合流
不意に――
校舎の外から、悲鳴が上がった。
真昼の学園に、あまりにも不釣り合いな叫び声。
玄弥は、はっとして顔を上げた。
「……外?」
割れた窓の向こう。
強い日差しの下、校門付近がざわめいている。
人影が、走っていた。
――いや、逃げている。
歪んだ霊気をまとった暴徒たちが、
校門を押し開き、学園の敷地内へなだれ込んでくる。
制服姿の生徒だけじゃない。
作業着の大人、買い物袋を落としたままの主婦。
街から――
外部から流れ込んできている。
『……汚染が、広がっているな』
九尾の声が、重く響いた。
『やはり薬は学園の中だけ撒かれた物ではなかったか』
玄弥は、奥歯を噛み締める。
青空の下で起きている光景が、
あまりにも現実離れしていた。
その時。
背後から、乾いた笑い声が響く。
「……はは」
振り返ると、
男子生徒が、窓辺に立っていた。
昼の光を背に、
その影だけが、不自然に濃い。
彼は、外の混乱を見下ろしながら、
両腕をゆっくりと広げた。
「来たな……」
「みんな、目を覚ましたんだ」
玄弥は、低く言う。
「違う」
「操られているだけだ」
男子生徒は、鼻で笑った。
「同じだよ」
「弱いままでいいって、否定され続けた連中が‥」
「力を持っただけだ」
妖気が、陽光の中で揺らめく。
暑さとは違う、
肌を刺すような圧迫感。
「先生も」
「優等生も」
「君もだ、玄弥」
男子生徒の視線が、突き刺さる。
「俺を見下しやがって」
「それが、一番ムカつく」
地面が、きしりと鳴った。
校舎の壁に、細かな亀裂が走る。
「だから――」
男子生徒は、口元を歪める。
「俺を否定した奴らを、消す」
「弱いままでいいって言った世界ごと」
外では、
逃げ惑う人々の声が重なり、
教師たちの制止が、かき消されていく。
真昼の光の中で、
学園は、戦場へと変わりつつあった。
『玄弥』
九尾が、静かに告げる。
『諦めろ‥』
『彼は助からない。皆を守るためには”倒す覚悟”が必要という事』
玄弥は、剥き身の刃を握りしめる。
霊装は、まだ応えている。
だが――
限界は、確実に近づいていた。
男子生徒は、ゆっくりと両腕を下ろした。
「……もういい」
玄弥を見据えたまま、
薄く、冷たい笑みを浮かべる。
「君は、ここで“守って”いればいい」
「俺は……仲間のところへ行く」
次の瞬間。
彼の足元から、
白く濁った霧が湧き上がった。
昼の光の中で、
不自然なほど濃い霧。
「……っ」
玄弥が一歩踏み出すが、
視界が、急速に奪われる。
霧の中で、
男子生徒の輪郭が、揺らいだ。
人の形を保ったまま、
だが、確かに“別の何か”へと近づいている。
「待て!」
玄弥の声は、霧に吸い込まれる。
次の瞬間、
霧は、すっと消えた。
そこには、もう誰もいない。
外から、怒号と破壊音が響く。
玄弥は、歯を食いしばり、
校舎を飛び出した。
――校門前。
暴徒たちが、集まり始めていた。
制服姿、私服、年齢も性別もばらばら。
だが、全員が同じ――
歪んだ妖気をまとっている。
その中心に、
男子生徒が立っていた。
「……聞け」
彼の声は、不思議とよく通る。
「俺たちは、否定されてきた」
「弱いって言われて」
「我慢しろって言われて」
「努力しろって言われて」
暴徒たちの視線が、集まる。
共鳴するように、
妖気が、脈打つ。
「もう、我慢はいらない」
「力があるなら――使えばいい」
「この世界は、俺たちのものだ」
歓声とも、咆哮ともつかない声が上がった。
その光景を、
玄弥は、少し離れた場所から見ていた。
「……完全に、率いてる」
『“個”ではなくなったな』
九尾が、低く言う。
『あれはもう……人間を辞めている』
その時。
