閑話 温泉と恋と
白虎との戦いを終えて、六人は山を降りた。
ムツミは全身傷だらけで、歩くのもやっとの状態だった。玄弥が肩を貸して支えていた。
「大丈夫か、ムツミ」
「大丈夫よ……ちょっと疲れただけ」
ムツミは笑ったが、その笑顔は弱々しかった。
葛葉が前を歩きながら言った。
「今日は、近くの温泉旅館に泊まるのじゃ」
「温泉?」
ミユキが顔を上げた。
「そうじゃ。ムツミも傷だらけじゃし、みんな疲れておる。温泉で身体を癒すのじゃ」
ユカリが嬉しそうに言った。
「お、温泉、い、いいですね」
「そうね」
ナギサも頷いた。
「身体を温めたいです」
一時間ほど歩いて、山の麓にある温泉旅館に到着した。
古い木造の建物で、趣がある。
玄関には大きな暖簾が下がっていた。
葛葉が女将と話をつけて、部屋を二つ取った。
男性用の部屋と女性用の部屋。
「玄弥は一人じゃから、小さい部屋でよかろう」
「ああ、構わない」
「女性陣は、わらわと一緒に大部屋じゃ」
「はーい」
部屋に荷物を置いて、一息ついた。
ムツミはベッドに倒れ込んだ。
「……疲れた」
「お疲れ様、ムツミ」
ミユキがムツミの隣に座った。
「よく頑張ったわね」
ナギサが救急箱を持ってきた。
「ムツミさん、傷の手当てをします」
「ありがとう、ナギサさん」
ナギサはムツミの腕や脚の傷に消毒液を塗り、包帯を巻いていく。
ユカリも手伝った。
葛葉が窓の外を見ながら言った。
「夕飯まで時間があるのう」
「温泉、入りに行こうか」
ミユキが提案した。
「傷があるから、温泉に入った方が治りが早いわよ」
「そうね」
ナギサも頷いた。
「温泉の成分が、傷に効くと聞きます」
「じゃあ、行きましょう」
ムツミも立ち上がった。
「あたし、温泉大好き」
五人は浴衣に着替えて、温泉に向かった。
廊下を歩いていると、玄弥とすれ違った。
玄弥も浴衣を着ていた。
「あ、西園寺くん」
ムツミが声をかけた。
「温泉行くの?」
「ああ。お前らも?」
「うん」
玄弥はムツミを見て、少し驚いた。
浴衣姿のムツミは、いつもと雰囲気が違った。
髪を下ろしていて、柔らかい印象だった。
玄弥は少し顔を赤くして視線を逸らした。
「じゃあ、俺は男湯に行ってくる」
「うん、ゆっくりしてきて」
五人は女湯に入った。
脱衣所で浴衣を脱ぎ、タオルを持って浴室に入る。
広い浴室だった。
大きな湯船があり、湯気が立ち上っている。
窓からは山の景色が見えた。
「わあ……」
ユカリが感嘆の声を上げた。
「き、綺麗です」
「そうね」
ナギサも窓の外を見た。
「いい景色です」
五人は身体を洗ってから、湯船に浸かった。
「……はあ」
ミユキが息を吐いた。
「気持ちいい」
「そうじゃのう」
葛葉も目を閉じた。
「温泉は、やはりよいのう」
ムツミは傷口が少し染みたが、我慢して湯に浸かった。
「……温泉って、傷に効くのよね」
「そうよ」
ミユキが答えた。
「硫黄の成分が、傷を治すらしいわ」
しばらく、五人は静かに湯に浸かっていた。
疲れが、溶けていくようだった。
ムツミが口を開いた。
「ねえ、みんな」
「なに?」
「百年の修行、どうだった?」
ミユキが少し考えてから答えた。
「……きつかったわね」
「きつかった?」
「ええ。でも、充実してた」
ミユキは湯に顎まで浸かった。
「あたしは、炎の制御がすごく上手くなったと思う」
ナギサも頷いた。
「私も、水の技が増えました」
「そうね」
「でも、一番大きかったのは……」
ナギサは少し黙った。
「心の成長かもしれません」
「心の成長?」
ムツミが聞いた。
「ええ」
ナギサは湯船の縁に腕を置いた。
「青龍様の試練で、自分の心と向き合いました。それが、一番大きかったです」
ユカリが、おずおずと言った。
「わ、私も、せ、成長できました」
「そうね」
ミユキがユカリを見た。
「あんた、百年前とは全然違うわよ」
「そ、そうですか?」
「そうよ。百年前は、震えてばかりだったもの」
ユカリは自分の手を見た。
「……そうですね。今は、も、妖怪が怖くないです」
「よかったわね」
葛葉が、五人を見回した。
「みんな、本当に強くなったのう」
「葛葉さんのおかげです」
ナギサが頭を下げた。
「ありがとうございました」
「礼には及ばんのじゃ」
葛葉は笑った。
「わらわは、ただ見守っておっただけじゃ。強くなったのは、お主らの努力のおかげじゃ」
