水瀬トウヤという人
水瀬の問いが、静かに部屋に落ちた。
「君の力は、どこから来た?」
結界の中。
逃げ場のない空間。
玄弥は、すぐには答えなかった。
代わりに――
目の前の男を、もう一度よく見る。
整った顔立ち。
落ち着いた声。
現場指揮官という肩書きにしては、年齢が若い。
だが、それ以上に。
名字。
「……水瀬」
無意識に、口から零れていた。
水瀬トウヤは、眉をわずかに上げる。
「どうした?」
「いえ……」
玄弥は、少し言いづらそうに続けた。
「確認なんですけど」
一瞬、葛葉の気配が動く。
『ほう? 気づいたか』
玄弥は、視線を逸らさずに言った。
「水瀬、って」
「……マトリと、関係ありますか」
空気が、ぴたりと止まった。
水瀬の表情から、
ほんの一瞬だけ“仕事用”の仮面が剥がれる。
「……なぜ、その名前を知っている」
肯定だった。
玄弥の胸が、ざわつく。
「やっぱり」
「じゃあ……」
言葉を選びながら、続ける。
「マトリの……家族、ですか」
数秒の沈黙。
水瀬は、ゆっくりと椅子に背を預けた。
「血縁だ」
短く、だが否定の余地のない答え。
「妹だ」
玄弥は、息を呑んだ。
あのマトリ。
もうこの場にはいない、過去の名前。
水瀬は、視線を落としながら続ける。
「……君が関わった事件の記録には、
彼女の名前も何度か出てくる」
「だから、君のことは最初から把握していた」
玄弥の中で、点と点が繋がっていく。
だから、最初から疑われていた。
だから、事情聴取の席に呼ばれた。
水瀬は、顔を上げた。
「安心しろ」
「復讐や感情で動いているわけじゃない」
だが、その目は、わずかに揺れている。
「だが、無関係でもない」
そして、再び問いが戻る。
「君の力についてだ」
「妖怪を使役しているわけではない」
「それでも、常人の領域を超えている」
水瀬は、玄弥を試すように言った。
「説明できる範囲でいい」
「――何が、君を動かしている?」
葛葉の声が、静かに響く。
『正体は伏せよ。
だが、嘘はつくな』
玄弥は、小さく息を吸った。
「……俺にも、全部は分かってません」
正直な言葉。
「ただ――」
視線を上げる。
「力を“借りてる”自覚はあります」
「でも、使役してるわけじゃない」
水瀬の目が、細くなる。
「対等……あるいは、それに近い関係か」
玄弥は、答えなかった。
それが、答えだった。
水瀬は、静かに頷く。
「いいだろう」
「それ以上は、今回は聞かない」
そして、はっきりと告げる。
「だが覚えておけ、西園寺玄弥」
「君はもう、陰陽部隊の監視対象だ」
重い言葉。
沈黙が、長く続いた。
玄弥は、視線を落としたまま口を開く。
「……すみません」
低い声だった。
「マトリのこと」
水瀬は、動かない。
玄弥は、言葉を続ける。
「俺が、もっと早く気づいていれば」
「違う選択をしていれば……」
拳が、知らずに握られていた。
「助けられたかもしれない」
空気が、重く沈む。
水瀬は、しばらくしてから静かに言った。
「頭では、理解している」
淡々とした口調。
「君に責任がないことも」
「状況が、どうしようもなかったことも」
事実として、すべて整理された声音。
だが。
次の言葉は、少しだけ間があった。
「……だが、実際のところはな」
水瀬は、視線を外す。
窓の外、夜の学園を見つめながら。
「兄としては」
一拍。
「守れなかった、という感情が消えるわけじゃない」
玄弥の胸が、締めつけられる。
水瀬は、自嘲するように息を吐いた。
「矛盾しているだろう?」
「理屈では納得しているのに」
「感情だけが、まだそこにいる」
そして、ぽつりと。
本当に、ぽつりと。
「……あいつは、無茶ばかりする子だった」
それだけだった。
功績も、才能も、語られない。
ただの――兄の言葉。
玄弥は、何も言えなかった。
水瀬は、ゆっくりと玄弥に向き直る。
「だからな」
「君が謝る必要はない」
だが、目は少しだけ赤かった。
「それと、忘れることもしなくていい」
静かに、告げる。
「――覚えていてやってくれ」
それが、
水瀬トウヤが漏らした、たった一つの本音だった。




