第14話 仕事あがりのビールと、食後の乱闘騒ぎ
「――お疲れちゃーん」
「はい、お疲れ。……乾杯」
ガチンッ!!
分厚いガラスジョッキがぶつかり合う、鈍く重い音が響いた。
ここは鉄戦国ドルグの国境近くにある酒場『歯車と錆』。
店内には蒸気パイプが張り巡らされ、シューシューという排気音と、労働者たちの怒号のような笑い声が充満している。
「んぐ、んぐ、んぐ……ぷはぁっ!」
「……ふぅ。生き返るな」
「ちょっとぬるいけど、まあ許容範囲ね! 喉越しだけはビールだわ!」
「アルコール度数は低めだな。日本の発泡酒に近い。……しかし、この金属っぽい後味はどうにかならんのか。隠し味に鉄粉でも入ってるんじゃないか?」
「いいじゃない、鉄分補給よ。貧血気味のOLにはちょうどいいわ」
「お前、いまはOLじゃないだろ。魔法剣士だ」
「気持ちの問題よ! ……あーあ、それにしても。まさか異世界に来てまで借金返済のために働くことになるなんてね」
ミオがジョッキをドンと置き、頬杖をついて溜息をつく。
入国審査で背負わされた借金、金貨5枚。日本円にしておよそ50万円。
「新卒の時の奨学金返済を思い出すわ……。あの頃は毎月、通帳を見るのが怖かった」
「俺なんて車のローンと、付き合いで買った高いスーツのローンが重なってた時期があったぞ。毎食カップ麺すすってた」
「ナオトって意外と見栄っ張りだもんね」
「営業に行くのに安物のスーツじゃ足元見られるからな。……で、ここでも足元を見られたわけだ。トイチ (十日で一割)の利子付きでな」
「トイチって……消費者金融でももう少し優しいわよ。この国の法律どうなってんの?」
「力が正義だそうだ。……おい、つまみが来たぞ」
ドンッ!
無愛想な店員(なんと右腕が機械仕掛けの義手だった)が、皿をテーブルに投げ置いた。皿の上には茶色い塊がゴロゴロと転がっている。
「……なにこれ。唐揚げ?」
「オーク肉のオイル煮らしい。……見た目はアレだが、匂いは悪くないな」
「油ギトギトじゃない! カロリーの爆弾よこれ!」
「食え。明日の活力だ。どうせこれ以上太りようがないくらい、毎日歩かされてるんだから」
「……それもそうね。いただきます。……ん! あら、意外とイケる」
「胡椒が効いててビールに合うな。……さて、腹ごしらえも済んだところで、今後の事業計画を立てるぞ」
「うわ、出た。ナオトのSE語録。聞きたくないわー、プライベートで仕事の話はしたくないわー」
「今は仕事中だ。俺たちは借金返済というプロジェクトを抱えたチームなんだよ。……ギルドで貰ってきた求人票を見ろ」
ナオトがテーブルに数枚の羊皮紙を広げる。どれも油染みがついていて汚い。
「えーっと……『炭鉱での採掘作業員:日給銀貨3枚』……安っ!」
「肉体労働系は買い叩かれてるな。この国はオークやドワーフが多いから、単純な力仕事じゃ人間は勝てない」
「こっちは? 『工場での検品作業:日給銀貨2枚』……これ、私が前の会社でやってたデータ入力と変わらないじゃない! 単純作業で目が死ぬやつよ!」
「却下だな。お前のメンタルが3日で崩壊する未来が見える」
「じゃあこれ! 『新型蒸気兵器のテストパイロット:成功報酬金貨1枚』!」
「成功報酬って書いてあるのが怪しいな。失敗したら? 爆発四散か?」
「遺族に弔慰金が出るんじゃない?」
「俺たちに遺族はいない。……やっぱり、地道に冒険者として稼ぐしかないか。この『廃工場の害獣駆除』あたりが妥当なラインだ」
「害獣って? ネズミ?」
「メタル・ラットだそうだ。鉄くずを食べて育った、体が金属化したネズミらしい」
「……なんか、この国の生き物みんな硬そうね。私の剣、刃こぼれしないかしら」
「そこは魔鉄の剣の性能を信じろ。……よし、明日はこの依頼を受けるぞ。早起きして現地調査だ」
「えー、もうちょっとゆっくりしようよぉ。まだ一杯目だしぃ」