ムツミが、ふと思い出したように言った。
「ねえ、みんな」
「なに?」
「西園寺くんのこと、どう思う?」
その言葉に、全員が固まった。
ミユキが、ムツミを睨んだ。
「……なんで、そんなこと聞くのよ」
「だって、気になるじゃない」
ムツミは笑った。
「みんな、西園寺くんと一緒に百年過ごしたんだし」
「そ、それは……」
ユカリが顔を赤くした。
ナギサは黙っていた。
でも、その頬が少し赤くなっている。
葛葉が、にやりと笑った。
「ほほう。面白い話題じゃのう」
「葛葉さんも、興味あるんですか?」
「あるのう」
葛葉は頷いた。
「玄弥のことは、わらわもよく知っておるからのう」
ミユキが、ため息をついた。
「……まあ、悪い人じゃないわよね」
「悪い人じゃない、って」
ムツミが笑った。
「それだけ?」
「それだけよ」
ミユキは視線を逸らした。
「別に、特別な感情とかないし」
「本当に?」
「本当よ」
でも、ミユキの耳が赤くなっていた。
ムツミは、ナギサを見た。
「ナギサさんは?」
「……私は」
ナギサは少し黙った。
「西園寺くんは、大切な人です」
「大切な人?」
「はい」
ナギサは静かに答えた。
「でも、それ以上のことは……言えません」
ムツミは、ナギサの表情を見た。
何かを隠している、そんな感じがした。
でも、それ以上聞くのは野暮だと思った。
ユカリが、小さく言った。
「わ、私は……に、西園寺さん、か、かっこいいと思います」
「かっこいい?」
「は、はい。い、いつも、み、みんなを守ってくれて……」
ユカリの顔が、真っ赤になった。
「す、素敵だと、お、思います」
ムツミが、笑った。
「ユカリちゃん、可愛い」
「か、可愛くないです!」
葛葉が、口を開いた。
「玄弥は、確かに立派な男じゃ」
「そうですね」
ナギサが頷いた。
「強くて、優しくて、みんなを守ってくれます」
「でもね」
ミユキが言った。
「あいつ、鈍感なのよね」
「鈍感?」
「そう。人の気持ちに、気づかない」
ミユキは湯に顎まで浸かった。
「まあ、それも悪くないけど」
ムツミが、にやりと笑った。
「みんな、西園寺くんのこと好きなんだ」
「す、好きとか、そ、そういうのじゃ——」
ユカリが慌てた。
「まあ、好きじゃのう」
葛葉が、あっさりと言った。
「わらわも、玄弥のことは好きじゃぞ」
「葛葉さんも!?」
「うむ。契約者として、のう」
葛葉は続けた。
「玄弥は、わらわの最初の契約者じゃ。大切な存在じゃ」
「……そうですよね」
ナギサが、静かに言った。
「西園寺くんは、みんなにとって大切な人です」
五人は、しばらく黙っていた。
湯気が、静かに立ち上っていた。
それから、ミユキが口を開いた。
「……でも、あいつ、マトリのこと忘れてないと思うのよね」
その言葉に、ナギサの表情が変わった。
「そうね」
ナギサは、静かに言った。
「西園寺くんは、マトリのことを今でも大切に思っています」
「……」
「それは、悪いことじゃありません」
ナギサは続けた。
「むしろ、そういうところが西園寺くんの良いところだと思います」
ムツミが、ナギサを見た。
「ナギサさん、辛くないですか?」
「……辛いです」
ナギサは正直に答えた。
「でも、それでいいんです」
「それでいい?」
「はい」
ナギサは小さく笑った。
「私は、西園寺くんの隣にいられるだけで幸せです」
ミユキが、ナギサの肩を抱いた。
「……あんた、強いわね」
「強くないです」
ナギサは首を横に振った。
「ただ、そう決めただけです」
ユカリが、涙目になった。
「な、ナギサさん……」
「大丈夫ですよ、ユカリさん」
ナギサはユカリに微笑んだ。
「私は、これでいいんです」
葛葉が、しみじみと言った。
「みんな、複雑じゃのう」
「そうね」
ミユキも頷いた。
「恋愛って、面倒くさいわ」
ムツミが、笑った。
「でも、それが楽しいんじゃない?」
「楽しい?」
「うん。好きな人がいるって、ドキドキするし、楽しいよ」
ムツミは湯船の縁に腕を置いた。
「あたしは、まだ特定の人が好きってわけじゃないけど」
「……」
「でも、みんなが好きな人のことを考えてる顔、見てると幸せになる」
ミユキが、ムツミを見た。
「あんた、意外といい子ね」
「意外って、失礼ね」
ムツミは笑った。
五人は、また静かに湯に浸かった。
