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呪壊の陰陽師 ―霊力ゼロの陰陽師が最強の妖狐と結ぶ仮初の契約―  作者: 仁科異邦
九尾との出会い、覚醒編

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九尾の尾と力の代償

 一本の尾が、夜気を裂くように揺れた。

 霊力の流れが、今までとは違う。

 身体の内側から、温かい力が押し上げてくる。


「……っ」

 深く、息を吸う。

 足に霊力を巡らせ、地を蹴った。


 速い。

 さっきまで届かなかった距離が、一気に縮まる。

 拳が、妖怪の脇腹を捉えた。


 衝撃。

 妖怪の身体が、数歩後退する。


「……ほう」

 初めて、妖怪の表情が変わった。


「それなりにはやるみたいだな」



 妖怪が反撃に出る。

 爪が、横薙ぎに振るわれる。

 玄弥は、尾の動きに引かれるように身体を捻った。


 ギリギリで回避。

 爪先が、空を切る。

「そのまま押し切るんじゃ!」


 葛葉の声に、頷く暇もなく踏み込む。

 霊力を、尾から全身へ。

 打撃。回避。再度の踏み込み。

 動きが、繋がる。


「ちっ……!」

 妖怪が、舌打ちする。

 影が地面を這い、足元を狙う。


 玄弥は尾を振り、霊力で影を弾く。

 だが。

「ぐっ……!」


 反動が、重い。

 尾を使うたびに、胸の奥で呪いが軋む。

「無理をするな、玄弥!」


「九尾の尾は、まだ"借り物"じゃ!」

 妖怪が、距離を取る。


「面白い」

 腕を振り、影を集める。


「だが、長くはもたぬ」

 影が、刃のように形を変えた。



 息が、荒い。

 玄弥は、目を逸らさない。


「……今は、倒せなくてもいい」

 九尾の尾が、再び揺れる。


「食らいつく」

 妖怪の攻撃を、いなす。

 一撃を、返す。

 押され、押し返す。


 夜の路地で、二つの力が拮抗していた。

 妖怪は、笑みを深くする。


「良い」

「実に、良いぞ」


「……だが」

 影が、さらに膨れ上がる。


「次で、終わりにしよう」


 玄弥の額に、汗が伝う。

 九尾の尾は、まだ消えていない。

 だが霊力は底が見え始め、尾の輪郭が揺らいでいた。


 それでも。

 玄弥は、一歩も退かなかった。


「やるではないか」

 妖怪が、低く笑う。


「ここまで拮抗したのは、久しい」


 玄弥は、答えない。

 ただ、拳を握る。

 全身が、痛む。

 呪いが、奥で鈍く蠢いている。

 余力は、もうない。


 だが妖怪も、同じはずだ。


「玄弥」

 葛葉の声が、静かに響いた。

「もう、小細工は要らぬ」


「……分かってる」

 玄弥は、短く息を吐く。


 妖怪が、構えを取る。

「これで、終わりだ」


 影が周囲に集まり、巨大な塊となる。

 力のすべてを、叩き込む気だ。

 玄弥も、同じだった。


 逃げない。

 折れない。

 ここで、終わらせる。


 霊力を、かき集める。

 九尾の尾へ。尾から、全身へ。

 流れが、荒れる。

 限界が、はっきりと感じ取れる。


「……無茶じゃぞ」

 葛葉が、呟く。


「それでも」


 玄弥は、前を見据えたまま言った。

「今、出さなきゃ意味がない」


 妖怪が、踏み込む。

 同時に、玄弥も地を蹴った。

 正面衝突。


 影と霊力が、激突する。

 押し合う。拮抗する。

 視界が、白く弾けた。


「――っ!!」


 妖怪の力が、徐々に勝り始める。

 足が、後ろへ滑る。

 膝が、沈む。


(……負ける?)


