積み上げていくもの
朝の教室の空気が、少しだけ変わっていた。
騒がしいわけじゃない。
むしろ、以前より静かだ。
――けれど。
「……西園寺、最近訓練来るの早くね?」
「霊、まだ使えないんだろ?」
「なのに、昨日の実技……」
声は、確実に俺の周りを通っていく。
以前なら、笑い混じりだったはずのそれが、
今は探るような響きに変わっていた。
俺――西園寺玄弥は、席に座ったまま、静かに息を整える。
正直、身体は重い。
昨夜も、ほとんど眠れなかった。
『当然だ』
頭の奥で、葛葉の声がする。
『霊力の循環に、まだ身体が追いついていない』
「……分かってる」
霊が“使えない”状態から、
“使えるけど、出せない”状態へ。
それは、想像以上に中途半端で、キツかった。
◆
実技訓練。
今日の内容は、基礎霊動。
霊を顕現させるのではなく、
身体の内側で霊力を巡らせ、制御する訓練だ。
「属性を出せない者も、ここは重要だ」
教師の言葉が、わずかにこちらを向いた気がした。
「霊術は、派手さより“基礎”だ」
順番に、霊力循環を行う。
炎を纏う者。
風を足元に集める者。
水を皮膚の上で流す者。
そして――俺の番。
深く息を吸う。
霊力を、心臓の鼓動に合わせて流す。
――ズキ。
頭の奥が、鈍く痛んだ。
視界が、一瞬だけ歪む。
『……まだだ。尾には触れるな』
「……っ」
歯を食いしばり、尾の存在を意識の外へ押しやる。
使わない。
使えない。
今は、ただ――
霊力を、逃がさない。
身体の芯に、熱が溜まる。
足元の感覚が、少しだけ鋭くなる。
「……」
派手な変化はない。
だが、俺は倒れなかった。
「……次」
教師は、特に何も言わず、そう告げた。
それなのに。
「……今の、見た?」
「何も出してないのに、霊の流れ……」
「無駄が、少なくね?」
そんな声が、聞こえた。
胸の奥で、小さく何かが灯る。
◆
放課後。
訓練場の隅。
俺は一人、黙々と基礎を繰り返していた。
走る。
止まる。
霊力を巡らせる。
感知する。
結界の歪み。
残留する霊の薄い痕跡。
――見える。
以前より、はっきりと。
「……っ」
不意に、膝をつく。
胃の奥が、ひっくり返るように気持ち悪い。
『それ以上は、危険だ』
葛葉の声が、低く響く。
『尾を使っていないとはいえ、
お前は“器”を拡げようとしている』
「……分かってる……」
息が、荒い。
汗が、背中を伝う。
『急ぐな』
「……急がないと……」
刺客の顔が、脳裏をよぎる。
あの殺気。
「……死ぬ」
葛葉は、しばらく黙ってから言った。
『だからこそだ』
『基礎で生き延びろ。
尾は、最後まで取っておけ』
その言葉に、静かに頷く。
◆
翌日。
教室の空気は、さらに変わっていた。
誰も、俺を笑わない。
だが、誰も近づかない。
――扱いづらい存在。
それが、今の俺の立ち位置だ。
席に着くと、前の生徒が一瞬だけこちらを気にして、
何も言わずに前を向いた。
それでいい。
評価なんて、どうでもいい。
生き残れれば。
◆
昼休み。
廊下の向こうで、マトリの姿が見えた。
目が合う。
一瞬、迷ったあと――
彼女は、ほんの少しだけ近づいてきた。
「……無理、してませんか」
小さな声。
「してる」
正直に答える。
マトリは、困ったように眉を下げた。
「……でも」
「でも、やる」
そう言うと、彼女は何も言えなくなった。
代わりに。
「……見てます」
それだけ言って、去っていった。
その背中を見送りながら、思う。
俺はまだ、何も出していない。
尾も。
力も。
本当の切り札も。
それでも――
確実に、一歩ずつ進んでいる。
地味で、痛くて、報われない道だ。
だが。
この積み重ねがなければ、
尾を出した瞬間、俺は壊れる。
それだけは、分かっていた。




