聖獣 玄武1
ユカリは、玄武の前に立っていた。
巨大な亀が、静かに眠っている。
「……げ、玄武様」ユカリは、もう一度呼びかけた。「お、起きてください」
でも、玄武は目を覚まさなかった。
静かに眠り続けている。
呼吸をしているのかすらわからないほど、静かに。
ムツミが、ユカリの隣に来た。
「起きないね」
「は、はい」ユカリは不安そうに玄武を見た。
ミユキも近づいてきた。「もっと大きな声で呼んでみたら?」
「そ、そうですね」ユカリは深呼吸をして、大きな声を出した。「げ、玄武様——! お、起きてください——!」
ユカリの声が、洞窟の中に響いた。
でも、玄武は目を覚まさなかった。
ピクリとも動かない。
「……ダメです」ユカリは肩を落とした。
玄弥が、玄武に近づいた。
甲羅を、手で叩いてみた。コンコンと。
「玄武」玄弥は呼びかけた。「起きろ」
でも、反応がない。玄弥はもっと強く叩いた。ドンドンと。それでも、玄武は起きなかった。
ナギサも試した。
水を玄武の顔にかけてみる。「《水》——」冷たい水が、玄武の顔を濡らした。でも、玄武は目を覚まさなかった。
ミユキが、炎を出した。「熱ければ起きるかしら」
「や、やめてください——!」
ユカリが慌てた。
「げ、玄武様が、や、火傷します——!」
「冗談よ、冗談」ミユキは炎を消した。「本当にやるわけないでしょ」
葛葉が、玄武を見た。
「……深い眠りじゃのう」
「そうね」
ムツミも頷いた。
「どうすれば起きるんだろう」
朱雀が、ミユキの肩から飛んで玄武の甲羅に降り立った。
「玄武——! 起きんしゃい——!」
朱雀は甲羅の上で跳ねた。
「いつまで寝とるとね——!」
でも、玄武は起きなかった。
朱雀がどれだけ跳ねても、叫んでも、反応がない。
青龍も、玄武の近くに飛んできた。
「玄武、起きてください」
青龍の声が、静かに響いた。
でも、玄武は目を覚まさなかった。
白虎も、玄武の甲羅に飛び乗った。
「おい、玄武」
白虎は甲羅を爪で引っ掻いた。
「いい加減起きろ」
でも、玄武は起きなかった。
三体の聖獣が、顔を見合わせた。
「……困ったばい」朱雀が呟いた。
「どうしましょう」青龍も困った顔をした。
「こいつ、本当に深く眠ってるな」白虎も尾を揺らした。
葛葉が、三体の聖獣を見た。
「お主ら、玄武を起こす方法を知らんのか」
「知らんとよ」
朱雀が首を横に振った。
「玄武が寝たら、起きるまで待つしかなかけん」
「待つ? どれくらい?」
「数十年」青龍が答えた。
「数十年——!?」
ムツミが驚いた。
「そ、そんなに待てないわよ——!」
玄弥が、腕を組んだ。
「他に方法はないのか」
「……一つだけ、あるかもしれん」
葛葉が口を開いた。
「一つ?」
「そうじゃ。精神に干渉するのじゃ」
「精神に干渉?」
ナギサが聞いた。
「そうじゃ。玄武の精神世界に入って、直接起こすのじゃ」
葛葉は続けた。
「玄武は、身体は眠っておるが、精神はまだ活動しておるはずじゃ。その精神に干渉して、起こすのじゃ」
「でも、どうやって精神世界に入るんですか」
ミユキが聞いた。
「巫女が、入るのじゃ」
葛葉はユカリを見た。
「ユカリ、お主が玄武の精神世界に入るのじゃ」
「わ、私が?」ユカリは驚いた。
「そうじゃ。お主は玄武の器じゃ。玄武との繋がりがある。その繋がりを辿れば、精神世界に入れるはずじゃ」
ユカリは、玄武を見た。
巨大な亀が、静かに眠っている。
あの玄武の精神世界に、入る。
「……わ、わかりました」ユカリは頷いた。「や、やってみます」
「大丈夫か」玄弥がユカリを見た。
「だ、大丈夫です」ユカリは笑った。「わ、私が、げ、玄武様を起こします」
葛葉が、ユカリの背中に手を当てた。
「では、始めるのじゃ。ユカリ、目を閉じて玄武との繋がりを感じるのじゃ」
「は、はい」
ユカリは目を閉じた。
玄武との繋がりを感じる。
さっき感じた、微かな繋がりを。
繋がりが、見えてきた。
細い糸のような繋がりが、ユカリと玄武を結んでいる。
「……か、感じます」
「よし。その繋がりを辿るのじゃ。
玄武の精神に向かって、自分の意識を送るのじゃ」
「は、はい」
ユカリは、意識を繋がりに沿って送った。
玄武に向かって。玄武の精神に向かって。
意識が、吸い込まれていく。
視界が、真っ暗になった。
次の瞬間、ユカリは違う場所にいた。
暗い場所だった。
どこまでも続く、暗闇の中。
足元は、水のような何かが広がっていた。踏むと波紋が広がる。
「……こ、ここが、げ、玄武様の精神世界?」
ユカリは、周りを見回した。誰もいない。
何もない。ただ、暗闇だけが広がっていた。
ユカリは、歩き始めた。
どこに行けばいいのかわからなかったが、とにかく前に進んだ。足元の水が、波紋を作る。
しばらく歩くと、光が見えてきた。
遠くに、小さな光が。
ユカリは、その光に向かって走った。
光が、だんだん大きくなっていく。
近づいていくと、光の中に何かが見えた。
玄武だった。
でも、現実世界で見た巨大な玄武ではなかった。
人間くらいの大きさの、小さな亀だった。
甲羅の上には、小さな蛇が巻きついている。
玄武は、丸くなって眠っていた。
静かに、穏やかに。
「……げ、玄武様」
ユカリは、玄武に近づいた。
手を伸ばして、玄武の甲羅に触れる。
「お、起きてください」
でも、玄武は目を覚まさなかった。
ユカリは、もっと強く揺さぶった。
「げ、玄武様——! お、起きてください——!」
でも、玄武は起きない。
ユカリは、困った。
——ど、どうすれば。
――ここまで来たのに、起きてくれない。
その時、玄武の甲羅の上の蛇が、目を開けた。
「……うるさい」
蛇の声が、低く響いた。
「誰だ、お前は」
ユカリは、驚いた。
「あ、あなたは?」
「俺は、玄武の一部だ」
蛇が答えた。
「蛇の部分だ」
「へ、蛇の部分?」
「そうだ。玄武は、亀と蛇が合わさった存在だ。俺は、蛇の方だ」
蛇は、ユカリを見た。
「それで、お前は誰だ」
「わ、私は、土雲ユカリです。げ、玄武様を起こしに来ました」
「起こしに来た?」
蛇は、首を傾げた。
「なぜだ?」
「け、契約を結ぶためです」
蛇は、少し黙った。
それから。
「……契約か」
蛇の声が、冷たくなった。
「また、契約か」
「え?」
「俺たちは、もう契約を結ばない」
「で、でも——」
「人間は、俺たちを裏切った」
蛇の目が、鋭くなった。
「契約を破棄して、俺たちを見捨てた」
「そ、それは——」
「だから、もう人間は信用しない」
蛇は、玄武の甲羅に頭を戻した。
「帰れ」
ユカリは、焦った。
「ま、待ってください——」
「帰れ」
蛇の声が、響いた。
「お前には、玄武を起こす資格はない」




