ヤマテグリーンロードに残った光と白の記憶
素人の下手な文章ですが、お時間が許すタイミングがありましたら、よろしくお願いいたします。
冬の気配が少しずつ引いていき、光の中に溶け込んでいた温かさが
徐々にこぼれだしてくるのを感じるようになった休日
行く当てなどの予定もしておらず、せっかくの日差しを
少しだけ味わいたいと、バイクのシートをめくる。
過去にちょっとだけ引っかかっている記憶のささくれのような
小さなきっかけが、こそこそと心に擦れているような...
久しぶりにあの道を走ってみようか...
光の当たった白いタンクを軽く拭きながら
過去の記憶がその白さの奥に、
秒針ほどのスピードで蘇る
ゆっくりと気持ちがその方向を向き始める。
いつもなら、部屋とバイクの間をバタバタと何度も行き来しつつ、
不器用に出発の準備をするのに、
今日はなぜかゆったり...、のんびり...、そんな感じ。
『距離もないし...』
人生の中で深く記憶に残る道...
ヤマテグリーンロード
ここでは以前にも父親の病について触れた文章を書いた事がありますが、
突然の父の脳梗塞...
私の人生の流れが大きく変わった瞬間。
その最初の数十日の中で強く記憶に残るシーン...
父が最初に救急車で運び込まれた八事日赤病院、
正式には、日本赤十字社 愛知医療センター名古屋第二病院
その日から約半年、ここでは普段の自分が生活していく中で
自然に目に映る景色とは全く違う、
自分が想像することなどなかった画が、
否応なく自分の目に飛び込んでくる。
自分と同じように不安の海の中に放り込まれているはずなのに
気丈に振る舞う母の表情、
病院の廊下、ナースステーション、それに接続しているICU
どこを向いても視界のほとんどを埋める白い色が、
流れる時間の遅さを助長するかのように...
面会時間などとうに過ぎた夜の時間帯
自分達がいる事を許される待合室の小さなスペース。
時折目に映る他の御家族の小声の会話、看護師さんの静かな小走りの音
何一つ自分に対して攻撃されている事など無いのに、
まるで砂時計の砂が、絶え間なく上から落ちてくるように、
じわじわと積み重なる不安がダメージとなって感じられる...
この日を境に、
『いったいどうなってしまうんだろう...』という不安とともに
本山を超え、ヤマテグリーンロードを濃い藍色の空が覆う中、
日に日に心が押し潰されそうになりながら、
フロントウインドウ越しで見ていた この道の景色を走り抜け、
仕事終わりに急いで病院に向かう日々が始まる。
そんな一日目から始まる、心がきつかった長い時間の中で、
唯一 今も淡く光る記憶として残っている事。
それは、ほんの一瞬目の前に現れたヒーローのような存在。
それについて書きます。
父親が病院に運ばれたその日、医師の最初の診断での説明は、
『残念ですが現在の状況は非常に厳しく、
命を繋げられる可能性は極めて低いと言わざるを得ません、
最悪の状況を想定し、もし今できる事、必要だと思われる事があれば
準備を進めた方がいいかもしれません...』と
それを聞いた母親は、即座に仕事上接点の合った葬儀屋に『お願いするかも』と
電話を入れるような状況。
その後の数日、家族に知らされる情報などはなく、白い感情の中
待合室でじっとしているだけの時間を積み重ねていき、
ある時から、担当医の方に呼ばれ、説明をして頂き、
それが何度か繰り返された後、
命を手放す事無く繋いで頂いた事を告げられました。
ただ、ICU内に入れて頂いた際、私の目に映る父の姿は、
以前の恐ろしい父親の姿ではなく、半身が自分の意志から離れ
失語症にて声を発する事もできず、
医療機器を自ら外そうとすることから、ベッドに数か所のベルトで拘束され
適当な言葉ではないですが、同じ生き物とは思えない姿でした。
そこから、更に時間を重ねていき、約一月ほどのICUからひとまず
同病棟の相部屋の病室へ移動させて頂いたのですが、
それから一切食事を受け付けず、
点滴でしか体に必要なものを取り入れられない状態。
既に失語症が確定していた事から、言葉での意思疎通はできず、
とにかく食べ物を口に入れたがらない様子。
医師からは
『点滴だけでは少しずつ身体が衰弱していきますので、これも危険な要因です。
ご家族の方には少しでも食事を口にできるよう、頑張って話しかけてください。』
『失語症というのは声が発せなくても、聞く事は ほぼ理解できているはずです。
当面の間、会話のコミュニケーションの形が大きく違ってきますが、
めげずにお話ししてあげてください。』と
今、長い時間を経て考えると、父は自分の身体に突然起きた異常な変化の中で、
生きる気持ちとは全く逆の気持ち、
自ら、生きる事に対しての拒絶行動を選択しようとしていたのかもしれません。
家族としては『食べないと死んじゃうんだよ』と何度も話しかけるものの、
不自由な左半身で必死に首を横に振るばかりの日々が続き...
何をどうしていいかもわからず、この時間の積み重ねは父にとって
余計に精神的な追い込みに繋がるのかも、と
父には関係ないくだらない世間話を、ベッドの横で延々母と話したり...
素人には何が正しいかなんで全く分かるわけもなく。
時間だけが無機質に積み上げられていく。
今日の私も、球種の少ないピッチャーのように、同じことの繰り返し...
『なんでもいい、一口でいいんだよ、好きなもので何か一口食べられるものない?』
『お肉系とか、魚系とか... 食事に限らずお菓子でも...ケーキとかさ...』
その "ケーキ" といった瞬間、不器用に体をねじりこちらに目を向け首を縦に振った。
甘いものなど一切食べない人なのに...