「玄弥!」
聞き慣れた声が、背後から飛んできた。
振り返ると、
マトリとミユキが、息を切らして駆けてくる。
「無事!?」
マトリは、必死に玄弥を見上げる。
「校舎の中、ひどいことになってる……」
ミユキは、周囲を素早く確認しながら、
低い声で言った。
「結界が分断されてる」
「こいつら……完全に組織化され始めてるわ」
玄弥は、前を見据えたまま答える。
「あの男子生徒が、中心だ」
「放っておけば、もっと増える」
マトリが、ぎゅっと拳を握る。
「……止めるんだよね」
玄弥は、短く頷いた。
「止める」
その言葉の裏に、
迷いと覚悟が、同時に滲んでいた。
目の前では――
“仲間”を得た男子生徒が、
次の破壊を、指示しようとしている。
戦いは、
もう一段、深い場所へ踏み込んだ。
玄弥が剣を構え直した、その瞬間だった。
「……それ」
ミユキの声が、低く落ちる。
玄弥は、はっとして横を見る。
彼女は、玄弥の手元――
剥き身の刃を、じっと見つめていた。
日中の光を受けても反射しない、
鍔も柄飾りもない、不完全な剣。
だが、その周囲には、
確かに“霊”の気配が渦巻いている。
「それ、霊装よね」
断定だった。
玄弥の喉が、鳴る。
「……分かるのか」
ミユキは、わずかに口角を上げる。
「分かるわ」
「形が未完成でも、性質がはっきりしすぎてる」
玄弥は短く頷く。
霊気を纏った剣を手に、玄弥は深く息を吸った。
「……先に言っておく」
前に立つ二人に向けて、
玄弥は短く、はっきりと告げる。
「この霊装、完璧じゃない」
マトリが、驚いたように目を瞬かせる。
「え……?」
ミユキは、視線を剣から逸らさない。
「やっぱり」
玄弥は、剣先を地面に向けた。
石畳に触れた刃は、
何の抵抗もなく、すり抜ける。
切れ目は、残らない。
「物理的なダメージは与えられない」
「物にも、人にもだ」
マトリが、息を呑む。
「じゃあ……」
「どうやって、戦ってるの?」
玄弥は、視線を暴徒たちへ向けた。
「制約をかけてる」
その言葉に、
ミユキの眉が、わずかに動いた。
「制約……?」
「霊装に、条件を縛る」
玄弥は続ける。
「条件が少ないほど、顕在化は難しくなる」
「でも、絞れば……」
「使える形になる」
彼は、剣を構え直す。
「この剣の制約は三つ」
指を一本立てる。
「一つ」
「物理現象に干渉しない」
もう一本。
「二つ」
「人間そのものは、傷つけない」
そして、最後の一本。
「三つ目だけが、例外だ」
剣から、霊気が強く迸った。
「妖力を持つものだけを、斬る」
マトリの喉が、こくりと鳴る。
「……それって」
「薬を使った人たちにも……」
玄弥は、静かに頷く。
「効く」
「妖力だけを切り離す」
「薬を摂取して日が浅ければ――」
「人間に、戻れる」
沈黙が、数秒落ちた。
その静けさを破ったのは、
ミユキだった。
「……随分、優しい制約ね」
玄弥は、苦く笑う。
「そうしないと、使えなかった」
『ほう』
九尾の声が、脳裏に響く。
『欲を削ぎ落とした結果だな』
『だからこそ、形になった』
ミユキは、大剣の柄を握り直す。
「了解」
「じゃあ、役割ははっきりしてる」
マトリも、小さく頷いた。
「玄弥は“戻せる相手”を」
「ミユキは……」
「止めるべき相手を、止める」
ミユキが、低く答える。
「ええ」
「私のは、制約なし」
「だから……」
言葉を切り、
前方を睨む。
「引き返せない相手は、任せて」
三人の視線が、
自然と、同じ方向へ揃う。
――男子生徒。
霧のように消え、
暴徒たちを率い始めた存在。
昼の学園に、
二つの霊装が、並び立つ。
そして、
マトリは悲しい顔で俯き、静かに術式を組んでいた。