 その瞬間。

「玄弥!」


 葛葉の声が、はっきりと届いた。


「尾の制御は、わらわがやる!」

「一気に、引き裂け!!」


 考える暇は、なかった。

 ただ、一つの意思だけを置く。

 ――斬る。


 次の瞬間。


 尾が、意思に呼応した。

 一本の光となって収束する。

 霊力が、無駄なく、一直線に走る。


 ――貫通。


「……な……っ」


 妖怪の影が、中心から裂ける。

 音もなく、力が崩れ落ちていく。

 妖怪の身体が、ゆっくりと後退した。


 膝をついた。

「……見事だ」


 かすれた声。

「人の身で、ここまで……」


 その言葉を最後に、妖怪の気配は霧のように散っていった。



 静寂。

 夜風が、通り抜ける。

 玄弥は、その場に立ったまま――


 膝から、崩れ落ちた。

「……は、は……」


 息しか、出ない。

 九尾の尾が、ゆっくりと消えていく。

「よくやったのう」


 葛葉の声は、どこか柔らかかった。

「最後まで、折れんかった」


 玄弥は、地面に手をつきながら空を見上げる。

「……勝った?」


「うむ」

 葛葉は、はっきりと言った。

「紛れもなく、おぬしの勝ちじゃ」


 力は、もう残っていない。

 それでも、胸の奥には――

 確かな実感があった。


 初めて、自分の力で掴んだ勝利。


 大きくも、派手でもない。

 誰も見ていない、夜の路地の戦いだった。


 それでも玄弥には分かっていた。

 これが、本当の意味での第一歩だと。



 空が、少しだけ白み始めていた。

 目を覚ました時、俺は地面に伏していた。


 土の冷たさが、やけに鮮明だ。

 冷たいと感じられるほど、体の感覚が戻ってきたと言うべきか。


「……動け、ない」

 指先に力を込めた、その瞬間。

 内側から鈍い痛みが走った。


「っ……!」

 声にならない。


 筋肉痛とも、骨折とも違う。

 神経ですらない。

 ――体の奥。

 霊力そのものが、軋んでいる感覚だった。


『動くでない』

 葛葉の声が、すぐ近くで響く。

『今の貴様は、霊泉が割れかけておる』


「……霊泉?」


『霊力を通す器じゃ』

『本来、貴様はまだ九尾の“尾”を扱える段階ではないのう』

 九尾の尾を使った代償。

 覚悟はしていたが、ここまでとは思わなかった。


 呼吸をするたび、胸の内側がひりつく。

 霊力を意識しようとすると、視界が歪む。

「……俺、死にかけてる?」


『そうじゃな……今は、我が抑えておる』

 淡々とした声。

 だが、どこか苦味が滲んでいる。


「……そっちは、平気なのか」

 そう尋ねると、少しの間があった。


『もちろん、無事ではないのう』

 短い言葉。


『九尾の尾を使った。たった一本でも、今の我には致命的に近い』

 沈黙が落ちる。


 つまり、あの一撃は。

 互いの限界を削り合った末の結果だった。

「……悪かった」


『謝るでない』

 即答だった。


『あの場で力を使わねば、貴様も我も死んでおった』

 それは事実だ。

 理解できるからこそ、胸が重い。


『じゃが、覚えておけ』


 葛葉の声が低くなる。

『九尾の尾は“切り札”じゃ』

『今のお前が使えば、二度目で霊脈は焼き切れる』


「……三度目は?」


『三度目を使えば、身体が崩れる』

『完全に、じゃ』

 はっきりとした死の宣告だった。

 俺は、ゆっくりと天を仰ぐ。

 木々の隙間から見える空は、何事もなかったかのように穏やかだ。


「……じゃあ、強くならないとな」


「九尾の尾を使わなくても、戦えるように」

 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


 体は痛む。

 正直、今すぐ眠りたい。

 それでも――

 諦める理由にはならなかった。


『……そうじゃな』


 葛葉の声に、微かな笑みを感じる。

『期待しておるぞ』


『呪いの抑制が始まったからか、霊力は確かに目覚めつつある』


 その直後、胸の奥がずきりと疼いた。

「……っ」


『代償じゃ』

『今日はもう霊力を動かすでない。一日は術の使用を禁じる』


「分かった……」

 立ち上がろうとして、失敗する。

 足に力が入らない。

 だが、情けなさより先に、奇妙な実感が湧いた。


 生きている。

 戦って、まだ生きている。


 その時だった。

 遠く、森のさらに奥。

 視界に映らぬ場所で――何かが蠢いた。


 地下。

 人の世から切り離された、妖力の濃度が異常に高い空間。

 巨大な石柱の間で、影が揺れる。


「……今のは、何だ」

 低く、湿った声。


 水面のような結界に、微細な波紋が広がっていた。

「この領域で、九尾の波長が……?」


 別の影が、苛立たしげに舌打ちする。

「あり得ん。あれは葬ったはずだ」


「いや……」

 最初の影が、結界に手を触れる。

「完全ではなかった、ということか」


 空間が、わずかに歪む。

 波紋の中心点――そこには、人の気配が混じっていた。

「それに人間……?」


「しかも、古く懐かしい気配だな」

 影が、嗤う。


「西園寺……か」

 その名を口にした瞬間、空気が冷えた。


「面倒だな。だが――」

 影は、ゆっくりと立ち上がる。


「我が完全に復活するまで、後わずか」

「九尾が完全に力を取り戻す前に……叩くか?」


――


 再び、森。

 俺は、ようやく身を起こしていた。

 全身が重く、霊を感じるたびに痛む。


 それでも。

「……誰かに、見られた気がする」


 理由はない。

 ただ、背筋がざわついた。

『勘じゃが……間違ってはおらぬ』


 葛葉の声が、低くなる。

『九尾の尾を使った影響は、身体だけではない』

『――存在を、知られたのじゃ』


 胸が、嫌な音を立てる。

「……敵が、動く?」


『ああ』

『この気配……王かのう』


 短く、断定的に。

『ここからは、時間との勝負じゃ』


 痛む体を引きずりながら、俺は歩き出した。

 無能と呼ばれていた時間は、もう終わった。

 だが代わりに――


 この力で、

 より強大な敵と向き合わねばならない。


 そんな予感が、確かにしていた。


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