決定、狙われる玄弥
陰陽部隊・本部。
夜更けの執務室で、水瀬トウヤは一人、端末の前に立っていた。
表示されているのは、当主会議の非公式共有文書。
表向きは存在しないはずの、裏の決定事項。
――西園寺玄弥。
排除対象。
短い一文。
理由も、経緯も、感情も書かれていない。
ただ「処理する」とだけ。
「……」
水瀬は、深く息を吐いた。
理解はできる。
頭では、だ。
四家の均衡。
封印の血脈。
制御不能な存在の危険性。
どれも、陰陽部隊が何百年も背負ってきた論理だ。
だが――
脳裏に浮かぶのは、あの夜の玄弥の姿だった。
負傷した生徒を庇い、
自分より強い妖怪に立ち向かい、
それでも一線を越えなかった少年。
「……消して、いいのか」
思わず、声が漏れる。
命令としてなら、実行できる。
部隊長として、それは当然の義務だ。
だが。
彼は、危険だから斬ったのではない。
守るために、斬った。
水瀬は、机に手をつく。
ぎし、と小さく音が鳴った。
――マトリ。
あの名前が、胸の奥に刺さる。
もし、あの時。
もし、誰かが「危険だから」と言って、
マトリを先に排除していたら。
それを、自分は受け入れられただろうか。
「……分かってる」
小さく呟く。
組織は、個人の感情で動かない。
動いてはいけない。
だが同時に、分かってしまった。
この決定は、
“未来を守るため”ではなく、
“不都合な未来を消すため”のものだ。
端末を閉じる。
画面が暗転し、室内に静寂が戻る。
水瀬トウヤは、しばらくその場から動けなかった。
部隊長としての自分。
一人の人間としての自分。
その二つが、今、完全に噛み合っていない。
――西園寺玄弥を、消していいのか。
答えは、まだ出ない。
だが。
この迷いそのものが、
すでに“当主会議の決定”から一歩外れていることだけは、
水瀬自身が一番よく分かっていた。
それから、三日後。
学園の空気は、はっきりと変わった。
――露骨だった。
朝の点呼。
「西園寺玄弥」
名前を呼ばれた瞬間、
教室の視線が一斉に集まる。
以前のような嘲笑ではない。
好奇でもない。
警戒だ。
「……はい」
返事をすると、担任は一拍だけ間を置いた。
「本日より、西園寺は特別管理対象とする」
ざわり、と空気が揺れた。
「理由は?」
誰かが小声で聞いた。
教師は即答する。
「安全確保のためだ」
それ以上の説明はない。
だが、その言葉を生徒たちは疑わなかった。
――先生が言うなら、正しい。
――危険だから、仕方ない。
そう納得した顔ばかりだ。
玄弥だけが、違和感を覚える。
「……安全確保、ね」
休み時間。
玄弥の席の周囲だけ、不自然に空いていた。
話しかけてくる者はいない。
だが、完全に無視されてもいない。
遠巻きに、見られている。
まるで――
いつ暴れるか分からない危険物を見る目だ。
『始まったな』
葛葉の声が、低く響く。
「やっぱり、俺か」
『ああ。完全に“標的”だ』
その日の午後。
合同訓練の名目で、
陰陽部隊の術師が訓練場に入った。
見学、という扱いだが。
視線は、一貫して玄弥だけを追っている。
霊力の流れ。
術式の癖。
妖力との干渉。
すべてを測るように。
「……随分、熱心ですね」
玄弥が皮肉を言うと、
術師は淡々と返した。
「任務ですから」
その一言で、確信する。
これは“観察”じゃない。
処分前の確認だ。
さらに追い打ち。
夜、寮へ戻る途中。
結界が、一瞬だけ切り替わった。
玄弥の足元に、
見覚えのない術式が展開される。
「――っ」
反射的に飛び退く。
次の瞬間、術式は消えた。
何事もなかったかのように。
『……今のは』
葛葉が、はっきり言う。
『“誤作動”ではない』
『玄弥の能力を試している』
玄弥は、拳を握った。
「つまり……」
『殺せるかどうか、確認している』
その言葉に、冗談の余地はなかった。
それでも。
玄弥はまだ知らない。
当主会議で、
「西園寺家の子息は危険につき排除」
と正式に決まったことを。
だが、知らなくても分かる。
学園はもう、守る場所じゃない。
――狩場だ。
そして。
玄弥は、静かに息を吐いた。
「……なるほど」
顔を上げる。
「じゃあ、向こうが来る前提で動くしかないな」
逃げるか。
抗うか。
選択肢は、もうこれ以外残されていない。




