敗北、圧倒的な力
女の身体が、不自然に震えた。
倒れ伏していたはずの肉体が、
糸に吊られるように、ゆっくりと起き上がる。
「……ぁ?」
声が、変わっていた。
女のものではない。
低く、嗤うようで、腹の底に直接届く声。
「はは……」
「いいねぇ……」
首が、あり得ない角度で傾く。
「ここまで来るとは思わなかったぜ」
玄弥の背筋が、凍りついた。
『……今すぐ退け!玄弥!』
葛葉の声が、今までになく切迫している。
『それは……“女”ではない』
女――いや、その中にいるモノが、口元を歪めた。
「察しがいいな、狐」
次の瞬間。
女の瞳が、闇に染まる。
影が、身体の内側から噴き出し、
骨格すら無視して膨れ上がる。
空気が、圧殺される。
玄弥は、動けなかった。
霊装剣を握る腕が、
自分の意思とは無関係に、震え始める。
「お前が斬ったのはなただの捨て駒だよ」
鵺の声が、女の喉を借りて響く。
「ハハハ、そらどうだ?抗って見せろよ!……」
嗤う。
――来る。
そう思った瞬間には、もう遅かった。
視界が、跳んだ。
衝撃が、遅れてやってくる。
地面を転がり、壁に叩きつけられる。
「がっ……!」
霊装剣が、手から零れ落ちた。
二本の尾が、必死に玄弥を守ろうとするが――
触れた瞬間、霧散する。
「邪魔だ」
たった一言。
尾が、消えた。
九尾の気配が、奥へと押し込められる。
玄弥は、膝をついた。
息が、できない。
次の瞬間。
髪を、乱暴に掴まれた。
「ほらほら」
顔を無理やり持ち上げられる。
「弱ぇなぁ……」
「弱ぇ、弱ぇ」
「なぁオイぃぃ?」
鵺の顔が、至近距離に迫る。
その瞳には、
殺意すらない。
あるのは――嘲笑だけ。
「さっきまで、いい顔してたじゃねぇか」
「守るだの、選ぶだの」
髪を掴んだまま、
玄弥の身体を持ち上げる。
「――現実、見ろよ」
そして。
投げ捨てた。
宙を舞い、
地面に叩きつけられる。
肺から、空気が全部抜けた。
「……っ、ぁ……」
指一本、動かない。
鵺は、興味を失ったように肩をすくめる。
「あぁ、弱ぇ弱ぇ」
「今のお前じゃ――」
一歩、近づく。
「殺す価値すらねぇなぁ」
背を向ける。
「勘違いすんなよ?」
「これ、分体だぜ?」
振り返り、嗤う。
「一割の力も、使ってねぇ」
影が、女の身体から剥がれていく。
鵺の気配が、薄れていく。
最後に、声だけが残った。
「次に会う時はさ」
「ちゃんと“絶望”させてみろやハハハハハハ」
世界が、静かになる。
玄弥は、地面に伏したまま動けない。
守れなかった。
届かなかった。
――何一つ。
九尾の声が、かすかに響く。
『……これが』
『“本物”だ』
――意識が、浮上した。
最初に感じたのは、音がないことだった。
風も、ざわめきも、
あの戦場にあったはずの気配が、すべて消えている。
玄弥は、天井を見ていた。
白い。
病院の天井だと、遅れて理解する。
「……」
身体を起こそうとして――
動かなかった。
腕も、脚も、
自分のものなのに、遠い。
『……無理をするな』
九尾の声が、頭の奥で響いた。
だが、その声は――
弱々しい。
「……葛葉?」
返事は、ない。
いや。
正確には――届かない。
玄弥は、そこで初めて気づいた。
――霊力が、ない。
枯渇ではない。
遮断。
水路そのものを、塞がれたような感覚。
「……嘘だろ」
喉から、かすれた声が漏れる。
『嘘ではない』
九尾が、ようやく応えた。
『鵺の一撃は、肉体ではなく“繋がり”を壊した』
『お主と我との回路……』
『修復には、時間がかかる』
時間。
その言葉が、胸に重く落ちる。
「……どれくらいだ」
沈黙。
それが、答えだった。
扉が、静かに開く。
入ってきたのは、見知らぬ医師と、
そして――ミユキだった。
大剣は、ない。
制服も、少し汚れている。
「……起きたか」
声は、淡々としているが、
目の奥に、疲労が溜まっていた。
玄弥は、視線を逸らした。
「……マトリは」
ミユキは、答えなかった。
一歩、近づく。
ベッドの横に立ち、
しばらく黙ってから、短く言った。
「……葬儀は、身内だけで済ませた」
それ以上、何も言わない。
それで、十分だった。
胸の奥で、
何かが、音もなく崩れ落ちる。
「俺が……」
言葉が、続かない。
ミユキは、首を横に振った。
「違う」
「お前一人の責任じゃない」
だが。
否定は、救いにならなかった。
数日後。
玄弥は、身体を引きずりながら学園に来た。
廊下の視線が、突き刺さる。
同情。
恐怖。
距離。
誰も、近づかない。
事件は伏せられた。
真実も、鵺の存在も。
だが――
マトリが消えた理由だけは、皆が知っている。
「……あいつ、あの時一緒だったよな」
「生き残ったの、玄弥だけだって」
囁き声が、背中に落ちる。
霊力測定。
数値は――ゼロ。
教師が、眉をひそめる。
「……しばらく、実戦は禁止だ」
「基礎訓練のみ」
基礎。
かつて、霊力がなくても戦おうとした頃の――
原点。
夜。
病室のベッドで、玄弥は天井を見つめる。
剣もない。
尾もない。
あるのは、
敗北の記憶だけ。
『……玄弥』
葛葉の声が、かすかに届く。
『力を失ったわけではない』
『だが――』
『今のお主には、“戦う資格”がない』
玄弥は、目を閉じた。
強くなりたい。
守りたい。
だが――
その前に。
「……取り戻したい」
声は、小さい。
それでも、確かだった。
「力も」
「時間も」
「……仲間も」
失ったものは、戻らないかもしれない。
それでも。
この敗北は、終わりじゃない、そう思うしか無かった。
この後どうしよう、勢いでヒロインリタイアさせちゃった‥




