第26話 野営のカレーと、深夜の襲撃者
「……くんくん。ねえナオト、ちょっと確認なんだけど」
「なんだ、ミオ。火加減なら完璧だぞ」
「そうじゃなくて。この鍋から漂ってくる匂いについてよ。……これ、本当に食べ物?」
「失敬な。俺の調理スキルを疑うのか? これは正真正銘のカレーだ。クミン、コリアンダー、ターメリック、そしてカルダモン。オークの集落から奪ったスパイスセットを調合した、至高の一品だぞ」
「うん、そこまではいいのよ。問題はその隠し味よ。さっきアンタ、赤い粉をドサッと入れたでしょ? あれ、何?」
「……よく見てたな。あれはオーク特製・激辛パウダーだ」
「嘘おっしゃい! 私、見たわよ! その袋にドクロマークが描いてあったの! あと微かに火薬の匂いがするんだけど!」
「チッ、鼻のいいやつだ。……正解だ。成分鑑定の結果、唐辛子と数種の香草、それと少量の黒色火薬がブレンドされていることが判明した」
「火薬ぅぅぅ!? バカなの!? 私たちを爆死させる気!?」
「落ち着け。火薬の主成分は硝石、硫黄、木炭だ。これらは古来より薬や調味料としても使われてきた歴史がある。……たぶんな」
「たぶんって言った! 今、目を逸らして、たぶんって言ったわよこのマッドシェフ!」
「大丈夫だ、加熱処理すれば爆発性はなくなる。それに、この独特の硫黄臭が、肉の獣臭さを消すのに丁度いいんだよ。スモーキーな風味がつく」
「スモーキーってレベル!? これ、口の中で暴発しないでしょうね!?」
「……まあ、食ってみれば分かる。毒性判定はパスしてるから死にはしない。たぶんデバフもつかないはずだ」
「もう嫌だこのパーティ……。衛生観念と安全基準がバグってる……」
ミオは深いため息をつきながら、寸胴鍋 (オークのヘルメットを煮沸消毒したもの)の中を覗き込んだ。
グツグツと煮える赤黒い沼の中で、謎の肉塊が浮き沈みしている。
「……で、このお肉は? プリプリしてて美味しそうだけど、何の肉?」
「ああ、それか。昼間の移動中にトライクで轢いたデザート・スコーピオンだ」
「……はい?」
「だから、巨大サソリだ。体長1メートル級のやつ。向こうからタイヤに突っ込んできたから、正当防衛ついでに食材として回収した」
「サソリ……。虫じゃない」
「分類学上はクモ形類だ。エビやカニの親戚みたいなもんだと思え。殻を剥いて毒袋を除去するのに苦労したんだぞ? DEX (器用度)判定の連続成功が必要だったんだからな」
「うぐぐ……。火薬入りのサソリ鍋……。字面が最悪すぎる……」
「文句があるなら食うな。俺一人で食うから」
「食べるわよ! HPは満タンだけど、満腹度ゲージが赤色で点滅してるんだもの! 背に腹は代えられないわ!」
「現金なやつだ。……ほら、米も炊けたぞ」
「えっ、お米!? あるの!?」
「バギーの荷台にあった木箱から発見した。ドルグ行きの高級輸出品だったみたいだな。インディカ米だ。飯盒で炊くのにコツがいるが、なんとか焦がさずにいけた」
「わーい! ナオト大好き! さっきの罵倒は取り消すわ! 大盛りでお願い! ルーも決壊するくらいかけて!」
「はいはい。特製・荒野のサバイバル・ガンパウダー・レッドカレーお待ち。……熱いから気をつけろよ」
「いただきまーす! ……はふっ、はふっ……あぐっ!」
「……どうだ?」
「……んん〜っ! 辛っ! 痛い! でも……旨っ!?」
「だろう? 火薬の苦味がコクになってるだろ?」
「悔しいけど美味しい! 舌がビリビリ痺れるけど、スプーンが止まらない! なにこれ、合法ドラッグ!?」
「スパイスの過剰摂取による脳内麻薬だ。……肉はどうだ?」
「弾力がすごい! 鶏肉とロブスターの中間みたいな味! 噛むと肉汁がジュワッて……これ、本当にサソリ?」
「言っただろ、荒野じゃ貴重なタンパク源だって。しっかり噛んで食えよ、消化に悪いからな」
「はふはふ……! お米もパラパラしててカレーに合う! ああ、幸せ……。文明の味がするぅ……」
