隣にいる影
朝の教室は、相変わらず騒がしかった。
机を引く音、笑い声、霊符の話題。
その中で、西園寺玄弥は一人、窓の外をぼんやりと眺めていた。
胸の奥が、わずかにざわつく。
理由は分からない。
ただ、何かが近くにあるような感覚だけが残っていた。
「なあ、西園寺」
声をかけられて振り返る。
そこに立っていたのは、昨日転入してきたばかりの男子生徒だった。
黒髪、整った顔立ち。
どこか落ち着いた雰囲気で、年齢より少し大人びて見える。
「今日の座学、難しかったよな」
自然な笑顔。
敵意も、探るような目つきもない。
「……ああ、まあ」
玄弥は短く答えた。
この手の会話には慣れている。
無能者として距離を置かれるか、必要以上に気を遣われるか、そのどちらかだ。
だが、この転入生――
「篠宮 恒一」は違った。
「西園寺って、実技はあんまり得意じゃないって聞いたけどさ」
「でも、基礎動作は綺麗だよな」
その一言に、玄弥は僅かに目を見開いた。
基礎。
誰も評価しない部分。
「……見てたのか?」
「昨日、訓練場でな。たまたま」
たまたま、という言葉は軽い。
だが、胸の奥に小さな違和感が残る。
――見られていた。
それも、尾を使わない、地味な反復を。
◆
放課後。
訓練場の片隅で、玄弥は一人、基礎練習を続けていた。
呼吸。
足運び。
霊力の流れを乱さず、最小限で身体を動かす。
派手さはない。
だが、尾に頼らず生き延びるために、欠かせない訓練だった。
「……やっぱり、ここ甘いな」
声と同時に、視界の端で動きが重なる。
篠宮だった。
「勝手に見て、悪い。でもさ」
「体重移動、もう一拍遅らせた方がいい」
玄弥は反射的に身構えかけ――やめた。
敵意がない。
むしろ、純粋な助言だ。
言われた通りに動く。
一歩、半拍遅らせる。
……身体が、軽い。
「……なるほど」
「だろ?」
篠宮は満足そうに笑った。
その笑顔は、あまりに自然だった。
◆
数日後。
玄弥と篠宮は、放課後になると自然に訓練場で顔を合わせるようになっていた。
模擬戦はしない。
ひたすら、基礎。
「尾、まだ使えないんだろ?」
「……ああ」
「なら、なおさらだな」
「派手な力は、最後にあればいい」
その言葉に、玄弥は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
否定されない。
見下されない。
――それが、どれほど久しぶりだったか。
◆
少し離れた場所で、その様子を見ている少女がいた。
水瀬マトリだ。
柱の陰に半分隠れるようにして、二人を見つめている。
胸の前で、ぎゅっと手を握りしめて。
「……あの人……」
怖い。
理由は分からない。
でも、近づくと胸がざわつく。
それでも――
「……玄弥くんが……笑ってる……」
それだけで、何も言えなくなった。
◆
夜。
寮の一室で、篠宮は一人、窓の外を見ていた。
月明かりが、顔の半分を照らす。
その瞳は、昼間とはまるで違っていた。
冷たい。
深い。
人ではない“何か”の色。
(……まだだ)
(今は、信頼を積み上げる)
胸の奥で、妖気が静かに脈打つ。
だが、それは完全に抑え込まれていた。
――友として。
――仲間として。
西園寺玄弥の隣に立つために。
その仮面が、いつまで保てるのか。
それを知る者は、まだ誰もいなかった。




