を見た。
その時。
遠くから。
「のだぁああああ!!!!!!」
聞き慣れた声。
「……あ」
人混みをかき分け、赤い物体が突撃してきた。
ロブスターカチューシャ。
赤いパーカー。
ライブ仕様の伊藤レイ(50)。
今日も完全装備である。
「美咲ぃぃぃぃ!!!!!!」
「伊藤くん」
レイは状況を見た。
客引き。
困ってる美咲。
そして。
なぜか。
一瞬で顔つきが変わった。
「……のだ?」
外国人たちがレイを見る。
「Friend?」
レイは数秒黙った。
そして。
急に英語モードになった。
「Excuse me.」
美咲がちょっと驚く。
意外と発音が普通だった。
レイは客引きたちを睨む。
「She already said no.」
「Ah, just talking〜」
「No.」
レイは妙に低い声だった。
「She is waiting for me.」
客引きたちは少し顔を見合わせた。
レイは続ける。
「And honestly?」
一瞬間。
「Tonight she already has very important appointment.」
「……?」
美咲が横を見る。
レイは真顔だった。
「Lobster Ghost live.」
「……」
「……」
客引きたちが固まる。
「……What?」
「Very important Japanese culture.」
「やめて」
美咲は思わず小声で言った。
しかしレイは止まらない。
「Today is special concert.」
「……」
「We must become crustaceans together.」
「何言ってるの」
客引きたちが完全に困惑した。
だが。
勢いには押された。
「……Okay okay」
「Sorry bro」
男たちは苦笑いしながら去っていく。
レイはしばらくその背中を睨んでいた。
「……ふん」
そして。
数秒後。
「のだっ♡」
急にいつもの顔に戻った。
「美咲!大丈夫だったのだぁ!?」
「……」
「のだぁ?」
「今なんて言ったの?」
「のだ?」
「甲殻類になるとか何とか」
「日本文化紹介なのだぁ!」
「絶対違う」
だが。
美咲は少し驚いていた。
高校時代。
レイは英語がそこそこ得意だった。
授業中はふざけていたが、妙に発音だけ良かった。
そういえば大学時代、外国人観光客相手のバイトをしてたとか噂で聞いたことがある。
「英語できたんだ」
「のだっ♡」
レイは急に得意げになった。
「吾輩、国際派なのだぁ!」
「へぇ」
「昔ぃ!外国人観光客に道教えてチップもらったことあるのだぁ!」
「それ自慢なの?」
「五ドルだったのだぁ!」
「小さい」
「でも当時の吾輩には大金だったのだぁ!」
レイは胸を張る。
美咲はちょっと笑った。
そして。
「……ありがとう」
小さく礼を言った。
「のだっ」
レイが止まる。
「……」
「……」
急に変な沈黙。
レイは妙に落ち着かなくなった。
「の、のだぁ!」
急に早口になる。
「べ、別にぃ!吾輩、英語できる男アピールしたかったわけではないのだぁ!」
「誰も言ってないわよ」
「ただぁ!ロブスターの亡霊ライブ前に変な店行くと体力消耗するのだぁ!」
「ライブ優先なのね」
「当然なのだぁ!」
しかし。
レイは少し照れていた。
美咲に真面目に礼を言われると妙に弱い。
若いキャバ嬢に褒められても「当然なのだぁ!」で終わるのに。
「……のだぁ」
美咲はそんなレイを横目で見た。
今日のレイは妙に頼もしかった。
もちろん変人である。
ロブスターカチューシャ装備だし。
さっきも“甲殻類になる”とか言ってたし。
でも。
困ってる時にちゃんと前へ出てくる。
しかも。
変に格好つけすぎない。
若い頃なら。
もっと見栄を張っていただろう。
今は。
多少無様でも、とりあえず助けに来る。
「……」
美咲は少しだけ不思議な気持ちになった。
昔は本当に苦手だったのに。
今は。
隣にいてそこまで疲れない。
「のだっ♡」
レイは急にテンションを戻した。
「さぁ行くのだぁ!」
「うん」
「今日はぴぴるちゃん新曲解禁なのだぁ!」
「また甲殻類なの?」
「当然なのだぁ!」
「普通の恋愛ソングとかないの?」
「ロブスターの亡霊を舐めるななのだぁ!」
レイは真顔になった。
「恋も友情も甲殻類を通して描くのだぁ!」
「世界観が狭い」
人混みの中。
赤いカチューシャ姿の五十歳男が、妙に嬉しそうに歩いていく。
その横を。
美咲も少し笑いながら歩いていた。
なおこの後。
ライブ中にレイが張り切りすぎて軽く足をつり、「のだぁああああ!!甲殻類の脚がぁぁぁ!!」と叫んだため、周囲のオタクたちに「おっさん今日も絶好調だな」と笑われた。




