第20話 軍の極秘依頼と、怪しい契約書
「……詰んだ」
「詰んだわね」
「昨日のスライム騒動での報酬、金貨2枚。ミオの新しい服と俺のシャツ代、合わせて金貨3枚。……差し引き、金貨1枚の赤字だ」
「なんで働けば働くほど貧乏になるの? これってワーキングプアってやつ?」
「いや、デスマーチだ。プロジェクトが炎上して、経費だけが嵩んでいくあの感覚だ」
煤けた酒場の片隅。
ナオトとミオはテーブルの上に並べたわずかな銀貨を見つめながら、この世の終わりのような顔をしていた。
現在の借金残高、金貨5枚 (+利子)。返済期限は刻一刻と迫っている。
「……ねえナオト。もういっそ、夜逃げしない?」
「無理だ。パスポートは没収されてるし、国境は厳重警備だ。捕まったら鉱山送りの刑だぞ」
「ううぅ……。詰んでるぅ……」
「おや、景気が悪いな。英雄候補生たちよ」
不意に背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。
入国審査の時にトイチの利子をふっかけてきた、あの兜の兵士――ではない。
今日は軍服に身を包み、肩には星のついた階級章を輝かせている。
「……あんた、あの時の門番か?」
「失礼な。門番ではない。ドルグ帝国軍・第三技術開発局、ゾルダーク少佐だ」
「少佐ぁ!? なんでそんな偉い人がこんな場末の酒場に?」
「君たちを探していたんだ。……ここじゃなんだ、場所を変えよう」
ゾルダーク少佐はニヤリと笑い、店の奥にあるVIPルームへと顎をしゃくった。
◇ ◇ ◇
「……単刀直入に言おう。君たちをスカウトしに来た」
革張りのソファに深々と腰掛けた少佐は極上の葉巻をくゆらせながら言った。
「スカウト? 軍隊に?」
「そうだ。君たちのここ数日の働きぶり……実に見事だった。工場のボスネズミ駆除、地下闘技場での大立ち回り、そして昨日の化学プラントでのスライム討伐」
「……監視してたのか?」
「人事考課と言ってくれたまえ。君たちは優秀だ。特に、あのスライムのコアを躊躇なく破壊した判断力。あれは軍人向きだ」
(……あれ、服溶かしただけなんだけど)
「そこでだ。君たちに一つ、頼みたい極秘任務がある」
少佐がテーブルの上に一枚の書類を滑らせた。
そこには赤い文字で【TOP SECRET】のスタンプが押されている。
「極秘任務……。響きはいいけど、内容は?」
「開発中の新型兵器の最終動作テストへの立ち会い、および護衛だ。場所は国境付近の実験場。期間は3日間」
「テストの立ち会い? それだけ?」
「それだけだ。君たちの仕事は技術者の護衛と、万が一の際のトラブルシューティングだ」
「……ふーん。で、報酬は?」
ミオが身を乗り出す。少佐は指を3本立てた。
「金貨30枚」
「「……ぶふっ!?」」
二人は同時に吹き出した。
「さ、30枚!? 300万円!? たった3日で!?」
「桁が違うぞ! おい、裏があるだろ! 絶対あるだろ!」
「加えて、君たちの入国時の借金……金貨10枚分 (利子込み)を軍が肩代わりして帳消しにする」
「「!!」」
「つまり、この仕事を受ければ、君たちは借金から解放され、さらに金貨30枚の大金を手にして自由の身になれるわけだ。……どうだね? 悪い話じゃないだろう?」
ミオの目が金貨の輝き (幻覚)でくらんでいる。
だが、ナオトの元SEとしての危機管理能力が警報を鳴らしていた。
「……おいミオ、待て。話が美味すぎる」
「でもナオト! 金貨30枚よ! ステーキ一生分よ!」
「高額報酬には必ず高リスクが伴う。SEなら常識だ。誰でもできる簡単な仕事です (月収100万)なんて求人広告を信じるな」
「ナオト君、慎重だね。だが、迷っている暇はないぞ。……これを見たまえ」
少佐が次にテーブルに出したのは分厚い書類の束だった。まるで辞書のような厚みがある。
「これは?」
「業務委託契約書だ。サインしてくれれば、即座に前金として金貨10枚を支払おう」
「……読ませろ」
ナオトが契約書を手に取る。びっしりと書かれた小さな文字。専門用語の羅列。
「……第15条『守秘義務違反は軍法会議により銃殺刑』……」
「……第32条『本任務における負傷、後遺症、および死亡について、軍は一切の責任を負わない』……」
「……第99条『想定外の事態 (暴走、爆発、消滅等)が発生した場合、甲 (軍)は乙 (受注者)を切り捨てる権利を有する』……」
「……おい少佐。これ、免責事項のオンパレードじゃないか。完全にブラック企業の雇用契約書だぞ」
「軍事機密に関わる仕事だからね。形式的なものだよ」
「形式的で済むか! 消滅ってなんだよ! 何をテストする気だ!」
「ナオトぉ……。でも、サインしなきゃ借金返せないよぉ……」
ミオが袖を引っ張る。
彼女の目には「もう働きたくない」「一発逆転したい」という、ギャンブル中毒者特有の光が宿っていた。
「ミオ、目を覚ませ。これは死亡フラグだ。TRPGで言えば、GMがニヤニヤしながら渡してくる全滅確定シナリオへの招待状だぞ」
「でも、拒否したら?」
「……拒否したら?」
ナオトが少佐を見る。少佐は葉巻の煙を吐き出しながら、冷ややかな目で笑った。
「拒否するのは自由だ。……だが、君たちはガラクタ市で軍事機密の地図を購入し、さらにスパイ容疑で指名手配されている身だろう? ここで協力を拒むなら……この場で処分せざるを得ないな」
ガチャリ。
部屋の隅に控えていた護衛兵たちが、一斉に銃を構える。
「……ほら見ろ。強制イベントだ」
「……拒否権なし?」
「なしだ。完全にレールの上に乗せられてる」
「……はぁ。詰んでるわね」
「詰んでるな」
ナオトは溜息をつき、震える手で羽ペンを取った。
かつて、納期が絶対に見合わないプロジェクトの仕様書にハンコを押した時と同じ、胃がキリキリする感覚。
「……分かりました。受けますよ。毒を食らわば皿までだ」
「賢明な判断だ」
サラサラと署名をする二人。その文字はまるで魂の売渡証書へのサインのように見えた。
「契約成立だ。……明朝0500、中央駅の特別ホームへ来たまえ。専用列車で現地へ向かう」
少佐は契約書を回収すると、満足げに部屋を出て行った。
残されたのは前金として置かれた金貨10枚の袋と、どんよりとした空気だけ。
「……金貨10枚。確かに本物だ」
「……ねえナオト。私たち、とんでもないことに巻き込まれたんじゃない?」
「とんでもないこと確定だ。TRPGで言えば、ここからがキャンペーンのクライマックス。……敵のレベルが一気に跳ね上がるぞ」
「やだぁ……。私、ただ美味しいご飯食べて、ふかふかのベッドで寝たいだけなのに……」
「生きて帰れたらな。……さあ、最後の晩餐に行くぞ。金はあるんだ」
「……うん。一番高いステーキ、3枚食べてやる」
二人は重い足取りで酒場を出た。懐は温かいが、背筋は凍るほど寒い。
次なる舞台は死と絶望の気配が漂う新型兵器実験場。
社畜冒険者たちの最大の試練が始まろうとしていた。




