第13話 国境の荒野と、ブラックな入国審査
「……ねえ、ナオト」
「なんだ」
「今、何時?」
「さあな。スマホがないから正確には分からんが、太陽の位置からして午後2時ってところか」
「午後2時……。日本にいた頃なら、ランチから戻って、睡魔と戦いながらエクセルの表計算を埋めてる時間ね」
「俺なら客先での定例会議中だな。意味のない進捗報告をして、眠たい頭で議事録を取ってる頃だ」
「……戻りたい」
「え?」
「あの退屈で、空調が効いてて、コーヒーが飲み放題の会議室に戻りたいぃぃぃ! なんで私は今、こんな砂埃まみれの荒野を歩いてるのよぉぉぉ!」
「叫ぶな。喉が乾くぞ」
「だって見てよこれ! 見渡す限り岩! 砂! 枯れ木! 私の肌、もう限界よ? 紫外線のダメージ計算したくないんだけど!」
「諦めろ。俺たちのステータスに美容はない。あるのは生存本能だけだ」
「ううっ……。足が痛い。この新しいブーツ、まだ履き慣れてないのに……靴擦れ絶対できてるわ」
「頑丈なブーツだからな。防御力は高いが履き心地は最悪だ。まるで新品の革靴で営業回りさせられてる気分だ」
「やめて、その例え。トラウマが蘇る」
「休憩するか? 水筒の水、あと一口分ならあるぞ」
「飲む! ……プハァッ! ……ぬるい! お湯じゃないこれ!」
「文句言うな。貴重な水分だ。……しかし、想定よりキツいな。聖法国を出てから3日、まさかここまで補給地点がないとは」
「地図だと国境の緩衝地帯って書いてあったけど、ただの無法地帯じゃない」
「ああ。モンスターのエンカウント率が高すぎる。さっきもサンドワームの群れを避けるのに2時間ロスしたしな」
「あのミミズお化けね……。思い出すだけで寒気がするわ。ねえ、あとどれくらいで着くの? 次の国」
「計算上では、あの丘を越えれば見えるはずだ。鉄と蒸気の国、鉄戦国ドルグがな」
「鉄と蒸気かぁ……。ご飯美味しいのかな」
「期待するな。軍事国家だぞ? レーションみたいな缶詰ばっかり食わされるかもしれん」
「やだぁ! 私、オーガニックな野菜とか、ふわふわのパンが食べたいの! 固形食とか無理!」
「贅沢言うな。食えるだけマシだ。……よし、休憩終わり。行くぞミオ、日没までに入国審査を済ませないと、今夜も野宿だぞ」
「ヒィッ! 野宿は嫌! 岩陰で震えて眠るのはもう懲り懲りよ! 行くわよ、残業ダッシュ!」
◇ ◇ ◇
「……うわぁ」
「……デカいな」
丘を越えた二人の目に飛び込んできたのは、荒野の先に突如として現れた黒鉄の城壁だった。
高さは30メートルを超えているだろうか。
石ではなく、分厚い鉄板とリベットで補強された壁が、地平線の彼方まで続いている。
壁の内側からは無数の煙突が突き出し、黒い煙をもくもくと吐き出していた。
「なにこれ、工場地帯?」
「産業革命期のロンドンか、あるいは高度経済成長期の工業地帯って感じだな。空気が悪い」
「ゲホッ……。ほんとだ、なんか鉄錆の匂いがする。聖法国の澄んだ空気とは大違いね」
「あっちは魔法と信仰の国、こっちは科学と鉄の国だからな。文明レベルが違いすぎる」
「でも、文明があるってことは……お風呂もあるってことよね!? お湯が出るってことよね!?」
「蒸気機関があるなら、ボイラーもあるはずだ。熱いシャワーが期待できるかもな」
「シャワー!! その言葉、今の私にはボーナス確定より響くわ! 急ごうナオト!」
「待て待て、走るな。……見ろ、あの行列を」
巨大な鉄の門の前には長蛇の列ができていた。
荷馬車を引いた商人、薄汚れた難民風の人々、そして怪しげな傭兵たち。
数百人が入国審査を待っている。
「……うげぇ。コミケの待機列かよ」
「最後尾どこ? あれ? あそこ?」
「2時間待ちは確定だな。……並ぶぞ。割り込みはマナー違反以前に、あの銃を持った衛兵に撃たれる」
「銃? ……あ、ほんとだ。門番の人たち、剣じゃなくて鉄砲持ってる」
