第31話 灰色の王都と、ガスマスクの恋人
「……ねえナオト。後ろから来るアレ、何?」
「ん? ああ、バックミラーに映ってる茶色い壁か? あれは砂嵐だ。規模は特大。巻き込まれたら俺たちの皮膚はサンドペーパーで磨いたみたいにツルツルになるぞ。骨までな」
「ヒィィッ! なんでそんな冷静なのよ! もっとアクセル踏んで! ベタ踏みして!」
「踏んでる! だが、このトライクの最高速度じゃ限界がある! タイヤが砂に取られてトラクションがかからないんだよ!」
「じゃあどうすんの!? 後ろからは砂の壁、左右は無限の荒野! 逃げ場がないじゃない!」
「前だ! 12時の方向を見ろ!」
「前? ……うわ、何あれ。不気味な霧……」
砂丘を越えた先。
視界の全てを覆う茶色い砂嵐とは対照的に、進行方向には鉛色の分厚い霧が立ち込めていた。
その霧の向こうに、うっすらと巨大な城壁のような影が聳え立っている。
「あれが灰色の王都だ。地図から抹消された封鎖地域だが、今の俺たちの緊急避難場所だ」
「王都? 人が住んでるの? コンビニある?」
「あるわけないだろ。100年前に謎の疫病で滅んだ死の都だ。住民は全員、石像みたいに固まって死んだらしいぞ」
「……ねえ、砂嵐で削り殺されるのと、呪われた都で病死するの、どっちがマシ?」
「究極の二択だな。だが、砂嵐は物理的即死だが、都の方は装備があれば生存率は50%くらいある」
「50%!? ギャンブルじゃない!」
「文句を言うな! 突っ込むぞ! 鼻をつまめ!」
ドロロロロ……ッ!
ナオトはハンドルを切り、アクセルを全開にした。
背後から迫る轟音と砂の津波。
それをギリギリでかわすようにトライクは鉛色の霧の中へと滑り込んだ。
◇ ◇ ◇
キキィッ……。
霧の中に入った瞬間、世界から音が消えた。
砂嵐の轟音も、風の音も、全てが灰色の壁に遮断されたように静まり返る。
残るのはアイドリングするエンジンの音だけ。
「……うぅ。気持ち悪い。空気がネバネバする……」
「呼吸を浅くしろ。吸いすぎると肺が腐るぞ」
「はぁ!? 毒ガス!?」
「瘴気だ。この都を覆っている霧の正体だよ。高濃度の魔素と病原菌のハイブリッドだ。生身で吸い込めば、1時間で肺がスポンジみたいになって即死だ」
「……ナオト。私、息止めなきゃ死ぬの? あと何分? 1分?」
「落ち着け。アイテムがある。……ほら、これを使え」
ナオトは荷台の防水バッグから、革製の奇妙な物体を取り出した。
黒い革で作られた顔全体を覆うマスク。
目の部分には分厚いガラスが嵌め込まれ、口元は鳥のくちばしのように長く突き出している。
「……なにこれ。カラスのコスプレ?」
「ペストマスク (浄化面)だ。くちばしの部分に強力な浄化ハーブと活性炭が詰まってる。このエリアの必須装備だ」
「ダサッ! うわ、絶対つけたくない! なにこの中二病デザイン! ハロウィンかよ!」
「死にたくなきゃつけろ。それとも、美しい顔が紫色に変色して七孔から血を噴き出したいか?」
「うぅ……。つけるわよ、つければいいんでしょ! ……んぐ、きつい! ゴムが髪に絡まる!」
「手がかかるなぁ、ほら……じっとしてろ」
ナオトはトライクの座席から身を乗り出し、ミオの顔にマスクを押し当てた。
後頭部のベルトを締め上げ、密着度を確認する。
顔と顔の距離、わずか数センチ。くちばし越しのキスのような体勢だ。
「……んぐっ。苦しい……。ゴム臭い……」
「我慢しろ。隙間があると死ぬぞ。……よし、フィッティングOKだ」
ナオトも自分のマスクを装着する。
二人揃って、不気味な鳥人間の完成だ。
ガラス越しの視界は薄暗く、呼吸をするたびにシュー、シュー、とダースベイダーのような音がする。
「……聞こえるか、ミオ」
「……シュー……聞こえるわよ……シュー……。声がこもって変な感じ……」
「それが命綱だ。絶対に外すなよ。このマスクが外れた瞬間、俺たちの恋人関係は解消されて、お前は死神と結婚することになる」
「誰が恋人よ! こんなガスマスク男、願い下げだわ!」
「お互い様だ。くちばし女。……行くぞ、探索開始だ」
◇ ◇ ◇
灰色の霧に包まれた王都は不気味なほど保存状態が良かった。
石造りの建物、舗装された道路、街灯。
崩れている場所もあるが、100年前の都市機能がそのまま化石になったようだ。
ただ一つ違うのは全てが灰色のカビのようなもので覆われていることだ。
「……ねえナオト。ここ、静かすぎるわよ。ゾンビとかいないの?」
「シュー……。今のところ生体反応はないな。だが、油断するな。ここはSランク指定区域だ」