疲れが、溶けていく。
心も、少し軽くなった気がした。
しばらくして、五人は湯船から上がった。
身体を拭いて、浴衣を着る。
脱衣所で髪を乾かしながら、ムツミが言った。
「あ、そういえば」
「なに?」
「玄弥くん、もう上がってるかな」
「さあ」
ミユキが答えた。
「男は早いから、もう上がってるんじゃない?」
五人は脱衣所を出て、廊下を歩いた。
部屋に戻ろうとした時。
角を曲がったところで、玄弥とぶつかった。
「——っ」
ムツミが、玄弥にぶつかる。
「ご、ごめん——」
玄弥も浴衣を着ていた。
髪が濡れていて、湯上がりだとわかる。
ムツミは、玄弥を見上げた。
近い。
すごく、近い。
玄弥の顔が、目の前にあった。
ムツミの心臓が、早鐘のように打った。
玄弥も、固まっていた。
ムツミの浴衣姿を、至近距離で見ている。
髪から水滴が落ちて、白い首筋を伝っていた。
玄弥の顔が、赤くなった。
「す、すまん」
慌てて距離を取る。
ムツミも、顔を赤くした。
「あ、あたしこそ、ごめん」
後ろから、ミユキが笑った。
「あんたたち、何やってるのよ」
「な、何もやってないわよ!」
ムツミが慌てて答えた。
ナギサも、微笑んでいた。
ユカリは、顔を赤くしながら見ていた。
葛葉は、にやにやしていた。
玄弥は、視線を逸らした。
「じゃ、じゃあ、俺は部屋に戻る」
「う、うん」
玄弥は、早足で去っていった。
ムツミは、その背中を見ながら、胸を押さえた。
心臓が、まだ早鐘を打っていた。
「……ドキドキした」
小さく、呟いた。
ミユキが、ムツミの肩を叩いた。
「あんた、顔真っ赤よ」
「う、うるさいわね!」
五人は、部屋に戻った。
部屋で、五人は浴衣のまま座った。
まだ、夕飯まで時間がある。
ムツミが、ベッドに倒れ込んだ。
「……疲れた」
「お疲れ様」
ミユキも、隣に座った。
ナギサが、窓の外を見た。
夕日が、山の向こうに沈んでいく。
綺麗な夕焼けだった。
「綺麗ですね」
ナギサが、呟いた。
「そうね」
ミユキも、窓の外を見た。
「いい景色」
ユカリが、二人の隣に来た。
「き、綺麗です」
「うむ」
葛葉も、頷いた。
「よい景色じゃのう」
五人は、しばらく夕焼けを見ていた。
静かな時間が、流れていた。
それから、夕飯の時間になった。
六人は、食堂に集まった。
大きな座敷に、料理が並んでいた。
刺身、天ぷら、煮物、焼き魚。
豪華な料理だった。
「うわあ」
ムツミが、目を輝かせた。
「すごい」
「豪華じゃのう」
葛葉も、満足そうだった。
六人は、座って食事を始めた。
玄弥は、浴衣姿の五人を見て、少し落ち着かなかった。
みんな、いつもと雰囲気が違う。
ミユキは、刺身を食べながら言った。
「美味しいわね」
「そうね」
ナギサも、頷いた。
「新鮮です」
ムツミは、天ぷらを頬張った。
「美味しい——」
「ムツミ、食べるの早いわね」
ミユキが笑った。
ユカリは、煮物を食べていた。
「お、美味しいです」
「よかったのう」
葛葉も、満足そうだった。
玄弥は、焼き魚を食べながら、五人を見ていた。
みんな、楽しそうだった。
百年の修行を終えて、やっと少し休める。
そう思うと、安心した。
食事が終わって、六人は部屋に戻った。
玄弥は、自分の部屋に。
五人は、大部屋に。
大部屋では、五人が布団を敷いて横になった。
電気を消して、暗くなった部屋の中で、五人は話をした。
「ねえ、明日は玄武様を探すんだよね」
ムツミが言った。
「そうじゃ」
葛葉が答えた。
「最後の聖獣じゃのう」
「ユカリちゃん、大丈夫?」
ムツミが、ユカリに聞いた。
「だ、大丈夫です」
ユカリは、小さく答えた。
「が、頑張ります」
「大丈夫よ」
ミユキが言った。
「あたしたちがいるから」
「そうです」
ナギサも、頷いた。
「一緒に、頑張りましょう」
ユカリは、涙が出そうになった。
「……ありがとうございます」
五人は、しばらく話をしていた。
それから、眠りについた。
玄弥も、自分の部屋で布団に入った。
今日は、色々あった。
白虎との戦い。
温泉。
浴衣姿のムツミとぶつかったこと。
玄弥は、天井を見上げた。
——みんな、強くなった。
——百年の修行は、無駄じゃなかった。
そう思いながら、眠りについた。
静かな夜が、更けていった。
明日は、玄武を探す。
最後の聖獣との、出会いが待っている。




