霊装 制約解除
呼吸は、乱れていなかった。
十年。
この世界で積み重ねた時間が、身体の奥に沈んでいる。
玄弥は、静かに目を閉じた。
――霊装を、顕在化させる
以前と同じやり方では、意味がない。
借り物の力に縋る気もない。
「……来い」
そう呟いた瞬間、
霊力が――応えた。
⸻
無理に引きずり出す感覚は、ない。
暴走も、痛みもない。
ただ、自分の内側に“形を持たない何か”があると、
自然に理解できた。
それに、名前を与える。
役割を与える。
制約を、刻む。
⸻
玄弥は、はっきりと言葉にした。
「物理に、干渉しない」
霊力が、静かに収束する。
「物を壊さない。人を傷つけない」
空気が、わずかに震えた。
「だが――」
霊力の流れが、鋭くなる。
「妖力を持つものだけを、断つ」
⸻
次の瞬間。
何もない空間から、
剣が現れた。
鞘はない。
鍔もない。
剥き身の刃。
だが、金属の光はない。
刃の輪郭だけが、
霊気で描かれているようだった。
剣から、霊力が静かに溢れる。
激しくはない。
だが、途切れない。
「……これが」
玄弥は、柄を握る。
重さは、ない。
それでいて、確かな“存在感”がある。
⸻
試すように、地面へ振る。
刃は、地面をすり抜けた。
草も、土も、何一つ切れない。
⸻
次に現れたのは、
妖力を帯びた訓練用の疑似体。
動いた瞬間、
玄弥は迷わず踏み込む。
剣を振る。
――感触は、ない。
刃は、身体をすり抜けた。
だが。
疑似体の動きが、止まった。
膝から崩れ落ち、
妖力だけが、霧のように散っていく。
肉体は、無傷。
だが、力は失われている。
⸻
「……断ったのは、妖力だけか」
九尾が、ゆっくりと頷く。
「そうだ。
これは“殺す剣”じゃない」
「堕ちたものを、戻す剣だ」
⸻
玄弥は、剣を見下ろした。
以前よりも、ずっと静かだ。
だが、確実に強い。
自分の霊力だけで、
形を保っている。
「……やっと、スタートラインだな」
八岐大蛇が、低く笑う。
「違ぇよ」
「ここからが、地獄だ」
九尾は、どこか満足そうに目を細めた。
「それでも」
「今度は、折れない」
霊装は、完全ではない。
だが、確かに――
玄弥のものになっていた。
⸻
八岐大蛇が次の課題を言う
「次は霊装の制約解除だ、ここからが地獄だ頑張れよ」
霊装は、そこにあった。
剥き身の刃。
霊気を纏う、玄弥の剣。
だが――
何も起きない。
「……外せって言われてもな」
玄弥は、剣を見下ろす。
これまでの霊装は、明確だった。
斬れるもの。
斬れないもの。
基準がはっきり分かれていた。
だが今は違う。
⸻
九尾の声が、背後から落ちる。
「制約を“外す”とは縛りを解くことではない」
「縛りが無い状態を理解することだ」
玄弥は眉をひそめる。
「……意味が分からねぇ」
八岐大蛇が、低く笑った。
「だろうな」
「制約ってのはな、力を削る代わりに“形”を与える」
「形が無けりゃ、
力は――散る」
⸻
玄弥は、剣を振る。
空を切ったはずの刃が、
途中で歪んだ。
霊気が、刃から漏れ出す。
「っ……!」
手応えが、消えた。
剣はそこにあるのに、
“剣としての感覚”が無い。
重さが、定まらない。
刃の向きが、曖昧になる。
まるで――
形を拒否しているようだった。
⸻
次の瞬間。
霊力が、暴れた。
剣から溢れた霊気が、
足元を侵す。
地面が揺れ、
空気が裂ける。
だが、何も壊れない。
壊れないのに、
場が不安定になる。
「……くそ」
玄弥は歯を食いしばる。
(制約が無いって、こういうことか)
斬れる。
だが、斬る対象が定まらない。
干渉できる。
だが、干渉の“理由”が無い。
結果――
何一つ、決定できない。
⸻
玄弥の額に、汗が滲む。
剣が、霧のように揺らぐ。
(考えるな……)
(決めろ)
だが、答えが出ない。
斬る理由。
斬らない理由。
それを、まだ――
言葉にできない。
⸻
霊装が、音もなく消えた。
力が尽きたわけじゃない。
拒否されたのだ。
「……まだ、早ぇか」
玄弥は、深く息を吐いた。
九尾は、否定しない。
「いいや」
「“制約が無い怖さ”を知った」
「それだけで、
前より一段、進んだ」
⸻
霊装は、完全な自由を与えない。
自由とは、
覚悟を要求する。
玄弥は、拳を握りしめた。
制約なき霊装は、応えなかった。
それは当然だったのかもしれない。
何を斬るか。
何を斬らないか。
玄弥は、そのどちらも指定しようとしていた。
だが。
「……違うな」
ぽつりと、独り言が漏れる。
⸻
制約とは、条件だ。
対象を限定するための枠。
だが今、求められているのは本当に条件なのか?
「俺が、どう在りたいか‥」
剣を握る手に、力が入る。
霊装は、道具じゃない。
命令に従うものでもない。
自分自身の延長だと考えた。
⸻
玄弥は、目を閉じた。
頭の中で、言葉を探す。
誰かを守りたい。
誰かを救いたい。
そんな曖昧な言葉じゃ、足りない。
もっと、芯のあるもの。
逃げ場のない言葉。
⸻
「……俺は」
霊力が、静かに集まり始める。
剣は、まだ現れない。
だが、確かに“聞いている”。
「俺は、自分が決めた覚悟から――」
一度、息を吸う。
「目を逸らさない」
⸻
その瞬間。
霊力が、形を持った。
だが、刃ではない。
誓約文のように、霊力が刻まれる感覚。
九尾が、わずかに目を細める。
「……ほう」
八岐大蛇は、腕を組んだまま黙っている。
⸻
玄弥は、続ける。
「逃げない」
「責任から、降りない」
「この刀は――」
霊力が、震える。
「俺が向き合うと決めた存在だけに、応える刀だ」
⸻
霊装が、顕在化した。
以前と同じ形の刀。
剥き身の刃。
だが、雰囲気が違う。
霊気は、鋭くはない。
ただ、揺るがない。
「……これが」
玄弥は、自然と理解した。
制約ではない。
条件でもない。
意思そのもの。
玄弥は、短く頷く。
「これは自分への宣誓だ」
⸻
玄弥は、刀構えた。
何を斬るかは、決めていない。
だが、向き合う覚悟だけは、決めた。
霊装は、それで十分だと告げている。
⸻
制約は、枷。
宣誓は、責任。
玄弥は、ようやく理解した。
この刀は――
覚悟を持つ者にしか、応えない。