「見て! あそこのショーウィンドウ! 宝石店じゃない!?」
ミオが指差した先。ガラスの割れた店舗の中に埃を被ったネックレスや指輪が並んでいた。金や銀が灰色の世界で鈍く光っている。
「うわぁ……! 取り放題! ねえ、ちょっとだけ! 一個だけ!」
「やめろ。触るな」
「なんでよ! 誰もいないじゃない! 時効よ時効!」
「呪いだよ。この都の物品には高確率で怨念が付着してる。指輪をはめた瞬間、指が壊死して落ちるかもしれんぞ」
「ヒィッ! ……嘘でしょ? 私をビビらせて独り占めしようとしてない?」
「俺はリスク管理の話をしてるんだ。……それに、もっと実用的なものを探せ。薬品とか、保存食とかな」
「夢がない男ねぇ……。あ、じゃあアレは? 薬局って書いてある看板!」
「……お、いいな。錬金術師の店か。ポーションの類が残ってるかもしれない。行ってみるか」
二人はトライクを降り、慎重に廃墟の薬局へと近づいた。
店の中は棚が倒れ、ガラス片が散乱している。
カウンターの奥には白衣を着たまま干からびた店主らしき遺体があった。
「……うっ。ミイラ……」
「合掌。……よし、漁るぞ。ミオ、赤い液体の瓶を探せ。青いのはマナポーションだが、変質して毒になってる可能性がある」
「了解。……うわ、埃すごい。……あった! 赤い瓶!」
ミオが棚の奥から一本の瓶を引っ張り出した。中には鮮血のような赤い液体が入っている。
「鑑定する。貸してみろ」
ナオトは瓶を受け取り、ゴーグルの解析モードを起動した。
「……成分分析。……最高級HPポーション。保存状態良し。劣化なし。……ビンゴだ。市場価格なら金貨1枚はするぞ」
「やった! お宝ゲット! これであと10本見つければ借金返済……あ、もう借金ないんだっけ」
「生活費の足しにはなる。リュックに詰めろ。割るなよ?」
ガサゴソと物色を続ける二人。しかし、その静寂を破る音が響いた。
ズリッ……ズリリッ……。
「……ッ!?」
音は店の奥、調剤室の方から聞こえてきた。何かが床を這いずっている音だ。
「……ナオト。なんかいる」
「シュー……。下がるぞ。戦闘態勢」
ナオトはクロスボウを構え、ミオは剣を抜いた。
暗闇の奥から、ゆらりと人影が現れる。
それは、人間だった。いや、かつて人間だったモノだ。
皮膚は灰色に変色し、体中の至る所からキノコのような奇怪な植物が生えている。
顔の半分は結晶化し、片目だけが赤く光っていた。
「……うわ、キモっ! なにアレ! キノコ人間?」
「胞子食屍鬼だ。疫病で死んだ人間に魔界の胞子が寄生して動かしてるんだ。……厄介だぞ、こいつらは」
「斬ればいいんでしょ? 昨日のスケルトンよりは柔らかそうだし!」
「待て! 迂闊に斬るな! 体内の胞子袋を破裂させたら、毒ガスが撒き散らされるぞ!」
「はぁ!? じゃあどうすんのよ! 詰みじゃない!」
「アァァァ……」
グールが呻き声を上げ、ダッシュで迫ってきた。腐っても元人間、動きは速い。
「来るわよ! 迎撃する!」
「ミオ! 風魔法だ! 斬撃じゃなく衝撃波で吹き飛ばせ! 近づけるな!」
「注文が多いわね! エア・ハンマー!」
ドォン!
ミオが放った空気の塊がグールの胴体を直撃する。
グールは後ろに吹き飛んだが、すぐに起き上がってきた。
「硬っ! スーパーアーマー持ち!?」
「痛みを感じないからな! ……クソッ、数が増えてきたぞ!」
一体の叫び声に呼応するように店の外の霧の中からも、次々とグールたちが現れた。
10体、20体。ペストマスク越しの視界が灰色の怪物たちで埋め尽くされていく。
「囲まれた! ねえナオト、火は!? 消毒しちゃえばいいじゃない!」
「バカ! ここは高濃度の可燃性ガスが充満してるんだぞ! 火を使ったら粉塵爆発で俺たちごと消し飛ぶ!」
「じゃあどうすんのよ! 風もダメ、火もダメ、斬るのもダメ! 打つ手なしじゃない!」
「……いや、手はある」
ナオトはポーチから、昨夜の温泉で回収した、あるものを取り出した。
「これを使う」
「それ……石鹸? 泡風呂でもする気?」
「この石鹸は強アルカリ性だ。そしてこいつらの胞子は強酸性。……中和反応を利用する」
「は? 理科の実験?」
「実験開始だ! ミオ、俺が石鹸水をばら撒く! お前は水魔法でそれを拡散させろ!」
「よく分かんないけど、やればいいのね! アクア・スプラッシュ!」
ナオトが粉砕した石鹸を空中に放り投げ、ミオの水魔法がそれを巻き込む。
即席の高濃度アルカリシャワーがグールの群れに降り注いだ。
ジュワワワワワッ!!
