見え隠れする陰謀
寮の朝は早い。
起床のチャイムが鳴るより少し前、玄弥は目を覚ました。
異変はない。妖気の濁りも、嫌な気配も感じない。
(……拍子抜けだな)
隣のベッドを見ると、同室の生徒――水城がすでに起きていた。
「早いな」
「寮生活は慣れてる。……それに、寝坊すると面倒だ」
淡々とした声。
昨日と同じ、距離を取る態度だが、不自然さはない。
洗面、着替え、点呼。
すべてが機械的で、規則正しい。
食堂も静かだった。
会話はあるが小さい。
笑い声は少なく、皆どこか行儀がいい。
(管理が行き届いてる……いや)
行き届きすぎている。
そんな違和感を覚えつつ、玄弥は初日の授業に向かった。
⸻
授業
最初の授業は「対妖実技基礎」。
教室に入った瞬間、玄弥は僅かに眉をひそめた。
漂う妖気は弱い。だが、確実に存在する。
教壇に立ったのは、年配の教師だった。
穏やかな口調、柔らかな笑み。
「さて、今日は基礎の確認から始めましょう」
黒板に書かれた文字。
《下級妖怪の調伏と使役》
その一文に、教室の誰も疑問を抱かない。
「妖怪は排除するだけが正解ではありません。
制御し、縛り、役立てる。
それもまた、霊術師の重要な役目です」
教師が手を叩く。
すると教室の隅、結界の張られた空間が展開された。
中にいたのは――
犬ほどの大きさの、歪な妖怪。
下級妖怪だが、確かに“生きている”。
「では、順番に。
恐れる必要はありません。
手順通りにやれば、従順になります」
最初の生徒が前に出る。
印を結び、呪を唱える。
妖怪は暴れ、抵抗し――
やがて、力なく伏した。
首輪のような札が、妖怪の首元に現れる。
「成功です」
教師は満足そうに頷いた。
「命を奪う必要はありません。
縛り、命令を刻み込むだけでいい」
拍手が起こる。
誰も、顔色を変えない。
次の生徒、その次の生徒。
同じ光景が、淡々と繰り返される。
抵抗する意思を折り、
命令に従う形へと作り変えている。
自分の番が回ってくる。
結界の中で、下級妖怪が玄弥を睨んだ。
怯えと憎悪が混じった視線。
玄弥は、刀を抜かない。
印も結ばない。
ただ、妖怪と目を合わせる。
――一瞬。
妖怪が、びくりと身をすくめた。
教師が小さく咳払いをする。
「……西園寺。手順に従いなさい」
「はい」
最低限の力だけを使い、
命令を刻まず、縛りだけを与える。
妖怪は力なく伏したが、
首輪は現れなかった。
教室に、僅かなざわめき。
「……結構、次」
教師はそう言ったが、
その目は、はっきりと玄弥を見定めていた。
⸻
授業が終わり、教室を出る。
水城が隣を歩きながら、ぽつりと言った。
「……どう思った?」
「普通じゃない」
「だよな」
短い同意。
だがそれ以上、踏み込む言葉はない。
初日は、何事もなく終わった。
誰も傷つかず、誰も騒がず。
朝の寮は、昨日と変わらなかった。
点呼。
無駄のない動き。
整いすぎた空気。
ただ一つだけ違ったのは、
生徒たちの目だった。
昨日よりも、どこか澄んでいる。
迷いが減り、躊躇が薄れている。
(……慣れ始めてる)
玄弥はその事実に、言いようのない不安を覚えた。
⸻
実技室に入ると、昨日よりも結界が多く張られていた。
中央には、檻のような霊構造。
中にいる妖怪は――
明らかに、昨日より格が上だ。
「本日は“応用”です」
昨日と同じ教師が、穏やかに告げる。
「下級妖怪にも、個体差があります。
力が強く、意思の強い個体もいる」
教師は一瞬、間を置いた。
「そういった妖怪を制御できてこそ、一人前です」
檻の中で、妖怪が吠えた。
結界が軋む。
生徒の何人かが、わずかに息を飲む。
「大丈夫です。
暴れても、命の危険はありません」
玄弥の背筋に、冷たいものが走る。
⸻
最初の生徒が前に出る。
昨日と同じ手順。
だが、今回は――
妖怪の抵抗が激しい。
札が弾かれ、呪が途切れる。
「……っ!」
教師が、静かに指示を出す。
「命令を“深く”刻みなさい。
痛みを与えても構いません」