「マスケット銃……いや、もっと進んだライフルに近いな。ファンタジー世界だと思って舐めてかかると痛い目を見るぞ」
「怖いわねぇ……。魔法のバリア張っとこうかな」
「やめとけ。敵対行為とみなされる。ここでは善良な一般市民を演じるんだ。いいな?」
「善良な一般市民……。指名手配犯なのに?」
「シッ! 声がデカい! その設定は忘れろ!」
◇ ◇ ◇
1時間半後の行列の中。
「……ねえ、まだ?」
「まだだ。あと10組」
「足が棒になったわ。ディズニーのアトラクション待ちでも、もう少し進むわよ」
「審査が厳しいんだろ。聖法国との関係が悪化してるからな。スパイの侵入を防ぐためにピリピリしてるんだ」
「スパイ……。耳が痛い単語ね」
「俺たちはスパイじゃない。ただの不運な旅行者だ。自己暗示をかけろ」
「はいはい。私は旅行者、私は旅行者……。あ、前の人が呼ばれた」
前方にいた商人が窓口の兵士に何かを怒鳴られている。
『書類不備だ! 出直してこい!』という怒号と共に商人が突き飛ばされた。
「……うわ、ブラック対応」
「役所仕事だな。……次、俺たちの番だぞ。気合い入れろミオ。ここでミスったら野宿確定だ」
「了解。営業スマイル全開でいくわ!」
「次! そこの二人! 前に出ろ!」
鉄格子越しに、フルフェイスの兜を被った審査官が手招きした。
ナオトとミオは顔を見合わせ、覚悟を決めて歩み寄る。
「はい、お疲れ様ですー! 入国審査お願いします!」
ミオが精一杯の愛想笑いを浮かべる。しかし、審査官の反応は冷淡だった。
「パスポートを出せ」
「……あー、パスポートですね。はい」
ナオトが一歩前に出る。
「実はですね、道中で不運な事故に遭いまして。盗賊……いや、モンスターの群れに襲われて、荷物を全て失ってしまったんですよ」
「つまり、身分証なしか?」
「残念ながら。ですが、怪しい者ではありません。我々は聖法国から来た冒険者で……」
「聖法国だと?」
ガシャンッ!
審査官が立ち上がり、銃口をこちらに向けた。周囲の兵士たちも一斉に武器を構える。
「ヒィッ!? ちょ、ちょっと! 話を聞いてよ!」
「聖法国からの入国者は現在厳重な監視対象となっている! 身分証を持たぬ者は即刻退去、あるいはスパイ容疑で拘束する!」
「待った待った! 落ち着いてください!」
ナオトが両手を上げて制止する。冷や汗が背中を伝う。
「スパイ容疑ってのは奇遇ですね。実は俺たち、向こうでも同じ容疑をかけられて逃げてきたんですよ」
「……何?」
「これを見てください」
ナオトが懐から、クシャクシャになった紙切れを取り出す。
聖法国の街角に貼られていた、二人の似顔絵入りの手配書だ。
「……聖法国の重要指名手配犯……? 罪状は国家転覆罪および軍事機密の窃盗……?」
「すごくない? 私たち、いつの間にか国家転覆しようとしてたらしいわよ」
「黙ってろミオ。……審査官殿、お分かりいただけますか? 俺たちは聖法国の敵です。そして、貴国ドルグにとっても聖法国は敵対国。つまり?」
「……敵の敵は味方、と言いたいのか?」
「ご明察です。俺たちは向こうに追われています。帰る場所なんてない。いわば政治的亡命者ってやつですよ」
「亡命者……。ふん、口の上手いことだ」
審査官が銃を下ろすが警戒心は解いていない。
「だが、お前たちが二重スパイである可能性も捨てきれん。それに、こんな貧相な男と小娘が、国家を転覆させるほどの力を持っているとは思えんが?」
「あら、失礼ね! 貧相って誰のことよ!」
「ミオ、ステイ! ……審査官殿、人は見かけによらないものです。俺の連れは、見た目は可愛いですが、中身はゴリラ……いえ、優秀な魔法剣士です。一騎当千の戦力になりますよ」
「……ほう。戦力、か」
審査官の目が値踏みするように二人を見た。
「ドルグは実力主義だ。能力があるなら歓迎する。……だが、身元保証人がいない以上、タダで通すわけにはいかんな」
「……おいくらで?」
