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呪壊の陰陽師 ―霊力ゼロの陰陽師が最強の妖狐と結ぶ仮初の契約―  作者: 仁科異邦
水瀬家編

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仮初の日常

 それから、しばらくは何も起こらなかった。


 授業は続き、

 寮生活も、表面上はいつも通りだった。


 ――少なくとも、最初の数日は。


 朝。


 食堂はいつも通り賑やかだった。


「おはよー」


 同室の生徒が声をかけてくる。


 ……声は、少しだけ大きい。


「昨日の実技さ、楽しかったよな」


 笑っている。

 だが、目が笑っていない。


 玄弥が返事をする前に、彼は続けた。


「妖怪が言うこと聞く瞬間、快感だったよな?」


 こんな事口にするのが、以前の彼だったか?


 玄弥は曖昧に頷き、席に着く。


 味噌汁を一口飲む。


 ――味が、しない。


(……?)


 周囲を見ると、

 皆、無言で食べている。


 箸の動きは揃っていて、

 咀嚼のリズムまで、どこか似ていた。


 授業。


 座学は変わらない。


 だが、発言が変わった。


「調伏って、要するに“慣れ”ですよね」


「妖怪も、使ってるうちに素直になります」


 教師は否定しない。


 むしろ、満足そうだ。


 板書に視線を向けたまま、

 淡々と頷く。


「そうですね。恐れを越えた先に、支配があります」


 その言葉に、

 クラスの空気が一瞬、甘くなる。


 玄弥は背筋に走る違和感を無視できなかった。


(言葉の選び方が……)


 “制御”ではなく、

 “支配”。


 放課後。


 実技場で、自主練をする生徒が増えた。


「もう一回やろうぜ」


「今なら、もっと上手く使える気がする」


 妖怪を呼び出す頻度が、明らかに上がっている。


 中には、

 札を剥がさずに生活している者もいた。


「この方が楽だからさ」


 笑って言うが、

 霊力の流れは乱れ始めている。


 玄弥には、それがはっきり見えた。


 夜。


 寮の部屋。


 同居人が、ベッドに腰掛けたまま動かない。


「……なあ」


 ぽつりと、呟く。


「最近さ、夢に出るんだ」


「妖怪?」


 問い返すと、

 彼は首を横に振った。


「俺」


 沈黙。


「俺が、俺に命令してる夢」


 指先が、小刻みに震えている。


「言うこと聞かないと、怒られる」


 玄弥は、言葉を失った。


(……侵食が、内側に)


 妖怪を縛る札は、

 同時に人間の“境界”も削っている。


 それでも――


「……でもさ」


 同居人は、ふっと笑った。


「悪くないんだよ。目が冴えて、頭も冴えて」


 その笑顔が、

 どこか作り物に見えた。


 数日後。


 クラスの一人が、授業中に倒れた。


 泡を吹くことも、悲鳴もない。


 ただ、

 力を抜かれたように崩れ落ちた。


 教師は冷静だった。


「疲労ですね。保健室へ」


 だが、倒れた生徒の影に、

 一瞬だけ、妖怪の“輪郭”が重なったのを

 玄弥は見逃さなかった。


(……もう、日常じゃない)


 何も起きていないようで、

 確実に何かが壊れていく。


 静かに。

 ゆっくりと。


 そしてこのままいけば――

 誰かが戻れなくなる。


 玄弥は、初めて強く思った。


(止めなきゃいけない)


 違和感は、ずっとそこにあった。


 だが――

 それを“違和感”として処理できていたのは、玄弥だけだった。


 夜。


 寮の自室で、玄弥は一枚の札を机に置いていた。


 今日の実技で使ったものだ。


(……妙だ)


 表の術式は単純だ。


 妖怪を縛り、命令を通すための調伏札。

 学園で教わる、ごく一般的な形式。


 だが、

 霊力を流した時の感触が違う。


 玄弥は、意識を集中させた。


 霊視を深める。


 表層の術式をなぞり、

 その“下”を覗く。


 ――そこで、見えた。


 札の裏側。


 いや、正確には裏に偽装された第二層。


 細く、絡み合う術式が、

 蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。


(……精神干渉)


 瞬時に理解する。


 妖怪に向けた術ではない。


 使う側――人間に向けられたものだ。


 命令を出すたび、

 札を通して霊力が流れる。


 その霊力は、

 微細に“歪められて”戻ってくる。


(誘導……いや、矯正か)


 感情の起伏を鈍らせ、

 疑問を抱きにくくし、

 快と不快の基準をすり替える。


 気づかぬうちに、

 従いやすい精神状態へと調律される。


 だから皆、言う。


 「慣れた」

 「楽になった」

 「悪くない」


 ――そう思わされている。


 だが、それだけじゃない。


 玄弥は、さらに深く霊力を流した。


 すると、

 札の中心に、別の流路が浮かび上がる。


(……変換術式?)