「文明というより、野蛮の味だけどな。……まあ、俺たちのSAN値 (正気度)回復には十分か」
「おかわり! 鍋ごとよこして!」
「食い過ぎだろ。……ほらよ、ラスト一杯だ。味わって食え」
「ふぅ……生き返ったぁ。身体中がポカポカする。STR (筋力)+2くらいのバフがついた気分よ」
「カプサイシンの発汗作用だ。汗かいて風邪引くなよ。ここは夜になると氷点下近くまで下がるからな」
「いいじゃない、今日はもう店仕舞いでしょ? お腹いっぱいになったら眠くなってきた……」
「おい、皿くらい洗え。……って、早っ! もう寝袋に入ってんのかよ!」
「……ムニャ……見張りは任せた……ナオト……。起こさないでね……」
「3秒で入眠か。特技にした方がいいぞ、それ」
「……Zzz……」
「……やれやれ。俺は夜行性だからいいけどな。……おやすみ、能天気なお姫様」
◇ ◇ ◇
深夜2時。
荒野の気温は急激に下がり、吐く息が白くなるほどの寒さが支配していた。
焚き火は微かな明かりだけを残している。
(……ふぁ。眠い。コーヒーのカフェインも切れてきたな)
ナオトはトライクの座席に座り、タブレット端末 (に見せかけた魔導書)で周辺地図のマッピング作業を行っていた。その時――。
チリリン……。
微かな金属音が静寂を切り裂いた。
(……ん? 鳴子が鳴った?)
ナオトの手が止まる。
風ではない。彼がテントの周囲10メートルに張り巡らせた、細いワイヤーが何かに引っかけられた音だ。
(……右前方、3時の方向。岩陰か)
ナオトは音もなく暗視ゴーグルを装着し、スイッチを入れる。
視界が緑色に染まり、闇の中に潜む熱源が浮かび上がった。
(……うわ、うじゃうじゃいるな。反応多数)
岩陰から低く姿勢を保った獣の群れが這い出てくるのが見えた。
(……数は20。いや、後続もいるか? 四足歩行。鼻が利くタイプ。……腐肉喰らいだな)」
ハイエナと狼を合成したような魔獣だ。
戦闘力はそれほど高くないが、集団戦術を得意とし、金属すら噛み砕く顎を持つ。そして何より、食欲が異常に強い。
(……あいつら、どこ見てるんだ? テントじゃない……鍋か?)
獣たちの視線は人間であるナオトやミオよりも、焚き火のそばに残された寸胴鍋に釘付けになっていた。鼻をヒクヒクとさせ、よだれを垂らしている。
(……なるほど。カレーの残り香に釣られて来やがったか。火薬の匂いが平気とは、グルメな野郎どもだ)
ジリジリと包囲網が狭まってくる。
このままでは戦闘でテントごと踏み潰されかねない。
(……こりゃ、起こさないとマズいな。俺一人でも処理できるが、弾薬の無駄だ)
ナオトはトライクから降り、音もなくテントへ近づいた。ブーツのつま先でミオの寝袋を蹴る。
「……おい、ミオ。起きろ。お客さんだ」
「……んぁ……? もう食べられない……」
「寝言を言ってる場合か。起きろ」
「……あと5分……。スヌーズ機能ないのぉ……?」
「敵襲だ。囲まれてる」
「……敵ぃ? ナオトがやっつけてよぉ……」
「数が多すぎる。それに奴らの狙いは俺たちじゃない」
「……へ?」
「奴らの狙いは鍋だ。鍋底に残ったカレーを舐めようとしてる」
その言葉が発せられた瞬間、空気が凍りついた。
「――は?」
ガバッ!
テントが内側から弾け飛びそうな勢いでミオが飛び起きた。
寝癖で髪を爆発させ、パジャマ姿のまま、愛剣を握りしめている。
「誰よ! 私の『明日の朝ごはん (二日目のカレー)』に手を出そうとする不届き者はァァァ!」
「起きたな。……包囲されてるぞ。数は20以上。右翼、左翼、正面に展開してる」
グルルルルッ……!
ミオの殺気に反応し、闇の中から無数の赤い瞳が光った。戦闘開始の合図だ。
「こいつら、躾が必要ね!」
「おいミオ、パジャマのままだぞ! アーマーは!?」
「着替える時間なんてないわよ! AC (防御力)なんて飾りよ! 当たらなければどうということはないわ!」
「バーサーカーかお前は! ……おい、援護入れるぞ! 照明弾だ!」
ナオトが指を鳴らすと、頭上にまばゆい光球が出現した。
カッッッ!
