修行の終わり、そして日常へ
張っていた気が抜けたのか、倒れる様に寝てしまった。
玄弥は地に伏したまま、浅い呼吸を繰り返していた。
生きてはいる。だが、意識は深く沈んでいる。
その傍らに、九尾は静かに腰を下ろした。
しばしの沈黙。
やがて、抑えた声で口を開く。
「……八岐大蛇よ」
大蛇は腕を組んだまま、動かない。
「なんだ」
「そなたの力をもってすれば――」
九尾は、玄弥を見下ろす。
「このような遠回りをせずとも、我とこの者のパスは、すでに修復できたのではないか」
空気が、わずかに張り詰める。
八岐大蛇は、すぐには答えなかった。
視線を玄弥へ落としたまま、低く言う。
「……ああ」
「“繋ぐだけ”ならな」
九尾の耳が、わずかに揺れる。
「ならば、なぜ――」
「意味がねぇ」
八岐大蛇の声は、断ち切るようだった。
「治したところで、こいつが弱けりゃ、また壊れる」
九尾は黙って聞く。
「呪いに触れりゃ千切れる。
強い力を受けりゃ歪む。
戦場に出りゃ、真っ先に断たれる」
「そんな細い繋がりを戻すのは、慈悲じゃねぇ」
九尾は、ゆっくりと息を吐いた。
「……理は、分かる」
「だが、酷な選択でもあるな」
「現実だ」
八岐大蛇は視線を逸らさない。
「そなたの力は重い。
神であった頃の名残を宿すがゆえにな」
「受け止める器がなければ、繋がった瞬間に耐えきれん」
九尾は、尻尾を静かに揺らした。
「……確かに」
「我の力は、護りと拡張」
「弱き者に与えれば、守る前に壊してしまう」
八岐大蛇は、低く言う。
「だから先に、壊れねぇ身体と霊力を作った」
「殺して、砕いて、それでも立ち上がる器をな」
白装束が、淡く脈動する。
「ここまで来りゃ、ようやくだ」
「今なら――繋いでも折れねぇ」
九尾は、しばらく沈黙したのち、静かに告げた。
「……なるほど」
「そなたなりの“育て方”というわけか」
「結果が全てだ」
八岐大蛇は短く答える。
その時。
玄弥の指が、わずかに動いた。
二体の視線が、同時にそこへ向く。
九尾は立ち上がり、静かに言った。
「……目覚めるな」
「次だ」
八岐大蛇の口元が、わずかに歪む。
――踏み出した瞬間、世界が反転した。
耳鳴り。
重力が裏返る感覚。
霊力の流れが、強制的に一本へと引き戻される。
玄弥の意識は、異界から引き剥がされるように――落ちた。
***
「……っ」
肺に空気が叩き込まれ、玄弥は大きく息を吸い込んだ。
土の匂い。
湿った風。
夜明け前の、静かな気配。
目を開けると、見慣れた地上の景色が広がっていた。
異界特有の歪みも、重圧も、そこにはない。
「……戻った、のか」
身体を起こすと、全身が重い。
だが、壊れていた感覚はない。
むしろ――異様なほど、地に足がついている。
霊力が、内側で静かに循環していた。
玄弥は、ふと違和感を覚え、懐に手をやる。
――スマホ。
画面は割れていない。
電源も、落ちていない。
「……?」
時刻表示を見た瞬間、眉がわずかに動く。
「……三十日?」
日付を、もう一度確認する。
間違いない。
「……一ヶ月?」
異界での感覚では、何百年も経ったはずだった。
だが、地上では――たったの三十日。
時間の流れの差を、今さらながら実感する。
そして、その直後。
――ブブブブブブッ!!
手の中で、スマホが震え出した。
「……は?」
一件、二件、ではない。
止まらない。
通知音が連続し、画面が点灯し続ける。
玄弥は、恐る恐るロックを解除した。
「……」
通知欄が、埋め尽くされている。
未読メッセージ。
不在着信。
グループ通知。
警告、確認、至急。
まさに――鬼のような数だった。
「……ちょっと待て」
スクロールしても、終わらない。
日付を見ると、最初の数日は心配。
一週間を過ぎると焦り。
二週間目からは、緊急。
三週間目には、怒りと混乱が混じっている。
「……やばいな、これ」
画面の端で、さらに新しい通知が表示される。
――今この瞬間も、探されている。
玄弥は、深く息を吐いた。
異界での修行は、終わった。
だが――
「……現実の方が、戦場かもしれないな」
そう呟き、スマホを握り直す。
霊力が、静かに応えた。
地上に戻った瞬間から、
物語は――再び動き出していた。
玄弥は、通知欄を指で滑らせた。
最初に目に入ったのは――家族の名前。
胸の奥が、わずかに軋む。
「……」
通話履歴。
未読メッセージ。
日付は、ほぼ毎日。
玄弥は一度だけ目を閉じ、それから通話ボタンを押した。
――コール音、二回。
『……玄弥?』
繋がった瞬間、抑えきれなかった声が飛んできた。
「俺だ」
『……! 本当に玄弥!?』
「そうだ。今、連絡できる」
一瞬の沈黙。
それから、息を整える音が聞こえた。
『……無事なのか?』
「怪我はない。生きてる」
『……そうか』
短い返事。
だが、そこで一気に言葉が溢れ出した。
『連絡くらいよこせ。どうしたのか、何があったのか……』
『急にいなくなって、電話も出ない、メッセージも返さない』
『無事かどうかも分からないまま――』
声は荒れていない。
怒鳴ってもいない。
だからこそ、重かった。
「……悪かった」
『三十日だぞ』
ぴたり、と言葉が止まる。
『もう少しで、捜索願を出すところだった』
その一言で、玄弥の喉が詰まった。
「……すまない」
『事情があるなら、今は聞かない』
『だが、連絡はできただろう』
「……ああ」
『無事だと分かっただけでいい』
『今日はそれでいい』
そう言って、声の調子がわずかに落ち着く。
『今どこだ』
「外だ。もう戻る」
『分かった』
『帰ってきたら、顔を見せろ』
「ああ」
通話が切れる直前。
『……本当に、無事でよかった』
その一言だけが、残った。
通話が切れ、静寂が戻る。
玄弥は、スマホを握ったまま、しばらく動かなかった。
異界で何百年を過ごしても、
この一言の重さは――変わらない。
「……心配、かけたな」
小さく呟き、立ち上がる。
まずは帰る。
話は――それからだ。
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