一瞬の沈黙。
だが、生徒は迷わなかった。
印が変わる。
呪の質が変わる。
妖怪が悲鳴を上げ、地面に伏した。
首輪の札が、昨日よりも太く、重く現れる。
「成功です」
教師は満足そうに頷いた。
拍手は、起きなかった。
それでも誰も否定しない。
⸻
玄弥が前に出る。
檻の中の妖怪が、玄弥を見た瞬間、
露骨に怯えた。
教師が言う。
「今日は、昨日よりも強く刻みなさい」
「……必要ありません」
教室の空気が、一瞬止まる。
「ほう?なぜですか?」
「本来力を示すだけで良い、だがこれは首輪で縛っているだけだ」
教師は微笑んだまま、首を傾げた。
「それでは、制御できませんよ」
玄弥は答えず、刀を顕在させた。
抜かない。
構えない。
ただ、在る。
刀《無垢》と意識が繋がる。
霊力が、静かに流れ込む。
妖怪の動きが、止まった。
威圧でも、呪でもない。
ただ、逃げ場がないと悟ったように。
玄弥は最低限の縛りを施す。
首輪は現れない。
だが、妖怪は一歩も動かない。
「……」
教師の目が、明らかに細くなる。
「力で抑え込むつもりですか」
「違う」
「では?」
「呪術拘束で縛る契約は、長く保たない」
その言葉に、
何人かの生徒が、初めて視線を揺らした。
⸻
教師はしばらく玄弥を見つめ、やがて告げた。
「……今日はここまでにしましょう」
明らかに、予定より早い終了だった。
教室を出ると、水城が小さく息を吐く。
「……お前、目つけられたな」
「ああ」
「それでも、やめる気は?」
玄弥は歩きながら答える。
「ない」
ここで目を逸らせば、
この学園はもっと歪む。
そして、夜。
消灯後の学園は、異様なほど静かだった。
虫の声すら、ない。
玄弥は違和感に目を覚まし、静かにベッドを抜け出した。
廊下に出た瞬間、霊力の流れが歪んでいるのが分かる。
(……来てるな)
実技棟の方角。
あそこに、何かが集められている。
⸻
裏手の結界の外。
人の気配は一つ。
昼の授業で指導していた、あの教師だった。
教師は一人で、地面に複雑な陣を描いている。
それは調伏陣ではない。
使役陣ですらない。
(……血の匂い?)
陣の中心には、二日目の授業で使われた妖怪が数体。
全て、首輪付き。
教師は、穏やかな声で語りかける。
「大丈夫ですよ。
痛みは、すぐに力へと変わる」
妖怪の一体が、必死に抵抗する。
だが首輪が妖力を吸い上げ、膝をつかせた。
「ほら、もう理解し始めている」
教師は、首輪に指を触れる。
その瞬間――
首輪の術式が変質した。
単なる命令系統だったものが、
教師の霊力と“直結”する構造へと変わる。
(……契約じゃない。
妖力の“共有”か?)
玄弥は息を殺す。
教師の背後に、
薄く、異形の影が重なって見えた。
人の輪郭をなぞるように、
もう一つの存在が、同じ動きをしている。
教師は小さく笑った。
「生徒たちは不幸なのかもしれないな。
だが、幸運でもある」
影が、僅かに膨らむ。
「“正しい使われ方”を、
これから学べるのだから」
妖怪の目から、光が消える。
完全な服従。
いや――自我の摩耗。
その瞬間、玄弥の足元で、
小さく砂利が鳴った。
教師が、ぴたりと動きを止める。
「……誰か、いますね?」
声は相変わらず穏やかだ。
だが、空気が一段、冷えた。
玄弥は姿を現さない。
ただ、刀《無垢》に意識を通す。
霊力が、静かに張り詰める。
数秒の沈黙。
やがて教師は、ふっと力を抜いた。
「……気のせい、ですか」
影が、再び教師の中へ沈む。
「最近、生徒たちの霊力が活性化していて。
敏感になっているのでしょう」
その言葉は、
誰に向けたものでもないはずなのに、
玄弥の耳にだけ、はっきりと届いた。
教師は陣を消し、妖怪たちを連れて去っていく。
その背中を見送りながら、玄弥は確信する。
(……この学園は、
妖怪に“利用されている”んじゃない)
人間の側が、
進んで繋がっている。
そして、
あの教師は――
もう半分、人ではない。