「入国税および身元保証金として、金貨10枚」
「「はぁぁぁぁぁ!?」」
二人の声がハモった。
「じゅ、10枚!? 100万円よ!? ボッタクリもいいとこでしょ!」
「相場は銀貨5枚だって聞いたぞ! 200倍じゃないか!」
「それは正規の身分証がある者の値段だ。お前らのような素性の知れない亡命希望者はリスクが高い。嫌なら帰れ。後ろには聖法国の追手が迫っているんだろう?」
「……ぐぬぬ。足元を見やがって……!」
「どうすんのナオト! 全財産合わせても銅貨5枚よ!? 逆立ちしても金貨なんて出てこないわよ!」
「……チッ。仕方ない。ここで社会人の奥の手を使うぞ」
「奥の手?」
「審査官殿。現状、手持ちの現金はありません」
「なら帰れ。次の者を呼ぶぞ」
「お待ちください! 金はないが、労働力なら提供できます!」
「労働力?」
「俺たちを入国させてください。そして、この国で働かせてもらい、その稼ぎから金貨10枚分を税金として納める。いわゆる分割払いの契約を結びたい」
「……分割払いだと?」
「ええ。俺たちをここで追い返せば、貴国は優秀な人材を二人失うことになる。ですが、入国させれば、将来的に金貨10枚以上の利益を国にもたらすことができる。……どうです? 悪い投資話じゃないはずですが」
ナオトが真っ直ぐに審査官を見つめる。それはかつて、無理難題を言うクライアントに対して納期延長を交渉した時の目だった。
「……ふっ。面白い」
審査官が兜の下で笑った。
「計算ができる奴は嫌いじゃない。いいだろう、特別入国許可証を発行してやる」
「やった! 交渉成立ね!」
「ただし!」
審査官がドンと机を叩く。
「借金は金貨10枚。完済するまで出国は禁止。パスポートは没収。そして利子はトイチ (十日で一割)だ」
「……トイチ?」
「トイチぃぃぃ!? 高利貸しかよ! 法律どうなってんの!」
「この国では力と金が法律だ。文句があるなら聖法国へ帰って、断頭台に登るんだな」
「……くっ。……分かりました。飲みましょう、その条件」
「ナオト!? いいの!? 闇金よ!?」
「選択肢がないんだよ! 野宿か、処刑か、借金か。……借金なら働けばなんとかなる!」
「ううぅ……。私の人生、なんでこう借金まみれなの……」
「契約成立だ。……おい、開けろ!」
ギギギギギ……プシューッ!!
重厚な蒸気音と共に、巨大な鉄の門がゆっくりと開かれた。
◇ ◇ ◇
「……はぁ。いきなり借金100万円スタートかよ」
「新卒の時よりハードモードじゃない……」
門をくぐった先には蒸気機関車が走り、工場が立ち並ぶ、煤けた色の街並みが広がっていた。
通りを行き交う人々も、作業着を着た労働者や、体の一部を機械化した荒っぽい男たちばかりだ。
空は灰色。空気は重い。
「でも見てナオト。あそこの酒場、赤提灯が出てる」
「……ガス灯だな。まあ、飲み屋には違いない」
「ビール……あるかな?」
「あるだろ。労働者の街だぞ? 安くて度数の高い酒が売るほどあるはずだ」
「……飲もう。今日は飲もう」
「金はどうする。銅貨5枚しかないぞ」
「一杯くらい飲めるでしょ! これだけ頑張ったんだから!」
「宿代はどうするんだ」
「酔っ払ってその辺で寝ればいいのよ! どうせ野宿には慣れっこなんだから! コンクリートの上なら背中は痛くないわ!」
「お前、本当に逞しくなったな……。営業事務やってた頃の繊細さはどこ行った?」
「荒野に捨ててきたわよ! さあ行くわよ! 鉄と油の味のビールが私を待っている!」
「はいはい。……ま、今日くらいは祝杯を上げるか。無職から多重債務者へのジョブチェンジ記念にな」
「言わないで! 悲しくなるから!」
二人は煤煙の舞う空の下、喧騒に包まれた酒場へと吸い込まれていった。
新たな国、新たな借金。それでも、ジョッキをぶつけ合う音があれば、大人の夜はなんとかなるのだ。
明日からの激務が、聖法国の比ではないとも知らずに。