『ん、ケーキなら食べられるの? マジで!もう一度聞くよ、ケーキなら食べられるの?』
確かにうなずいた。 いや、違ってたっていい。
初めて受け取った動きだし!。
『ケーキか...看護師さんに確認してくる』と自分はナースセンターへ走る
看護師さんから担当医に確認してもらい...
問題ないとの事だったが、
『でもこんな時間にどこで...』と母の一言、
既に午後8時をかなり過ぎていた。
普段なら、そろそろ付き添いの家族も病室を退出するよう促される頃...
とっさに『俺が何とかする、』と病室を飛び出し 外へ
学生時代、八事・いりなかといえば、前の中京テレビ建屋付近に在った、
当時最高にお洒落だったカフェ『LIB』や、いりなか駅周辺に在る数件の楽器店に何度も来ているが、
それは目的地まで車で来て、そして車で帰るだけ。
自分の記憶の中には、ほとんどが流れていく街の景色の記憶だけで
本当の街の色なんかまったく見えていなかった...
詳しくない街で、何の当てもなく、ただ明かりが沢山灯る方に走る。
当然ケーキ屋なんて見つからない。
当たり前だ、本当のこの町の姿を自分は知らない。
でもここで自分が走るのをやめる事が、父親の命を閉じさせてしまう気がして、
きっとその時はケーキ屋さんを探すのではなく、
正確にはただ走るのに必死だったのかもしれない。
『これじゃだめだ、』そう思った瞬間、
自分の少し前を 手を繋いで前を歩く母娘の姿が、
『すいません!』息が途切れそうになりながら、
辛うじて言葉を並べ必死に話しかけた。
母親は優しそうで小柄な30代中盤くらいか、
娘さんは中学生くらいの制服姿。
私はといえば薄汚れた作業着のような制服。
身長190弱の薄汚れた作業着の男が、夜8時過ぎに息を切らしつつ後ろから声をかけたら...
さぞ驚いた事でしょう。
一旦足を止めた位置から二歩も三歩も後ずさりしていた。
私は後ろを指さし
『あの病院で父親が、ICUから出て何も食べられなくて、
ケーキなら食べられるかもって言うんですが、お店が見つからなくて...』
『どこかご存じでないですか...』と言い終わるほんの僅か前に
一瞬で明らかに母親の顔つきが変わるのがわかった。
すこし考える様子の後、『ついてきて下さい!』と走りだす。
まるで手を繋いだ娘を引きずっていくかの勢いで...
娘さんの足取りといえば、上半身の重心が完全に母親の意志に持っていかれ、
不規則なスタッカートで、辛うじてアスファルトの表面を叩いていくよう...
その姿を後ろから見ながら、
『今この人変身した...』 バカげているようだが、その時確かにそう思った。
小さな商業ビルの二階、駆け上がる母娘、
『こんな場所、絶対俺じゃ見つけられない...』と思った瞬間
視界に飛び込む "Closed" の看板
私の心の中に『やっぱ、この時間じゃ無理か...』と思うのと同時に
母親が、店のガラス戸を手のひらで激しくバンバンと叩きだす。
『まだ誰かいるでしょ!』確かに照明はついていた。
奥からアルバイトらしき店員さんが一人、何事かと扉の鍵を開けると
、
『この人のお父さんが今病院で大変なの!
少しでもお店に残っているケーキがあったらこの人に売ってあげて!』と叫ぶように、
半ば強引に店に入れて頂いた私は、何も考える余裕もなく、
目に映る10個ほどのケーキを購入。
一旦締めたレジで会計を、店員さんが少し迷いつつ、
あちこちを操作しながら会計して頂いている間中、
『よかった、気を付けて行かれてくださいね』と母と娘は店から出て行かれた。
私に丁寧にお礼を言う間もない事の流れだった。
その時、私の視界の隅に映った母親の表情ははっきり記憶の中に残っている。
既に変身は解け、最初の優しい柔らかな表情をされていました。
病室に戻り、父親に届けたケーキは手づかみで口の周りにクリームをいっぱい残しつつ
短い時間に2個ほど消えていった。
残りのケーキは相部屋の患者さんやご家族に...
この日からの約半年、八事日赤から地元の市民病院に転院するまでの間、
私は仕事終わりに、一日も欠かす事無く10個ほどのケーキを買って病室に向かう事となる。
今では笑い話的な記憶ではあるが、
唯一、あの母娘にはもっとしっかりお礼が言いたかった。
あの娘さんはあの時の母親よりもう少し御歳を取られている感じであろうか、
いや、その娘さんにもまた可愛い娘さんがいらっしゃるかもしれない。
ただ確信に近い思いがある。
あの娘さんは、きっと素敵な母親になられているに違いない。
読んで頂き、ありがとうございました。
この内容は20代後半の私の中に強く記憶に残る出来事です。
丁寧にお礼が言えなかった後悔。 言いたかった思い。
父が必死にケーキを食べる姿。
できれば、あの母娘に伝えられたらな、と永く心に留めておりました。
この後、何年もの時間が流れていく中、この場所やケーキ屋さんを
もう一度見たいと思い、何度か足を運んだのですが、
ここだ、と思える場所は見つけられず。
まるであのシーンは夢だったのか、とさえ思えるようです。
ただ、父がケーキを食べた瞬間の画は、家族の共通の記憶となり
少なくとも夢ではなさそうです。
この宛の無い思いを持ちつづける中、
一時は名古屋市昭和区の区長様宛に、
筋違いではありますが
感謝のお手紙を出そうかとも考えましたが、
確かに筋違いで、
何も知らない人の手を渡り消えていくのが少し寂しく感じ、
ネット上に書いてみる事としました。