「ダメだ。利子は待ってくれない。一日遅れるごとに借金が増えるんだぞ」
「うぅぅ……。世知辛い! マスター! おかわり! 今度は一番デカいジョッキで!」
ミオが空になったジョッキを高々と掲げる。
その声が店内に響き渡った瞬間、周囲の空気が少し変わった。
「…………」
「……ん?」
ナオトが眉をひそめる。
周囲の席に座っていた、ガラの悪い労働者風の男たちが、一斉にこちらを見ていた。
彼らの多くは体の一部を機械化していたり、ボルトが埋め込まれていたりするサイボーグのような風貌だ。
「おいおい、姉ちゃん。景気がいいじゃねえか」
ドカッ、と椅子を蹴って立ち上がったのは、首元までタトゥーが入り、左目が赤いレンズのような義眼になっている大男だった。背中には巨大なスパナを背負っている。
「……あちゃー。絡まれた」
「目を合わせるなミオ。酔っ払いの相手をするのは業務外だ」
「無視かよ、おい。他所モンがデカい顔してんじゃねえぞ」
男が二人のテーブルに歩み寄り、ドンと両手をついた。
油と鉄錆、そして安酒の臭いが漂ってくる。
「ここはこの辺の工場労働者のシマだ。聖法国から逃げてきたような貧弱なヒョロガリが、デカい声で酒飲んでんじゃねえよ」
「……耳が早いわね。私たちが亡命者だって、もう知れ渡ってるの?」
「入国管理の役人が漏らしたんだろ。いいカモが入ったってな」
(……あの役人、個人情報保護法って概念がないのか)
ナオトが心の中で毒づく。男はナオトを見下ろし、ニヤニヤと笑った。
「おい兄ちゃん。その姉ちゃんはべっぴんだが、テメェは気に入らねえな。その澄ました顔、現場を知らねえホワイトカラーのツラだ」
「……ほう。よく分かりますね」
「あ? なんだその口の利き方は」
「いや、感心しましてね。おっしゃる通り、俺は現場仕事が苦手でして。キーボードを叩くしか能がないもやしっ子ですよ」
「ナオト、煽ってるの? それとも卑下してるの?」
「事実を述べてるだけだ。……で、旦那。俺たちが気に入らないなら出て行きますよ。勘定は置いとくんで」
ナオトがなけなしの銅貨を数枚、テーブルに置こうとする。だが、男の義手がそれを薙ぎ払った。
チャリン……コロコロ……。
銅貨が床に転がる。
「……あ」
ミオの目が点になった。そして、ゆっくりと、その瞳の奥に殺意という名の炎が灯る。
「……拾えよ、他所モン。地べた這いつくばってな」
「…………」
「……おいミオ。ステイだ。まだ動くなよ」
「……ナオト。あいつ、今、何した?」
「銅貨を落としたな。俺たちの全財産を」
「あの銅貨があれば……あと一杯、ビールが飲めたわよね?」
「ああ。飲めたな。それに串焼きも一本追加できた」
「…………」
ミオがゆっくりと立ち上がる。その手にはいつの間にか魔鉄のショートソードの柄が握られていた。
「……おいおい、やる気か姉ちゃん? 俺の体は強化外骨格入りだぜ? そんなナイフじゃ傷一つつか……」
「うるさいわよ、このポンコツロボット!!」
ドガァッ!!
「ぶべっ!?」
ミオの蹴りが男の股間に突き刺さった。
強化外骨格が入っているとはいえ、そこは生身だったらしい。
男が白目を剥いて崩れ落ちる。
「……あーあ。やっちまった」
「許さない……! 私のビール代を粗末にする奴は神に代わって私が裁く!」
「テ、テメェ! 兄貴に何しやがる!」
周囲の席から男の仲間たちが一斉に立ち上がった。その数、およそ10人。
スパナ、ハンマー、チェーンソーのような工具を構えている。
「あー……。これはもう、平和的解決は無理だな」
「ナオト! 作戦は!?」
「プランB、業務妨害による実力行使だ! 店を壊さない程度に暴れろ!」
「了解! ストレス発散ターイムッ!!」
ガシャーン!! ミオがテーブルをひっくり返し、それを盾にして突っ込んだ。
「食らえ! 必殺、テーブル返し!」
「ぐわっ!?」
「魔法剣・スタンショック! 痺れろ鉄クズども!」
バチバチバチッ!!