 霊力が、そのまま戻っていない。


 わずかに、だが確実に――

 性質が変わっている。


 清浄な霊力が、

 粘つくような妖力へと変換され、

 どこかへ“抜けていく”。


 行き先は一つしかない。


(……先生)


 札を媒介に、

 生徒たちの霊力が少しずつ削られ、

 妖力として集められている。


 しかもこれは、

 一度や二度では意味をなさない。


 時間をかけて、確実に。


 玄弥は、札から手を離した。


 指先が、冷たい。


(だから倒れた……)


 力尽きたように崩れた生徒。

 夢の中で“命令される自分”を見る同居人。


 全部、繋がった。


 調伏の授業は、建前だ。


 本当の目的は――


(生徒を使った、妖力の集積)


 しかも、

 精神操作によって疑問すら抱かせない。


 巧妙で、

 悪質で、

 そして――慣れた手口。


 玄弥は、静かに札を握り潰した。


 紙は破れても、

 術式の残滓が、じわりと滲む。


(……やっぱり)


 ここは、

 最初からおかしかった。


 そして今、

 それに気づいているのは――


「……俺だけか」


 部屋の外では、

 いつも通りの笑い声が響いていた。


 その全てが、

 もう“安全な日常”には見えなかった。


 深夜。


 校舎の奥、立入禁止と札の貼られた旧研究棟。

 灯りはなく、月明かりだけが床に細い影を落としていた。


 その中央で、教師は深く頭を下げていた。


 向かいにいるのは――

 人の形をしていない“何か”。


 黒い靄が凝縮したような身体。

 羽の名残のような影が、背後でゆらりと揺れている。


「……で、霊力集めの方はどうだ」


 低く、湿った声。


 妖怪が問う。


「お陰様で、順調です」


 教師は即座に答えた。

 声に迷いはない。


「札も問題なく浸透しています。

 生徒たちは違和感を覚えつつも、疑問を持たずに使用を続けている」


「ほう……」


 妖怪は、楽しげに息を漏らした。


「人間というのは便利だな。

 “正しいと教えられた事”には、疑いを向けぬ」


 教師は、曖昧に笑う。


 だが、次の言葉に入る前、

 わずかに間を置いた。


「……ただ、一つだけ」


「何だ」


「例の転校生です。

 西園寺玄弥」


 その名が出た瞬間、

 空気が変わった。


 妖怪の靄が、わずかに濃くなる。


「……ほう?」


「他の生徒と違い、札に対する反応が鈍い。

 精神干渉も、霊力変換も……耐えている節があります」


 教師は慎重に言葉を選ぶ。


「完全に気づいているかは不明ですが、

 “勘が良すぎる”」


 一拍。


 妖怪は、低く笑った。


「なるほど……ああ、そうか」


 靄の奥で、何かが細く光る。


「それなら納得だ」


「……?」


「そいつはな」


 妖怪は、愉快そうに告げた。


「鵺様のお気に入りだ」


 教師の背中を、冷たい汗が伝う。


「鵺、様の……」


「ああ。そうだ、

 目をかけておられる」


 その言葉には、

 逆らえない重みがあった。


「ならば――」


 教師は即座に姿勢を正す。


「排除は、控えた方がよろしいでしょうか」


 妖怪は首を傾げるように靄を揺らした。


「排除? 馬鹿を言うな」


 声音が、冷たくなる。


()()()()()()()


「……もてなす、ですか」


「そうだ」


 妖怪は楽しげに続ける。


「疑わせるな。

 敵対させるな。

 むしろ――」


 一瞬、笑った気配がした。


「ここが“居心地のいい場所”だと思わせろ」


「……承知しました」


「鵺様はな」


 妖怪は、低く囁く。


「面白い人間が、壊れていく様を見るのがお好きだ」


 教師は、何も言えなかった。


 ただ深く、深く、頭を下げる。


「失礼いたします」


 妖怪の姿は、闇に溶けるように消えた。


 残された教師は、しばらく動けずにいた。


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