夜闇に慣れた魔獣たちの目が焼かれる。
「ギャウンッ!?」
「キャインッ!」
「目が眩んだ! デバフ入ったぞ! 今だミオ、やれ!」
「邪魔ァ! そこは神聖なるカレーの風下よ! 獣臭で風味が落ちるでしょ!」
「そこかよ! ……右から3匹来るぞ!」
「見えてるわよ! ソニック・スタブ!」
シュシュシュッ!
ミオの剣が音速を超え、不可視の刺突となって空間を穿つ。
飛びかかってきた3匹の魔獣が空中で静止したかと思うと、同時に血を噴き出して弾け飛んだ。
「ナイスクリティカル! だがミオ、範囲攻撃は禁止だぞ! 鍋に砂が入る!」
「分かってるわよ! 単体攻撃で一匹ずつ丁寧にプチっとやるわ! ……次! 左!」
「5匹同時に来たぞ! 連携だ!」
「させるか! 私の安眠と食料を妨害する罪は万死に値するわよ! シールド・バッシュ!」
ドゴォッ!
「おい、盾持ってないだろ! 今それ、素手だろ!」
「魔力コーティングした拳は鉄より硬いのよ! オラオラオラァ!」
バギッ! ゴシャッ!
ミオの左拳が魔獣の顎を砕き、肋骨をへし折る。
殴られた魔獣がピンボールのように吹き飛び、後続の仲間を巻き込んで転がっていく。
「うわ、エグい音した……。パジャマ姿の女が素手で魔獣を殴り殺すとか、絵面がホラーすぎるぞ」
「うるさい! 次! まだいるんでしょ!」
「……いや、見てみろ。残り数匹、逃げ出したぞ。完全にビビってやがる」
「待てェ! 逃げるなら肉を置いてけぇ! 詫び肉を置いていけぇ!」
「深追いするな! 裸足で追いかける気か! 石踏んで怪我するぞ!」
「……ちぇっ。根性のない犬ね。せっかくの運動タイムだったのに」
「お前が殺意高すぎるんだよ。野生動物の方が引いてたぞ」
ナオトは肩をすくめ周囲を見渡した。
キャンプの周りには15匹ほどの魔獣の死骸が転がっている。
戦闘終了。一方的な虐殺だった。
「……ふぅ。いい汗かいた」
ミオは剣についた血糊を振り払い、パジャマの袖をまくった。
「で、鍋は!? カレーは無事!?」
「……無事だ。蓋も閉まってるし、位置もズレてない。埃ひとつ入ってないぞ」
「よかったぁ〜。これが明日一番の楽しみなんだから」
「お前の食い意地には魔獣もドン引きだな。……さて、寝る前にもう一仕事だ」
「えぇ〜? なによぉ。もう寝たい」
「こいつら素材になる。牙と、運が良ければ魔石が取れる。次の交易所で売れば、さっきのスパイス代の元は取れるぞ」
「……いくらくらい?」
「スカベンジャーの牙は一本で銀貨1枚。魔石が出れば銀貨5枚ってとこか」
その言葉を聞いた瞬間、ミオの瞳が¥ (円マーク)……いや、G (ゴールドマーク)に変わった。
「……やるわ。ナオト、剥ぎ取りナイフ貸して」
「切り替え早いな」
「当たり前でしょ! 塵も積もれば山となる! 借金生活で学んだ真理よ!」
「はいはい。……ほら、手袋もしろよ。衛生判定に失敗して腹壊しても知らんぞ」
「フフフ……。銀貨、銀貨……♪ さあ、解体ショーの始まりよ!」
真夜中の荒野。
パジャマ姿の若い女性が鼻歌交じりに魔獣の口をこじ開け、ペンチで牙を引き抜いていく。その光景は先ほどの戦闘シーンよりも遥かに猟奇的で、サバイバルな光景だった。
(……たくましいことで。こいつがいれば、魔王城だって住めば都になるんじゃないか?)
ナオトは苦笑し、冷え切ったコーヒーを煽った。
カレーの匂いと、血の鉄錆の匂いが混じり合う夜。
社畜根性が染みついた二人の夜営はこうして更けていくのだった。