ミオの剣から紫色の電撃が走る。機械化された体を持つ男たちにとって、電気攻撃は天敵だ。
「ギャアアアアッ! 義手が! 義手がショートしたぁ!」
「目が! センサーがバグったぁ!」
「うわ、エグい。機械特攻かよ」
「ナオトも突っ立ってないで手伝いなさいよ!」
「はいはい。俺はサポートに徹するよ。……ほらよっ」
ナオトがポケットから取り出したのは、ガラス瓶に入った油だった。それを床に叩きつける。
パリンッ!
「うおっ!? 滑る!」
「あぶねっ!」
ツルツルと滑る床に足を取られ、男たちが次々と転倒する。
そこへミオが追撃を入れる、完璧なコンビネーションだ。
「ストライク! ツー・ストライク! バッターアウトー!」
「野球より、ボウリングで表現してほしかった。……よし、制圧完了だな」
数分後。酒場の床には感電してピクピクと痙攣する男たちと、股間を押さえて気絶しているリーダーが転がっていた。
「……ふぅ。いい運動になったわ」
「酔いも醒めたな。……さて」
ナオトがゆっくりと視線を向ける先には、カウンターの中で微動だにせずグラスを磨いている義手のマスターがいた。
「……マスター。ご迷惑をおかけしました」
「……店内の損壊、椅子が3脚、テーブルが1卓。床の油汚れの清掃費。締めて金貨1枚だ」
「「……へ?」」
「金貨1枚だ。払えないなら、憲兵を呼ぶが?」
「ち、ちょっと待ってくださいよ! 先に手を出したのは向こうですよ!?」
「喧嘩両成敗だ。それに、ウチの店で暴れた代償は高くつくぞ」
「……うそでしょ。また借金?」
「ナオト……。どうすんの?」
「……交渉だ。マスター、金はない。だが、労働力ならある」
「ほう?」
「こいつらを片付けるのと、店の掃除。それに今夜の皿洗いと用心棒。それでチャラにしてくれないか?」
「……悪くない提案だ。だが、それだけじゃ足りんな」
マスターがニヤリと笑い、一枚の紙をカウンターに置いた。
「明日の朝、とある荷物を隣町まで運んでくれ。訳ありの荷物だが報酬は弾む。それをやるなら、今回の修理費は免除してやる」
「……訳ありの荷物?」
「中身は聞くな。受けるか、受けないか。二つに一つだ」
「……ナオト。これ、絶対ヤバい仕事よ。運び屋なんて、映画なら最初に死ぬ役回りよ」
「分かってる。だが、憲兵を呼ばれたら俺たちは終わりだ。指名手配犯なんだからな」
「……うぐぐ。選択肢がないじゃない!」
「……受けます。やらせてください」
「交渉成立だ。明日の朝6時、裏口に来い」
◇ ◇ ◇
「……はぁ。最悪の夜だわ」
「ビール一杯で、またトラブルに巻き込まれたな」
二人はモップと雑巾を手に、散らかった酒場の床を掃除していた。
転がっていた男たちはすでに店の外へ放り出されている。
「ねえナオト。私たちの人生、どこで間違ったのかしら」
「サークルでTRPGにハマった時からじゃないか?」
「違うわよ。異世界に来てからよ。……あーあ、明日の訳あり荷物ってなにかしら。爆弾? 麻薬? それとも生首?」
「どれも勘弁してほしいが……まあ、銀貨数枚の工場労働よりはマシだと思おう」
「ポジティブねぇ。……ねえ、掃除終わったら、残ったオーク肉のオイル煮、食べていい?」
「……いいぞ。俺も手伝う」
「やった! やっぱり最後は食欲よね!」
鉄と蒸気の国、最初の夜。
借金とトラブルと、そして少しの満腹感を抱えて、二人の社会人冒険者の夜は更けていく。
明日の運び屋稼業が、さらなる泥沼への入り口だとは知らずに。




