炎との邂逅
学院を出てしばらく歩いた頃から、
背中に、嫌な感覚がまとわりついていた。
視線。
だが、人間じゃない。
「……」
霊感知を、最低限だけ広げる。
――いる。
近い。
『……来ている』
葛葉の声が、静かに告げる。
『だが、統制がない。
命令に従っている動きではない』
「……勝手に来た、ってことか」
『そうだ』
路地に足を踏み入れた瞬間、
空気が、重く沈んだ。
◆
影が、ぬるりと立ち上がる。
酒に濁った霊気。
鬼の角。
「へぇ……」
妖怪が、舌を鳴らす。
「これが、最近噂の人間か?」
『酒呑童子の配下だ』
葛葉が告げる。
『位は低い。
だが、粗暴だ』
妖怪は、肩を鳴らした。
「命令? 知らねぇな」
にやりと笑う。
「でもよ、面白そうな匂いがしてな」
――理由は、それだけ。
狩り。
「……っ」
霊力を、脚へ回す。
尾は、使わない。
『基礎で凌げ』
葛葉の声。
『感知、循環、判断。
それだけだ』
◆
踏み込み。
速い。
だが、雑。
重心が前に寄りすぎている。
横に跳ぶ。
拳が、地面を砕く。
「ちょこまかと!」
背後から来る。
予測していた。
転がって距離を取る。
呼吸が、荒くなる。
頭の奥が、じくりと痛む。
霊力循環が、崩れ始める。
「……っ」
妖怪は、笑った。
「いいねぇ……
霊も出せねぇのに、よく逃げる」
霊気が、膨れ上がる。
――来る。
回避が、間に合わない。
衝撃。
身体が吹き飛び、壁に叩きつけられる。
「がっ……!」
膝が、崩れる。
視界が、白くなる。
『……まだだ』
葛葉の声。
『尾に触れるな』
「……分かってる……」
立ち上がれない。
妖怪が、近づいてくる。
「ここまでだな」
◆
――その瞬間。
「……は?」
妖怪の動きが止まる。
空気が、熱を帯びた。
「学院の近くで、何してんの」
淡々とした声。
次の瞬間――
炎が、路地を切り裂いた。
「ぐぁっ!?」
妖怪が吹き飛ばされ、転がる。
立っていたのは、同じ制服の少女。
炎下ミユキ。
「……ちっ」
妖怪は即座に距離を取る。
「炎の霊……」
ミユキは、俺を一瞥する。
「……動ける?」
「……なんとか」
「ならいい」
それだけ言って、前に出る。
「ここは学院の管理区域よ」
炎が、彼女の足元に灯る。
「帰りなさい。
次は、逃がさない」
妖怪は、舌打ちした。
「……面倒なのが出てきやがった」
霊気が、霧散する。
――撤退。
◆
妖怪の気配が消えた後。
俺は、その場に座り込んだ。
「……はぁ……」
ミユキは、少し距離を取って立っている。
「……あんた、霊使えないんでしょ」
「……今は」
「それで、あれ相手に?」
呆れたように息を吐く。
「……無茶しすぎ」
「……否定はしない」
短い沈黙。
「……名前」
唐突に、ミユキが言った。
「西園寺玄弥」
「……ふーん」
それだけ。
彼女は、背を向けた。
「今日は運が良かっただけ」
振り返らない。
「次は、知らないから」
炎が消える。
彼女は、そのまま去っていった。
◆
『……交わらなかったな』
葛葉が、ぽつりと呟く。
「それでいい」
まだ、早い。
俺は、ようやく立ち上がる。
尾は、使っていない。
基礎だけで、限界まで削られた。
それでも――
生きている。
炎は、横を通り過ぎただけ。
まだ、同じ道は歩かない。
だが――
確実に、互いを認識した。
それだけで、十分だった。