「ギャアアアアッ!?」
石鹸水を浴びたグールたちの皮膚から激しい白煙が上がった。
中和熱による熱傷と細胞膜の破壊。
キノコ状の胞子が次々と溶けていく。
「うわ、溶けた! エグっ!」
「科学の勝利だ! ……今のうちに突破するぞ! トライクに戻れ!」
「了解! どきなさいカビ野郎ども! 美肌成分のお通りよ!」
二人は悶え苦しむグールの群れを強引に突破し、店の外へと飛び出した。
◇ ◇ ◇
ドロロロロ……!
再びトライクに跨り、廃墟の街を爆走する。
後ろからは怒り狂ったグールの大群が追いかけてくるが、さすがに車両の速度には追いつけない。
「ハァ……ハァ……。死ぬかと思った……。シュー……」
「マスク外すなよ。息が上がって酸欠になりそうでも耐えろ」
「分かってるわよ! ……ねえ、安全地帯はまだ? もうMPも体力も限界よ」
「あと少しだ。マップによれば、この先に旧王立銀行がある。そこの地下金庫なら、気密性が高くて瘴気も入ってこないはずだ」
「銀行!? お金ある!?」
「現金はないが、頑丈な扉はある。……見えた、あれだ!」
霧の向こうに、ギリシャ神殿のような柱を持つ巨大な石造りの建物が現れた。 重厚な鉄の扉は半開きになっている。
「突っ込むぞ! 衝撃に備えろ!」
キキィィィッ!
ナオトはトライクごと銀行のロビーに滑り込んだ。大理石の床をタイヤが削る。
「ミオ、扉を閉めるぞ! 手伝え!」
「はいはい! ……んしょ、んしょ! 重っ!」
二人は総出で巨大な鉄扉を押し、ガコンッという重い音と共に閉鎖した。
内側からカンヌキをかける。
「……ふぅ。これで一安心か」
「……ねえ、ここ大丈夫? 空気」
ナオトは携帯用の測定器を確認した。
「クリアだ。気密性は保たれてるし、空調魔法が生きてるみたいだな。瘴気濃度はゼロだ」
「やった……! 外していい?」
「ああ。解禁だ」
プシュッ。
二人は同時にペストマスクのベルトを緩め、顔から引き剥がした。
「ぷはぁぁぁぁっ! 空気! 美味しい空気!」
「……生き返ったな。ゴム臭くない空気のありがたみが身に染みる」
ミオは床に大の字になって寝転がり、大きく深呼吸をした。
汗で張り付いた髪が額にへばりついている。
ナオトもその隣に座り込み、水筒の水を煽った。
「……ねえナオト。私、顔に変な跡ついてない?」
ミオが自分の頬を指差す。
くちばしマスクの跡が赤くくっきりと残っている。
「……ついてるな。タコが吸い付いたみたいな跡だ」
「最悪! 見ないで! 忘れて!」
「安心しろ、俺も同じ顔だ。……お揃いだな、恋人さん」
「うるさい! 誰が恋人よ! ……でもまあ、助けてくれたことには感謝してあげるわ」
ミオはふてくされたように言いながらも、マスクを大事そうに抱えていた。
この不格好なマスクが、この死の世界で唯一、二人を繋ぎ止める生命線なのだ。
「……さて。休憩したら探索再開だ。ここは銀行だぞ」
「えっ? ってことは……」
「地下金庫には旧文明の遺産が眠ってる可能性がある。特に金貨や貴金属がな」
「キャァァァッ! やる気出てきた! HP全回復!」
ミオがガバッと起き上がる。
その瞳は先ほどのグールの赤目よりもギラギラと輝いていた。
「行くわよナオト! 金庫破りの時間よ!」
「はいはい。……だが、気をつけろよ。銀行には番犬がいるのが相場だ」
「番犬? あんなグール、石鹸で溶かしてやるわ!」
「グールじゃない。……もっと厄介な、錆びない番人だ」
ナオトはロビーの奥、地下へと続く階段の暗闇を睨んだ。
そこからは生き物の気配ではない、無機質な機械の駆動音が微かに響いてきていた。
100年間、主人の資産を守り続けてきた自動防衛システムが、侵入者を感知して目を覚まそうとしていた。




